スペシャル企画

【大山 正Presents】クロスロード〜外食経営者のルーツと転機〜 vol.27/株式会社5TAP 代表取締役 山口 修氏

この企画「クロスロード」は聞き手の大山 正が、外食経営者が歩んできた人生の転機やルーツを、ライフチャートとともにひも解くインタビューシリーズです。経営者自らが描くライフチャートを起点に、これまでの軌跡を深掘りし、現在の意思決定や価値観の源泉に迫っていきます。今回は第27回目となります。

ホストで月300万を稼ぎ、アパレルECサイトを立ち上げて売却。そんな異色の経歴を持つ株式会社5TAPの代表、山口さん。彼の波乱万丈なキャリアは、青森での誕生から始まりました。自衛官の父を持ち、転勤を繰り返す幼少期を経て、飲食店経営という天職にたどり着くまでの道のりには、幾多の挫折と決断がありました。今回は、常に逆境をバネにし、仲間と共に「長く愛せる店作り」を追求する山口さんの哲学と、その原動力に迫ります。
(取材・執筆・文責:大山 正)


株式会社5TAP 代表取締役 

山口 修氏

出身地:静岡県浜松市

生年月日:1991年10月30日生まれ。

企業ホームページ:三軒茶屋https://www.instagram.com/sangencyaya/)、Shibuyahttps://www.instagram.com/shibuya_nagoya)他

プレゼンテーター:大山 正

1982年東京都生まれ。成蹊大学卒業後、各種広告関係営業、外食企業のプロモーション・広報を経て、2014年1月、31歳で外食メディア「フードスタジアム」フードスタジアム株式会社 代表取締役就任。飲食店若手経営者の会「外食5G(現JFRX)」初代サポーター企業リーダー。2020年3月、株式会社ミライーツを設立。飲食業界における幅広い人脈、情報を持ち、飲食企業のサポートに従事する一方、本連載「クロスロード」では独自に記事の取材・執筆・文責を手掛ける。


【忙しい経営者向け】30秒で掴む、山口修氏の「波乱万丈と正直な商売」

今回の見どころ:借金80万からのV字回復、月収300万からの事業売却、そして絶望から見つけた「愛せる商売」の真髄。

  • 16歳で高校中退、夜の世界へ: 貧困への反骨心から「モテ」と「金」を追求。ホスト時代に客に飛ばされ背負った80万の借金を初月100万売上で完済。月収300万を稼ぐトップホストへ。
  • EC起業と売却、そして飲食との出会い: 22歳でアパレルECを創業し成功するも、価値創造への疑問から1年で売却。放浪後、名古屋のスペインバル『サロス』でのバイトで、1,500円のプレートがお客さんの人生に残る「正直な商売」のやりがいに目覚める。
  • 「愛せる店」で東京へ挑戦: 26歳で独立し『うに横丁』を創業。スタッフとの離別やコロナ禍を乗り越え、現在はカフェや街創りプロジェクト、東京・代々木上原での町寿司など5店舗を展開。長期計画は持たず、仲間と「愛せる店」を作り続ける。

※ホスト時代の葛藤や、飲食業に転身した瞬間の絶望、各店舗の戦略など、生々しい全貌は本文へ!

ロード1

転勤族の少年が浜松に根を下ろすまで

さっそくですが、山口さんのご出身はどちらなのですか?

山口さん:生まれは青森の三沢市なんです。親父が自衛隊だったので転勤が多くて、2歳で違う県へ引っ越して。そこから2年おきぐらいに転勤を繰り返していましたね。

 

では、青森の記憶はあまりない感じですか?

山口さん:特にないんですけど、なぜか「ねぶた祭り」の記憶だけは鮮明にあって。2歳以来だったんですけど、3年ぐらい前に大人になって初めて行ってみたら、なんだか感じるものがありましたね。意外と覚えてるもんだなーって。

 

物心ついた頃は、どちらにいたのですか?

山口さん:静岡の浜松ですね。幼少期はほぼ浜松で過ごしました。5人家族で、歳の離れた兄が2人いて。浜松に来たのが5歳ぐらいだったんですけど、10歳ぐらいまではワンルームに5人でギュウギュウで寝てました(笑)。

え、ワンルームに5人!?

山口さん:はい。親父も中卒で自衛隊に入って、給料が上がるまでは結構貧しかったと思います。兄貴たちは思春期真っ盛りで、狭い部屋で殴り合いのケンカしてたり、家の中はもうカオス状態でしたね(笑)。壁に穴が空いても直すお金がないからガムテープで補修したり。好きなものが買えるっていう感覚はなかったんで「好きなものを買えるようになりたいな」って、ずっと思ってました。

 

目立たず、騒がず、でも常に「モテる立ち位置」を狙う学生時代

幼少期は、どのようなキャラだったんですか?

山口さん:割とおとなしい方だったと思います。学校のクラスで言う「1軍」の近くにいる、おとなしめのやつ、みたいな(笑)。運動は全然してなかったんですけど、勉強は周りがめちゃくちゃ頭いい学区だったんで、その中の落ちこぼれでしたね。友達に誘われて行った塾では、成績順で席が決まるんですけど、後ろから2番目でした。

 

それが、グラフを見ると10歳ぐらいからちょっと変化が?

山口さん:足が速いだけでモテる時期が来るじゃないですか(笑)。そこで初めて「頭悪いけどモテる」を経験しましたね(笑)。

 

なるほど(笑)。中学でも、そのポジションは変わらず?

山口さん:そうですね。中学でもバスケ部でレギュラーやりつつ、1軍にいる感じでした。ただ、モテる基準が「足が速いヤツ」から「ヤンキー」に変わってくるんで、ちょっとやんちゃな人たちの隣にいる、みたいな。リーダーじゃないけど、常に『モテる立ち位置』を狙ってましたね(笑)。

Point👉転勤族で貧しい幼少期を経て、常に「モテる立ち位置」を狙うクレバーな学生時代を送る。

 

16歳で高校中退。人生の舵を自分で切った日

大きな事件もなく過ごした小中学校から、高校に進学するわけですね。

山口さん:はい。でも、進学した高校が、引きこもりかヤンキーしかいないようなところで。ヤンキーな人たちとはすぐ仲良くなったんですけど、3ヶ月ぐらいでみんな学校に来なくなっちゃったり、辞めちゃったりして。気づいたら、周りは引きこもりの人たちしかいなくなってて。

 

あぁそうなんですね。

山口さん:半年ぐらい経った頃には「ここでどうやって楽しもう…」って本気で悩みました。その環境の中でも彼らと仲良くしようとか努めた時期もあったんですが、自分までネガティブになっていく感じがして、ここにいるのはマイナスだなって思うようになって。それで、親と「1年分の単位だけは取る」って約束して、1年で高校を辞めました。16歳で、ある種の人生の選択をした感じですね。

 

辞めてからは、どうしたんですか?

山口さん:高卒認定試験を取るために通信制の学校に通いながら、めちゃくちゃバイトしてました。昼はオムライス屋さん、朝はガソリンスタンド、夜は居酒屋って感じで。

 

バイト三昧!飲食業との出会いは、ここからなんですね。

山口さん:そうですね。やればやるだけ給料になるし、何より「必要とされる」のが嬉しかったんだと思います。特に居酒屋のバイトがめちゃくちゃ楽しくて。この経験が後々につながってきますね。

Point👉16歳で高校を中退し、高卒認定を取得。人生の大きな決断を自ら下す。

ロード2

40万稼ぎに来たら、80万の借金を背負ったホスト時代

それで18歳で高卒認定を取って、専門学校に進学するんですよね。

山口さん:はい、名古屋のアパレル系の専門学校に行きました。これも「モテたいな」っていうのが動機です(笑)。

 

そこは一貫しているわけですね(笑)!

山口さん:でも、名古屋に来て遊びすぎちゃって、家賃を3ヶ月滞納しちゃったんですよ。「来月までに払わないと退去だよ」って通知が来て、1〜2ヶ月で40万ぐらい作らないといけない状況になって。

 

えーーー!!!いきなりピンチじゃないですか!

山口さん:ヤバい!ってなってるときに、紹介されたのがホストのバイトだったんです。「1ヶ月で40万稼げるよ」って言われて。

 

おお、救世主!しかも、ホスト(笑)!!!

山口さん:それが、働き始めて3日目ぐらいに、お客さんに40万を売り掛けで飛ばれちゃったんですよ。「未収」っていうんですけど。40万稼ぎに来たのに、いきなり40万の借金ができて、滞納してる家賃と合わせて18歳で80万の負債を抱えることになったんです(汗)。

 

やばー(笑)!!!地獄すぎる…。

山口さん:めちゃくちゃ悔しくて、「ホストで負けた分はホストで取り返す!」って火がつきましたね。そこから必死で頑張ったら、運良くいいお客さんにも恵まれて、初月で100万ぐらい売り上げることができたんです。給料が50万ぐらい入って、なんとか2ヶ月ぐらいで借金を返済できました。

Point👉家賃滞納をきっかけにホストの世界へ。借金80万円を1ヶ月で完済し、トッププレイヤーに。

 

月収300万の世界。アパレルEC起業、そして売却へ

すごいV字回復!そこからホストとして成り上がっていくんですね。

山口さん:そうですね。ナンバーにも入るようになって、18歳ではもらえないような金額をもらえるようになりました。学校はだんだん行かなくなっちゃったんですけど(笑)、なんとか卒業してアパレル会社に就職しました。

ホスト時代の山口さん。貴重な当時のお写真の掲載許可いただきました(笑)。かっこいい!

 

ホストとアパレルの二足のわらじですか。

山口さん:はい。アパレルで働きながらホストをやっていた時期もありました。でも、アパレルの給料が14万で、ホストが300万みたいな(笑)。それで、ホストで貯めたお金を元手に、自分でアパレルのオンラインサイトを立ち上げたんです。22歳の時ですね。

 

えー!すごい行動力!

山口さん:韓国から商品をセレクトしてきて、ECサイトで販売する形です。当時はECが伸びてる時期で、時流に乗れたこともあって、結構簡単に売上は作れました。

 

じゃあ、その頃は順風満帆だったわけですか?

山口さん:数字は取れてたんですけど、だんだん面白みを感じなくなっちゃって。結局、仕入れて売るだけなので、新しい価値を生み出せていないなと。売りたいものより売れるものを揃えるようになって、自分自身もその服を着なくなってきて。この先が見えないなと思って、23歳の時に事業を譲渡しました。ホストもその前には辞めてましたね。

Point👉22歳でアパレルECサイトを起業し成功させるも、やりがいを見失い事業を売却。

 

「正直な商売」との出会い。飲食の世界へ

23歳で事業売却。そこからはどうしたんですか?

山口さん:1年ぐらい、海外行ったりして遊んでましたね。バリ島にサーフィンやってる友達がいたんで、一緒に行って2ヶ月ぐらい過ごしたり。で、日本に帰ってきて、いい加減何かやらないとなってタイミングで、知り合いに「ちょっと手伝ってよ」って言われて、当時「名古屋でコンパといったらここ!」っていうほどめちゃくちゃ流行っていたスペインバルの『サロス』っていうお店でバイトを始めたんです。

 

それが大きな転機になったんですね。

山口さん:はい。それがめちゃくちゃ楽しくて。ホスト時代は何百万っていうお金が動いて歓喜が生まれてたけど、ここでは1,500円のデザートプレートで、お客さんの人生に一生残るような場面が生まれる。「なんてやりがいのある、正直な商売なんだろう」って感じたんです。

 

お金だけじゃない価値を見つけたと。

山口さん:それに、そこのメンバーが最高で。営業後に毎日飲みに行っては「あのお客さんにもっとこうできたら良かった」とか、熱く語り合ってるんですよ。その姿を見て、「いつか自分もこんなチームを作りたいな」って思ったのが、飲食でやっていこうと決めたきっかけですね。

Point👉飲食店バイトでの「正直な商売」の喜びに目覚め、飲食業界で生きることを決意。

 

でも、(グラフを見ると下がり加減ということは)順風満帆ではなかったんですよね?

山口さん:楽しさもあったんですけど、同時にめちゃくちゃ悔しい思いもしました。ホストを5年ぐらいやってたんで、当時の知り合いとかが来て「あいつ落ちぶれたな」みたいなことを言われたり、ホストの掲示板に「今は皿洗いしてる」とか書かれたり(汗)。年下の18,19歳の子に「あれやっといて」って使われるのも悔しくて。調子に乗ってた自分は、いざ社会に出てみたら何もないんだなって絶望しましたね。でも、やるしかない、見返してやろうって気持ちでした。

 

飲食の道で独立。古巣でのリスタートと東京への挑戦

その悔しさをバネに、ついに飲食での独立へと向かうわけですね。

山口さん:はい。将来独立するなら、最先端の東京を見ておいた方が早いなと思って、名古屋の店を1年で辞めて東京に行きました。『LD&K』で働かせていただきながら、HUGEさんとか他の会社でもバイトして、とにかく色んな飲食店を見ましたね。

 

そして26歳ですかね?名古屋に戻って、いよいよ創業というわけですね。

山口さん:はい。半年ぐらい物件を探して、たまたま紹介されたのが、自分が5年間ホストとして戦ってた女子大エリアだったんです。5年間毎日通ってたのに気づかなかった物件で、これも巡り合わせだなと。自分がリスタートするにはこの場所しかないと思って、うに専門店『うに横丁』をオープンしました。2018年の11月ですね。

『うに横丁』Instagram

 

それはエモすぎますね!でも、なぜ「うに専門店」だったんですか?

山口さん:飲食経験が短い自分が、経験豊富な人たちと同じ土俵で戦っても勝てない。だから、何か差別化できるキラーコンテンツが欲しかったんです。そこで出会ったのが「塩水うに」。当時名古屋では流通が少なかったので、これを武器にしようと。尖った業態だったので、すぐに注目してもらえましたね。

 

尖りまくってますね(笑)。順調な滑り出し。でも、また試練が?

山口さん:創業して1年半ぐらい経った頃、スタッフとの方向性の違いが明確になってきて。自分の店なのに、店に行くのが嫌になるぐらいだったんです。このチームで展開していくのは違うなと思って、社員に辞めてもらうという苦しい決断をしました。そこからが本当のリスタートでしたね。

 

ロード3

コロナ禍を追い風に、街を創る店作りへ

リスタート後、コロナ禍に突入しますが、出店を加速させていますよね。

山口さん:むしろコロナは追い風でした。2020年12月に、東京の三軒茶屋が好きすぎて、名古屋に『三軒茶屋』っていう古民家を改装した店を出しました。オープン日が緊急事態宣言の発令日だったんですけどね(笑)。

 

すごいタイミング!

山口さん:最初は1日の売り上げが2,3万円で全然ダメでしたけど、感度の高いアパレルや美容師界隈の人たちは当時も飲んでいたのでそこから火がついて、結果的に狙い通りの客層に支持される店になりました。

Point👉26歳で独立。コロナ禍を追い風に店舗を拡大し、街づくりにも貢献。

 

そこから今では東京含めて5店舗。全部業態が違うのが面白いですね。

山口さん:そうですね。2023年にカフェ『Shibuya』、昨年7月には、シャッター街を盛り上げるプロジェクトの一環で、コーヒーとベーグルの店『EGORAPIN’』をオープンしました。これは利益重視というより、とにかく人を集めてほしいっていう依頼だったので、店作りが街作りに繋がる面白い経験でした。

『Shibuya』Instagram

 

そして今回、念願の東京進出というわけですね。

山口さん:はい。創業時からずっと東京で勝負したいと思っていました。今年の7月に、代々木上原で寿司業態の店をオープンしました。『成田屋』ってお店です。普段使いできる町寿司がコンセプトです。これも、従業員の給料を上げていくには単価の高い業態が必要だ、という課題から生まれた店でもあります。

 

長期計画はなし!「愛せる店」を仲間と作り続ける

ホスト、アパレル、そして飲食店経営。すごいキャリアです。振り返ってみて、ホストの経験はどう生きていますか?

山口さん:どこかで「嘘をつく商売」だっていう後ろめたさがあったんですよね。お客さんや従業員が不幸になることもあって、笑って乾杯できない自分がいた。だから、親に自信を持って「この仕事やってるよ」って言える、正直な商売がしたかった。飲食業は、バイト時代から本当に楽しいと思えたし、サロスでの経験でやりがいも感じられた。そう言った経験があるからこそ今を「愛せる」んだと思います。

 

今後のビジョンについて教えてください。

山口さん:先輩経営者の方々には「甘い!」って言われるん出すけど実は僕、長期的なビジョンも事業計画もほとんどないんですよ(笑)。今までも、その時々で自分が本当に「やりたい」「愛せる」と思える形を表現してきただけなので。

Point👉長期的な計画よりも、仲間と共に「長く愛せる店」を創り続けることを哲学としている。

 

計画を立てないスタイルなんですね!それもまた正直ですね(笑)。

山口さん:はい。会社の成長フェーズごとの課題だったり、自分の表現したいことであったり、従業員の「やりたい」を形にすることだったり。その積み重ねなのかなって思ってます。これからも、自分と会社と仲間に素直に、長く愛せる店を作っていきたいですね。東京もあと2店舗ぐらいはやりたいな、ぐらいの感じですかね。

 

―ありがとうございました!

 

編集後記

爽やかで物腰柔らかな外見とは裏腹に、語られる若かりし頃のエピソードは想像以上に壮絶なものばかり(笑)。しかし、それらを気負うことなく淡々と、自然体で語る山口さんの言葉に、気づけばぐんぐん引き込まれていました。

お話を伺って強く感じたのは、どんな逆境や不条理に見舞われても決して他人のせいにせず、現実を真っ直ぐに受け止めて前に進んできた「強さ」と「素直さ」こそが、彼の最大の武器だということです。

自分自身を誰よりも深く理解しているからこそ、損得ではなく「自分が本当に愛せるもの」を妥協なく追求する。山口さんが体現するそのピュアで誠実な経営哲学は、これからの時代を切り拓く外食経営者にとっての新たなスタンダードになっていくはずです。今後の展開からますます目が離せません!(聞き手・文責:大山 正)

 

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