
お話を伺った株式会社Ea-quesT、株式会社Alcantara 代表取締役の浅野 博之さん

1982年東京都生まれ。成蹊大学卒業後、各種広告関係営業、外食企業のプロモーション・広報を経て、2014年1月、31歳で外食メディア「フードスタジアム」フードスタジアム株式会社 代表取締役就任。飲食店若手経営者の会「外食5G(現JFRX)」初代サポーター企業リーダー。2020年3月、株式会社ミライーツを設立。飲食業界における幅広い人脈、情報を持ち、飲食企業のサポートに従事する一方、本連載「Next Chapter 経営者たちの未来図」では独自に記事の取材・執筆・文責を手掛ける。
居酒屋バブルのど真ん中!『レインズ』で叩き込まれた現場のリアル
——浅野さんが外食の道に進まれたのは、いつ頃からなんですか?何か経緯があってですか?
浅野さん:「もともと学生時代からバイトで飲食はやっていて、ずっと興味はあったんですよね。ただ、大学新卒では『ヤナセ』っていう自動車の会社に入社して、そこで3年間サラリーマンをやっていました。でもやっぱり外食への想いが強くて、転職を決意したんです。それで入ったのが『レインズインターナショナル』ですね」
——おお、なるほど!転職でレインズですか!
浅野さん:「そうです。最初は現場から入って、『土間土間』のチーフからスタートしました。配属されたのが錦糸町の200席くらいある大型店舗で。当時はちょうど2004年頃の“居酒屋バブル”の真っ只中。『牛角』も『土間土間』も出店ラッシュで、もうめちゃくちゃ忙しかったですね。入った瞬間から『1ヶ月ぐらい休みないよ』みたいな、そんな時代でした(笑)」
——すごい時代……。まさに戦場ですね。
浅野さん:「本当に。でも、僕としては『早く店長の経験を積みたい』という目的があったので、それは好都合でした。チーフで入って、1ヶ月後にはもう店長になってましたから。そこからはいろんな店舗を経験しつつ、すぐにスーパーバイザー(SV)になりました。直営店もフランチャイズ(FC)店も両方担当して、累計で100店舗ぐらいはやりましたね」
——100店舗!それはすごい経験値ですね。
浅野さん:「『土間土間』の運営SVとして、いろんなオーナーさんと関わらせてもらいました。当時はまだレインズも上場前で、勢いがすごかったですから。そこで運営のイロハをみっちり学びましたね」

創業者の下で新業態開発!机を蹴飛ばされながら学んだ「売れるブランド」の作り方
——現場での経験を積まれた後は、どうされたんですか?
浅野さん:「もともと将来的に独立したいっていう希望があったので、入社時から新業態開発の部署を希望してたんです。でも『まずは現場を知れ』ということで運営をやって、ようやく希望が叶って異動できました。そこが、創業者の西山さん直轄の部署だったんです」
——西山さんの直轄!指導は厳しかったですか…?
浅野さん:「もう、めちゃくちゃ厳しいです(笑)。社員には基本的にすごく優しい方なんですけど、直轄部署となると話は別で。週に1回レビューがあるんですけど、数字が計画通りにいってないと、もうそれは(笑)……。レビューの前日は会社に泊まり込みで資料を作るのが当たり前、みたいな日々が続きましたね」
——ストイックすぎますね、すごい。まさに猛特訓ですね。
浅野さん:「ただ『資料を作るだけじゃなくて、ちゃんと売れるものを作れ』っていう、本質的なことを叩き込まれました。僕の立場は商品企画だったんですけど、求められるのはブランドを1から作って、ちゃんと事業として軌道に乗せること。運営店舗の数字が悪ければ、自ら店に入って改善する。何でもやりました。そこでやったのが、低価格業態の『ぶっちぎり酒場』とか、串焼と釜飯の『とりでん』、あとはハンバーグとステーキの『爆弾ステーキ』、略して『バクテキ』とかですね。この経験は本当に鍛えられました」
人気バル『北の国バル』立ち上げ。そして、念願の独立へ
——レインズで相当な経験を積まれたわけですが、そこから『北の国バル』の立ち上げに関わるんですね。
浅野さん:「そうなんです。新業態開発部署にいた時の上司だった山本さんという方が独立して自分のお店をやるタイミングで、『一緒にやらないか』と声をかけてくれて。僕もその話に乗ってレインズを辞めて、一緒に『株式会社FOOTOPを立ち上げました」
——『北の国バル』の構想は、その時からあったんですか?
浅野さん:「いえ、辞める時点では具体的な構想はなかったですね。『二人で(会社)やれたら面白いよね』くらいの話で。お互い会社を辞めてから、北海道に視察旅行に行ったりして、そこからブランドの骨格を作っていきました。1号店は蒲田です」
——役割分担はどんな感じだったんですか?
浅野さん:「山本さんがメニュー開発やブランディングといった企画部分を担当して、僕は主にお店の運営部分ですね。現場に入ってスタッフを指導したり、オペレーションを組んだり。二人三脚でやっていきました」
——そこから一気に店舗が拡大していったわけですよね。覚えています。
浅野さん:「ちょうどワインバルブームの波に乗れたのもあって、繁盛店を作ることができましたね。直営で3店舗やった後、FC展開を始めて、4年間で十数店舗まで増えました」
——すごい勢いですね!でも、浅野さん自身はもともと独立志向があったんですよね?
浅野さん:「そうなんです。FOOTOPを立ち上げる時も、『3年くらいで独立します』って話はしていました。結局ちょっと延びて4年かかりましたけど、円満に。僕自身も『北の国バル』をゼロから作ったのですごく思い入れがあったので、『のれん分け』という形で神保町店を譲ってもらい、個人事業主として独立したんです」
コロナで売上9割減!ウーバー配達員になって見出した逆転の一手
——あ、そうだったんですね、知りませんでした。それで念願の独立を果たしたわけですが、その直後にコロナ禍がやってくると。
浅野さん:「まさにそうなんです。独立して3年経った頃にコロナが来て。神保町のお店はオフィスワーカーがターゲットだったので、テレワークの普及で大打撃を受けました。売上が一気に10分の1とかになっちゃって。もう、どうしようもないなと」
——ですよね。。。それはキツい……。
浅野さん:「ただ、社員もアルバイトもいたので、彼らの雇用は守らないといけない。そこで、スタッフには店を任せつつ、僕は『別で稼いでくる!』って言って、ウーバーの配達員を始めたんですよ」
——ええっ!ご自身で配達を!?
浅野さん:「はい。でも、これがとんでもない発見の連続で。実際に配達員としていろんなお店の商品を運んで、お客さんの動向を見ているうちに、『これ、絶対いけるぞ』っていう確信が湧いてきたんです。デリバリーブランドって、実店舗を作るよりはるかに簡単じゃないですか。レインズでブランド開発をやってきた経験もあったので、『とりあえず自分で作ってみよう』と」
——そこから、あのヒットブランドが生まれるんですね。
浅野さん:「そうです。『牛トロいくら丼』ですね。当時流行っていたローストビーフ丼をヒントにしつつ、もっと面白くてインパクトのあるものはないかなと探している中で見つけたアイデアを形にしました。これを自分の店で始めたら、出すたびにヒットして。デリバリーだけで月商400〜500万円を売り上げるようになったんです」
自社ブランドが全国300店舗に!「飲食店を助けたい」から始まったFC事業
——すごいですよね。牛トロいくら丼って組み合わせは普通考えつかないです(笑)。デリバリーだけで、月商500万はすごいですね!
浅野さん:「コロナ禍でもしっかり利益が出るようになったので、『このノウハウを広めたら、同じように困っている飲食店さんの助けになるんじゃないか』って、本当に軽いノリでFC展開を始めたんです。それが株式会社Ea-quesTの始まりですね」
——最初は軽いノリだったんですね(笑)。
浅野さん:「はい。だから営業会社とかも使わず、知り合いの営業マンに声をかけて、『やりたい人がいたら紹介して』みたいな感じで。でも、何より自分の店で売れているっていう実績を見せられたのが強かったですね」
——確かに、自社で実績と出している業態なので説得力が違いますもんね。
浅野さん:「あと、FC加盟のハードルを極限まで下げたのも良かったんだと思います。加盟金は15万円で、それも最初に払うんじゃなくて、売上が出てから分割で支払ってもらう形。つまり、手出しのお金ゼロで始められるようにしたんです。僕自身が飲食店経営者だからこそ、始めやすさにはこだわりました」
——それは加盟する側からしたら、めちゃくちゃありがたいですね。
浅野さん:「手軽だけど、味には妥協しない。タレはPB(プライベートブランド)で自社開発しましたし、容器に帯を巻いて見栄えを良くしたり、細かい工夫も重ねました。結果的に『牛トロいくら丼』から始まって、『カオマンガイ』『ホタテ丼』『ポキ丼』『馬肉ユッケ丼』とブランドを増やしていって、ピーク時には全国で300店舗まで広がりました。北海道から沖縄まで、加盟店さんができましたね」
——すごい!まさにV字回復ですね。
浅野さん:「ただ、一つだけルールを決めていて。『直営店でテストした時に、月商100万円を超えないブランドはFC展開しない』ということです。実はボツになった業態もいくつかあるんですよ。だからこそ、加盟してくれた店舗さんがちゃんと売れるブランドを提供できたんだと思います」
次なる挑戦は「ハイブリッド型飲食店」。カオマンガイ専門店で描く未来
——デリバリー事業で大成功を収めた浅野さんが、今度は実店舗に力を入れているのはなぜですか?
浅野さん:「デリバリー事業をやっていく中で、Uber eatsや出前館などのプラットフォームに依存することの危険性をすごく感じたんです。規約が一つ変わるだけで、自分たちではどうしようもない影響を受けてしまう。だから、デリバリーは続けつつも、ちゃんと自分たちの足で立てる実店舗も並行してやっていこう、と考え方を変えました」
——なるほど。リスクヘッジでもあるわけですね。
浅野さん:「はい。それで、コロナ禍に神保町の『北の国バル』を小箱に移転して『海南鶏飯本舗』に業態変更したんですが、このお店がイートインもデリバリーも、両方ともずっと売上が伸び続けているんです。今では月商800万円のうち、イートインとデリバリーが半々くらい。この『実店舗とデリバリーを両立させるハイブリッドな形』をパッケージにして、今度はFC展開していったら面白いんじゃないか、と。そのトライアル1号店として、ここ三田店『ONE GAI』をオープンしました」

——浅野さんのカオマンガイの強みって、どんなところにあるんでしょうか。
浅野さん:「一番の特徴は、圧倒的なカスタマイズ性ですね。ご飯をジャスミンライス、十五穀米、カリフラワーライスから選べて、お肉も『むね』と『もも』、そのミックスも選べる。さらに、卓上にはソースが何種類も置いてあって、かけ放題なんです」


——え、ソースかけ放題!?それは楽しい!
浅野さん:「そうなんです。だから、お客さんは毎週来ても飽きない。ご飯の種類、お肉の種類、ソースの組み合わせを変えれば100通り以上の味が楽しめますから。実はこの業態を作った時、僕、タイに行ったことなかったんですよ(笑)。本場の味を知らなかったからこそ、日本人好みの、自由な発想のカオマンガイが作れたんだと思ってます」
——今後の展望について教えてください。
浅野さん:「まずはこの『ヘルシーカオマンガイ』の実店舗のFCパッケージをしっかり作り上げて、100店舗を目指したいですね。将来的には、この日本で独自進化したカオマンガイを、逆にタイに持っていく、みたいな海外展開も面白いかなと考えています。そして、やっぱり僕はブランド作りそのものが好きなので、また新しい業態も作りたい。コロナも落ち着いてきたので、もともと大好きなお酒が飲める業態にも、またチャレンジしたいですね」
——素晴らしいです!ありがとうございました。
編集後記
コロナ禍、私自身もデリバリー事業に携わっていましたが、その中でたびたび話題に上がっていたのが、浅野さんの「牛とろいくら本舗」でした。実際にしっかりと売上をつくれる業態として評価され、加盟店の皆さんからも好評だったことを覚えています。デリバリーという業態で継続して売れ続けるためには、一時的な話題性だけではなく、リピーターがしっかりとついていること、つまり、その先のお客様にも支持されていることが欠かせません。そうした強いブランドを無数に展開するのではなく、一つひとつ丁寧に育て、磨き上げていく。それこそが浅野さんのストロングポイントなのだと思います。実店舗とデリバリー、それぞれの強みを掛け合わせた浅野さんのハイブリッドな飲食店経営は、これからの「新しい飲食店のカタチ」の一つになるのではないでしょうか。その挑戦を心から応援しています。
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