
株式会社官兵衛 代表取締役
河内 慎太郎氏
出身地:岡山県岡山市
生年月日:1984年3月16日生まれ。
企業SNS:ハチマル蒲鉾 福島店 他
元芸人:ジョニーレオポン

1982年東京都生まれ。成蹊大学卒業後、各種広告関係営業、外食企業のプロモーション・広報を経て、2014年1月、31歳で外食メディア「フードスタジアム」フードスタジアム株式会社 代表取締役就任。飲食店若手経営者の会「外食5G(現JFRX)」初代サポーター企業リーダー。2020年3月、株式会社ミライーツを設立。飲食業界における幅広い人脈、情報を持ち、飲食企業のサポートに従事する一方、本連載「クロスロード」では独自に記事の取材・執筆・文責を手掛ける。
ロード1

父親の借金、そして山に捨てられた日
——まずは河内さんの生まれ育った環境から、教えていただけますか?
河内さん:僕は岡山県の田舎で生まれました。農家の平凡な家で、父親は車屋をやったりして、まあまあ普通の暮らしだったと思います。欲しいものは割と買ってもらえたかなとは思います。でも、実はそれ、全部借金だったんですよ。
——えーーーー!いきなりすごい話。借金ですか!?
河内さん:親父がものすごいギャンブル好きで。岡山の競艇場に親父が行ったらオッズが変わるって言われるくらい、一点買いで何百万も賭けるような人だったんです。もちろん負けるんで、めちゃくちゃカモなんですけど(笑)。闇金からもすごい額を借りてて、最終的には数億円の借金で自己破産しました。
——えって、数億円の借金…。
河内さん:だから、裕福だと思ってたのは全部借金で回してただけ。そのツケが全部回ってきたのが、僕が10歳のときでしたね。
——10歳ですか。何があったんですか?
河内さん:学校から帰るとき、正門を出たら親父が車で迎えに来てて。「乗れよ」って。普段まったく家にいない人だったんで、珍しいなと思ったんです。車の中で「おまえ、お母さんのこと守れるか?」とか色々話されて、山の中腹にある自販機がたくさんあるドライブインみたいなところのタバコの自動販売機の前で降ろされたんです。「いつものタバコ買ってきて」って230円渡されて、僕が自販機でボタンを押した瞬間に、車がブーン!って走り去ったんです。
——え…?な、なんで・・・
河内さん:そこで捨てられたんですよ。一瞬、何が起きたか分からなかったんですけど。でも、なんとなくその時「捨てられたんだな」って理解して。呆然としてそこで、人生で初めてタバコを吸いました。10歳でしたけど。
夜逃げと人生のどん底。「腐ったおにぎり」の味
——壮絶すぎますね…。そこからどうなったんですか?
河内さん:その日から1年間の夜逃げ生活が始まりました。家はなくなって、家族はバラバラ。僕は施設に預けられたりしたけど、合わなくてすぐに出ました。だから、僕は中学校に行ってないんですよ。
——学校に行かずに、ですか?
河内さん:はい。今はダメだと思うんですが(大人が)気を遣って職場を紹介してくれて働かせてもらってました。だから、よくいる「学校行かずにグレてた」みたいな奴らがめっちゃ嫌いなんです。「お前、帰る家あるやんけ」って。こっちは生きるために働くしかなかった。悪いこともグレることもできないんですよ、居場所がなくなるから。
——それは辛かったですね。その頃が一番しんどかった時期ですか?
河内さん:そうですね。人生で一番のどん底でした。毎日どうやって死のうかとしか考えてなかった。朝、新聞配達をして、工場で働いて。一日の食事が、自分で炊いて握ったおにぎりだけ。ある夏の日、朝作って大事に取っておいたおにぎりを食べようとしたら、腐ってたんですよ。
——うわぁ…。
河内さん:その時のおにぎりの味は、一生忘れないです。なんて自分は無力なんだろう、なんで生きてるんだろうって。すべての負の感情が凝縮された感じでしたね。でも今思えば、あの経験に比べたら、人生で辛いことなんて何もないですよ。選択肢があるだけで、どれだけ幸せか、って。
初めて自分で選んだ道と、突然の挫折
——そのどん底から、どうやって抜け出したんですか?
河内さん:当時、競馬が大好きで、ジョッキーになりたかったんです。それで、14歳のときに北海道の牧場に就職しました。これが人生で初めて、自分で選んで進んだ道でした。
——14歳で北海道へ!それはすごい決断ですね。
河内さん:もうめちゃくちゃきつかったけど、めちゃくちゃ楽しかった。その牧場の会長さんが、某有名ウィンタースポーツ選手のお父さんだったんですけど、「年齢なんて関係ねえ、やりたいならやれ!」って言ってくれて。僕が乗った馬が競馬場で走ったりもして、本当に充実してました。
——夢が叶いかけていたんですね。
河内さん:でも、1年半ぐらい経った頃、落馬して大怪我をしちゃったんです。あばらとか骨盤とか、いろんなところを骨折して。身体的にもうジョッキーは無理だなって。乗れなくなったショックの方が、怪我の痛みより大きかったですね。16歳のときでした。
ロード2

迷走の20代前半。探偵、そして寺へ
——夢を絶たれて、また岡山に帰るんですか?
河内さん:はい。岡山に帰って焼肉屋でバイトしてたら、羽振りのいい社長にスカウトされて、訪問販売の営業会社に入りました。これがまた面白くて。初めて「お金って稼げるんだな」って実感しました。営業の勉強も楽しくて、10代で数百万稼いだりして。もう欲が爆発しましたね(笑)。めちゃくちゃ遊んで、散財して。
——すごい!人生V字回復ですね。
河内さん:でも、やってたのがシロアリ駆除とか浄水器の販売で、あんまり良い営業じゃなかった(苦笑)。心のどこかで「これって良くないよな」って思いながらやってて。結局、法律が厳しくなって会社は潰れて、僕には借金だけが残りました。
——また落ちてしまうと…(汗)。
河内さん:その後、21歳ぐらいで探偵になったんです。給料も良くて、借金は全部返せました。でも、これも結局、浮気調査とかで人の不幸の上に成り立つ商売じゃないですか。成果を出せば出すほど、誰かが悲しむ。ずっとモヤモヤしてました。
——確かに…。精神を保つのがきつそうですね。
河内さん:そうなんです。それで辞めるきっかけになった調査があって。ある経営者を追ってたら、その人に別の家族がいたんです。その家族が、子どもの入学式ですごく幸せそうに手をつないで歩いてて。その男の子が、なんだか昔の自分と重なって見えちゃって…。浮気相手とはいえ幸せそうな家庭を壊そうとしている自分は何をしているだろう、って思って。それで、僕の中で何かが吹っ切れて。「もう、こういうモヤモヤした人生はやめよう」って。その足で会社を辞めて、すっきりしたくて寺に修行に行きました。
人生最高の青春。お笑い芸人「ジョニー・レオポン」
——こらまたすごい(笑)。探偵からお寺!展開が早すぎます(笑)。
河内さん:10ヶ月ぐらい修行しました。朝4時に起きて、夜9時に寝て、ひたすら掃除する毎日。ある夜、お坊さんたちがテレビ見てゲラゲラ笑ってるんですよ。千鳥さんとかの漫才を見て。その時思ったんです。「人を笑わせるって、すげえな」って。自分がしんどい思いをしても、それを見た人が100%ハッピーになる。これって最強の仕事じゃないかって。
——そこでお笑いに目覚めたんですね!
河内さん:はい。それで自分が寺で修行させてらもらっていた時に、2人の若者がいたんですよ。彼らも修行していて。そうしたら彼らが「僕ら、芸人目指してるんですよ」っていうんです。僕が24歳で吉本興業の養成所(NSC)に入ったんですけど、彼らがいたんですよ(笑)。今、彼らはうちの会社で店長として頑張ってくれています(笑)。
——それはすごい(笑)!NSCは何期生ですか?
大阪32期生で、同期は(東京だと)ニューヨークとか鬼越トマホーク。1期後輩が霜降り明星とかですね。
——すごい期じゃないですか!芸人生活はどうでした?
河内さん:もうね、人生で一番楽しかったです。ほんとの青春。コンビ名は『ジョニー・レオポン』って言うんですけど、まったく売れなかったですけどね(笑)。でも、毎日が本当に楽しかった。朝からパチンコ並んで、舞台に出て、麻雀して、バイトして…。悔しい思いもたくさんしたし、今の奥さんにもめちゃくちゃ迷惑かけましたけど、全部ひっくるめて100%楽しかった。
——そんな中、なぜ7年で辞めようと?
河内さん:ずっと「児童養護施設を作りたい」っていう夢があったんですけど、このまま芸人を続けても無理だなと。それに、一番仲の良かった後輩に粗品(霜降り明星)がいたんです。彼はもう高校生の時から見てるけど、彼は本物の天才。化け物です。スターってこういう奴なんだなって間近で見せつけられたんで、結構すっぱり諦めがつきましたね。
ロード3

芸人から職人へ。かまぼことの運命の出会い
——芸人を辞めて、どうして飲食の道に?
河内さん:芸人を辞めるか迷ってた頃、今に繋がる飲食の師匠になる人のお店に出会ったんです。大阪の天満にあった『八尾蒲鉾店』っていう、揚げたてのかまぼこを出すお店(居酒屋)で。そこのかまぼこを食べたとき、衝撃が走って。「なんじゃこりゃ!」って。
——かまぼこに、ですか。
河内さん:はい。それで師匠に「修行させてください!」ってお願いしたら、「芸人やりながらはなぁ…」って言われて。その2日後には芸人辞めてました(笑)。
——なんと!!決断が早い(笑)!
河内さん:そこから1年ちょっと、昼はかまぼこ屋、夜は居酒屋で働いて、1日20時間ぐらい働いてましたね。そして32歳のとき、大阪の福島に自分のお店『ハチマル蒲鉾』をオープンしました。
——そのオープンの時にフードスタジアム関西の皆さんとお邪魔しましたよね。懐かしい。オープン後は順調でしたか?
河内さん:最初は芸人時代の仲間がたくさん来てくれて、赤字はなかったです。でも、半年後には2店舗目を出すつもりで人を雇いすぎて、人件費が売上の80%を超えちゃって(笑)。経営的にはヤバかったですね。
——そんな状況をどうやって打開したのですか?
河内さん:2018年の12月に霜降り明星がM-1で優勝したんですよね。そしたら粗品が、M-1後の密着番組とかいろんな番組で、僕の店の名前を全部出してくれたんです。「勝負メシはここで」みたいに。3ヶ月でテレビに15本ぐらい出させてもらって。そこから一気にドカーン!と。もう、ありえないぐらいお客さんが並んでくれました。本当に粗品には感謝しかないです。
病、コロナ禍、そして仲間との絆
——すごい恩返しですね。そこから一気に拡大していくわけですね。
河内さん:はい。2019年に難波に2号店を出して、その1ヶ月後に長男が生まれて。順風満帆に見えたんですけど、そのまた1ヶ月後、僕の身体に腫瘍が見つかったんです・・・。
——え…なんとま試練が・・・。
河内さん:そうです。腫瘍が肝臓の裏にできて、医者からは「あんまり良くないです」と。30%くらいの確率で助からないかもと。でも、不思議と自分ごとだと割り切れるんですよね。奥さんとか子どものことだったら耐えられなかったと思う。すぐにスタッフを集めて、僕がいなくなった後のフォーメーションも全部決めました。
——それで…手術は・・・?
河内さん:はい、12月に手術して成功しました。「よっしゃ、こっから頑張るぞ!」って思ってたら、2ヶ月後にコロナが来たんですよ(爆)。
——もう立て続けに…(涙)。コロナ禍は、どう乗り越えたんですか?
河内さん:もう店は開けられない。でも、スタッフの給料はアルバイトの子も含めて全額、満額を渡し続けました。そのために個人的に借り入れもしましたね。会社に残ってた100万円で、「どうせ死ぬなら前のめりに死のうぜ」って、子どもたちに無料でお弁当を配る活動を始めたんです。
——素晴らしい活動ですね。
河内さん:これが想像以上に反響があって。100万円なんてすぐなくなったんですけど、それを見てたお客さんとかが「俺が出すから続けてくれ」って支援してくれて。だからコロナの間も、毎日お弁当作って配達して、めちゃくちゃ忙しかったですね。有事の時に儲けようとはまったく思わなかったですね。
——その姿勢が、今の会社につながっているんですね。
河内さん:そうかもしれないです。うちの会社、創業して8年経ちますけど、社員もアルバイトも、一人も辞めてないんですよ。これが僕の一番の自慢です。
東京へ。「社会に必要とされる会社」を目指して
——最後に、今後の展望を教えてください。東京に進出されるとか。
河内さん:はい。芸人時代からずっと東京に行きたかった。大阪で仲の良かった芸人仲間も、みんな東京に行っちゃいましたからね。ようやく会社の地盤も固まってきたので、満を持して。今は渋谷に住んで、物件を探してるところです。渋谷で開業を予定しています。
——どんな会社にしていきたいですか?数値的な目標などはありますか?
河内さん:数字はあんまり決めないようにしてます。行けるところまで行きたい。それだけです。会社の方針としては、とにかく『社会に必要とされる会社』になること。飲食業をやってますけど、それ以外のこともやるかもしれない。でも、選ぶ基準はいつもそこです。
——社会に必要とされる、ですか。それは素晴らしいですね。
河内さん:僕の人生、人のために何かをしだしてから、人のことを考えるようになってから好転したんです。必要とされれば生きていけるし、されなければ淘汰される。それだけだと思うんですよ。だから、僕らの仕事も、お客さんが喜んでくれたり、感動してくれたり、ちょっとでも良い気持ちになってくれたり。その可能性があるって、すごいやりがいじゃないですか。みんなが喜んでくれることをやっていれば、最終的にはうまくいく。そう信じてます。
——ありがとうございました!
編集後記
穏やかで飾らない語り口が印象的な河内さん。お話を伺うまでは、これほどまでに壮絶な人生を歩んでこられた方だとは想像もしていませんでした。親に捨てられ、たった一人で人生を切り拓いていかなければならなかった経験。その過酷な体験を乗り越えてきたからこそ、河内さんにはどんな困難にも揺るがない強さと、人への深い優しさが備わっているのだと感じました。また、芸人時代に苦楽をともにした仲間たちとの強い絆が、現在の会社づくりにも色濃く反映されているように思いました。単なる組織ではなく、仲間を信じ、支え合いながら一つのチームをつくり上げていく姿勢は、その頃に培われた経験が土台になっているのでしょう。確かな志を胸に東京進出へ挑む河内さん。その新たな挑戦がどのような未来を切り拓いていくのか、これからもその歩みを追い続けていきたいと思います。(聞き手:大山 正)
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