スペシャル企画

【大山 正Presents】クロスロード〜外食経営者のルーツと転機〜 vol.23/株式会社ブリッヂウィン・株式会社SPIL 代表取締役 玉井 亮佑氏

この企画「クロスロード」は聞き手の大山 正が、外食経営者が歩んできた人生の転機やルーツを、ライフチャートとともにひも解くインタビューシリーズです。経営者自らが描くライフチャートを起点に、これまでの軌跡を深掘りし、現在の意思決定や価値観の源泉に迫っていきます。今回は第23回目となります。

「人生、正直2回は終わってますね」。

開口一番、そう言って笑うのは神奈川県横浜市を中心に飲食店を展開する株式会社ブリッヂウィン・株式会社SPIL 代表取締役の玉井 亮佑さん。東京の下町で生まれ育ち、活発な少年時代を過ごした彼は、美容師を経て飲食の世界へ。その道のりは、トラックにはねられ、多額の借金を背負い、信頼する人との約束に悩み、そしてコロナ禍の真っ只中で独立を果たすという、まさに波乱万丈そのもの。
今回は、そんなジェットコースターのような半生を歩んできた玉井さんに、これまでの道のりと、壮絶な経験の先に見つけた「本当に大切にしたいこと」について、根掘り葉掘り聞いてみました。
(取材・執筆・文責:大山 正)


株式会社ブリッヂウィン・株式会社SPIL 代表取締役

玉井 亮佑氏

出身地:東京都豊島区

生年月日:1981年11月11日生まれ。

企業ホームページ:株式会社ブリッヂウィング

 

プレゼンテーター:大山 正

1982年東京都生まれ。成蹊大学卒業後、各種広告関係営業、外食企業のプロモーション・広報を経て、2014年1月、31歳で外食メディア「フードスタジアム」フードスタジアム株式会社 代表取締役就任。飲食店若手経営者の会「外食5G(現JFRX)」初代サポーター企業リーダー。2020年3月、株式会社ミライーツを設立。飲食業界における幅広い人脈、情報を持ち、飲食企業のサポートに従事する一方、本連載「クロスロード」では独自に記事の取材・執筆を手掛ける。

 

ロード1

下町育ちのわんぱく小僧、小1でトラックに15mはね飛ばされる

——さっそくですが、玉井さんのルーツから教えてください。どんなお子さんだったんですか?

玉井さん:生まれは東京の駒込。巣鴨の近くの、いわゆる下町生まれなんですよね。男3兄弟の長男だったんだけど、とにかく落ち着きがなくて活発な子どもだった。すぐどっか行っちゃって、放送で呼び出されるのは日常茶飯事(笑)。長男なのに珍しいってよく言われてましたね(笑)。

 

——絵に描いたような、わんぱく少年ですね(笑)。

玉井さん:運動神経だけはすごく良くて、小学生の頃は走りで負けたことがなかった。だから、自然と周りに人が集まってくるような、クラスの中心にいるタイプだったかな、とは思います。でも、その活発さが仇になる出来事があって。小学1年生の夏休みに、親父の実家の三重に帰省したとき、道路に飛び出しちゃって、トラックに15mもはね飛ばされたちゃったんですよ。

 

——ええっ!?15メートル!?九死に一生じゃないですか・・・・汗

玉井さん:そうなんす。縁石まであと1、2cmずれて頭を打ってたら、もうダメだったらしい。まさに九死に一生を得たってやつでしたね。不思議なことに、傷は擦り傷だけ。もらった命だなって、子どもながらに感じたのを覚えてますね。

 

——壮絶な経験ですね…。ほかにも小学生時代のエピソードはありますか?

玉井さん:小2のときかな。友達と公園でザリガニ釣りをしてて、釣ったザリガニを入れるカゴがなかったんすよね。で、俺が「取ってくるわ!」って言って、近くのミニストップにちょうど良いカゴがあってきたから(無断で)持ってきたら…。もちろん店員さんに見つかって、親が呼ばれて、人生で初めて警察のお世話になりました(笑)。これも、友達のためにっていう責任感からだったと思うんですけどね。やんちゃだったな〜。

 

——本当にエネルギッシュな少年時代だったんですね。

玉井さん:うん。幼稚園から体操、小学校からはサッカーとボーイスカウト、5歳からは水泳もやってたんす。水泳は東京スイミングスクール(東京SC)で、あの北島康介と一緒のコースで泳いでたんですよね。彼がオリンピック選手のようなビックな選手になるとは、当時は思ってもみなかったけど。でも、人生の基礎を作ってくれたのは間違いなくボーイスカウト。小学3年生で40kg近い荷物を背負って、コンパスだけを頼りに一人でゴールを目指したり、5年生になるとブルーシートとロープだけで寝床を作って一人でキャンプしたり。もう、リアルサバイバル。この経験でメンタルはめちゃくちゃ鍛えられましたね。

モテ期とイジメ。天国と地獄を味わった中学時代

——エリート街道まっしぐらな小学校時代から、中学校ではどんな生活を送っていたんですか?

玉井さん:中学校は、小学校とはちょっと違った感じでしたかね。まず、サッカー部がなくて。都内だからグラウンドが小さくて。だから、当時流行ってた『スラムダンク』の影響でバスケ部に入って、その後バレーボール部に転部したんですよね。

 

——環境の変化があったんですね。

玉井さん:一番大きかったのは、人間関係ですかね。中学3年の夏頃、些細なことなんだと思うんですけどね。恋愛関係から来るいろんなのあるじゃないですか。そうしたらある日突然、学年全員から無視されるようになった。

 

——えぇそれはキツい…。

玉井さん:朝、学校に行っても誰も挨拶してくれない。「なんで?」って思ったけど、理由も分からないまま、それが2、3ヶ月続いた。暴力はなかったけど、今で言う完全ないじめだよね。人生で初めて人付き合いがしんどいって感じた時期だったすかね。

 

「友達が行くから」で高校進学。人生初の水商売も経験

——中学時代の苦い経験を経て、高校はどのように選んだんですか?

玉井さん:実は、高校進学には全く興味がなくて(笑)。中学3年で初めて塾に行ったんだけど、周りが受験ムードの中、俺は一番仲の良かった友達が受けるっていう理由だけで同じ高校を受けたんです。だから、学校見学も行ったことないし、共学だと思ってたら男子校だったくらい(笑)。

 

——すごい決め方ですね(笑)。でも、高校生活は楽しかったとか?

玉井さん:めちゃくちゃ楽しかった!高校時代は楽しい思い出しかないですね。部活はサッカー部に戻って、たまたま中村俊輔の弟分って言われてるすごいヤツが同級生にいたおかげで、チームも一気に強くなって。都大会ではベスト32まで進んだんすよ。当時最強だった帝京高校にあと一回勝てば戦える!ってその直前の試合で、キャプテンのオウンゴールで負けちゃったんだけど(笑)、本気で部活に打ち込めたのは最高の経験だった。

 

——プライベートも充実していたんですか?

玉井さん:うん。当時、先輩の手伝いで夜の水商売をちょっとだけ経験させてもらったりもしました。とにかく楽しむことが好きで、誘われたら「ノー」って言わない性格でしたね。何でも「イエス」で飛び込んでいく。そういう面白い先輩が周りにいたのも大きかったと思います。

 

ロード2

キムタクに憧れて美容師へ。そして、700万円の借金で人生のどん底に

——高校卒業後は、どんな道に進んだんですか?

玉井さん:それが、美容師になるわけですね。きっかけは、ドラマの『ビューティフルライフ』。キムタクがかっこよくて、単純に「おもしろそう!」って憧れて。

 

——またしてもメディアの影響で進路決定!?(笑)。

玉井さん:そうそう(笑)。でも、美容師になろうって決めたのが遅くて、専門学校の受付が終わっちゃってたんだ。それで、美容室で働きながら通信教育で資格を取る道を選んだんです。20歳に、その専門学校で出会ったのが弊社の部長になる新藤なんです。彼との出会いは、人生の大きなターニングポイントになったかなと思います。

 

——順調なスタートに見えますが、ここから人生のどん底を経験するとか…。

玉井さん:うん…。美容師って若い頃は給料が安いから、先輩に教わって消費者金融に手を出しちゃったんんです。

 

——えぇ・・・。なんでまた・・・!?

玉井さん:遊びたい盛りだったし、女の子と遊んだりクラブ行ったりとかね。そしたら、自分がいくら借りてるのかも分からないまま、気づけば借金が700万円に膨れ上がってた。

 

——やばー!700万円!?23歳で!?

玉井さん:そう。もう一般のところでは借りられなくなって、闇金にまで手を出して…。正直、「あ、俺の人生終わったな」って思った。精神的におかしくなって、美容室も無断で休んで、1週間くらい部屋に引きこもってた。当時はUber Eatsもないから、夜中にこっそりコンビニに行くような生活。でも、お店の社長がすごく良い人でね。「話を聞くから」ってカフェに連れ出してくれて、全部話したんだ。そしたら、「お金のことはどうにもできないけど、仕事はサポートするから」って言ってくれて、職場に復帰できた。本当に救われましたね。

 

——2度人生終わりかけたわけですね・・・。それで借金はどうしたんですか?

玉井さん:100万か200万は自分で返したけど、残りは…ばあちゃんに借りました。もう、ばあちゃんに頭を下げて。自己破産はしなかった。おかげで精神的には少し楽になったけど、もちろんばあちゃんには返さなきゃいけないから。ここが人生で一番のどん底だったなと思います(汗)。

 

ロード3

父との約束、そして決別。飲食の世界へ本格的に足を踏み入れる

——そのどん底から、どうやって飲食の世界に入ることになったんですか?

玉井さん:24歳のとき、商社勤めだった親父が会社を辞めて「タリーズコーヒーのフランチャイズを始めるから手伝ってくれ」って言ってきたんですね。最初は美容師としての夢もあったから断ったんだけど、半年くらい説得されて。

 

——何が決め手だったんですか?

玉井さん:二つ条件を出したんです。一つは、経営に一番近い場所で勉強させてもらえること。もともと商売をしたいっていう気持ちはあったので。もう一つは、『将来、お酒を扱うフルサービスの店をやることを約束してくれるならジョインする』って。親父も「約束する」って言ってくれたから、飲食の世界に飛び込むことを決めたんですよね。

 

——実際にお父さんと働いてみて、どうでしたか?

玉井さん:最初は面白かったけど、やっぱり大手FCのマニュアル通りの仕事には物足りなさを感じたのはありますね。でも、親父の仕事に対する姿勢には度肝を抜かれたましたね。真似できないって。飲食未経験のはずなのに、誰よりも朝早く来て、店の周りを全部掃除して、通りかかる人全員に「おはよう!」って挨拶するんですよね。20m先の人にまで声をかけるんですよ。その姿を見て、「ああ、この人には敵わないな」って。一人の人間が、朝の街の空気まで変えちゃうんだって感動したのを覚えてますね。人としてのあり方を学んだのは、間違いなく親父からですね。

 

——素敵なお父さんですね。でも、結局タリーズは辞めてしまうんですよね?

玉井さん:うん。3年半働いたけど、親父はフルサービスの店を出すっていう約束を果たしてくれなかったわけですね。「今はタリーズが手一杯だ」って。それはもう約束だから、ごめんって言って、俺は会社を辞めた。26歳のときですかね。

 

「この人から学びたい」。運命の出会いと、コロナ禍での独立劇

——そこから本格的な飲食の修行が始まるわけですね。

玉井さん:そうですね。自分の店を持つために、いろんな店で働いたよ。アメリカが好きだったから、みなとみらいの『アメリカンハウス』でデカ箱の店舗運営やテーブルサービスの基礎を学んだり、当時流行ってた熟成肉を知りたくて『エイジング・ビーフ』で働かせてもらったり。

 

——そして、運命の出会いがあると。

玉井さん:33歳くらいの頃かな。そろそろ最後の転職にしようと思って、信頼できる人に「神奈川で転職するならどこがいい?」って相談したら、二人の経営者の名前が挙がったんですね。そのお一人の会社でお世話になることになります。今の会社の前身につながる企業です。

 

——それで前身の企業に入社するのですね。

玉井さん:いや、それがすんなりとはいかなくて。まさにこれからそちらの会社を受けようってタイミングで、ちょっと困った事故がその会社で起きてしまいって(汗)。

 

——あぁなるほど。すごいタイミングですね。

玉井さん:でしょ?(笑)さすがに「今から叩く扉はここじゃないな」と思って、一度は諦めた。でも、その数年後、綱島の店が新店の時に求人を見つけたんです。それがまたその会社で(笑)。「これは絶対に何かの縁だ!」と思ってすぐに応募して、4時間くらい話し込んで、その場で採用が決まった感じですね。

 

——ドラマチックですね!そこから独立まではどんな道のりだったんですか?

玉井さん:その会社では5年くらい働いたんですかね。とにかくその社長のことを人間を知りたくて、常にコンタクトを取って、飲みにも連れて行ってもらって、懐に飛び込んでいった。そうするうちに、彼が「もう会社をやめようかなと思ってる」って本音を漏らすようになったんだ。それを聞いて、「この人の想いを継ぎたい。彼がやめるなら自分がやりたい」って強く思った。そこから1年半くらいかけて交渉して、39歳のときに3店舗を譲り受ける形で独立したんです。

 

——ところで会社が2つあるのはどういった理由なんですか?

玉井さん:二俣川にいち稟ってその前職の会社の創業店があるんですけど、そのお店を継承するためだけに作ったのが株式会社SPILなんです。気持ちですね。

 

——なるほどいろいろすごい。そういう経緯だったんですね。しかし、独立したのがコロナ禍直前ですよね?

玉井さん:そう。独立して、経営0年生の1年目にいきなりコロナです(苦笑)。もう「どうしよう…」って思ったけど、俺を支えてくれたのは、一緒に付いてきてくれた仲間たちだった。

 

——と言いますと?

玉井さん:一度、休業しようと思って社員に連絡したんですよ。そしたら、返ってきた言葉が「え、なんでですか?俺たち、なんのために居酒屋やってるんですか」だったんです。その一言で火が付きましたよね。「もっと街を明るくしましょうよ!俺たち居酒屋はそうじゃないですか!」って。もう、やるしかないって思った。もちろん周りから色々言われる覚悟はあったけど、仲間がそう言ってくれるなら、居酒屋人としてやるべきことを全うしようって。

 

——スタッフの皆さんカッコ良すぎますね。胸が熱くなりますね。

玉井さん:うん。周りが休業してたから、正直めちゃくちゃバブルだった。でも、それ以上に、あそこで仲間との絆が深まって、本当に強い組織になれたことが一番の財産ですね。

 

「食を通じた人間交差点に」。数字よりも“人”を追いかける未来

——波乱万丈な半生を経て、今、会社を経営する上で大切にしていることは何ですか?

玉井さん:今年の会社のテーマが『素材』なんですが、食材の素材だけじゃなく、人の素材、物の素材、そういう一つ一つの素材を活かすことを大事にしたい。新しく出すお店も、100年前の古民家っていう『素材』を活かしたかったんです。

女将のめるさんが元気にお客さんをお出迎え。

炭焼酒場 炉ジ裏【2026年5月1日 OPEN】

 

——今後の展望についてもお聞かせください。

玉井さん:どんどん店舗展開するっていうよりは、しっかり足元を固めていきたい。年に1店舗くらいのペースで、まずは10店舗を目指すところからですかね。将来的には、この業態(炉端居酒屋)で都内にもチャレンジしたいですね。

 

——具体的な数字の目標はありますか?

玉井さん:まずは年商10億円。でも、うちの会社は数字を追いかけるというより、『食を通じた人間交差点になる』っていうビジョンを大切にしてるんです。数字で語るよりも、人間臭さみたいなものが前に出る会社でありたい。結局、僕がいろんな困難を乗り越えてこれたのも、いつも周りに誰かがいてくれたから。だから、会社も『何をするかより、誰とするか』。ここが一番強い軸ですね。苦労してきたからこそ、人の大切さが身に染みて分かる、そんな自分であり続けたいなって思っています。

 

編集後記

玉井さんの第一印象は、爽やかで親しみやすい“気持ちのいいお兄さん”(笑)。これまで数々の苦労を経験されてきたはずですが、そんな過去を感じさせることなく、仲間とともに前向きに歩み続ける姿勢がとても印象的でした。

今回のインタビューでは、現在の取り組みだけでなく、これから仕掛けていく新たな構想についても語っていただき、その挑戦への意欲が強く伝わってきました。飲食業界では比較的遅咲きの経営者かもしれませんが、仲間やお店、そして街を大切にしながら着実に成長を続ける玉井さん。その歩みを、これからも注目し応援していきたいと思います。(聞き手:大山 正)

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