
株式会社サンシャイニー 代表取締役
宮坂 庸之氏
出身地:東京都豊島区
生年月日:1988年12月5日生まれ。
企業ホームページ:株式会社サンシャイニー


1982年東京都生まれ。成蹊大学卒業後、各種広告関係営業、外食企業のプロモーション・広報を経て、2014年1月、31歳で外食メディア「フードスタジアム」フードスタジアム株式会社 代表取締役就任。飲食店若手経営者の会「外食5G(現JFRX)」初代サポーター企業リーダー。2020年3月、株式会社ミライーツを設立。飲食業界における幅広い人脈、情報を持ち、飲食企業のサポートに従事する一方、本連載「クロスロード」では独自に記事の取材・執筆を手掛ける。
ロード1

野球少年からアーティストへ。運命を変えたスカウト
――宮坂さんは池袋生まれ、池袋育ちだそうですね。どんなご家庭だったんですか?
宮坂さん:はい。父が池袋生まれ池袋育ちで、母が沖縄なんです。父は整体院をやってて、母もそこで経理を手伝うみたいな、両親ともに自営業でしたね。しかも僕、6人兄弟の2番目なんですよ。
――え、6人兄弟! にぎやかそうですね。
宮坂さん:男、男、男、男、女、男っていう、ほぼ男兄弟で(笑)。で、全員野球をやってたんです。弟2人は帝京高校の野球部に行って、プロ(高知ファイティングドッグス)になったくらい。僕も中学まではキャプテンで4番ピッチャーだったんですよ。
――それはすごい野球一家! でも、宮坂さんは野球の道には進まなかったんですね。
宮坂さん:練習があんまり好きじゃなくて(笑)。それよりも、中学に入ってから歌とかダンスにめちゃくちゃ興味を持ったんですよね。きっかけは文化祭でダンスを踊ったことかな。人を喜ばせるのが好きだったんで、自分が表現することで周りが喜んでくれるのが嬉しかったんです。
――影響を受けたアーティストはいるんですか?
宮坂さん:最初に「歌手っていいな」って思ったのは久保田利伸さん。久保田利伸さんの代々木体育館でのコンサートがきっかけで歌にハマりました。あと、世代的には『ASAYAN』。僕が小6のときにCHEMISTRYがデビューして、もうどっぷりハマりました。ジャパニーズR&Bかっこいいなって。
――あの頃アツいっすね、確かに!そこから一気にエンタメの道へ?
宮坂さん:そうなんです。中3の夏に野球が終わって、秋からは歌とダンスのレッスンに通い始めました。実は、その年の文化祭で歌ってたら、ZOOのMARKさんの奥様に声をかけていただいたんですよ。「歌がうまい子がいる」って後輩経由で見に来てくれて。
――ええー! MARKさん!ダンサーとしてもレジェンドですよね。そんなドラマみたいな話あるんですね!
宮坂さん:だからもう、高校は野球の推薦を3つ全部断って、歌とダンスでメジャーデビューするって決めてました。全日制の高校に行ったんですけど、つまんなすぎて通信制に移って、ひたすらレッスンと曲作りの毎日でしたね。
19歳でメジャーデビュー!からの、まさかの空中分解
――高校時代から本格的に活動を始めたんですね。
宮坂さん:はい。CubaseとかLogicを使って曲作りを覚えたり、池袋西口公園で路上ライブしたり。その頃に組んだチームが「IKB」。まんま池袋です(笑)。当時のメンバーは、後にCHEMISTRYや東方神起のバックダンサーになったり、みんな活躍しましたね。

――そして、大きな転機が訪れるわけですね。
宮坂さん:高校を卒業する頃、19歳のときに、ある人を通じてあのチョコレートの『キットカット』の社長に会う機会があったんです。赤坂でパフォーマンスを見せたら気に入ってもらえて、「よし、きみたちデビューだ!」って。
――それはまたすごい、シンデレラストーリー!
宮坂さん:キットカットのブレイクタウンレーベルっていうところから、配信でメジャーデビューしました。コンビニでキットカットを買うと、中のQRコードから僕らの曲がダウンロードできるっていう仕組みで。プロデューサーは、EXILEの『Ti Amo』でレコード大賞を受賞したJin Nakamuraさん。北乃きいさんにMVに出てもらったり、ボクシングの内藤大助選手と絡ませてもらったり、もう周りの取り巻きがすごすぎて、とにかく必死でしたね(笑)。
――まさに順風満帆。ここからスターダムへ、と思いきや…ということなんですよね?
宮坂さん:デビューして、これからアルバムリリースで全国ツアーってタイミングで、しかも『Mステ』に出るかも、みたいな話まで出てたところで…。
――ええっ!?それで・・・・?
宮坂さん:いろいろあったんですが、要は途中で全部が空中分解。活動できなくなっちゃったんです。怒りと悲しみでをどこにぶつけたら良いかもわからず、この時は大人が信じられなくなりましたね。
ロード2

飲食の世界へ。エンタメとの共通点と新たな夢
――それはキツいですね…。どうやって乗り越えたんですか?
宮坂さん:やっぱり、地元の池袋の仲間たちが支えてくれましたね。でも、デビューしたときにお会いした今でも活躍されているすごい経営者の方々の姿も見てたんで、「自分の力で何かやってみたい」っていう気持ちも芽生えてきて。それで23歳くらいのとき、飲食店で働き始めたんです。
――畑違いの世界に飛び込んだんですね。
宮坂さん:料理は今も全然作れないんですけど(笑)。でも、ドリンク作って接客するだけでお客さんが喜んでくれるのが、すごく嬉しくて。「あ、音楽のエンタメと飲食って似てるな」って思ったんです。どっちも人を喜ばせることが本質だから。
――なるほど!そういう共通点は確かにありますね。
宮坂さん:最初に働いた六本木の『HONA』っていうお好み焼き屋がすごかったんですよ。従業員が全員20代なのに、芸能人から大社長まで、いろんなお客さんをめちゃくちゃ喜ばせてて。「俺たちは夢のためにお客さんを喜ばせるんだ!」みたいな熱い朝礼をやるんです。飲食ってこんなに熱いんだ、カッコいい!って衝撃を受けました。
――そこで新たな目標ができたと。
宮坂さん:はい。「池袋にこんなカッコいい店、ないな」って。地元に、みんなが集まれるこういう店を作りたいって強く思ったんです。でも、働き始めて3ヶ月で東日本大震災が起きて、そのお店を辞めることになっちゃって…。
――またしても逆境が…。
宮坂さん:その後は父の整体院を手伝ったり、音楽活動を続けたりしてたんですけど、あるとき地元の先輩から「箱貸しのスペースが空いてるから、夜だけバーやってみないか」って声をかけられて。それが僕の経営者としての第一歩ですね。「現役歌手が店長を務めるバー」として始めたら、お客さんがお客さんを呼んでくれて、手伝ってくれる仲間も集まってそれなりの繁盛店になったです。
――それは面白いですね。特技が生きるわけですね。そして、ついに自分の城を。
宮坂さん:はい。最終的にそのお店を24歳のときに分割300万円で買い取って、僕の1号店になりました。
二足のわらじ生活!再び掴んだメジャーデビューと事業拡大
――経営者になりつつも、アーティストの夢は諦めていなかったんですよね?
宮坂さん:全然諦めてなかったです。25歳で今の会社『株式会社サンシャイニー』を設立したんですけど、翌年に湘南乃風さんのプロデューサーが立ち上げる新しいグループのオーディションに受かったんです。
――え、またデビュー!? すごすぎません?
宮坂さん:完全に二足のわらじでしたね(笑)。昼は歌手活動。夜は飲食店、週末ライブ。お店もやりながら、28歳で2回目のメジャーデビューをしました。
――飲食店の方も順調に?
宮坂さん:はい。2号店も出して。そんなとき、お世話になっている池袋の議員さんから「お母さん沖縄だったよな?国際通りの路面店が空いたけど、どうだ?」って連絡が来たんです。国際通りの路面なんて20年に1回空くかどうからしいんで、すぐ沖縄に飛んで即決しました(笑)。
――すごい行動力!でも沖縄にコネクションは?
宮坂さん:それが、昔池袋の『アガリコ』で働いてた先輩が、沖縄に移住してダイビングの仕事をやってたんです。彼ならバッチリ料理も作れるんで、「夜だけ手伝ってください」って懇願して。なんとか人を集めて、沖縄食材を使った新しいスタイルの沖縄料理店『ぶらんちゅ』をオープンさせました。このお店は、後に立ち上げから頑張ってくれて色々迷惑もかけたので、先輩にお店を譲りました。
ロード3

天国から地獄へ。コロナ禍で背負った⚫︎000万円の借金
――2度目のデビューも果たし、まさに絶頂期ですね。
宮坂さん:それで28歳で結婚して、30歳で子どもも生まれて。僕、兄弟が多かったから子どもが大好きで、もうめちゃくちゃ嬉しかったんですよね。幸福度はマックスでしたね。…でそんな矢先、コロナでズドン↓↓です。
――あぁ…。そんなタイミングだったのですね。。
宮坂さん:僕らのメインとする業態が、結婚式二次会などの宴会需要をターゲットとする貸切パーティースペースだったんですよ。まさに三密の極み。池袋の西口と東口に家賃100万円くらいのデカい箱を持ってたんですけど、もうどうにもならなくて。オープンして1年未満の店舗もあって、あっという間に⚫︎000万円以上の債務超過に。もうこの時は自己破産を覚悟しました。
逆境をエンタメに!奇跡のV字回復を遂げた「イケベンイーツ」と「ゴーストレストラン」
――わぁ⚫︎000万円…。想像を絶します。
宮坂さん:でも、ここで僕の原点に立ち返ったんです。「人を喜ばせたい」っていう。会社の名前も『サンシャイニー』。太陽のように輝くっていう意味なんです。こんな暗い世の中だからこそ、僕たちが一緒に落ち込んじゃダメだって。「最悪自分が自己破産するから、みんなは大丈夫。今できることをやろう!」って社員に言いました。
――素晴らしい。そこから何をしたんですか?
宮坂さん:まず始めたのが『イケベンイーツ』。Uber Eatsは半径3kmだけど、僕たちは池袋の弁当を届けるためならどこへでも行くぞって。一都三県、全部配達しました。ただ配達するだけじゃつまらないから、全員でコスプレしたんですよ。僕はラグビー日本代表の格好、他にもジャック・スパロウとか(笑)。
――その状況でコスプレ(笑)! さすがエンターテイナーですね。
宮坂さん:この活動をSNSで発信したら、毎日予約が満杯になって。でも、それだけじゃ追いつかない。そんなとき、知り合いのイタリアンレストランが始めた『魔人豚(マジンブー)』っていう豚丼のゴーストレストランがUber Eatsでめちゃくちゃ流行ったんです。僕らが営業代理店もやってたんで、それを全国に広める手伝いをしました。
――その経験がヒントになったというわけですね。
宮坂さん:はい。それで「自分たちも開発しよう!」って。うちの沖縄料理店で出してたタコライスを、ゴーストレストラン用にリブランディングしたんです。その頃『テラスハウス』が流行ってたんで、『ザ・タコライスハウス』って名前にして(笑)。そしたら、池袋の1店舗だけで月200万円以上売れたんです!
――それはすごいですね!
宮坂さん:これを豚丼でバズった『魔神豚(マジンブー)』と同じように全国の飲食店にFC展開したら、一気に加盟店が増えて。そのおかげで、⚫︎000万円以上の借金を全部返済できたんですよ。諦めずに挑戦し続けてよかったなって、心から思いましたね。
感謝を歌に。池袋への恩返しが生んだ「グルメフェス」という熱狂
――V字回復を成し遂げ、コロナ禍を乗り越えて。その後、会社はどうなっていくんですか?
宮坂さん:あのとき、本当にたくさんの人たちに助けてもらったので、その感謝を形で残したいって社員と話して。で、やっぱり「歌を贈ろう」ってなったんです。社歌です(笑)。
――まさかの社歌(笑)!ぶっ飛んでますね(笑)。
宮坂さん:はい(笑)。社員みんなで作詞して、曲も作って。そしたら途中で日経さんがやってる『全国社歌コンテスト』を見つけちゃって、「よし、日本一になろう!」って目標がでっかくなりました(笑)。結果は全国3位だったんですけど、会社の理念や仲間との絆を再確認できる、すごくいいきっかけになりましたね。

――コロナ禍の経験が、会社をさらに強くしたんですね。
宮坂さん:まさに。あの経験があったから、社員一人ひとりが主体性を持って動けるようになった。コロナ前は6店舗だったのが、今では14店舗まで増えましたから。そして、ずっと支えてくれた地元・池袋に恩返しがしたいと思って企画したのが、『池袋ウエストグルメパーク』、IWGPです。
――あの人気ドラマ「IWGP」の舞台で!話題になりましたよね。でも、 実現するのは相当大変だったんじゃないですか?
宮坂さん:めちゃくちゃ大変でした。3年かけて、いろんな組合、団体、会合、商店街に協力のお願いをして回ったんですよね。水を差す人もいたり、本当に悔しい思いもしました。でも、結果的に2日間で延べ3万人以上の方が来てくれて、大成功に終わったんです。最終日に池袋ウエストゲートパークの主題歌を歌っている黒夢の清春さんにライブしてもらってとんでもない盛り上がりになりました(笑)。



↑この光景を先輩のビルの上から見せてもらった時に、ここまで来るのにめちゃくちゃ大変だったんだけど全てが報われた気持ちになりましたね。開催にあたり、協力いただいた方々、実行委員の仲間達への感謝が溢れ、涙を流しました。
――最後に、今後の展望を教えてください。
宮坂さん:まず私たちの企業理念が社名の通り「全社員が光り輝き、人や街、社会を照らし、明るい未来を想像し続ける会社である」というのがあるんです。全従業員達と常に大切にしている言葉は「感謝・謙虚・愛嬌」「信用(過去)と信頼(未来)」です。これを徹底していきます。

そして、飲食業界の「低賃金・長時間労働」みたいなイメージを自分たちの会社から変えていきたい。今期、社員の賞与含む三半期の平均月収が50万円を超えたんです。年収1,000万プレーヤーも数名誕生します。アルバイトスタッフも三半期賞与10万超えが複数名います。頑張れば稼げるっていうのを証明したいですね。そして、池袋で学んだことを全国、そして海外にも発信していきたい。

僕みたいに、学歴がなくても、エンタメの世界で夢破れても“人を喜ばせることが好き”、“誰かの役に立ちたい”、それを全力で挑戦すればお客さんにも仲間にも想いが伝わると信じています 。夢は形を変えて叶い、セカンドキャリアで輝けるんだっていうことを、もっと多くの人に伝えていけたら最高ですね。そんな思いを持った仲間を募集しています。具体的な目標としては3年後、2029年に年商20億円を達成したいと思って、全社一丸となっています。
――素晴らしいです。本日は貴重なお話をありがとうございました。
編集後記
宮坂さんと初めてお会いしたのは10年ほど前だったかと思います。私がこう見えて大昔にストリートダンスをやっていたので(笑)、当時アーティスト活動をしていた宮坂さんとダンスやクラブの話で盛り上がったのを覚えています。あれからコロナなどの苦境を経て企業を成長させてきた宮坂さんの原動力は「人を喜ばせたい」というエンターテイナーとしての想いが根底にあるのだと思います。池袋を愛し、仲間を愛する宮坂さんのこれからに注目していきたいと思います。(聞き手:大山 正)
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