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ビール業界に精通する経済ジャーナリスト・永井隆の書き下ろしシリーズ企画第二弾!”ビール営業物語”
【第1回】チームで勝つ!アサヒビール精鋭部隊、示村隼の奮闘と日常と


バリバリ体育会気質の精鋭部隊

「大丈夫なのか」
「問題ありません。大丈夫です」
この日だけで、もう何度目だろう。同じ質問を、社内のあちこちから繰り返し受ける。
アサヒビール市場開発本部外食営業第二部主任の示村隼(しめむら・じゅん)は、平常心をもって「大丈夫です」と質問の度に、返答し続ける。
2015年もビールの需要期を迎え、商戦は佳境を迎えていた。梅雨が明ける前には、決着はつくはずだ。
上司をはじめ周囲がしつこく問うてくるのは、示村が手がけている案件が大型だからである。営業先は、居酒屋など40店近くをもつチェーン。ライバル社と半々でビールを入れているが、これをすべてスーパードライにしようと、ずっと動いていて最終局面を迎えようとしていた。
「大丈夫です」と答え続けていたのは、「間違いなく勝てる」と確信を持っていたからである。その根拠は「先方との人間関係が、すでにできあがっていたのです」と示村は話す。

所属する市場開発本部とは、居酒屋チェーンなど業務用大手だけを専門に営業する部隊である。前回、登場したキリンの「広域販売推進」と同様の組織だ。営業マンの精鋭だけを集め、「入るのは名誉なこと」(アサヒの中堅社員)という点でも共通する。
外食営業部は1部から4部まであって、総勢では約40人の規模だ。キリンの広域販推は女性営業マンを増やしているのに対し、アサヒの市場開発本部は男性営業マンだけで構成。「バリバリの体育会気質」(示村)なのが特徴である。
2008年入社の示村は、2013年9月から市場開発本部に入る。経験豊富なベテランが多いだけに、40人のなかで現在は下から二番目に若い。
若くして”精鋭部隊”入りして活躍しているわけだが、「みんなで相談し合ったり、年齢や社歴、さらに役職の上下と関係なしに、誰にでも気兼ねなく話せる風土があります。もっとも、仲間意識が高く、みんなで協力し合ったり助け合ったりするのは、アサヒ全体の企業文化でもあるのですけど」と示村は言う。また、小路明善社長は2013年夏の筆者の取材に対し、「アサヒにはスターは要らない。組織プレーができる営業マンであるべき」と話している。

業務用営業は“ゼロか100”の世界

 さて、ビール類(ビール、発泡酒、第3のビール)の市場は、大まかに家庭用が7割に対し業務用は3割。また、酒類別の構成比は2014年で、ビール50.2%、発泡酒14.4%、第3のビール(新)ジャンルとも呼ばれる)が35.4%だった。ちなみにビールの構成比は、09年から5割前後で固定化している。
業務用の場合、ほぼ100%がビールで占められる。したがって、生産されるビールの6割は、飲食店で消費される。
一方、発泡酒と第3のビールは、ほぼ全量が家庭で消費される。発泡酒と第3のビールを出している飲食店は、ほとんどない。お母さんが、スーパーの店頭でお父さんのために、第3のビールや発泡酒、ビールを買っていくのだ。
お母さんが良妻ならば、お父さんの好みのブランドを購入するし、賢妻ならば安価な特売品を買っていく(なかにはお父さんの健康を気遣い、糖質ゼロ、プリン体ゼロといったタイプを買う向きもいるだろう)。その一方、愛情がないお母さんなら、そもそもお父さんのために酒を買っていくことはしない。夫への関心そのものがないからだ。ビール類の出荷量はピークだった94年に対して、14年は四分の三程度まで減っている。世の中全体に、家族の愛情が希薄になっていることが、ビール類の出荷を押し下げている、と言ったなら、やはり言い過ぎだろうか。

それはともかく、スーパーなど量販店への営業は、第3のビール、発泡酒、ビールを売り込んでいく。営業する相手は、スーパーやコンビニ本部のバイヤーとなる。つまり相手もサラリーマンだ。商談だけではなく、個店の売り場づくりなどを提案し実行するため、知恵と工夫は要求される。
一方、業務用営業のターゲットは、主に社長となる。外食には、起業した経営者が多く、みな個性的だ。売り込む商材はビール類ではビールだが、ワインやウイスキーなども併せて総合的に売り込んでいく。さらに、メニュー提案から新業態の提案、店舗に働く従業員の研修提案、コンサルタントの紹介などなど、ありとあらゆる手を駆使する。
家庭用の量販営業では、営業成果がゼロになることはまずない。例えばスーパーは来店客のニーズや好みに合わせて、4社のビール類、さらに最近ではクラフトビールを、売り場に揃えるから。
これに対し業務用営業は基本的に、”ゼロか100”の世界となる。奪取したときのリターンは大きい反面、されたときのダメージは絶大だ。このため、「営業活動において、守りが7から6、攻めが3から4の割合です」と示村は話す。

「人をワクワクさせる仕事をしたい」

示村は1984年生まれ。アサヒの原点である大阪・吹田の出身だ。しかし、吹田市の記憶はない。2歳から6歳までアメリカ・ミネソタ州に移り住んだから。大学教授である父親の仕事の関係からだった。「ただし、まだ小さかったので英語はできません」などと話す。帰国後は、高槻市や埼玉県の狭山市、武蔵野市などに引っ越しを繰り返した。
帰国すると同時に、サッカーを始めるが、すぐに好きになる。ポジションはいつしか、ディフェンスの要であるセンターバックに。
負けず嫌いな性格が醸成されていき、中学生のときには試合で負けると、悔しさから泣いて帰ってきたこともあったそうだ。
大学は青山学院大学の国際政治経済学部へ。学生時代も当時住んでいた吉祥寺にあったサッカーのスポーツ少年団で、子供たちのコーチを務めていた。
就活では「自分の好きなことをしたい。そして、人をワクワクさせる仕事をしたい」という思いから、スポーツ関連会社と食品会社しか受けなかった。食品のなかでもビールは、どこか人を元気づける酒だと、示村は考えていた。
就職先にアサヒを選んだのは、「父親が銀の缶(スーパードライ)しか飲まなかったからです」。
こうして、リーマンショックが発生する半年前の08年4月、示村はアサヒに入社。彼のビール営業物語が始まる。

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