(左から「炉ばた」の加藤潔さん・和子さん夫妻。絶好調代表の吉田将紀氏、専務の松村康夫氏)
郷土酒亭 炉ばた
1950年、故・天江富弥氏が仙台国分町のビリヤード場を古民家風に改装して創業。現在、全国に広まった囲炉裏を囲む炉端焼きの元祖として知られる。天江氏の実家である天賞酒造のお燗や東北の郷土料理を提供する。お燗をしゃもじにのせて客席まで提供するスタイルや、「おばんです」「お明日、お静かに」などの仙台弁の挨拶が特徴だった。美術家の岡本太郎氏、俳優の仲代達矢氏らの文化人をはじめ多くの人に愛されてきた老舗で、閉業前は2代目の加藤潔・和子夫妻が切り盛りしていた。
※7月31日、「炉ばた」再オープンの前日、オープン準備の忙しい合間を縫って絶好調・代表の吉田将紀氏、2代目の加藤夫妻が取材に応じてくれた。インタビュアーは、仙台在住で自身も「炉ばた」のファンだったフードスタジアム東北・編集長の澤田てい子。
吉田氏:私たちは創業店「絶好調てっぺん」はじめ炉端焼き業態を展開しているので、その発祥の店である「炉ばた」には10年ほど前から通っていました。「炉ばた」は私たちの原点。年に1~2回ですが、仙台に来るときは必ず立ち寄っていて、お父さんお母さん(オーナーの加藤夫妻)には顔を覚えてもらい、よくしていただいていました。
吉田氏:今年の6月、閉店のお手紙をもらって専務の松村など当社のスタッフとともにすぐにお店を尋ねました。食事をしている最中、お母さんから突然「吉田さんたちに、このお店やってもらえたら嬉しいんだけど……?」と声をかけられたんです。思わず松村と顔を見合わせてしました。そして、色々な思いが頭の中を駆け巡りました。本音は、もちろんやりたい。このお店だけは絶対になくしてはいけない……でも、当社も新型コロナの影響を受けて楽な状況ではないし、仙台と東京では距離もある。そうこう10分くらい黙って考えていたら、涙が出てきました。私が「松村さん、やりましょう」と言うと、彼も「それしかないですね」と。その場で決断し、帰り際にお父さんとお母さんに伝えました。
和子さん:やっぱり、人柄。とても素晴らしい方だと思っていましたから。吉田さん達が来てくれて、顔を見たら「このお店をやってもらえたら」と、思わず口走ってしまったんです。第六感というんでしょうか、ビビビッときたんですよ。もちろん、新型コロナの影響で吉田さん達も大変だろうと一瞬ためらいましたが、ここで言わなかったら一生後悔すると思ったんです。思い切って声をかけたら、吉田さんと松村さんが真剣な表情で聞いてくれて……。たとえ引き継ぐことにならなくても、その顔を見られただけでよかったなと思いました。
潔さん:これはあらかじめ考えていたことではなく、お母さんがその場で突然言ったことなんです。でも、私も思いは同じ。吉田さんに引き継いでもらえれば嬉しいと思っていました。私がこの店に来て55年、創業者のおんちゃん(天江富弥氏)からはたくさんのことを教えてもらいました。そんなおんちゃんの素晴らしい店だから、他にも引き合いはありましたが、いい加減な人にはやってほしくない。吉田さんは立派な方でね……誰に聞かれても、「吉田さんはすごい人だから大丈夫、『炉ばた』を任せられる人だから」と堂々と言えます。
吉田氏:お父さん、お母さん、本当にありがとうございます。プレッシャーもありますが、精一杯頑張ります。
吉田氏:先代のおんちゃん、そしてお父さんとお母さんが築いた歴史を絶やしたくないからこそ引き継ぐことを決心しました。ですので、まずはこの店の歴史についてお父さんお母さんにたくさんお話を聞きました。何気ない一言でも一語一句、絶対に聞き逃さないようメモを取って。お店はどのような背景でできたのか、「炉ばた」の名付け親や、しゃもじを使い始めたきっかけ。「炉ばた」では囲炉裏で燗酒をつくるが料理は焼かない理由、代々受け継がれてきた想いなど……。そして全社会議を開き、「炉ばた」に立つスタッフはもちろん、それ以外のすべてスタッフに共有しました。
(加藤夫妻から聞いた「炉ばた」のエピソードは資料にまとめ、絶好調の全社で共有した)
当社でも新型コロナの影響で客数が激減してしまった状況で、社内では原点に立ち返って私たちが大切にすべきものをもう一度改め考え直そうと、「原点回帰」を掲げていたところでした。そんなタイミングで、奇しくも炉端焼きの原点である「炉ばた」を引き継ぐことになり、運命を感じましたね。「炉ばた」の思い、歴史を紐解くことは、既存店で大切にすべきことが明確になることに、原点回帰につながると信じています。
吉田氏:この店の歴史を残したいと引き継いだので、大きく変えるところはありません。「炉ばた」の良さを引き継ぎながら、さらにお客様に楽しんでいただける店づくりを目指します。
「おばんです」「お明日、お静かに」といった挨拶も、私たちではおこがましいかもしれませんが、変わらぬ雰囲気を楽しんでもらいたいという思いで使わせていただきます。「炉ばた」で定期的に行われる常連様の集まり「のんべえ会」の最後には、童謡をみんなで歌って会を閉めることになっており、私たちもその童謡を歌えるよう、歌詞を覚えて練習しています。昔から受け継がれてきた伝統は、可能な限り引き継ぎます。一方で、クレジットカードや電子マネーを導入することにしました。ですが、紙の領収書やそろばんはそのまま使用。ハンディでの注文やタブレットでの予約管理も活用しますが、それはお客様の目には触れないようにして、今までの雰囲気を大切にします。お父さんお母さんと同じ雰囲気を作るのは難しいし、「真似事だ」といわれるのも覚悟のうえ、それでも変わらぬ「炉ばた」を残したいという思いでやっていきたいです。
メニューに関しては、半分は変わらず、もう半分は私たちで新たなラインナップを加えました。古い文献を読むと、「炉ばた」はおんちゃんの“土地の良さを伝えたい”という思いから始まったようです。そこから「東北の郷土料理」をコンセプトにメニューを再考。“土地の良さを伝える”というコンセプトをより明確にした品々を用意しました。例えば、絶好調で人気のポテサラもオンメニューしますが、仙台名物の笹かまを加えてアレンジして東北らしさを。ドリンクはこれまで瓶ビールか天賞酒造のお燗だけでしたが、仙台の飲食業の方々のアドバイスも受け、ハイボールやサワーも用意することにしました。若い人にも立ち寄りやすくなり、その中で日本酒を飲んでみて「美味しい」と思うきっかけになればと思います。
吉田氏:「炉ばた」の運営開始にあたっては、当社でNO2として全店舗の統括を行っていた専務の松村が仙台に住まいを移し、まずは彼を中心に切り盛りします。加えて数名の若いスタッフも仙台に移住して運営します。やはり古くからも常連様も多いので、サービスのベテランである松村に任せることにしました。お母さんに代わって彼が囲炉裏の前に座ります。
吉田氏:特に考えていません。余計なことはしたくない、今はただ「炉ばた」を絶対になくしてはいけない、その思いだけです。
創業者のおんちゃん、そして二代目のお父さんお母さん。私たちが三代目となるわけですが、自ら三代目と名乗るのは、まだまだ恐れ多い。周囲の人から認められ、自然と「三代目」と呼ばれるようになるまで、思いと歴史を背負って、全力を尽くしたいと思います。
仙台人に愛されてきた「炉ばた」が閉店することを聞いたのが5月下旬頃でした。「それまでにあと何回行けるだろう、最後を見守ってやりたいんだ」そう話す常連の方々とともに最後に訪れたのが6月24日。閉店まであと1週間という時でした。店内は活気にあふれ、お父さんお母さんの笑顔も変わらずでしたが、お母さんの「お明日、お静かに」がもう聞けなくなることを想像すると涙が出てきました。そこから「絶好調の吉田さんが後を継ぐ」という朗報。その瞬間は、歴史が継承されることが嬉しかったのですが、すぐに不安が押し寄せてきました。「炉ばた」の常連の方々の目は厳しい。果たしてその厳しさに耐えられるだろうか。このコロナ禍で仙台国分町に出店して大丈夫だろうか。吉田さんの実績を仙台人はほとんど知りません。だからこそ、常連の方々からも「大丈夫なのか」「仙台人じゃないだろう」という心配の声が、私にまで何件も届いてきました。
今回、取材をさせていただき、その心配は期待へと変わりました。吉田さんの、歴史を継承するという真っ直ぐな想いと、何より、お父さんお母さんの吉田さんに対する絶大な信頼があったからです。「私がこの店に来て50年。この人に逢うために50年頑張って来れたんじゃないかと思っている。この人に引き継ぐために中継ぎをしてたんじゃないかと思ってる」お母さんはそう話してくれました。
その言葉が「炉ばた」の未来に太鼓判を押してくれたように感じました。「3代目と名乗るのはまだまだ恐れ多い」と話した吉田さんにかぶせるように、「3代目だよ」と笑うお父さんお母さんの笑顔と恐縮する吉田さんの姿に、1人の「炉ばた」ファンとして胸が熱くなりました。
「炉ばた」の歴史は仙台の歴史でもあります。この歴史を引き継ぐ覚悟をしてくださった吉田社長に感謝するとともに、私たち仙台人も一緒に「炉ばた」の新たな歴史を育てていきたいと取材を通して感じました。