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ビール業界に精通する経済ジャーナリスト・永井隆の書き下ろしシリーズ企画第二弾!”ビール営業物語”【第5回:最終話】チームで勝つ!アサヒビール精鋭部隊、示村隼の奮闘と日常と


提案力と人間関係構築の間隙を突いて

「社員さんの接客力を上げるのに、こんなコンサルタント会社があります」
アサヒビール市場開発本部外食営業第二部の示村隼は、提案をする。ターゲットの外食企業にである。その外食企業は40店舗近くを展開し、アサヒとライバルのビール会社とほぼ半々でビールを扱っていた。
2013年秋、前任者から担当を引き継いだ示村のミッションはただ一つ、この会社が供するビールのすべてを、スーパードライに替えることだった。
示村より七歳年上の創業社長は超カリスマ。“弟分”という立ち位置をとりながら、間断なく示村はその会社に提案を続けていく。ライバル社も同様に、提案を継続していた。
提案力の違いが、最終的には契約を左右する。では、その違いは何かといえば、攻略する相手企業の「スイートスポットに、どれだけ当たっているかどうか」(示村)の差だろう。無論、相手の本音を引き出さなければ、適切な提案はできない。そのために、社長はもとより幹部や担当者との人間関係を、営業マンは構築していかなければならない。
社長は「社員を育てたい」という本音を、吐露してくれていた。人というテーマをベースとしながら、提案や紹介を占村は繰り返す。
営業活動をサッカーに例えるなら、ボール支配率は人間関係を、シュートは提案を示している、という構図だろう。シュートに持っていく戦術として、このケースでは「人」をキーにする。
担当となり半年が経過した2014年春ともなると、「これはいける!」と示村は感触を得るようになる。
ビールの半分を供するライバル社の営業マンも、頻繁にこの外食企業を訪問していた。示村と同じように。
それでも勝てると思えたのは、外食企業の購買担当や役員の示村への対応からだった。「社長が、こんな風に言っていた」と、カリスマトップの反応や意向を、逐一教えてくれるようになったから。
占村は匿名で営業中の店の様子をリサーチする会社も紹介する一方で、社長や幹部たちと食材を探しに新潟に赴くこともあった。相手の痒いところを押さえながらも、人間関係を深化させていったのだ。
特に大きかったのは、ある食品メーカーと組んで試食会を開催し、同時にメニュー提案をしたときだった。示村は知らなかったが、この食品メーカーに対して、一日遅れてライバル社の営業マンも「試食会を企画したい」と打診してきたのだった。
アサヒが“先”だったため、食品会社はライバル社からの打診をやんわりと断る。競合とアイデアが同じになることは、多々あるだろう。一日の違いが勝敗を分けていくが、提案をいつ行うかを決めるのは、現場の営業マンのある種のカンに外ならない。最終的には、カンで動いたことにより“運”を呼び込めるか否にかかる。
「このフードならば、アサヒからはこんなドリンクの提案ができます!」
食品会社と結託できた示村は、外食企業に新しい提案ができた。「参考になった」と社長は言ってくれた。提案が採用されのかどうか以上に、クライアントとの距離をさらに縮めることに成功する。
食品メーカーへの打診が二日遅れていたならライバル社に負けていたし、一日遅れていたなら、どちらに転ぶのかはわからなかった。

ゲーム感覚、そして大いなる団体戦へ

 ビールメーカーと外食企業との契約は、3年などと期限を設けている場合が大半だろう。この期限を境目に、攻める側が思い切った攻撃をする。一方、守る側は、ひたすら防戦する。
2015年夏、示村は最終的な提案を外食企業に行う。承認されれば、取り扱いをすべてスーパードライに切り替えられる。ところが、先方の答えは「保留」。即決とはならなかった。
この日を境に、アサヒ内部の営業幹部たちは「大丈夫なのか」を繰り返すようになる。示村の顔を見る度にだ。「大丈夫です。問題ありません。いけます」。飄々と示村は返していた。
「眠れなくなる、ということもなく、いつもと同じでした。かっこよく言えば、平常心でいましたね。確かに、取引の規模は大きいので、営業部門の予算に大きく影響を与える。なので、部内の関心は強かったのです。僕は、絶対にいけると信じていましたけど」
示村は、営業について「RPG(ロールプレイング)ゲームのような、ゲーム感覚として僕は捉えています。例えば、社長は一番の決定権者なのはわかっている。社長にたどり着くまでに、相手の取締役をつつくのか、あるいはドリンク担当の方に接触するのか。ルートを解き明かしていき、どこで誰からアイテム(ゲームの中で効果を得られる道具全般)をもらうのか、考えていくのです」、と語る。
担当してから2年弱、社内の営業サポートのスタッフと協力して立案した攻略のためのシナリオに沿って行動してきた。1月にはこれ、2月にはあれ、と年間の行動スケジュールを立て、場合によっては修正して食い込んでいったのだ。前号で記した通り、上司に同行してもらったり、部内の知恵を集めたりしながら。
「なので、個人プレーの部分はあるにせよ、基本は大いなる団体戦なのですよ。これくらいの規模となると。団体戦というスタンスで、僕はRPGゲームを進めていた」

ナゴヤドームの熱狂が聞こえなくなった

 なかなか答えをもらえないまま、一カ月が過ぎようとしていた金曜日だった。名古屋の酒販店が、外食企業のトップと幹部たちをナゴヤドームのナイター観戦に誘う。そのときに、「アサヒの担当なのだから、示村も来いよ」と酒販店から命じられる。
「失礼します」。弟分として示村は、カリスマ社長の右隣に座る。
「ちゃんと食ってるか? 身体が資本だぞ。それと仕事もいいが、家族を大切にしろ」。試合が始まると、兄貴分の社長は、示村にアドバイスを与える。皆で弁当を広げ、ビールを飲む。
サッカー選手の示村だが、野球でも何でもスポーツ観戦は好きだった。試合は投手戦で進行していく。淡々と。
そして6回の表が始まったときだった。後ろに座る外食企業の幹部が、示村の右肩を軽く二回叩くと、次のように耳元で囁いた。
「決めましたよ。あなたに」、と。
「!」
示村は咄嗟に、左に座る社長に眼をやる。社長はニヤニヤとしているだけで、フィールドを見詰めたままである。示村と視線を合わそうとはせずにだ。
「ありがとうございます」。居住まいを正した示村は、社長に深く頭を下げる。
後方から「シメちゃんに、言い忘れていたからねぇ」と幹部の声がした。もちろん、幹部一人ひとりに頭を下げた。
『それにしても何で、このタイミングで伝えてきたのか。試合前でも、試合の後でも良かったのに』と思ったが、その後の記憶は示村にはない。
ドーム球場の熱狂も、ドラゴンズ応援団の甲高いトランペットも、みんな消えていき、静寂だけが彼に押し寄せてきた。試合の行方も、ドアラのバク転も、視界には入っていたが記憶されない状態となった。
それでも、試合途中の20時58分、社長や幹部には悟られないようスマホを低い位置で操作して、示村は上司の部長にメールを打電する。
『夜分に申し訳ありません。承認をいただきました。もろもろ、ありがとうございました』
ビール営業という仕事に従事していて、最も感動的な時間である。
この外食企業は、ビールをすべてスーパードライに切り替えた。

この時から、占村たちアサヒの営業部隊に、防戦という名の新しいビール営業物語が始まった。

終わり
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