――山下シェフのお料理は、素材が命だと思いますが、その食材はどのような観点で仕入れられているんですか。
食材調達のためには、美味しいと耳にした原産地があれば、必ず現地に赴いて、直接アプローチを図るようにしています。選定基準は、その農家が情熱を持って、心のこもった食材を作っているかどうかということ。食材は、基本契約農家から仕入れているのですが、一度契約したらし続けることが大事なんです。ある九州の農家が、6年前台風の直撃にあって、作物が全く採れなかった事がありました。その時に、お見舞いをして、気遣ったんです。翌年から、その農家が豊作になって、より頑張って良い野菜を納品してくれるようになりました。僕達の物を作ってもらっている代わりに、彼らの生活も保証していかなければいけないという使命があると思っています。また、実際食べられているテーブルでのシーンを知らない彼らに対して、生の声をフィードバックする事で、徹底的に美味しい物になるよう、コミュニケーションを蜜に行うようにしています。
――食事を頂いて、とても良い食材を使っているのが、分かります。
食材のクオリティは重視していて、普通の飲食店では考えられないぐらいの高原価を掛けるようにしています。コース料理のみにしているのは、予約状況を見て、きっかりの分量を発注することによって、ロスを極力なくしているんです。その分、一食一食の原価を高めて、お客さんに還元するようにしています。こうして、お客さんにとって美味しい料理が食べられるというメリットを叶えて頂くため、裏では並々ならない営業努力を行っています。お客さんに提供する食材を、スタッフが口にするなんてことは、まずないんですよ。
――自分の名前をブランドとして打ち出しているのには、どのような意味が込められているんですか。
食材は、淡路直送のものから、築地で仕入れているものまで、様々です。その中で、自分は美味しい物を見極める関所の役目を担っているんです。自分ブランドを打ち出すことで、料理へのプライドとこだわりを示しています。
――高価格帯の飲食店が、軒並み苦戦を強いられている状況ですが、どのように感じていらっしゃいますか。
この不況で、飲食店経営が難しい時代、悩んでいる経営者は確かに多いと思います。でも、逆境こそチャンス。外食に掛ける金額が下がっている中、お客さんはどういう所にどう使うかを、より見極めています。その分、一回に掛ける額は増えていると思います。だからこそ、その対価に見合うパフォーマンスかどうかということを、ストイックに見つめなおすチャンスです。雨が振っているのは、自分の上だけではない。それなら、雨を払って、前向きに歩んで行こうという発想です。
――これからの展開を教えてください。
今後は、日本を基点としながら、来年2月にシンガポールへの出店も予定しています。海外はパートナービジネスで展開して行き、国内は直営で出店して行くつもりです。現状、国内で出店依頼を受けている案件は18件、海外からの出店依頼は14件にも及びます。海外は、リアルタイムに物事が動きやすい、バンコクやソウル・台北・香港・上海・ミャンマー・クアラルンプール・ブリスベン・メルボルンなど、時差2時間以内の国に限定して、出店を検討していきます。アジアのホテルで行われるフェアなどにも、随時参加して行く予定です。サッカーのワールドカップ期間中には、「nakata.net cafe」で、中田英寿氏推奨の食材と自分の料理のコラボレーションで、「中田レコメンド・フューチャリング山下」というイベントも予定しています。
でも僕は、基本的には東京の本店に立って、現場主義を貫いて行くつもりなんです。現場に立っていることで、盛り付けの仕方やカップの形、花の飾り方など、気付くことがたくさんあるんですよ。
あと、近いうちに、本を出したいと思っています。
――どんな本ですか。
「料理道心技体」という、料理界での武道の精神を表した本です。どういう想いで、ストイックに学び、勉強して行くかという精神を、ビジネスマンを含む一般の方々に対して、伝えたいんです。分野は異なっても、行き着くところまで行き着くと、超越した精神に、共通項が生まれて来ると思っています。
――これからの夢を教えてください。
今、40の歳になりました。これから、もっと進化して、世界に日本の料理を広めて行きたいんです。そして、50歳には一線を退いて、仕事を辞めたいと思っています。50歳になると、時代が進んで、ブームを予測して、時代を先取りするということが難しくなって行きます。それまで、食を通じて、日本文化を継承することが、自分のミッションだと思っています。“新和食”だけど、先人の知恵は大事にして行きます。
――先人の知恵とは、どういったものですか。
室町時代の書籍でも、現代の科学でしか説明し得ない原理を用いた、優れた料理法が存在します。平安時代には、それまで大鉢で提供されていた料理が、千利休によって、西洋コースを模範とするような、茶懐石のコース料理に生まれ変わりました。これで、お膳で提供し、温かいものを温かいまま楽しめるようになりました。そして、60年前には魯山人が、日本食文化の素晴らしさに触れて、世界中の人が日本料理を求めて日本に来るようになると予想しました。一つ間違っていたとするなら、ここまで簡単に海外へ渡航出来るようになる事を予測出来なかった点です。今や、日本に来なくても、世界で日本料理を楽しめるようになりました。現に、日本の食文化は、世界中で注目を浴びることとなりました。
――最後に、こちらのインタビューをご覧の方に、メッセージをお願いします。
日本人が世界に出て行く姿を、自分が身をもって見せて行きたいと思っています。自分は、料理学校も出ていないし、元々の出身は居酒屋です。だからこそ、後進の人に、「俺でも出来る」という夢を与えられると思うんです。
山下春幸氏 プロフィール
1969年神戸生まれ。幼少時代より、神戸の異文化の中でその感覚を養う。大阪藝術大学藝術学部卒。実家の料理屋を経て、アメリカ・オーストラリア・香港等に料理見聞を広げるために、渡航。2003年「NADABAN DINING」神戸元町店が、2004年ザガットレストランサーベイに初登場上位を獲得。同年、ネットランキングにて半年間全国1位をキープし、西日本エリアにて超人気店となる。2007年3月、満を持して「HAL YAMASHITA東京」を東京ミッドタウンに出展。独自の視点、捕われない料理技法、素材の生産から、料理にいたる一環のプロセスでその素材の持ち味を最大に引き出す料理法を得意とする。近年、奇才の和食料理人として称され、テレビ・雑誌等、各方面のメディアで活躍中。2008年より国連世界給食機構WFPを通じてシェフの視点から、自身のレストランを中心に幅広く幼い子供たちに食に特化した支援活動を行っている。2009年その支援活動は、更に拡大して国内の災害支援活動も行っている。2010年シンガポールワールドグルメサミット日本代表になり、世界のマスターシェフの最高峰と称賛される。
(聞き手/中條美咲)