スペシャル企画

【大山 正Presents】クロスロード〜外食経営者のルーツと転機〜 vol. 16/株式会社M-STYLE・株式会社豚ギャング 代表取締役社長 松永 龍太氏

この企画「クロスロード」は聞き手の大山 正が、外食経営者が歩んできた人生の転機やルーツを、ライフチャートとともにひも解くインタビューシリーズです。経営者自らが描くライフチャートを起点に、これまでの軌跡を深掘りし、現在の意思決定や価値観の源泉に迫っていきます。

第16回は、居酒屋業態を中心に、ラーメンや焼肉店を展開する株式会社M-STYLE 代表取締役の松永 龍太さんです。弱冠24歳で独立し現在、12店舗を運営している若手経営者さんです。今回は松永さんの生い立ち、飲食との出会い、コロナ禍でのシフトチェンジ、まさかの落とし穴、今後の展望などについてお話を伺いました。

(取材・執筆:大山 正)


株式会社M-STYLE・株式会社豚ギャング 代表取締役

松永 龍太氏

出身地:神奈川県横浜市青葉区

生年月日:1994年6月10日生まれ。

企業ホームページ:https://ftg-company.com/

プレゼンテーター:大山 正

1982年東京都生まれ。成蹊大学卒業後、各種広告関係営業、外食企業のプロモーション・広報を経て、2014年1月、31歳で外食メディア「フードスタジアム」フードスタジアム株式会社 代表取締役就任。飲食店若手経営者の会「外食5G(現RX)」初代サポーター企業リーダー。2020年3月、株式会社ミライーツを設立。飲食業界における幅広い人脈、情報を持ち、飲食企業のサポートに従事する一方、本連載「クロスロード」では独自に記事の取材・執筆を手掛ける。

ロード1

  • ・おじいちゃんおばあちゃん子
  • ・人気者のまとめ役
  • ・サッカーから野球転向で開花
  • ・挫折。プロ野球選手にはなれない…

 

大山:松永さんはどちらでお生まれになり、どのような幼少期を過ごしましたか?

松永さん:神奈川県横浜市の青葉区生まれて、育ちも青葉区です。24歳くらいまで青葉台に住んでいました。幼少期の頃は、今も多分そんな変わってないんですけど、ふざけてたっていうか(笑)、あんまり怒るタイプでもなかったんでずっと笑っておちゃらけてるような感じのタイプでした。だから昔から自分の周りに人が集まってくるみたいな。

 

大山:じゃあ人気者で、まとめ役みたいな?

松永さん:はい、そんな感じでしたね。実は2個下に弟がいまして、その弟が生まれてすぐの3〜4歳ぐらいの頃に心臓の病気とインフルエンザ脳症になっちゃったんです。それで入院期間が長くあったんで、父親と母親は毎日そっちにいたんですよね。なので僕はおじいちゃんおばあちゃんちで、幼稚園から小学校1年生ぐらいまで育ててもらっていました。なのでおじいちゃん、おばあちゃん子でしたね。

 

大山:グラフとしては上がっているということは、そんなそんな寂しい思いとかいう感じではなかったわけですね?

松永さん:そうですね。本当におじいちゃんとおばあちゃんが好きで、初孫だったんで甘やかして育ててもらった感じです。それで、ずっとぶくぶくこのまま育ってきました(笑)。

 

大山:運動とかは、何かしてましたか?

松永さん:小1から小4までは近所の友達もみんなサッカーやってたんで僕もサッカーやってたんですけど、小学5年生からは野球を始めて、そこですぐ区の選抜とかにも選ばれるぐらい野球の方が才能があったので、そのまま中3まで野球をやってました。

大山:サッカーから野球にいくって、聞いた事ないですね!おもしろい(笑)。

松永さん:僕、サッカーを見ててもサッカーの何が面白いのかわからなかったんですけど、野球は見てて昔から好きでした。僕サッカーで活躍するところがスローイングで、その時スローイングやってたら父親が「お前投げる方がいいんじゃね?」みたいな話になって、投げたら最初から球も速くて肩も良くて打つのもすぐできたみたいな感じです(笑)。

 

大山:ピッチャーだったんですか?

松永さん:少年野球の時は、エースでした。

 

大山:飲食オーナーさんって、運動少年が多いんですよね。中学校の頃はどんな感じでしたか?

松永さん:中学校の頃は、ヤンキーではなかったんですけどやんちゃで喧嘩が強いみたいなタイプで、他の人たちより体が一回りでかかったので力が強くて、喧嘩があっても勝っちゃったり(笑)、中心の中の一人みたいな、リーダーみたいな感じになってたましたね。少年野球が終わって中学の時はクラブチームで「横浜青葉」っていうシニアリーグみたいなプロが使っているボールを中学生の時から使っていて、本当に強いチームだったんです。僕が中1の時から先輩たちも強くて、中1〜中3の毎春夏は何年も連続で全国大会へは絶対出場。僕たちの代でちょうど優勝候補って言われてるぐらい強いチームで。その頃は僕も野球に自信あったんですけど、僕もまぁまぁデカかったけど、そのチームに入ったらもうみんな中学生でも身長180cmぐらいあって「プロになる人たちってこういう感じなんだ〜」と思って(笑)。もともと僕は区で選抜だったけど、チームではエースで4番で期待されて行っても試合に出ることも叶わず、練習についていくことすらなかなか厳しいみたいな世界を知った時「俺って野球の才能ないんだな」と思って(苦笑)。そこで1回ガクンと落ちて「プロ野球選手にもなれないのかぁ」って思って、高校の推薦も上手いやつが行くから一緒についていくような選手にさせられたりして、もうこんな扱い受けるんだったらやりたくないなと思ったのが中3くらいですね。

 

大山:初めての挫折、ですね。早いですね。そういった挫折の話もスポート少年だった飲食店オーナーさんから結構、聞きます。

松永さん:やるんだったら一番を取りたい性格だったので、なんか面白くないなとか、もう絶対勝てないなって思って。でもすごい話で、先輩の中で試合出れなかったような選手が今一軍のプロ野球選手になってたり(笑)。

 

ロード2

  • ・退学寸前、リアル「ROOKIES」なソフトボール部
  • ・バイトで、サブライムグループとの出会い
  • ・わずか9ヶ月で社内独立。当時最年少、最短
  • ・1年間で、3店舗業務委託出店

 

大山:わからないもんですよね。サッカー日本代表の長友選手だって大学で試合に出れてないわけですからね。ベンチにも入ってなかったという。それで高校生活はどのような感じで始まるのですか?

松永さん:高校は、東京の中目黒にある目黒学院に行ったんですけど、めちゃくちゃいい友達にも先生にも巡り会えました。高1の終わりくらいに、ケンカしたのが原因で停学になりそうだったんですけど、校長先生がいきなり教室入ってきて「中学、横浜青葉だった人いる?」って。「あ、僕です」って言ったら、その校長はソフトボール部の顧問をしていて「もしお前がうちのソフトボール部入るなら、停学しなくていいよ」って。なんだこの人と思ってたんですけど、めちゃめちゃ可愛がってもらって、今でも校長先生に「お腹すいた」って言ったら焼肉奢ってくれます(笑)。

 

大山:やば(笑)。ファンキーですね。また男子ソフトってまた面白いですね(笑)。

松永さん:しかも練習が週に1回の1〜2時間しかないのに、最後は東京ベスト4ぐらいまでいったんです(笑)。野球やってたけど、もうやりたくないって子たちが集まったみたいなチームでリアル版の「ROOKIES」みたいな感じで(笑)、試合中喧嘩になったりとかするようなチームだったんですけど(笑)、いざ試合やると強いみたいな。面白かったですね!

 

大山:おもしろすぎますね(笑)。最高の仲間だ(笑)。その後、高校卒業してからは進学するのですか?

松永さん:本当は高校卒業したら仕事をしようとしてたんですけど、親が大学行くなら車の免許払ってくれるって言うんで、大学は多摩大学に入りました(笑)。20歳ぐらいの時は僕もうちょい痩せてたんでイケイケな時で、結構モテてました(笑)。この頃、今の転機となる飲食店でアルバイトしてたんですけど、それまではアルバイトで1〜2ヶ月以上続いたことなかったんですけど、たまプラーザの「ひもの屋」っていうところだけ3年間働きました。

 

大山:なるほど、そこがサブライムさんとの接点なわけですね。他のアルバイトとサブライムとの違いって、何だったんですか?

松永さん:他のアルバイトでは老舗チェーンの居酒屋で働いたり、イタリアン系のお店やコンビニもやったし、アルバイトは何個かやってたんですけど、ルールみたいなのがすごくあって。あと楽しくないのもあったし。でも、サブプライムの「ひもの屋」は自分で考えて自由にやらせてくれたし上の人が、ルールに縛られてなかったんですね。キッチンやってても「僕こっちの方が早いから、こっちをやりたい」って言ったら「盛り付け綺麗だったらいいよ」とか「こうやった方が早いですよ」って言ったら、いいね!みたいなそんなお店で。

 

大山:サブライムさんは、イケイケの若い企業だったっていうところもあるのかもしれないですね。本格的にそこで飲食に出会うと思うんですけど、大学卒業した後はどうなっていくんですか?

松永さん:大学卒業した後、Googleの広告代理店に入って4ヶ月で上司と喧嘩して辞めて(笑)、次に横浜の車のディーラーに入って6ヶ月ぐらいでまた店長と喧嘩して辞めて(笑)、それでどうしようかなと思って、ちょっとグレー系の方行くか、またはもう1社受けるか・・・みたいなところを考えてた時に、サブライムの部長さんから声かけてもらって。その頃、僕がたまプラーザで教えてもらってた人が独立して、めちゃくちゃ売れてて、ポルシェ乗ってたりもしてたんで「そんなに飲食って儲かるんだ!」と思って、そこでお世話になることにしました。

 

大山:やっぱり破天荒なのですね(笑)。

松永さん:はい(笑)、それで入ってから沖縄料理屋で半年間やったんですけど、後から入ってきた新入社員が僕より1回りほど年上で、その人が店長になったんです。しかも独立もまだ早すぎるからできないって言われて「じゃあもう辞めます」ってなったら、神保町の「カドクラ商店」っていう30席ないぐらいの、1日ノーゲスとかもある売り上げ150万円くらいのしょぼい小さい焼き鳥屋さんに飛ばされて(苦笑)。まぁでも僕も店長やれないよりはここで売れたら本物だって証明できると思って。それでキャッチしたり、お客さんと一緒に飲んで、お客さんにお客さんを紹介してもらってお店に来てもらって・・・なんてことを1ヶ月ぐらい頑張ったら、月売りが300万ぐらいの店舗に変わって、その12月には全国約400店舗あるうちの2位になって、サブライムでしか使えない20万円ぐらいの商品券をもらいました(笑)。

 

大山:それはすごい・成長率がエグいですね。200%超えですもんね。

松永さん:それで結果が出たんで、1月に独立の面談に行ったら、もうそのままマロさん(サブライム創業者:花光さん)や英樹さん(サブライム当時のNo.2)がいいよって言ってくれて。

 

大山:やばい(笑)。サブライムで働いて、9ヶ月で(社内)独立ですか?

松永:はい。当時僕が独立の最年少で最短だったと思います。当時社長の奈良さんにはアルバイトの時から何度か会ったことがあって、奈良さんが店に来て、「これは松永君にしか作れない店舗だね」みたいな。そのまま満場一致でOKもらえて。ただその焼き鳥屋は家賃もそこそこ高いし、売上上げちゃったんで委託費も高いなと思ったんです。売れてない店舗をやればリスクも少ないと考え、100万円くらい赤字の「カドクラ商店 鹿島田店」でやりました。元の神保町店くらい全く売れてない店舗でダメかなと思ったんですけど、Googleやぐるなび、食べログ、ホットペッパー等のグルメ媒体がその時アツかったんで、その地域はぐるなびが強いと思って、ページを全部変えて予約システムも全部入れてテコ入れしてやったら、またすぐ利益が出るような店舗になったんです。それでサブライムの赤字店舗を業務委託契約して僕がやれば全部売れるなと思って、やったのが1年間で3店舗です。

 

ロード3

  • ・大型店舗契約後、コロナ到来。妻の出産
  • ・法人ターゲットから駅近店舗に切り替え10店舗まで展開
  • ・寝耳に水!身内による、まさかの横領発覚

 

大山:やはり皆さんの世代は、WEBマーケティングにも明るいですね。

松永さん:1年間やりきったところで、鶴見の150席ぐらいの2階〜4階っていう大型店舗の「ひもの屋」をやったんですけど、その瞬間コロナです(汗)。それがちょうど25歳の時です。

 

大山:それで、コロナが来て大変だったと思うんですけど、ここからグラフが上がっていくのですがどういうことですか?

松永さん:僕たちが出してた店舗は、人は多いけど家賃もそこまでかからないような宴会を主要にした店で、鹿島田は近くに大手企業があったんで、そこが宴会として使ってくれるのをプッシュしてたんです。でもコロナで大手はリモートを始めたので、僕がやってた戦法はどこも効かなくなってしまい、鹿島田、藤が丘、鶴見、雑色の4店舗はベッドタウンでお年寄りも多くて、宴会の需要がそもそも取れないので厳しいなと。それで本部にお返しさせてもらって。「どうしよう!?」ってなった時、橋本駅に「きちんと」っていうサブライムのお店があったんですけど、コロナ期間中も300万くらい売れてたんです。でも家賃100万円ぐらいの大型店舗だったんですけど「ここまだ伸びるぞ」と思ったし、駅に力があるところをテーマにやっていこうと思ってサブライムに相談したら、橋本と聖蹟桜ヶ丘にもあると。

家賃はどっちも100万円なんですけど、駅降りてすぐの所だったのでここはちょっとコロナで融資受けて粘れば、ワンチャン可能性があるのでは?ってことでシフトチェンジをし、あと沖縄業態をやりたかったので、業態を絞ればある程度のニーズはあるって思って始めた時がもうちょうどここら辺で、この(グラフが)上る時ぐらいですね。

 

大山:そこで、シフトチェンジするわけですね。2店舗同時オープンですか?

松永さん:橋本を始めてから2〜3ヶ月後に聖蹟桜ヶ丘を始めました。当時僕らがやる前は300万〜400万円くらいしか売れてなかったんですけど、協力金がもらえてなんとかできるぞ、と思って。あと、社員が5〜6人いて誰も辞めさせたくなかったので、ほぼ社員で全部回してました。なんとか地道に常連さんを作って、コロナ規制が緩和された頃は橋本が1000万/月売れるような店舗になったり、聖蹟桜ヶ丘が700万ぐらい売れるようなな店舗にどんどんなっていったって感じですね。

 

大山:コロナ中に辞めた社員はいなかったんですね。

松永さん:はい、いなかったです。だから変わらず給料もお支払いしていました。

 

大山:それがやっぱりね、強い。人材の強みですね。

松永さん:コロナを乗り越えたメンバーは、今でもみんな辞めてないんで。

 

大山:そしてそのあと30歳手前でグンと下がってますけど、これはどういうことがあったんですか?

松永さん:29歳ぐらいまではもうめちゃくちゃ調子良くて、10店舗くらい伸ばしてて「いけるぞ」と思って一気にエンジンかけて。コロナ中なくなったお金も取り戻せました。

そんな中、身内でとある金銭トラブルが起こってしまって。。。もう許してるので詳細は伏せさせてほしいんですけど、正直コロナよりもきつかったです。

 

大山;まさにどん底ですね。辛かったですね。。

松永さん:本当にこの時が一番どん底だったですね。やっぱ近しい人だったのでね。でも今となってはみんな笑ってくれるんで、ネタになったからいいかってところなんですけど(笑)。

 

大山:そしてこの後、お店の展開はどうなっていくんですか?

松永:そんな事があったので赤字の店舗、これから伸びそうな店舗はもう売っちゃったんです、全部。だから、今は直営だと七店舗。フランチャイズとかのラーメンも入れたら13店舗になるんですけど、ただ利益が最低限でも月に100万以上出る店舗しか残してない。僕が現場出なくなっちゃったので、社員も若干名離れちゃったんですよ。どうにかしないといけないなと思った時に、一人社員の店舗をなるべくやめようと思って。社員を2人3人置いて、休みを増やしたり給料を増やしたりとかして、それで今ちょうど、その土台がやっとできて伸ばして行ってる最中で、また振り出しに戻ったというわけですね。

 

大山:ですよね、大体そういう見直しってコロナ期間中にみんなやってましたよね。

松永:そうなんです、コロナで受けなかったダメージを横領で受けた感じですね(苦爆笑)。

 

大山:「豚ギャング」ですが、このラーメン屋が誕生したっていうのはどういうきっかけですか?

松永:ラーメンは、僕の同級生の友達で「デリハック」っていうウーバーイーツを駆使したフランチャイズ100店舗くらい一気に拡大したやつがいて、その後ろに投資家みたいな人がいたんです。その人が福岡の人だったので、僕福岡まで行って住み込みで店舗を1店舗出したのがきっかけで、1年で6店舗くらい作りました。2年前ぐらいですね。

 

大山:そうなんですね。この「豚ギャング」の展開はどのようにお考えですか?

松永さん:直営が1店舗でFCっていうか、のれん分けみたいな感じで独立していったブランドで独立した人が3人ぐらいですね。ロイヤリティーは2%ぐらいいただいて。フランチャイズは展開していきたいなと思っています。

 

大山:今後の目標、数値的な部分も含めて、どういうふうに会社をしていきたいかっていうのはありますか?

松永さん:一応目標は、直近で年商10億円まですぐ持ってきたいなっていうところがあって。僕が今仲良くさせてもらっている社長が、年齢1個とかしか変わらないのにたくさん店舗出して、売上叩いてる社長たちがいて。そういう人たちに近づけるようにまずは年商10億円、あと従業員を着実に増やしていって、都心っていうよりもどっちかというと地域密着型の「ありがとう」とか、みんなが笑顔で働けるような店舗展開づくりをしていきたいなと思ってます。

 

大山:素晴らしいですね。業態、業種業態もいろいろやられてるんですけど、力入れていきたいジャンルはありますか?

松永:今、橋本にある「鶏ギャング」がまだオープンして4ヶ月目ぐらいなんですけど、今650〜700万円近く売れるようになったので、そういった大衆系の、お客さんと接点が近い居酒屋、あと沖縄料理も橋本が1000万近くと、聖蹟桜ヶ丘がだいたい700万ぐらいなので、沖縄系の居酒屋は増やしていきたいなと思っています。「豚ギャング」も物件が見つかり次第、店舗展開していければなと思います。

 

大山:ではまず年商10億円を目指して、駆け抜けていくということですね。ありがとうございました!

 

編集後記

記事から滲み出ていたかと思いますが(笑)、松永さんは明るく人懐っこいまさにムードメーカー、そんな人物像そのものでした。負けず嫌いで行動力があり、挫折や逆境も笑いに変えて前進するタフさと、人を大切にする情の厚さを併せ持っている経営者だと感じました。松永さんの周囲には自然と人が集まってくる、そんな魅力があるのだろうと思いました。自らの目標へ向かってこれからも爆進してほしいと思います!(聞き手:大山 正)

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