スペシャル企画

クロスロード〜外食経営者のルーツと転機〜 vol. 15/株式会社FTG Company 代表取締役社長 森川 誠氏

この企画「クロスロード」は、外食経営者が歩んできた人生の転機やルーツを、ライフチャートとともにひも解くインタビューシリーズです。経営者自らが描くライフチャートを起点に、これまでの軌跡を深掘りし、現在の意思決定や価値観の源泉に迫っていきます。

第15回は、「大阪焼肉・ホルモン ふたご」や「大阪ぎょうざ専門店 よしこ」などを展開する株式会社FTG Companyの代表取締役・森川誠さん。創業者である李兄弟(ふたご)とともに今年4月に代表取締役へ就任し、現場の最前線で陣頭指揮を執るリーダーです。今回は森川さんに、幼少期の原体験、仕事との出会い、20歳での大きな挫折、飲食×不動産に懸ける想い、ふたごとの運命的な出会い、そしてコロナ禍での苦悩と再起、さらにこれから描く事業ビジョンまで、じっくりと語っていただきました。


 株式会社FTG Company 代表取締役

森川 誠氏

出身地:愛知県名古屋市

生年月日:1983年8月6日生まれ。

企業ホームページ:https://ftg-company.com/

ロード1

  • ・初孫の兄の背中を追いかける幼少期
  • ・自立のため14歳から新聞配達
  • ・野球一筋も高校で挫折
  • ・20歳で借金1000万円

 

大山:森川さんはどこで生まれ、どんな幼少期を過ごしたのですか?

森川さん:生まれは母の実家の三重県津市で、育ちは父の実家の愛知県名古屋市、それからはずっと名古屋で過ごしました。3つ上に兄がいるんですけど、田舎特有の初孫大好き!みたいな感じで全員が兄貴を可愛がるみたいな感じ。今は世の中逆じゃないですか、末っ子の方が可愛がられて。でも当時はやっぱり跡取り問題があったり、とにかく長男、長男、長男!!特にじいちゃんばあちゃんはそれくらい兄を可愛がってたんで、小さいながらにどうやったら気にいられるかな〜くらいに思ってました。子供の頃からそういうのがあったゆえに、兄を常に追っかけて兄貴みたいになりたいと思ってたし、年上の友達や兄貴の友達と遊んでることが多かった。でもなんか、やっぱり常に兄を超えたいというか、そんな想いもあったりして、その頃から自分が出来上がってたかなと。自分で生きて自分で何かを勝ち取らないと回ってこなかった幼少期だったので、自立しないといけないっていう気持ちは子供の頃からありました。

 

大山:それはなんとも、シビアな幼少期だったんですね(汗)。スポーツは、何かしていましたか?

森川さん:小学校からずっと、野球をやっていました。だからプロ野球選手を目指してた頃もあり、中学は県大会で名古屋市では優勝するぐらいのチームにいてレギュラー取れたりして、高校もそれなりに甲子園を目指す学校に入ったんですけど全然レベル違いの奴が入ってきて、ちょっと拗ねてグレて・・・野球は、高校1年で辞めました(笑)。

大山:なるほど、だからちょっとグラフが落ちているのですね。結構飲食経営者さんはサッカーや野球をやってた人が、多いんですよね。地元では一番だけど、運動で高校行って厳しさを知る・・みたいな人、結構いますね。それで野球やめて、バイトとかしたんですか?

森川さん:居酒屋のバイトを15歳ぐらいから始めたし、14歳ぐらいから新聞配達の手伝いをやってたので、子供の頃からお金を稼ぐってことは好きだったんですよ。

 

大山:別に貧乏だからじゃなくて、稼ぎたいからやってたということですよね?

森川さん:貧乏じゃないですけど、裕福ではないって感じ。ちょっと自分で稼ぐようになってきたところで親父が失業したりで、そういう意味では大変だった時もありますけど、別に食うに困らないぐらいの生活ができたんで、全然問題なかったです。

 

大山:14歳で、新聞配達をした理由は?

森川さん:自立ですかね。とにかく稼いでみたかった。だから高校で野球やりながらもバイトしてたり、辞めてからはずっとバイトバイト。引っ越し、居酒屋、警備員・・いろいろやりました。

 

大山:その後、大学には進学するのですか?

森川さん:はい、大学ではちょっと頑張って教師になってみようかなと。よくあるじゃないですか、ヤンキーが教師になるみたいな(笑)。それで勉強して、名古屋の大学に入って。ただ、バイトの方が楽しくなっちゃって。錦の居酒屋でバイトしながら、別で誘われた水商売で半分夜の道にも入りながら、ボーイ兼プレイヤーみたいな感じでやっていました。その時に知り合ったお客さんと開業して飲食の真似ごとをやったことがあったんですけど、その人が飛んでしまって、いきなり1000万くらいの借金を背負いました(汗)。20歳くらいの時です。

 

ロード2

  • ・飲食をやると決めて大学中退して状況
  • ・アポ取るまで帰れない営業マン時代
  • ・飲食×不動産という黄金の剣を入手
  • ・それでも消えぬ、飲食への想い

 

大山:やばー!それは知りませんでした・・。それでどうなるんですか?

森川さん:そう、それでそこから自転車操業みたいな事をして、店を出して支払いを遅らせて、今度2号店の売り上げをこっちの支払いに回してみたいなことをやっていったら、3号店目までできたんです。「あれ?これで一生行けるかな?」と思ってたら、支払いがキャッシュに代わり、ツケがなくなり、それがもうどうしようもなくなり、自己破産しようかどうしようか悩んだんです。で、店を一旦閉めて、残った借金を水商売の先輩に肩代わりしてもらって、そこからまたプレイヤーとして働いて、肩代わりしてもらったお金を返したみたいな。だから20代前半は僕の中でどん底、結構働きました(汗)。

 

大山:ただ借金だけ残るって、きついですね。どん底だったのは、飛ばれた瞬間?

森川さん:いえ、お金がある時は人も寄ってくるけど、なくなると人もいなくなる。その時がどん底ですかね。でも、なんとかなるだろうと思ったんで、とりあえず頑張って返して再起を誓おうみたいな。そのまま夜の世界に行こうとしてたんですけど、先もない。人生の失敗が、わりかし初めてだったんですよね。飲食って大変じゃないですか。季節変動は多いし、資金繰りから料理接客、マーケティングまで全てやらなきゃいけない、なのに利益は低い。だからビジネスとしては飲食やりたくなかったんですけど、やっぱり飲食のバイトは楽しかったし、この失敗が肯定されるには、飲食で成功するしかないなって、ふと思って。今の自分があるのは、あの時の失敗と学びがあったからだ、っていう風に変えようと思った時に、この人生は飲食をやってみようかと思って、大学4年で中退して上京してきた。

 

大山:やば(笑)。ものすごい行動力ですね。上京して就いた仕事は、なんだったのですか?

森川さん:テレウェイヴリンクスで営業の仕事ですね。開業から販促から仕入れから全部学べたんで、そこでの経験が今につながっていますね。店をやった時に、とにかく物件に苦労したんですよ。マクドナルドの戦略を勉強してたんで、土地買って加盟店に貸すとか、そうすると家賃収入が入るとか、とにかく物件は大事なんだって思っていて、物件の勉強をしたくてその後、テンポリノベーション(現株式会社テンポイノベーション)に入ったみたいな。

 

大山:テレウェイヴなんですよね。ゴリゴリの営業で(笑)。その時が、何歳ぐらいの時ですか?

森川さん:22歳です。

 

大山:改めて僕らの世代はよくわかるんですけど、当時のテレウェイヴではどんなことをして、どんな働き方したんですか?

森川さん:タウンページと電話しかなくて、アポ取らなかったら二度と家に帰れないぐらいの感じで、土日も働いたし(笑)。

 

大山:何時から何時まで、どんな感じだったんですか?

森川さん:一応9時から19時が定時で、19時から明日のテレアポの見込み作り、ロープレの勉強とかで23時ぐらいまで働いて帰って、また明日朝から仕事。土日も全部。

 

大山:やばい。やばい、本当に(笑)。休んでいいとかあったかもしれないけど、自然とみんな働いてる感じですよね?

森川さん:そうそうそう。それ日常なわけですよ。だから僕、嫁と結婚して、嫁も実はテレウェイヴなので分かってるから話が通じるんですが(笑)。ただそれで言うと、多分土日を休み始めたのは、ここ5年ぐらいです。それまで土曜日は仕事してたし、ふたご入った時は休みなんかなかったんで、創業した頃は月に1回休みがあればいいみたいな。あとは週に1回休み取ったりとか。休みは月6回でやってきたけど、5年ぐらい前に、経営層がそうじゃまずいんで、週休2日してみようかってことで休み始めたのが5年ぐらい前。

 

大山:すごいすね(笑)。テレウェイヴの時に、お客さんに提案したのは何なんですか?

森川さん:ホームペ ージですね。

 

大山:噂によると(笑)、それがとんでもない値段だったって聞いたことあるんですけど、いくらぐらいでホームページを売ってたんでしたっけ?

森川さん:リース契約で、5年間解約できないというホームページを300万円で(笑)。テレウェイヴも一応小売り、建築、飲食、医療と、色々あったんですけど、僕は飲食に行きたかったのに1年目は医療だったんです。飲食行きたいなと思いながらも、結果出さなきゃいけないと思ってやってましたね。それで上司が変わったタイミングで直談判しよう!と、色んな人を駆け回って、自分で事業部を異動できるように、しかも開業の不動産とかに行けるようになんとかネゴして、1年目の終わりかけの12月、1月ぐらいに飲食の方に行けたんです。それから物件とかいろんなものが提案できるようになって、飲食専門のビジネス関連で結構楽しかったです。

 

大山:そこで、飲食の不動産の知見を得るというわけですね。テレウェイヴで得たものというのは?

森川さん:ど底辺(笑)。でもこれ以上辛いことはないだろうなっていう感覚ではいたんで、精神的にはかなり鍛えられましたね。

 

大山:あと若いし、とにかく頑張っていたのもあるから、辛くなかったんでしょうね。

誠:楽しかった部分もあるんですよ。テレウェイヴの人たちってめちゃくちゃな人たちでしたけど(笑)、いまだにどんなことがあっても、コロナ後でもビジネスしてる。そういう、サバイバル感っていうのはすごいと思います。

 

大山:生命力ですね。素晴らしい。大事ですね、それで、その後、テンポリノベーションに入るわけですが、それが何歳くらい?

誠:24歳ですね。テレウェイヴはレインズの子会社だったテンポリノベーションと当時のフーディーズ(現FIJ)のどっちも買ったんです。それで開業を大きくしていこうとやっていたら今度はテレウェイヴが悪くなったので、それぞれを身売りして、その時にテレウェイヴに残るか転籍するかを選択できたので、自分は転籍しました。転貸のビジネスはまだ認知なかったんで大変だったけど、とにかく投資をかけずに人からお金を借りて差益を生んでいくんで、絶対も伸びるなと思った。

 

大山:飲食×不動産やりたかったわけですしね。

森川さん:とにかく不動産を勉強したかった。それでこっち(不動産)のビジネスに行って、でもやっぱり飲食店やりたいっていう気持ちはずっとあって。なおかつ不動産はマクドナルドや吉野家さんのオーナーと会えるじゃないですか。投資額がでかいんで。ホームページとか食材を売るってなると担当者レベルですけど、飲食の物件はやっぱり、何千万、何億する物件もあるのでオーナーと会えるんで。それでずっと不動産やりたかったんです。それが24歳だから、それから3年半ぐらい不動産の勉強をしながら働いていましたね。

 

大山:その経験は大きいですね。

森川さん:そうですね、どこ行っても重宝されるし、最悪飲食でなくても生きていけるだろうっていうことで選択しました。

 

大山:それもだって10代後半ぐらいから(飲食をやるならば)物件が大事だって、原体験があるわけですもんね。

森川さん:自分の場合は早くして失敗できたことが良かったです。失敗してなかったら、その感覚がなかった。なんとなく1000万ぐらい稼ぐ居酒屋のにーちゃんぐらいになってたかもしれないですね。

 

大山:名古屋の水商売のレジェンドになってたかもしれないけれど(笑)。10代後半から20代前半が、かなり濃いですね。テンポイノベーション(旧テンポリノベーション)では、どのような仕事をしていましたか?

森川さん:当時は転貸って言葉がなかったので、家主からすると「又貸し」っていう見え方なんで、やだやだって言われて。だから空中マッチみたいな。今は家主から物件を借りて、その借りた後に貸すというちゃんとしたスキームになっていますけど。当時は貸してくれって言われたら絶対嫌だって言われて、空中でなんとか口説いて家主オッケー、出店者がオッケーの時に同時に契約するみたいなことやってたんで事故も多かったんですよね。いきなり物件借りたら家主または出店者が辞めるとか(汗)。ましてや出店者が借りたいのに、家主がいきなりNOって言ってきたりとか。

 

大山:今は、先に最初借りないと無理ですよね?

森川さん:借りて2ヶ月間フリーレントして、その間に借しちゃえば全然オッケーですし。今は転貸も認知されてきたんで、やりやすいと思いますけどね。業務委託と違うので、転貸は賃借権が発生するので三社間の契約を結ばないといけない。それを納得させるのが難しかったですね。

 

ロード3

  • ・衝撃的な「ふたご」との出会い
  • ・フランチャイズをやるため入社
  • ・2人の夢に賭け、経営参画
  • ・上場準備中にコロナ到来
  • ・コロナ禍で逆転の発想が奏功
  • ・2030年までに1000億円を掲げ猛進

 

大山:それで、「ふたご」のお2人とは、どういうタイミングで会うのですか?

森川さん:27歳の時に、一緒に働いていた恩師が会社を辞めたんですよね。飲食寄りの先輩が。それで自分も周りのメンバーからは飲食人と思われていたみたいで、いつか辞めちゃうんじゃないかなと思われていたみたいです。結果その頃辞めるわけですね。元々飲食をやりたいという夢もありつつ、オーナーに会える不動産の仕事も勉強しながらやってきたわけですが、自分でやった業態は失敗したんで、飲食をやるならフランチャイズでやろうと思ったんですよ。それで当時、居酒屋甲子園サポーターなんかもやらせてもらって、いろいろ可愛がってもらったりもしたんですけど、自分で想像した時に仮に街の居酒屋を繁盛させて売上1000万円のお店を2、 3店舗作って、もし稼げたらそれはそれで満足はするんだろうなと思った時に「いや、果たしてそれでいいのかな」と思って、結構悩みましたね。その時にふたごの2人と出会って、結構これは運命ですね。よく言うバカと天才は紙一重じゃないですけど、まあ当時からぶっ飛んでたんで(笑)、これは面白いなと思って。

 

大山:20代後半で、そこまで考えていたのはすごいですね。

森川さん:当時のテレウェイヴの創業者もぶっ飛びまくってたんです(笑)。本当にお客さんとこ行って、タバコ吸いながら営業するぐらいの感じとか。世の中がITに入っていった時代に、公衆電話を売るところから始めたりとかして(笑)、「逆にピンク電話を売ろう」みたいなところから、光通信に可愛がってもらって営業力が強くなって、そこから上場までいった。そういうのが頭の中にあったんです。自分はそんなタイプじゃないけども、なんか低い丘からから飛び降りるのと、へリコプターで3000mまで上がって飛び降りるのと、同じ感覚で一歩を踏み出せる人がいいなと思って。それが2人にはあったんですよね。問い合わせをもらって、ふたりのお店を作るご支援をさせてもらったのが初めですね。

 

大山:前職のお客さんとしてだったんですね?

森川さん:そう、自分の不動産支援で100軒くらい作ってきて、だいたいオープン1週間前になったら全部できて、オペレーショントレーニングとかするじゃないですか。ただ「ふたご」はオープン1週間前でもテーブルも何もなかったんで、「どうしたんですか?」って聞いたら「なんかちょっと計算ミスでお金が尽きた」みたいなこと言うから「こいつらやべえな」って思ったんですけども(笑)。それで自分で義理の兄のとこに行って、トラックを借りてきて茨城でパチンコやってるんで、そこからいらない冷蔵庫もらったりとか、ベニヤ板貼って自分たちで店をトッカンで作って・・・みたいなところからスタートですね(笑)。

 

大山:大変でしたね(笑)。それが1号店ですね。五反田店ですよね?

森川さん:はい、ソニー通りから1本入ったとこです。

 

大山:最初にお2人に会った時の印象というのは、どういう感じだったんですか?

森川さん:テンポイノベーションってところは当然ビジネスなんで契約しないといけないんで、ただ当時はその転貸がダメな上に、外国人(外国籍)通名をもってるんですよ。それで問い合わせが来て、喋ったら日本語流長だし。日本で生まれてるから。普通の関西のいい兄ちゃんだなと思いながら、お金もあるって言ってるし、それで名刺交換したら「李」って書いてあったんですよ。「え、こいつ外人かよ」と思ったんです(笑)。オラオラ来るし、これきついなと思いながら、まあ適当に話して諦めさせようかなと思ったら、2回目に会ったら兄貴の方が社長(現会長)なんですけど、温厚なんです。弟の方は猪突猛進型の熱い感じ。「前会った時と全然違う、こいつ二重人格かな?」を思ったんですが、それでまた名刺を渡されて「前名刺もらったけど」と思ったら違う「李」だったで「あれ?」と思ったら後ろから同じ顔の人がきて、そこで双子だと分かったって言う(笑)。

 

大山:おもしろいですね。性格が全然違うのですね(笑)。

森川さん:でも外国人と契約しても家主がNOって言う確率が高いから、あしらってたんです。でも、彼らの話は面白いし、夢もでかいし、ちょっと支援してみようかなと思って進めて行ったら、あの場所で赤ちょうちんぶら下げて、コテコテの焼肉をやるってなったら案の定家主がめっちゃ嫌がったんです。「こんなの絶対ダメ」って。それで2時間説得しました。彼らも一生懸命やってるし僕のお客さんでもあるから、とりあえず頑張ってやってみるからってことで家主さんと交渉していたら、家主のお母さんがたまたま通りかかって、そのビルのオーナー権が息子の代に引き継いだばっかりの物件だったんです。お母さんが来てくれて「この子たちこんな若くてビジネスやろうとしてるんだから、やらせてあげなさいよ!」って言ってくれて、五反田の物件が取れたんです。

 

大山:当時、お2人は何歳だったんですか?

森川さん:30歳です。30歳で独立するって決めてトラジで修行してきた。僕は27歳で参加したから。人を魅了するのは上手で、裏表がないっていうか、素直にこの物件をやりたいっていうのが伝わるんで、初めての大事な時に手伝ってあげたいと思って。でも、契約したら店ができてないんで、騙されたなと思って(笑)。でもオープンの時に店に入ったら、とにかく繁盛店のオーラがビシビシ来たんで、すごい業態になりそうだなと思いましたね。

 

大山:ご支援内容は、物件のみですか?

誠:そうですね、物件の取得だけです。転貸だけです。当時は辞めさせたかったので家賃とか、礼金を乗せまくった(笑)。それでも、やるやるやるでオープンしたら、(印象が)逆転しちゃったから。今まで追い出そうって言ってたのにオープンしたら、僕がフランチャイズやりたくなっちゃったってわけです。

 

大山:それくらい凄かったわけですね。「ふたご」の誕生が何年?

誠:2010年5月のオープンですね。それで1年間連絡取りながら、自分のビジネス(前職)をやりながら、それでもやりたいって気持ちが高まったんで、その頃フランチャイズをやらせてもらいたいって言ったんです。翌年の2011年の7月に中目黒が2号店。それも僕がテンポイノベーションで契約して。その頃はもう、フランチャイズやりたかったので2号店はごますって、めちゃくちゃ安くして(笑)。2号店までを前職でオープンさせて、その年の11月にアルバイトとして入りました。

 

大山:え、テンポイノベーションやめて?

森川さん:そうです。当時27歳でまだ営業でインセンティブもあったりして、700〜800万円くらいの年収があったんですけど、月20万円くらいスタートでした(笑)。アルバイトの時給が、1000円とかですかね。そこからスタートしました。とにかく自分で大きくしていこうっていうことを認めてくれる人たちだし、ノウハウを継承してフランチャイズをやろうと。

 

大山:すごい。中目黒の「ふたご」、駅から遠いドンキの方のですか?

森川さん:あっちは3号店。それより駅側、手前にある物件で。そういう意味では物件が強みなんで、飲食で重宝されるし、とりあえず物件出しながらフランチャイズのノウハウを学んで、お金調達したら3号店出して・・・みたいな感じでやっていこうみたいな。本部よりフランチャイズが、大きくなる会社があるじゃないですか。あんなんがいいなって思ったから「自分が絶対やってやろう」って思った。でも、なんかやっていくうちに、彼らの器って言ったらちょっと気持ち悪いですけども、やっぱり人間的に親孝行からスタートしたいっていう理念のもとに、会社作ったりとかしてたので、金儲けとかライバルとか、そんな感じじゃなかったんですよ。もっと人間的な魅力があって、さっき言ったみたいに自分でふたごのフランチャイズをやったら、売上1000万稼いで3店舗くらいやったら怠けそうだなって思った時に、なんか人生が見えちゃった。それは面白くないなと思って。でも、彼らは1号店作ってそれを本店ってつけて、これから店舗展開、ニューヨークとか海外出すって言ってて、飲食ドリームみたいなものがあったんですよね。この自分の人生、2人の夢に乗ってみるのもいいかなと思って、フランチャイズはやめてそっから店長やって、本部構築をして、役員に就いたって感じですね。

 

大山:まさに2人の情熱が、森川さんを変えていくわけですね。アルバイトは何年くらいやったんですか?

森川さん:アルバイトはもう、1ヶ月くらいです。1ヶ月ですぐ社員させてくれって。フランチャイズやらせてくれってことです(笑)。2011年の11月アルバイト入社して、翌月12月に社員になって、3ヶ月後の2月の末ぐらいに、中目黒の3号店の店長をやらせてもらった。

 

大山:へぇ知らなかったです。叩き上げなんですね。30前半くらいですね。

森川さん:全然叩き上げっすよ(笑)。飲食って少し良くなると、一等地のビルで席数を大きくして瞬間最大風速で19時から21時の取れる売り上げを取りまくるとかするじゃないですか。ただそう言うのも時代と共に変わってきたと思っていて、それを教訓として生きていくためには、とにかく最初に当たったモデルをトレースしようと考えて、10坪〜15坪だけを「ふたご」は出していこうと。ここ(よしこ 目黒店)もそうですよね。これぐらいの坪数で満席率を出しながら、回転させて。コロナの時とかも、やっぱ個店だから店の損益分岐点が低いんで。だから、大箱は今のところやってない。新しい業態できたらやりますけど。この出来たモデルを崩さずに、空中階やったり大箱やったりとかせずに、とにかく1店舗目をトレースしていくっていうのを徹底してる。

 

大山:それは従業員とお客さんの距離も近いというところもある?

誠:それは結構あります。

 

大山:もうグラフを見るとそこからは順風満帆な感じですね。

森川さん:順調っていうか、僕あんまりネガティブなことは考えない(笑)。生きてるだけで、本当幸せだなって感じたんで。これよくネタで言うんですけど、うちの従業員も店のお金盗んで裏スロ行ったり、キャバクラ行ったりとか、借金背負う人っているんですよ。数百万ぐらい。そしたら、いつも僕らは遊び心も込めて、従業員は絶対クビにしないんです。警察に突き出してもそいつのためにならないんで、アルバイトから更生させて、うちの従業員としてもう1回雇うんです。借金返させて。これは決めてるんですよ。

 

大山:それはまたすごい話(笑)。

森川さん:その中で借金返させるのに、債務整理を僕らがやってるんですが、3パターンあって。①僕は事業の借金、1千万を返した。②双子の兄は20歳の頃にパチンコで数百万借金して親父が自己破産しろと言って。それでふたご2人呼ばれて「お前ら、借金どれくらいある?」って聞いて弟の方はない。兄貴の方は、パチンコで残り40万ぐらいある。お前らも一緒に自己破産しろって言われたそうで(笑)。「どうせクレジットカードが作れないのは8年間で選挙権もないし、家なんか買わないだろう。だから自己破産した方が楽やで」って言われて会長、20歳の時に40万で自己破産した(笑)。それでも変わらず会社やってるんですけどね(笑)。③もう一人が、うちの60歳ぐらいの顧問。今だに、借金から逃げまくってる(笑)。その3パターン。①森川パターン。借金返すのは大変だけど人間性が高まる。②会長パターンは、自己破産でバンザイして1UPとか言ってるぐらい(笑)。③あともう一つは、逃げ続ける。今でも逃げ続けるパターン、それのどれかを選べって言ってるんです。でもその時に、僕は自分の中で自己破産っていうのはなかったんですよ。ダメなもんだと思ってたから。でもうちの会長がさらっと自己破産して、のうのうと100億ぐらいの会社を作って(笑)。真面目さと馬鹿さ加減って全然違うんだなと考えた時に、もっとポジティブで楽に生きようみたいな。「ふたご」と僕の3代表でやっていて、創業から在日韓国人の2人と日本人の僕で契約する時に物件取れなかったことが、当時よくあったんですよね。外国人が嫌だって。会社規模も小さいから。だから僕、その保証人になってるんですよ、5〜6店舗。だから今、会社ダメになったらたら僕 3000〜4000万ぐらいで保証人として賠償来ると思うんですね。だからそれを踏まえて弟は真っさら、兄は1回自己破産していて僕は借金ですよ。もしなんかあったら、もう1回弟の名前でやり直そうってこと決めてるんで。だから不安はあんまりなくて。

 

大山:すごすぎる(笑)。書けないようなお話ですが(笑)。

森川さん:書いていいですよ、2人の許可も取ってるから(笑)。全然オッケーです。だからそういう意味じゃ、もっと楽観的に行くよってのは、彼らから結構学んで。

 

大山:なるほど。そして直近ではコロナが来るわけなんですけど、その前までは会社としてすごく順調なイメージもありましたし、ただコロナ中もすごく頑張ってるなという印象もあったんですけど、実際コロナ禍はどんな感じだったんですか?

森川さん:それまでは飲食ばっかりだったんで、2017年ぐらいに上場しようとしてたんです。N-1(直前期)ぐらいまで行ってたんですけど、コロナがなかったら上場してたと思います。ふたご業態は単純にすごいし、数字つきそうだなってことで監査法人さんにもついてもらってやってたんですけど。

 

大山:ですよね、上場準備してましたよね。

森川さん:上場準備してる中でコロナが来たんで、2020年の4月5月が緊急事態宣言の一番初めだったので多分一番重かったです。その頃からぐわっと下がって、2ヶ月で2億弱ぐらい赤字を引いて、その頃8時以降は営業せずにランチで食い凌いだりしていたんですが、でも従業員がお客様を8時で帰すのが心苦しいと、せっかく応援してくれてる人もいるし、どうせ会社潰れるとかコロナかかるぐらいだったら、思いっきりやって散りたいみたいな声が現場にあったんです。

 

大山:えっ!?上層部が言ったんじゃなくて従業員が言ったんですね?

森川さん:そう、それでアンケート取ったんです。そうしたらそういう意見が多くて。なおかつ今回ボーナス出せませんよ、どうする?って聞いたら、いや、今回はいりません。その代わり、もし復活した時には2倍くださいって声が多かったんで、これは面白いかなと思って。

 

大山:すごいなぁ。それがまさに「ふたご」の強さですね。現場力。

森川さん:2020年の4月から緊急事態宣言になってマイナスになって、会社のキャッシュもやばくて1年半持つかな・・くらいの感じだったんですが、やっぱりあの2人ってぶっ飛んでて(笑)、あの頃マスクが手に入らなかったじゃないですか。マスクを買って「ふたご」のゴールド会員の人達に送ろうと2人が言ったんです。自分たちの飯が食えない時に、馬鹿げた話じゃないですか(笑)。でもここまで支えてくれた人たちが苦しんでるならやろうということで、600〜700万円程かけて中国からマスク買って。当時新卒を30人くらい採ったんですけど、当時仕事はやることないから、マスクに手紙書いて会員さんに送ったんですよ。そしたら当時Twitterで「アベノマスクより早く届いた!」とかで結構バズって(笑)、とにかくコロナが終わったら「ふたご」行くわっていう声が多かったんです。だから6月、7月の復活した時の売り上げは良かったんです。ただその中でまたコロナが広がって、第2回緊急事態宣言の時、「今日からダメですよ」っていう営業自粛開始日を1日間違えたんです(笑)。そうしたらそれがネットで「ふたご、やってるぞ!」みたいに拡散されてしまって、開き直って「もうじゃあやってみようか」ってやったら、2年目は過去最高売上。当時は出せなかったですけど、その後実際に2ヶ月分ボーナス出せたんです。約束は果たせた。

 

大山:おもしろ(笑)。あれ、意図的にぶっちぎって営業したわけではなく、間違えちゃったんですね!?

森川さん:そう、たまたま。僕ら本当に運がいいんですよ(笑)。

 

大山:しかも、Twitterとかは変に影響力があるから、引くに引けないというのもありますしね。

森川さん:従業員もコロナにかかった子もいましたけど、やって結果、売り上げは良かったんで。でもその代償は2年間上場できないって事ですね。証券会社が離れちゃったんで。ただそれはしょうがないっていう感じですね。そこでコツコツ会社を大きくして、従業員を守ってやっていこうという方向に一致団結しましたね。

 

大山:そしてコロナが明けてからの戦略っていうところで、今取り組んでることっていうのはありますか?

森川さん:メインブランドの「ふたご」はもう15年経ったんで、ちょっとリブランドしながら今後は業務委託とか社内独立を応援してこうと。あとこの「よしこ」はめちゃくちゃ面白くて全国展開できると思ってまして、五反田店は900万円くらい売ります。

 

大山:おーすごい!「よしこ」誕生の秘話はどんな感じなんですか?

森川さん:ただ僕らが、餃子が好きなだけです(笑)。おもしろい店やりたいよねってところと、FTGは「親孝行」からスタートしたんで実はこのよしこ、2人の実のおかんですから(笑)。原点に立ってやってみようってことですね。フランチャイズの募集もしてるんですけど、【おふくろ連盟】ってネーミングつけて親孝行することを目的で作ってるんで、フランチャイズをやる人も親孝行絶対させるんです。それは何かというと5%のロイヤリティを本部が取るじゃないですか、この1%は僕らが泣くんで、おかんの口座に振り込めって仕組みにしようと思ってるんです。

【薄皮でカリッと焼き上げられた食べやすい餃子。ビールやハイボールがぐいぐい進む】

 

大山:あー、それはおもろい(笑)。

森川さん:やっぱ自分が生まれたのはおとんおかんがいての事だし、おかんは絶大的なものだってことで、これに共感しないといけない、という。メニューは統一。で、その人のおかん本人のキャラクターを作って、おかんの名前が「きょうこ」だったら「きょうこ」にするんです。それがずっと残るように。フランチャイズなんですけど、個店なんです、完全に。メニューは一緒だけど、2品だけ当時のおかんの味のオリジナルメニューを入れてる。

 

大山:それはいいですね。個性が出ますしね。

森川さん:なおかつ、なぜ個店と言ってるかというと、ついこの間ここのよしこが70歳の喜寿になったんです。それでお店で喜寿祭をするわけですよ。それぞれのおかんのイベントをやりますから。変な話、おかんが亡くなったら、ここで1周忌やりますから(笑)。それぐらいまでやる。あと面白いのが、周年とかあるじゃないですか、ただこちらからしたら周年祭ですよってやるんですけど、このよしこが面白いのは1周年記念ですってなったら、お客さんがプレゼントもって来ます。「よし子さんに渡してください」って。よしこもそのプレゼントを貰ってSNSで流してます。このSNSとのリンクが面白いんです。

 

大山:めちゃくちゃ面白いですね(笑)。今よしこ業態が、何店舗になったんですか?

森川さん:今6店舗ですね。2700円の客単価でF Lで50%なんです。餃子は安いし、人件費も安い。売り上げが今トップラインで取れているので、350〜400万ぐらいが損益分岐点なので利益でやすいし。これだったら各商店街に駅出せるし、全国も行けるかなと。ふたごみたいに卓上で焼かなくていいんで。

 

大山:しかも4、5年前に食べた時よりも美味しくなってるイメージがありますね。

森川さん:常にブラッシュアップはしてます。やっぱり会社的な文化は2人中心ですけど、「おふくろ連盟」みたいな発想は面白いですよね。

 

大山:どんどん、おもろいことやっていきましょうっていう社風が伝わってきますね。

森川さん:儲けも大事だけど、楽しく儲けながら、相手もハッピーになれるようなものを作らないと。

 

大山:他に何か仕掛けてることはありますか?また海外展開用に業態作ったりとかあったと思いますが、海外での可能性とかっていうのはどんなふうに考えてますか?

森川さん:今はアメリカ、香港に店がありますけど、ジャカルタが本当は秋にオープンする予定だったけど学生デモがあって長引いてこれはちょっと止まってます。あと、ドバイに会社作ったのでドバイの方に行きたいなって。税金のメリットも当然あるけど、お金持ちがいるんですよね。トップラインが取れるというか。ワーカーの人件費も安いし、ジャパニーズクオリティがすごく求められてる。最近、丸亀ができましたね。牛角すら出てないので可能性は大いにありますね。今、イスラム教の人たちのために「肉亭ふたご」でハラルの2つ星を取った焼肉をやってるんですけど、世界人口の70億人中23億人がイスラム教。中国相手にするよりデカいんです。でもなおかつ、これから階級が上がっていく中東の人(富裕層)たちは食べる所がないんです。

 

大山:食べたいけど(相応のレストランがなくて)、食べられないってことですね。

森川さん:日本に行ったら何を食べるか?っていうと「うどん」なんです。豚使ってないし、アルコール入ってないから。それをうちはちゃんとハラル認証取ったところを発信して、これをインバウンド、アウトバウンドで世界に広げていく。これもすごく2人の強みですけども、もともと在日韓国人なんで、国がないんです。北朝鮮・韓国のアイデンティティを持ちながら日本で暮らしてるんで、彼らからすると国がないわけです。だから2人とも、来年からドバイに住みます。日本・アメリカ・韓国行ったり来たりですけどね。

 

大山:なるほど。ハラルは大きな市場ですね。

森川さん:アメリカでもどこでもチャイナタウン、コリアンタウンがあるのにジャパンタウンはない。日本が求められいても日本のタウンがないっていうのは、やっぱ駐在が中心だからなんですよね、日本人は。10年経ったら帰ってくるんです。でも韓国とか中国って、そこで2世代、3世代に根付いてビジネスをやってるんで、タウンができてる。あの感覚で彼らがジャパンタウンを作ろうっていうのはやってきたいと思います。そういう意味では、これからドバイ上場、もしくはアメリカのナスダック上場を目指したいなと思っています。

 

大山:それはすごい。最後に数字的な目標、年商・店舗数みたいなところっていうのは定めているものはあるんですか?

森川さん:今は年商120〜130億円なんですけど、2030年で1000億円目指したい、10倍ですね。

 

大山:すごい(笑)!世界ですからね。

森川さん:世界もありますし、飲食以外も実はやってて、グリーンブラザーズってサラダ屋やってるんですよ。これが3店舗しかないんですが、コロナの時にファスティングセットを作ったんです、断食セット。これが年間で20億売り上げるんですよ。利益3億くらい出るんです。そう言った感じで、ECとか別の事業もめちゃくちゃ力入れてます。飲食以外は、医療の会社もやっていますし、人材の会社もやっていて多分これは今後伸びると思います。今でもアルバイト2000人いるんですけど、「ふたご」のアルバイトって優秀じゃないですか。でもこの子たちは毎年200〜300人卒業していくので、この子たちを教育して、行きたい会社に僕らが人材紹介してるんです。飲食以外でも有名企業の人事さんに向けて。うちのアルバイトは時給はそれなりにあって、まかないは無料。なおかつ、就職率100%だと言い切ります。100%の支援をするっていう飲食企業になりたい。アルバイトはサードプレイスで家、学校、アルバイトという中で、そこで働いて、思い出作って、飲食の楽しさも学んで、行きたい会社へ就職する、そうなると繋がっていくじゃないですか。その子たちがいずれ出世したら、「ふたご」も使ってもらえるし、そういう繋がりをずっと持っていきたいです。

 

大山:素晴らしいです!久々もお話聞けて、嬉しかったです。ありがとうございました!

 

編集後記

森川さんは、前職の営業会社時代の現在飲食店をやられている共通の知人に紹介してもらい出会いました。物怖じしない気さくな人柄でおそらく相当な修羅場を潜ってきたんだろう、というのを想像させる人物でしたが、まさかこれほどまでの半生を生きてこられたとは知りませんでした(笑)。ただ根っこにあるのは決して自分の人生を他責にしない芯の強さ、真面目さ、実直さ。その軸に一緒にやってきたふたご2人の「ぶっ飛び」が加わり、今の森川さんはよりパワフルに輝いていました(笑)。今後も日本の外食、ジャパンクオリティを世界に発信するべく猛進していく同社を、ウォッチし続けていきたいと思います。(聞き手:大山 正)

 

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