スペシャル企画

【Next Chapter 経営者たちの未来図】常に一歩先をゆく新業態の仕掛け人、からげバル ハイカラ創業者・店主 大野 太陽氏の今

Next Chapter 経営者たちの未来図。このコーナーでは創刊20年を超えたフードスタジアムの誌面を賑わせてくれた、繁盛店経営者の今にフォーカスを当てて、インタビューしていきます。
第3回目は、23歳で飲食店経営の世界に飛び込み、常に違う業態を生み出し続け、新業態の仕掛け人として第一線を走っていた「からあげバル ハイカラ」創業者の大野 太陽さんです。他業種多店舗展開、会社の解散、単一業態でのチェーン展開挑戦、一軒の居酒屋店主からの再挑戦、そして今新たに仕掛けているプロジェクト、これからのビジョンについて語っていただきました。


久しぶりにお会いしてお話を伺った大野 太陽さん

 

大山:太陽さんが飲食を目指した志したのは何歳ぐらいで、どんなきっかけだったのですか?

太陽さん:18歳浪人生で、バイトをしながら予備校も行っていて、単純に生活費を稼ぐためにやり出したのが有楽町のガード下のドイツ料理屋が一番最初ですね。

本当に生活費を稼ぐためというか、学費も稼がないと大学もいけない状態で、現役の時は国立大学を目指していたんですけども、合格できなかってので浪人してからは科目を絞って私立狙いという感じで。なのでなんでも良かったのですが、たまたま飲食だったという感じですね。

 

大山:大学に入った後も、飲食店のアルバイトは続けていたのですか?

太陽さん:実際、自分が大学に行きたかったのも、経営学を勉強したくて。 何をやるかは決まっていなかったけど、会社をやりたいっていうのも決まっていて。それで大学行くんだったら科目を絞って私立で、いわゆる経営学部・経営学科みたいな経営特化型の学部を狙って一浪して、明治大学の経営学部・経営学科には入れたのですが、実際に入って勉強しだしたら、僕がイメージしていた「実学」にはほど遠い内容で、正直「こんなん別にお金を払って勉強する内容じゃないだろう」と思って。 結局だから1年で辞めて。学費も自分で払わなきゃいけないような環境だったんで、お金を払ってこのレベルだったらだったらまさに実学というか、実際働いてお金もらいながら勉強した方が手っ取り早いなと思って。

それでバイト先のドイツ料理屋さんに行って「僕、大学辞めてきたんで朝から働かせてください」って言って、それが18歳ですね。 だからもういわゆるフリーターとして稼ぎ出したというか、飲食をやりだしたのが、その店で年齢的には18歳です。自分早生まれなんで。

 

大山:18歳で、その選択はすごすぎますね。絶対にできません(笑)。

太陽さん:なので、もし浪人のときに働いていたのが違う場所だったら、多分そうなっていた(飲食はやっていなかった)と思うし。
ただ、そのお店はバイトの僕であっても、いろんな仕事を任せてくれて、前菜とか火を使わないポジションだったんですけど、日替わりメニューを考えてやっていいみたいな。 それでどうせやるんだったら、少なくとも5つは作ってみたい、みたいに思って毎週頭を悩ませて「どういうのがいいか」みたいなのを自分で考えさせられて。 例えば「今週はこの材料があるけど、なんかこれを使って」みたいな感じでお題をもらったりという環境でやらせてもらっていて。そこで18の自分でも実際に料理を作ってこんな反応があった、というリアクションを目の前で見られる環境というのは、めっちゃ面白いなと思ったんですよね。

 

大山:そういった実学できる環境で、飲食業にのめり込んでいくのですね?

太陽さん:そうですね、すでにそんな環境で仕事に対する喜びっていうのも感じがいたので、どうせいろいろやるんだったら、もっと突っ込んでその仕事を知りたいし、多くのボジションもやれるようになりたいしって感じでのめり込んでいきましたね。それでほぼ店長の直属という感じで、割と全部のメニューの管理をやらせてもらったりしていて、そのお店はフリーターとして1年やりましたね。

ただ、まあやっぱりドイツ料理屋なので、料理としては限られていて想像するようなもの、ソーセージとかアイスバインとかしかないので、料理を学ぶという点では幅が広がってこないなっていうのがあって、それくらいからちょっと欲が出てきて、いろんな料理を知りたい、いろんな業種を知りたいというところでそこを辞めて、その後はランチはレストランでやって、夜は居酒屋でバイトして、深夜はバーでお酒を作ってみたいに掛け持ちしていたんですよね。 常に3つ、4つぐらいバイトを掛け持ちして飲食をやっていましたね。 その時、独立は前提としてあって、目標としては20歳までに独立みたいに考えていて。

 

大山:え、20歳で独立の目標!?すごいですね(笑)。

太陽さん:そうなんですよね、自分で決めてて(笑)。 でもやりだしたら独立前にいっちょ噛みでもいいから全業種は抑えたいなというのがあって、少なくとも現場としての視点は欲しいなと思ったんで、1個ずつ働いて業種を潰していた感じですね。

だから昼間にホールスタッフで働いていたとしたら、次の年に弁当屋やファストフードで働いてみたりとか、夜はレストランのドリンクカーをやっていたりとか、フランス料理屋だったりとかいろんな業種を見て。

深夜はホストクラブというかサパーみたいなところで働いたりもしました(笑)。そんな中で、自分の中でもナレッジが溜まっていったんですが、やっぱりどこに行っても「なんかこいつがいなければ、もっと何か楽しくできるのみたいな」人っているじゃないですか。それでみんな不満を抱えながら仕事していて、僕としては「そんなんだったら自分でやればいいのに」って思いながら。

僕はそもそも自分でやるつもりだったので、キーマン的な人に突撃してかわいがってもらって、仕事をもらってというのが得意で。なので割とどこに行っても特別な扱いをしてもらって。 その代わりもちろん責任は押し付けられるし、なんかあったら自分のせいみたいな感じではあったけれど、それは望んだことでもあったので。なので、現場で多分20〜30ぐらいの業種は少なくとも経験した感じですね。

 

大山:そんな人、聞いたことないですね、すごい(笑)。それでいつくらい、どのようなきっかけで独立するのですか?

太陽さん:小学校の同級生が弁当屋を借りてパスタのデリバリーの事業を始めたんですよ。それで話が地元の仲間の中で巡り巡って「あいつ(太陽さん)が今、飲食で頑張ってるらしい」みたいな話になってて、そいつから声がかかって「今、1人で立ち上げたんだけど、手が回らなくて」てことでジョインをして、しかもそいつは本当にずぶの飲食素人で、なぜそんなコンテンツをやろうと思ったかすら謎だったんですが(笑)、とにかくめちゃくちゃだから全部整備するねって感じで、何か月かやったら「ちょっともう俺、無理だから任せるわ」ってなって、そいつは別に会社を作って、そのままその会社をもらって。それが1999年ですね。

 

大山:えー!そんなことあります(笑)!?

太陽さん:そんな感じで独立したって感じですね。 それが23歳のときで、神宮前2丁目というところで今で言うと、裏原宿の奥の「北原宿」とか言われるエリアのさらに奥みたいなところの弁当屋を居抜きで入って、昼間は弁当を売って、同じキッチンでパスタのデリバリー事業をやってという感じで、実際そこが独立した1店舗目です。

その時って、パスタを宅配する店はなくて、だから日本初だったんですよね。 だから最初3カ月ぐらいは全く電話が鳴らないっていうレベルだったんですけど、折り込み広告のチラシを変えたり工夫していたら、半年ぐらいですごいブレークして。

 

大山:そうなんですね。デリバリーの立地としてもいいですもんね。

太陽さん:そうなんですよ、立地がめちゃくちゃいい。 渋谷区、港区、をエリアとして抑えていたので。だからペペロンチーノが1,800円とかでも、文字通り飛ぶように売れたんですよね。ペスカトーレみたいな魚介が入ってると3,500円とかでも。1オーダー平均4,000-5,000円くらいは、いってましたね。だから芸能人のお客さんとかもめっちゃいたし、そこで足場を作っていった感じですね。ホールのあるようなレストランとかより圧倒的にお金がかからないから、リスクが少ないので新規事業としてはありだな思って、その後デリバリーのお店を2軒作りましたね。エリアをちょっとずつずらして、同じ業態で。

代官山のお店はスナックの居抜きみたいなところを借り上げて厨房設備をちょっといじって100万くらいでスタートアップして、どこも月商で600〜800万円くらいは売れていて。

 

大山:それはすごいですね!利益もしっかり出ますよね。

太陽さん:どこも基本3人とかでやっていて、とにかく家賃や安いので毎月200〜300万円くらい利益が出ていましたね。自分たちでデリバリーするんですが、仲間もまだ大学生とかで時間を持て余していたりするから求人広告費もいらないし「事業を立ち上げたら手伝って」みたいな感じで、結構想いを共有できるちゃんとした仲間達が集まってきてくれて。それでとんとん拍子で資金を作っていけたんですよね。

それでそのあと2002年くらいに同じく裏原宿にカフェを出したのが、飲食店としての1軒目です。 「ドウプカフェ」と言うカフェだったんですけどね、その時はカフェブームだったんですね。 その辺のナレッジもあったので、イタリアンとかパスタに特化したカフェだったんですけど、それも裏原の2階だったんですけど、そこそこ当たって。

 

大山:そこから店舗出店を加速していくのですね。

太陽さん:そうですね、毎年1軒ずつくらいは店を出していこうって仲間達と言っていて、実際に出して。それでどうせやるなら全部違う業態をやろうと決めて。

その頃、フースタさんにも他の業界メディアにも「太陽君、5年早いんだね」みたいに言われていましたね(笑)。

2003年ぐらいに西麻布にガストロパブを出すんです。パブってもともとお酒飲飲むところでご飯が美味しくないっていうので、その時ロンドンで料理はビストロのクオリティで、パブ的な要素もあってドリンクもあるみたい「ガストロパブ」と言うのが流行っていて、これを日本でやったらおもしろいんじゃないかと思って、西麻布の交差点の近くで出して。その時からクラフトビールを出していたんですよ。イタリアに直接問い合わせして直輸入で提供していましたね。 それが24、25歳ぐらいですね。とにかく同じことやってても面白くない、まだ日本にない、新しい業態を作りたいみたいな気持ちが強かったですね。

 

大山:1歩先じゃなくて5歩先なんですね(笑)。他にはどんなお店をやられたのですか?

太陽さん:新橋に「パスタバール タスパ」っていう、米粉の生麺を使ったメイドインジャパンのパスタチェーンを作りたいと思ってやりましたね。外来のものではなくて、その頃「フード・アクション・ニッポン」みたいな取り組みが始まって、日本のものを積極的に使っていこうみたいな動きがあって、それもあったんでパスタ屋さんと一緒に米粉のパスタを開発して出店したのですが、そこもそこそこ当たって。パスタバールも2軒くらい作りましたね、目黒にも。

 

大山:次々に当てるんですね。すごい。

太陽さん:そのあと、西新宿7丁目の小滝橋通り界隈で家賃高いんですけど、からあげバル ハイカラのプロトタイプのような立ち飲み屋っぽいお店を作りましたね。

群雄割拠する“唐揚げ市場”にニューフェイスが参入!ハイボールと唐揚げの組み合わせを提案するバル業態「からあげバル ハイカラ 新宿店」が8月23日オープン(2010.09.15)

 

その後も店舗出店は続く

目指すは“日常使いのできる大人のためのファミレス!?” ステーキ&イタリアンを軸にしたフィレンツェスタイルの食堂「VACCA VINO(バッカビーノ)」が2月9日、西麻布にオープン!(2011.03.10)

 

その頃に結構いろんな業態をやりましたね。テックスメックスが流行り始めたことにハンバーガーに特化したお店を作ったり。デリバリーはナレッジがあったので宅配をやりつつ、カフェをやるみたいな感じの。

韓国料理屋もやりました。ドラム缶のテーブルで、みたいなお店でそれも多分日本で僕が一番最初にやったと思うんですけど、ドラム缶みたいなテーブルで焼くサムギョプサルの専門店をやったり、あとは目黒にラム酒の専門のバーを作ったりとか。

業態として何かに特化した、少なくとも調べた限り、今のところ日本にないみたいなものを常にやる、ネタを探しながら「今の日本の最新の店ではこうだ」みたいなことをやっていましたね。

 

大山:そんな中で大変な時期、苦労したことはどんなところでしたか?

太陽さん:結果的に全部で14軒ほどお店を出しているんですけれども、業種もバラバラだし、メニューも違う、営業時間が違う。まとまって会議するような時間も取れなかったし、違うことばっかりだったんですよね。結局、それだと仲間同士でもフォローし合えないですよね。現場によって違いすぎるので。そんな中で、最初は仲間の延長線上のチームみたいな感じでやってたんですけど、当然外部からも採用していく中で、なかなか統率が取れなくなっていくんですよね。 それで、結果から言うと会社をたたむんですよね。

チャーンストア理論は学んではいたんですけど、その全く真逆なことをやっていて。そういった反省もあって店舗展開というのは、僕のやりたいことと全然違うんだなと思って。

 

大山:そうでしたよね、大変な時期がありましたよね。

太陽さん:はい、それでお店を整理して、地元 新小岩の「からあげバル ハイカラ」だけ1軒残して個人事業主として再スタート、仕切り直した感じですね。とにかくいろんなことをやり過ぎたんで、1軒の居酒屋の店主じゃないけど、そこからまた始めようと。それが10年前ぐらいです。 2015年です。

 

大山:蒲田でもお店をやられていましたが、この時はもう個人でしたか?

大野太陽氏が仕掛ける新たなムーブメント。大衆ガストロノミーなフレンチレストラン「Les Petits Plats(レ・プチ・プラット)」が蒲田に3月28日オープン(2016.0422)

 

太陽さん:そうですね、個人になってからですね。 そこはたまたま物件的な縁があってコンサルで入ったんですけど、丸投げしたいみたいな話になってきて、そういうことならって言っていつも悪い癖じゃないですけど(苦笑)、お話を受けることにして。僕はフレンチをもっと大衆にしたいと思って。

 

大山:このお店、かっこよかったですよね。

太陽さん:そこを3年ぐらいやったんですけど、シェフが病気で亡くなってしまったんですよね。フレンチってシェフありきじゃないですか。営業できなくなってしまって。2年間赤字垂れ流しの業態だったんですが、3年目にガンと上がって黒字化して。そんなタイミングだったんですけどね。コツコツ積み重ねたお客さんがいたので、最終的にはペアリング付きでおまかせコース7,000円といったお店になったんです。クラフトジンも取り入れたりしていて、それもかなり早めだったんじゃないかと思うんですけどね。日本酒やクラフト人のようなワインじゃない飲み物で、マリアージュさせるみたいみたいなコンセプトと味がウケてやっと利益が出てきたといったところだったんですけどね。最終的にそこは、近隣の仲良くしていた方の譲ったんです。

 

大山:そうだったんですね。知りませんでした。それからはハイカラ一本でってことですね。

太陽さん:そうですね。それでからあげ屋の店主として粛々とやっていたら、次はコロナですよ。それで「これはもう居酒屋が終わる」 みたいになってきたので、なんか動かないとって思って。もともとからあげグランプリの金賞も取っていたりしたので、これもまた僕の中で一貫してるんですけど、メイドインジャパンのファストフードチェーンが作りたいなと思って。

「コロナ禍で居酒屋は減っていくのでは?」じゃあ何なんだって言ったら、ファストフードでしっかり国産、メイドインジャパンをアピールできるような業態ということで、からあげをフライドチキンに転化して「ハイカラフライドチキン」と言うブランドを作ってチェーン展開させていこうと考えてやったんですよね。

 

大山:秋葉原でやられていましたね。

太陽さん:そうですね、その場所も縁があってコンサルで入って、前身のから揚げのメニューとかを作ったんですけど、物件の面倒も見てくれないかという話になったので「僕、ちょうど日本から発信したいブランドを考えているんですよね」といった感じでスタートしたんです。コロナ禍は鳴かず飛ばずな感じだったんですけど、コロナが落ち着いてインバウンドが来て、結局はお客さんの95%くらいが外国人だったんですよね。外国人にはウケたんですけどね。肝心な日本人にはさっぱりで。日本人って超保守的なんだなと思ったんですけど、そういう見たことないブランドに対して手を出さないんですよね。

 

大山:そうだったのですね。そちらのブランドは、群馬でもやられていましたよね?

太陽さん:そう、それで都市部ではなくて、群馬県高崎の駅前の商業施設に誘致を受けて、そこだったら逆に日本人しかいないので、顧客層もz世代といった感じで、ここで刺させたら、ブランドとしては勝てるなと思ったんですよね。

事業再構築補助金を活用してセントラルキッチンも作ったので店舗を増やしたかったのと中距離エリアの店舗の遠隔操作を試したかったので、無理くりに出店したんですけど、大コケして(苦笑)!

 

大山:そうなんですか!高崎も良くなかったんですね。

太陽さん:僕的にはケンタッキーさんに当てるようなフライドチキンの業態として作ったのですが、当時鳥貴族さんなどがチキンバーガーやったじゃないですか。結果としてそういった業態と扱われ方も一緒だったし、結局自分の構想が刺さらなかったっていうので「やっぱちょっと早すぎたんだな」と。うちの規模では無理なんだなぁと言うことでそれもたたんで(苦笑)。

他業態チェーンも失敗して、それで単一ブランドを作ったんですけど、当たらなかったと。でも気付いたら、もうなんか飲食人生20年近くなってるわけですよ。僕なりに壁にぶつかったんですね。 そもそも飲食に向いてないんじゃないかって。

 

大山:飲食人生20年ですものね。いろいろありすぎですね。

太陽さん:僕、本当に考える前に先に行動するタイプで、そこ評価してくれる人もいれば、「ちょっと考えが甘いんだよ」って言う人もいて。行動力だけが僕の唯一の武器なんで。そんな時に今取り組んでいることに出会うんです。

 

大山:それがクラフトビールのプロジェクトですね。

太陽さん:そうです。今回のGood Beer & Friendsは、みんなそれぞれ別に本業があってで、ビール好きが集まって「(業界を)こんなふうにできないかな?」とかを定期的にZoomで集まって半年ぐらいミーティングしていたりしてたんですよね。今年の3月くらいに立ち上げたばかりの新しいプロジェクトです。

そうこうしていると、結構いろんな有識者が集まってきてで、議論もまとまってきて「こうすればこう動くんじゃね?」となっていって。国内のクラフトビール業界って、調べれば調べるほど、手付かずの市場だということがわかってきて、自分としては飲食店で培ったのナレッジを使って、できることがあるのではないかというのが明確に見えてきて。 それで今事業責任者としてやっています。

自分の経験を使って、これまで一貫してきた日本のモノを最終的には世界に発信したいと思っています。新しいことでみんなを驚かせたいというのは18の頃からずっとあって。

 

大山:今回のGood Beer & Friendsのコンセプトと目的、こんなことしようと思っているというのを教えてください。

太陽さん:国内のクラフトビールの市場って点と点でしかないマーケットなんですね。 C to Cに近い感じですね。 ブリュワーさんがビールを作って、そこに来てくれたお客様に対して併設店で「ここでしか飲めません」というブリューパブか、あとはECサイトにとりあえず載せてそこにたどり着いたお客様が購入するというパターン。 本当に文字通り点と点のビジネス感というか。 なので、マーケット的にもビール市場は99%が大手4大ビールメーカーさんで、クラフトビールは残り1%しかないようなマーケットなんですよね。その点と点をまずは線にする。そして面にして新たな市場を作っていこうというのが、そもそもの狙いですね。

 

大山:なるほどですね。壮大な話ですね。

太陽さん:ワインには例えばインポーターがいて、作り手の想いを伝える人がいるんですけど、クラフトビール業界には全くいないですよね。団体もバラバラに存在していたりして。そんな市場に驚愕してですね。

例えばブリューパブを作りたいと思っても、結局個人で業者に注文して手作りするみたいな現状になっていてそう言ったところをもっとシステム化できるのではないかと思っています。手助けではないですが。

我々自らブリューパブを作る予定もあります。ブリュワーさんを繋ぐコミュニティを作ります。飲食店のクラフトビールのコミュニティも作ります。双方をしっかり繋いで物流を整えていきます。物流に関しては最初は酒屋さんと競業をすることになると思うんですけど、そこをしっかり構築できれば違うところにマーケットを作れるんじゃないですかと思っています。

それと同時に、ブリュワーさんも思ってるんですけど、やっぱり海外に売っていきたいんですよね。日本ジャパニーズクラフトビールって東南アジアとかでウケているんですよ。ストーリーとしても安心感があるというか。だけど、どうやってアプローチしていいかわからないというブリュワーさんに変わって、そのまずは国内で実績を作って、海外に持っていくというところをやっていきたいんです。そんな話をブリュワーさんに話と「僕らがやりたかったことを代わりにやってくれてありがとう」みたいな感じで言ってくれていて。 今とってもいい関係になっています。

毎週月曜日、恵比寿のCAFE’S LIFE TOKYOにて試飲会を開催

日本各地で作られている多種多様なクラフトビールの試飲が可能

 

大山:飲食店さんには、どういう提案をしているのですか?

太陽さん:うちがワンストップで、クラフトビールを提供できる環境づくりをやっています。サーバーを置く場所があれば「このサーバーを置きましょう」、サーバを置く場所がなければ、既存の冷蔵庫を改造して提供できる環境を作ります。

ドラフトビールはハードルが高いなって言うんだったら、瓶ビールや缶ビールのoemをオリジナルで作りますというところからサポートしています。お店オリジナルのビールを作れまうという感じですね。どういったブリュワーさんが向いているなどもセレクションして提案させてもらいます。

そういった感じで、クラフトビールの導入にまつわる全てをワンストップでやるのでこれまでのお酒屋さんやブリュワーさんがやっていなかったことなので、特異性があるのではないかと思います。

 

大山:オリジナルビールいいですね!最小のロット数はどれくらいですか?

太陽さん:現時点で一番ミニマムだと、ビン缶で200本からいけます。

 

大山:そうなんですね!それくらいだったら単店のフェアや何店舗か集めて一緒に作るとかできそうですね!

太陽さん:味を自由に一から作るフルオーダーというのがあるのですが、それだと大体一本550円くらいでどこのブリュワーさんも作れるという感じですね。コストをもう少し抑えたい場合はセミオーダーというのがあって、ブリュワーさんの既存のビールにアレンジを加えて、例えば辛いビールを作りたいという場合に唐辛子を入れてちょっと辛くするとかといった方法だともっとコストは下がりますし、あとは量が増えればもっと下げることも可能です。

 

大山:めちゃめちゃこだわらなければ、セミオーダーでも充分いいものが作れそうですね!生ビールも規格としては同じですよね?

太陽さん:そうですね。 ミニマムで言うと生樽15リットルを10本からって感じですね。それで価格は1リットル1,000円くらいですかね。グラス一杯400ccだとすると400円くらいから自社のオリジナルの生ビールが作れるって感じなので、意外に安いじゃないですか?あとはお店に、どこまでのストーリーを作りたいのかというところですよね。なのでお店の選択肢としてはありですよね。

 

大山:いいですね。今、全国で繋がっているブリュワーさんは、何ヶ所ほどあるのですか?

太陽さん:今、150ブリュワーを超えてきた感じですかね。 なのでビールの選択肢としては現時点で無限にあるんですよね。今は数を増やすと言うより、増やしすぎると僕らが味を説明できなくなってしまうので、ワインのインポーターさんのように作り手さんの想いをしっかり伝えていくと言うことが僕らとしては重要だと思っています。それが結果的に飲食店さんにとって、飲みにきてくれるお客さんに価値を伝える接客に繋がると思っているので。

 

大山:確かに。ビールって、なかなか作り手の想いを感じながら味わったことってないですもんね。

太陽さん:そうなんです。ブリュワーさんも飲食店さんやお客さんと話したがってる人も結構多いし、なんか面白いことをやりたいって人がめっちゃ多いんですよ。 彼らは基本アーティストなので。そのアーティストたちを我々はビジネス面としてサポートしていきたいなと思っています。

今、ブリュワー同士のコミュニティーを作り出していて、彼らが情報共有だったり、ナレッジを高められるようなものもやっていきます。今までそういう場所もなかったから欲しかったと言うことで。

あとはプロジェクトの仲間にカフェの学校をやっているメンバーがいるので、そこでクラフトビールの学校も始めようと思っています。来年の4月からスタートできると思います。1年間でビール造りも体験できて座学もしっかり勉強して、正しい知識を持ってビール業界に携わっていく人材の教育といったところもやっていきます。

 

大山:素晴らしいですね。最後に今でも居酒屋の店主ではありますが、店舗展開をしてきた飲食店経営者の側面と、今新たなフィールドで活躍されているご自身をつなげて今後どういうことをしていきたいかお聞かせください。

太陽さん:今までを振り返ってみて、自分の中での理念というのは一貫してて、やっぱり日本人と生まれて日本で育ったので、日本のモノって素晴らしいと思っていて、それをちょっと見た目を変えて、知られてない人に伝えるというところが、僕の根っこになっているんですよね。だからコンテンツは逆に何でもよくて、これまでは飲食店を通して提案してきましたが、今クラフトビールや日本酒なんかもやっているのですが、ここにたどり着いたのでそれを外へ、海外に出して「日本人って、すげえだろ」と世界の人に感じてもらうようなことをしていきたいですね。

 

大山:確かにいろいろやられてきた人生のようですが、根幹は一貫してますね。ズバリ今、楽しいですか?

太陽さん:今はいわゆるゴリゴリの飲食店経営者という枠からは外れていて、自由な立ち位置なので、全く違う業種を今やっていて超楽しいです。今まで飲食店の経営に縛られすぎていたところがあって振り返ってみると、面白い話はいっぱいあったと思うんですけど、どうしても軸足が飲食店経営にあって縛られていたところがあったので、最近は「もっと自由に動いていいんだな」って思っています。なので、自分の体が動く限りリソースを避いていろんなことに挑戦していきたいと思っています。

 

大山:太陽さん、第二章のスタートといった感じですね!

太陽さん:いや、第三章ですね(笑)。自分、刺激中毒なので(笑)。まだまだやりますよ!

 

大山:ロックですね(笑)!今後も応援しています。ありがとうございました!

 

編集後記

今回のプロジェクトスタートに当たって、久しぶりに太陽さんから連絡をいただきました。いつも夜の席でお会いする機会が多かった太陽さんはいつもニコニコ笑顔で明るい姿でしたが、こんなにも経験豊富で、苦労人であるとは私は今回の取材で初めて知りました。一貫して変わらず「日本のよいモノ」を自分から外に表現し、さらにそれを海外に出していきたいという強い想いに突き動かされた太陽さんのこれまでのお話を聞いて、これからの取り組みについてもさらに応援させていただきたいと思っています。(聞き手:大山 正)

 

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