スペシャル企画

フースタM&A×インクグロウ特別連載【vol.4】【特別対談】ホット ランド買収のい志井グループ会長・石井宏治氏。創業秘話や買収劇 の裏話に迫る

2月18日(金)、飲食コンサル会社スリーウェルマネジメントによる「アフターコロナに向けた事業承継&成長戦略セミナー」が開催される。昨年12月、「築地銀だこ」を運営するホットランド(東京都中央区、代表取締役:佐瀬守男氏)に事業を承継したことが話題となったい志井グループ会長の石井宏治氏がゲストとして登壇。その買収劇の詳細について石井氏の口から語られる貴重なセミナーだ。今回は、セミナーに先駆けてこのM&Aを担当したインクグロウ事業戦略部部長の中原 陸氏と石井氏の特別対談を実施。創業秘話やM&Aの裏話を紹介する。


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(写真左からい志井グループ会長の石井宏治氏、インクグロウ事業戦略部部長の中原 陸氏)

原点は、戦後に始まった父のもつ焼き。反目の先に、ブランドの在り方を吸収する

中原 陸氏(以下、中原氏):まずは創業秘話から伺いたいと思います。今でこそ「もつやき処い志井」や「日本再生酒場」などの数々のヒットブランドを擁し、直営11店舗、FC加盟店は100店舗を超える一大グループとなったい志井グループですが、創業は戦後間もない頃でしたね?

石井宏治氏(以下、石井氏):はい、1950年に父が中野で「もつやき処い志い」という屋号で始めたのが最初です。その頃は知人の家の塀に折り畳み式のカウンターと屋根を取り付け、テントや屋台のようにしてやっていて、立ち飲み。4人も入ればいっぱいになっていたそうです。その後、同じ中野で8坪の店舗を購入して移転するも、父が胃潰瘍で手術を受けることになり、売却。その後は、練馬で洋服店をやったり、府中で不動産業をやったりと、住居と仕事を流転しながら暮らしていました。特に母は商売の才覚があったようで、調布に不動産屋を構えることになります。一方で融通の利かない父は母のように不動産屋が向いていなかったようです。結局、「もう一度、自分の商売であるもつ焼き屋をやりたい」と、母に頼み込んで不動産屋として使っていた店舗を改装し、「もつやき処い志井」を開業。新鮮な肉、丁寧な仕込み、高い焼きの技術を詰め込んだ父のもつ焼きは瞬く間に人気を呼び、開店と同時に満席になるほどの繁盛店になりました。

中原氏:ご両親ともすごいバイタリティですね。そして、石井会長はすぐに跡を継ぐ準備を始めていたのですか?

石井氏:いいえ、実はまったくそのつもりがなくて(笑)小学生の頃から水泳をやっていたため、大学を出てからはスポーツ用品を扱う会社の営業を経て、知人とともに横浜のスイミングクラブの立ち上げをしていました。結局、途中で両親に呼び戻されて店に立つのですが、当時の私は「実家を継ぐなんて、カッコ悪い」という気持ちから「父のやり方は古い」と毎日ぶつかっていました。で、それを見ていた母に「自分でやってみないと辛さはわからない」と、言われ、「やきとり&ウイスキーい志井」という店を始めたんです。ここでも負けん気が出て、「のれん出すのは古い」と、のれんを出さずに店を開けたのですが、始めてみると閑古鳥。挙句、営業中に父が「肉が足りなくなった」とウチで余った肉を持って行くんです。で、自分の店できれいに売っちゃう。

中原氏:それは悔しいですね。

石井氏:3ヶ月ほど経って母に相談したらものすごく怒られて、「お父さんに頭を下げて、のれんをもらいなさい」と、父のもとに連れていかれました。で、言われた通りに頭を下げてお願いすると、「やきとり処い志井」と書かれたのれんが出来上がっているわけですよ。こうなることが両親にはお見通しだったんですね。のれんを下げたら半月かからずに満席に。「ここはい志井だったのか」「だったら安心して入れる」と、お客さまは口々に言う。月商100万円だった17坪の小さな店は、月商800万円の繁盛店に。ここでようやく、父のやり方は古いものではなかった。築かれたブランドの力というのは、本当に大きなものだったと気づかされました。

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