
株式会社鶏ヤロー 代表取締役社長 和田成司氏:1982年生まれ。千葉県出身。高校生の時に焼肉店でアルバイトをしたことをきっかけに飲食業に進む。調理師専門学校を卒業後、就職した焼肉店で店長、マネージャーを経験。2009年に27歳で独立開業し、2014年に「鶏ヤロー」の原型となる格安居酒屋を出店。
学生が多くて家賃が安い。この出店戦略から快進撃がスタート!
Q:今回、インタビューをさせていただくに当たり、御社のホームページに掲載されている和田社長の自伝とも言える文章を読みました。かなりの長文ですが、和田社長の飲食人としての歩みや心情が詳しく書かれていて、とても興味深い内容でした。その中でも特に印象に残ったのが、和田社長が高校生の3年間、焼肉店でアルバイトをした話。この焼肉店の店長との出会いが、外食の道に進むきっかけになったのですね。
自分が育った家庭環境はあまりよくありませんでした。母親と父親は喧嘩ばかりしていました。そうした中で、親と学校の先生以外で初めて出会った大人が、高校生の時に友人と一緒にアルバイトをした焼肉店の店長でした。店長は金髪でロン毛。カオスな人でしたが、僕たちをとても可愛がってくれました。とにかく店長は自由な感じで、楽しく働いていたんです。「将来は店長みたいな自由でカッコイイ大人になろう」と思いました。
Q: 27歳の時に独立していますが、「鶏ヤロー」がヒットするまでには紆余曲折があったのですね。開業した焼肉店が鳴かず飛ばずで、さらにはサーモン料理に特化した自己満足の業態を出店して失敗した…と自伝にありましたが、その経験から得た教訓はありますか。
立
地と業態で8割がた勝負が決まるということです。立地と業態がかみ合っていない店を成功させるのは至難の技です。当然のことと言えばそうですが、当時の外食業界は斬新な業態を次々と開発している会社が注目されていました。自分にも同じようなことができると勘違いしていたのです。
Q:債務整理を考えるほど窮地の中、2014年に背水の陣で始めたのが客単価2000円の「鶏ヤロー」とのことですが、格安居酒屋にしたのはどんな理由からだったのですか。
「鶏ヤロー」を始めたのは、取引先の肉屋の社長さんから「埼玉県の松原団地駅(現:獨協大学前駅)で居酒屋を始めたが上手くいかない。やってみないか?」と声を掛けてもらったのがきっかけです。これがラストチャンスだと思って、二つ返事で「やらせてください!」と答えました。その時に考えたのは、とにかく店内を満席にしたいということ。それまでがヒマな店ばかりだったので、店内を満席にするために客単価2000円の店を作りました。ドリンクの価格がハイボール50円、サワー、カクテル、焼酎99円、生ビール299円の店です。すると、2月のオープン初日は雪だったにもかかわらず、オープン前から20人くらいの行列ができて、約40席の店内がすぐに満席になりました。自分は嬉しくて泣きながらチャーハンの鍋を振りました。

Q:低価格路線に着手することに不安はなかったですか。
先輩の経営者からも低価格路線と食べ放題には手を出してはいけないと言われていましたが、実際にやった自分からすると、「それって嘘じゃん」という感じです(笑)。上手く行ったから、そう言えるのかもしれませんが、考えてみれば大きくなっているチェーンは低価格路線が多い。
Q:確かにその通りです。ただ、低価格路線を打ち出したからといって必ずしも成功するとは限りません。「鶏ヤロー」が1号店だけでなく2号店、3号店…もヒットさせて、店舗展開できたのはなぜですか。
理由の一つは、学生が多い地域に出店したことです。松原団地駅の1号店は獨協大学があって学生が多かったことから、低価格路線の「鶏ヤロー」は繁盛しました。立地と業態がかみ合ったのです。そこで、2号店以降も学生が多く、なおかつ家賃が安いローカルな駅に出店しました。例えば、文教大学がある北越谷駅などです。北越谷駅の店舗の家賃は坪1万円です。そうして10店舗以上に成長して資金的に余裕ができてから、渋谷、新宿、池袋といったターミナル駅に出店しました。ターミナル駅の店舗は家賃が高くなりますが、学生に限らず、安く楽しめる居酒屋を求めている20代の若者がたくさんいます。ターミナル駅は比較的、大きめの店舗でZ世代をターゲットにし、それが成功してさらに店舗を増やすことができました。
Q:中でも業績が良い店舗の売上や営業利益はどれくらいですか。
渋谷道玄坂店は約70坪で月に2600万円を売ります。家賃が120万円で、毎月700万円くらいの利益が残ります。

売上絶好調の渋谷道玄坂店



















