危険な街をヒップにしたのは、徹頭徹尾“地元志向”の店
1990年代、地価高騰がとまらないマンハッタンから、気鋭のアーティストや若い職人たちは、ブルックリンへと創造の拠点を移してきた。なかでもブルックリンの北西に位置するウィリアムズバーグ地区は、今では観光客も多く訪れ、個性豊かな飲食店が軒を並べる観光地としても人気のエリアだ。
1998年、若いアーティストや職人たちが移ってくる前、危険な街だったブルックリンのウィリアムズバーグ地区に小さな食堂「Diner」がひっそりと誕生した。この店を開いたのはアンドリュー・ターロウという人物。食材を州内の生産者から、スタッフを店の近くに住む若者から採用。その日にとれた食材で、メニューを作る。常連客は、今日は何が食べられるのかを楽しみに来店する。生産者、店、客、3者の間にハッピーな関係をつくることを目的とした店。そのために彼がしたことといえば、地元の“人”と“食”と深く付き合うことだった。そうすることで、いつしかブルックリン的なイートグッドカルチャーの形成に大きな影響を及ぼすようになっていった。彼はその後、カフェ&レストラン「MARLOW & SONS」、食料品店「MARLOW & DAUGHTERS」、ベーカリー「SHE WOLF BAKERY」、デザインホテル「WYTHE HOTEL」のメインダイニング「REYNARD」など矢継ぎ早に出店。いずれもこの街を代表する店となり、彼は世界から注目を集める存在となった。
「地元にあるもので、しかも、かっこよくやる」
レストランにも、ホテルにも、グローサリーにも、彼がつくるすべての店に貫かれているのは、肩の力の抜けたそんな自然体の哲学だ。
「かっこよくやる」こと。それはまさにクリエイター、創造の領域だ。店舗デザイン、料理、スタッフ、食器、カトラリーの一つひとつにまで、彼の表現がいきている。ひとつの店を作り上げようとすれば、細部にまでこだわるのは誰もがすることだが、彼の場合は、徹底した“地元志向”なのだ。それが、店の根、深みを感じさせる空気感を生み出す。そこにしかない、と思わせるオリジナル感。地元の人は、地元を誇るように、観光客はここにしかない土産話に、ついつい訪れたくなる。高いクリエイティブ性と地元に深く根を張ること。それは、店が街に愛される理由になり、やがて街を変える存在となる。そんな飲食店の可能性を見せてくれるのが、アンドリュー・ターロウの店なのだ。
以下、今回のツアーで巡ったターロウ氏の店を3つ簡単に紹介したい。
<DINER>
1998年、ブルックリン・ウィリアムズバーグ地区の一画にオープンした彼の一号店。ブルックリンの食を変えるきっかけとなった店だ。近郊の生産者から食材を仕入れ、地元の若者をスタッフに採用。グラスフェドの牛肉で作ったハンバーガー($16)、近郊でとれたムール貝のワイン蒸し($15)など、この地で昔から食べられているなじみ深い食事が楽しめる。「本日のおすすめ」は、スタッフが紙のテーブルクロスに書き込みながら説明してくれる。
<MARLOW & SONS>
DINERの隣りにあるカフェ&レストラン。こちらもその日に入った地元産の食材をシンプルに調理して提供する。奥がレストランスペースになっており、テーブルとバーカウンターがあり、手前はカフェスペースで、テーブル席と店前にはテラス席が設けられている。マグカップやTシャツ、バッグなどオリジナルグッズを販売する物販スペースも。
<MARLOW & DAUTERS>
MARLOW & SONSから1ブロック先にオープンした食料品店。MARLOW & SONSやDINERで使われている食材をここで購入することができる。店内で、豚を一匹まるごと解体するなど、地元産食材のプレゼンテーションは、都会で育つ子どもたちへの食育機能も担っている。
広がる“ヒップ”な食の街
いつからか、ブルックリンの街には“地元”を価値とするような飲食店が増えだした。
「このワインは全部NY産のぶどうと水から作ってるんだ」
「うちで使っている食材は、ぜんぶNY産よ」
「うちは10年ずっとこの土地でやっているよ」
そんな街の人々の意識を形成してきたことは、アンドリューの最も大きな功績の一つといえるだろう。
最近はウィリアムズバーグ地区を中心に地価が高騰して、マンハッタンよりも高値がつくところもあるそうだ。そこで、近年の新たなブルックリンカルチャーは地理的な広がりをみせるようになった。
例えば、レッドフック地区。ブルックリンの南西にある港町で、ここには積み荷を保管するために使われていた広大な倉庫が多く残っている。それらを改装してつくった「飲食スペース併設のファクトリー」は、マンハッタンに住む人たちも、わざわざこのエリアに訪れる大きな理由になっているそうだ。ブルックリンの中心部より、さらに職人度が高く、扱う原材料をすべてNY産にこだわる店がほとんどだ。州北部アップステートから直送されるブドウ、NY市の水で醸造するワイナリー「REDHOOK WINERY」、ニューヨーカーに人気のクラフトビールのブルワリー「SIX POINT BREWERY」などの個性豊かでダイナミックなファクトリーが増えはじめている。
なかでも印象的だったのは「CACAO PRIETO」。ここは、チョコレートファクトリー兼ウィスキー醸造所だ。店前にはこれから醸造するため、アップステートから届いたばかりのトウモロコシが、道ばたに粒をこぼしながら無造作に置かれている。店内の立派な醸造設備が設置された部屋を抜けると、鶏や孔雀が歩き回る中庭が。アップステートにある湖の水と、コーンで醸造するウィスキーはかなりのクオリティだ。ほかにもカカオ豆をひたしてフレイバーを加えたウィスキーの製造など、実験的でユニークな商品・店作りはまさにオンリーワン。小規模、手作り、地元産を貫き通したイートグッドファクトリーだ。こうしたこの街の“イートグッド”を支える都市農業の存在も忘れてはならない。NYと聞くと、「大都会!」というイメージが真っ先にくるが、実は、州全体をみると、米国内でもトップ5に入るほどの農産物の一大生産地なのだ。地下鉄が通っている都市圏より北部を「アップステート」と呼び、昔から酪農、畜産、農業が盛んに営まれている。大都会のイートグッドの背景には、肥沃な大地と勤労な生産者に支えられた都市農業の存在があり、そして、人々がそれらをリスペクトする気持ちをしっかり持っているという成熟した環境がある。
自分たちが住む街をありのままに受け止め、磨き続ける。その不断の努力と新しいことに踏み出す勇気、創造性、そして、そこにはその場所に対する深い愛情がある。ここ、ブルックリンでは小さな一軒の食堂が、最初の一歩を踏み出した。地元を誇りに思い、よりよくしようという意識を人々に芽生えさせ、大きなムーブメントへと続くその一歩は、いま、どの街にも必要な一歩ではないだろうか。
次回は、マンハッタン編。“ファームトゥテーブル”の変遷、今流行中の“スピークイージー”の店、都会のど真ん中に出現した“フードマーケット”の役割など、バブルに沸くマンハッタンの飲食シーン最前線をお届けする。