異次元の急成長
クリエイト・レストランツ(本社ビル:東京都品川区東五反田)は、M&A戦略を中核にして「マルチブランド・マルチロケーション戦略」を推進、既存の外食企業には真似のできない〝異次元の高成長〟を続けている。M&A 案件に恵まれれば1000億円企業への仲間入りを、前倒しで実現しそうである。
社長の岡本晴彦は、「M&A戦略も用いてあと20社くらい事業会社を増やし、ゆくゆくは30社の経営者たちが切磋琢磨して成長してゆく〝グループ連邦経営〟を目標にする」という。岡本がこれを実現させれば、日本の外食産業界では初めてのビジネスモデルを築き上げることになるだろう。
岡本は14年4月に中期経営計画「グループ連邦経営」の推進に向けて――を発表した。それによれば「グループ連邦経営」とは、次のようなことだ。
「持株会社である当社が経営資源や情報、本社機能等のプラットフォームを提供し(求心力)、各グループ事業会社がそのプラットフォームを活用しつつ、独自の戦略により成長を図ること(遠心力)で、当社グループ全体の企業価値向上を目指す」。
具体的には、「①国内グループ事業会社がそれぞれ成長戦略を明確化し、着実に実行することによる成長機会の最大化及び持続的な成長、②良質なM&Aの実施による、継続的且つ複数の成長ブランドの獲得及び当社グループへの連結貢献、③拠点マネジメントの高度化による、ASEAN圏、中華圏、北米圏へのグローバル展開を促進」する。
岡本は3ヵ年中期業績計画(15年2月期~17年2月期)を次のように設定した。
①15年2月期:〈売上高670億円(前年比127・6%)、経常利益48億円(126・4%、期末店舗数595〉
②16年2月期:〈売上高740億円(同110・4%)、経常利益54億円(同112・5%)、期末店舗数660〉
③17年2月期:〈売上高820億円(同110・8%)、経常利益61億円(同113・0%)、期末店舗数725〉
クリエイト・レストランツは13年度に次の2社をM&Aで過去最高の約74億円で獲得した。
1つが鶏料理専門居酒屋「鳥良」、海鮮居酒屋「磯丸水産」など132店舗を展開するSFPダイニング(旧サムカワフードプランニング)だ。投資ファンドが保有していた全株を65・7億円で取得した。クリエイト・レストランツは郊外・都市のSCや商業施設にレストランやフードコートを出店して急成長してきたが、SCの建設も一巡し、繁華街の路面立地への出店が不可欠であった。それもSFPダイニングを買収した理由だ。もう1つが野菜料理の「AWキッチン」「やさい家めい」など30店舗展開するイートウォークであった。買収額8・5億円であった。
とりわけSFPダイニングの買収後の展開はクリエイト・レストランツの真骨頂を示すものだった。SFPダイニングの「磯丸水産」は繁華街の路面立地で原則24時間営業、店頭の水槽に魚介類を泳がせ、浜焼きスタイルで提供するビジネスモデルで成功した。岡本は「磯丸水産」の店舗数を増やせば、SFPダイニングの企業価値はもっと上がると見ていた。
「当時、海鮮居酒屋ブームに火が点いていました。それなのに『磯丸水産』の出店ペースは年間10店舗程度。これでは海鮮居酒屋ブームの流れに乗り遅れてしまいます。浜焼きスタイルの『磯丸水産』は原価率も高く、全国展開できる業態です。もっと攻勢をかけ年間40店舗へ、出店ペースを大幅に上げることにしたのです」(岡本)
その結果クリエイト・レストランツが買収してから「磯丸水産」の店舗数は1年で30店舖近く増え、首都圏・関東圏の駅前に海鮮居酒屋「磯丸水産」の看板が目立つようになった。これによってSFPダイニングは約132店舗を展開するチェーン店に躍進、クリエイト・レストランツの子会社という信用も大きく、同社の傘下に入ってからたった1年8ヵ月後の14年12月に東証2部への上場を実現した。株式市場から約128億円の資金調達に成功し、そのうち80億円程度は「磯丸水産」の全国展開に使う予定だという。
KFCの大河原毅学校で外食を学ぶ
岡本がこんにちクリエイト・レストランツを成功させた要因は何かと言えば、KFCの設立メンバーで外食ビジネスの草創期を知る大河原毅(72)の下で、外食経営者や外食事業のことを1から学んだことによるだろう。
岡本は1964年2月、兵庫県生まれ。87年3月、東大経済学部卒業。同年4月三菱商事に入社した。岡本は営業の第一線ではなく裏方の情報通信システム部門に配属され、コンピュータシステム構築の仕事に従事した。4年後システム部門が改組されたが、昇格選考から外れた。システム部門の食料統括部に配属された。商社の本流と言えば資源・エネルギー部門、花形部門で狭き門だった。それまで大きな挫折を経験したことのない岡本には、昇格選考から外れたのはショックだった。
「自分は何をなしたか。自分は何屋か」
「自分でなければだめな仕事とは何か」
「個人は会社に従属するのか」
岡本はこんな時期を経て96年4月から2年半、KFCに出向した。
「出向したのは32歳の時。KFCの物流システムの改善が仕事でしたが3ヵ月もすると終わってしまい、さてどうしようかと考え込んでいたら、KFCの大河原毅社長(現ジェーシーコムサ会長)から、『新規事業のミーティングがあるから出席しなさい』と――。やがて大河原社長に付きっ切りで指導を受けました。大河原社長の所には国内外から色々な外食企業の社長が見え、『新ビジネスを一緒にやらないか』という相談をされます。大河原社長は、『それは面白いね、あとは岡本君よろしく頼むよ』と振って来るのです。それは新規事業の宝庫でしたね。そういう中にクリエイト・レストランツの現会長の後藤仁史や、三菱商事初の社内ベンチャー企業を起こす遠山正道さんなどがいたのです」
ちなみに岡本の盟友となる後藤は新橋の老舗焼肉店「徳壽」のオーナー経営者で、97年4月に地ビール製造のヨコスカ・ブルーイング・カンパニーを設立した。この時岡本も取締役に名を連ね、クリエイト・レストランツ設立の予行演習を始めることになった。
岡本を外食事業の面白さに目覚めさせたのが後に三菱商事初の社内ベンチャー事業でスープ専門店「SoupStockTokyo」を起業する
遠山正道(現Smiles=スマイルズ社長)であった。遠山は日興證券(現SMBC日興証券)創業者の遠山元一の孫。父直道はサッカー選手、出版社ダヴィッド社の創業社長などを歴任、73年フランスで飛行機事故で死亡した。遠山は慶應義塾幼稚舎からの生っ粋の慶応ボーイだ。慶大商学部を85年に卒業、三菱商事に入社、情報産業部門に在籍した。遠山が伝手を頼ってKFC社長の大河原に会うのは97年のことだ。遠山は「アメリカ・ニューヨークで女性に大人気のスープ専門店を新規事業として起こすべきだ」と大河原と岡本に説いた。大河原はスープ専門店「SoupStockTokyo」の事業に可能性を感じ、KFCの新規事業として始めてもよいと考えた。
また岡本も2歳年上で三菱商事で同じ情報産業部門に所属する遠山の企画と人物に興味を持った。
「そこでかなり無理筋だったのですが、三菱商事と掛け合い、遠山さんにKFCに出向してもらい、スープ事業を立ち上げることにしたのです」
結果的に遠山も97年にKFCに出向、スープ事業はKFCの新規事業として進めることになるのだ。この辺がKFC創業メンバーで、直営1号店の店長から叩き上げて社長に就いた大河原のスケールの大きさというべきなのかもしれない。
「私と遠山さんはKFC本社にあるテストキッチンで、全く新規にゼロからスープ開発を始めました。料理本などを見ながら様々なスープを作り、ある程度しっかりしたものができると大河原社長に試食をしてもらいました。一緒にコンセプトを作り上げ、KFCの不振店をスープ専門店に業態転換しましょうと大河原社長に提案したこともあります。そんな時期が2年近く続きました。これが私が外食産業にかかわる原点です」
遠山はこのKFC時代に3ヵ月ほどかけて「スープのある1日」と題して物語形式の企画書「スープ専門店『SoupStockTokyo』」の企画書を書き上げた。
こうして99年にお台場ヴィーナスフォートに「SoupStockTokyo」第1号店が開店する。岡本は半年ほどこの第1号店の立ち上げを手伝った後、三菱商事に復帰した。一方、遠山は「SoupStockTokyo」の事業を2000年に三菱商事初の社内ベンチャー事業「0」号として「スマイルズ(Smiles)」(三菱商事87%、遠山個人13%出資)を設立、店舗展開を進めた。しかし、三菱商事にとってはスープ事業はあまりにも小さい事業であり、08年に保有株全株を手放した。遠山はこれをMBO(経営陣による買収)で取得、同時に三菱商事を退社し、スマイルズの経営に専念するのである。
クリエイト・レストランツの戦略的コンセプト
岡本はKFCの〝大河原学校〟への2年半の出向で外食産業界との人脈を築き、知見を広げた。98年10月、三菱商事の生活産業流通企画部フードサービスチームに配属された。この時の上司でトップが新浪剛史(ローソン社長→サントリー社長)である。新浪は歯に衣を着せぬ発言で知られる。
「外食は資源・エネルギーなど本流の事業と比べれば亜流だ。商事の中では豆粒のような小さな事業であり、外食にいたのでは出世はできない。しかしながら、当社もこれからは外食事業に突っ込む。チャンスがやって来た。新規事業開発など色々なことに積極的に挑戦し、自ら活路を開いて欲しい」
新浪はそう言ってチームの全員を鼓舞した。
そうはいっても三菱商事はKFC以外外食事業の経験はなく、社内ベンチャー事業として
「SoupStockTokyo」がスタートしたくらいであった。KFCの〝大河原学校〟で学んだ岡本は三菱商事内で最も外食産業に精通しており、この時期にオリエンタルランドと提携、アメリカのテーマレストラン「レインフォレストカフェ」を千葉県舞浜の商業施設・イクスピアリへ誘致する計画を進めた。そして、2000年には誘致に成功する。これによって岡本は三菱商事内で〝外食の第一人者〟との評価を得るのである。
これより先、三菱商事は社内改革の一環として、やる気のある個人は会社と連携して社内ベンチャー事業を起こしてもよいという新しい規則ができた。岡本は99年5月、三菱商事の社内ベンチャー事業としてクリエイト・レストランツを設立、専務に就きレストラン事業をスタートさせた。
岡本はデベロッパーと初期の開発段階からかかわり、郊外型・都市型のSCのレストランやフードコートの企画を提案し、その立地にふさわしい複数の店舗開発を行ない、店舗数を急速に増やした。01年5月、同社の副社長に就任。03年7月、三菱商事退社、同社社長に就任した。
岡本は外食産業界に参入するに際し、「後発は他人と同じことをやってもダメだ。科学的データを出来るだけ集めて分析し、勝利の法則を掴むべきだ」と考えた。それが「マルチブランド(MB)戦略」であり、「マルチロケーション(ML)戦略」であった。
既存の外食チェーンはブランドを少数にとどめて標準化・単純化し多店舗展開した。マニュアル管理で効率化を追い求め、いったん店舗を作ると投資を回収するまで5年は様子を見るといった画一的な運営を行なっていた。しかし、立地の優位性は周囲に商業施設やSCが建設されたりすれば、4~5年で激変する。撤退したり、業態転換したり、あるいは立地を変えることも必要だ、
一方、消費者の好みは目まぐるしく変わり、
ブランドの陳腐化も4~5年と早いのが実情だ。要するに、特定の立地やブランドに頼る経営はリスクが大き過ぎるのだ。
岡本が社名にしたクリエイト・レストランツは「既存のチェーン店ではなく新しいレストランをクリエイトして、提案し、出店する」という意味である。もっと言えば、どんなレストランでも飲食店でも作るということだ。マルチブランド・マルチロケーション戦略とは「立地特性や顧客特性を見極め、カジュアルなフードコートからディナータイプのレストランまで、その立地に合わせて最適なブランドを企画・開発し、直営にて運営する」(岡本)ということだ。このマルチブランド・マルチロケーション戦略を補完、強化するのがM&A戦略によるブランドの獲得なのである。14年12月末現在でクリエイト・レストランツは169ブランドを保有、豊富なブランドの選択肢の中から最適な組み合わせで出店する体制を整えている。
岡本こう締めくくる。
「変化の激しい飲食業界ではブランドや立地にも限界があるように、一人の創業型経営者がスーパーマンのようになって会社を牽引してゆくのにも限界があります。それをいかに組織として永続的にやり続けてゆくのか――。私はそこに当社の存在価値があると思っています。当社は例えば牛丼のように圧倒的な強いブランドがあってM&A戦略を展開して来たのとは異なります。強いブランドがなかったがゆえにM&Aで買収した企業に対しても当社のブランドを押しつけたり、当社の企業文化に染めようとしたことは一度もありません。買収した企業のブランドや企業文化を尊重し、マルチカルチャーを育てることに努めて来ました。ちなみに海外では香港、シンガポールで事業が軌道に乗り出し、今年は三菱商事と連携し中国・大連にも進出、また近い将来北米にも進出します。マルチブランド・マルチロケーション戦略で国内外に拠点が広がり、その上マルチカルチャー戦略で優秀な人材が育ちつつあります。当社はいずれ30人の有能な経営者を育て、経営者の数でも質でもどこにも負けない企業グループとなり、自律的に成長を続けて行けるようになりたいと思っています」
岡本がこれまでのビジネスモデルにない、新しい企業グループを創って行くのは間違いないだろう。
(了)
〈新・外食ウォーズ〉
外食ジャーナリスト 中村芳平
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