「タイガー餃子会舘」開発秘話
際コーポレーションの中島武が餃子居酒屋「タイガー餃子会舘」の第1号店となる浅草店(台東区雷門1-15-9)の物件を初めて見たのは、今年に入ってからのことだ。鉄筋3階建て(1階17坪×3階=51坪)、77席。名古屋に本部を置く味噌煮込みうどん屋が撤退した居抜き物件であった。中島は「老朽化しお客さんが寄り付かなくなった店を見ると業態開発のイメージが湧く」というが、この時は大いに迷ったという。
「不動産屋などから、『あの物件はこれまでもいろいろな飲食店がやったけれど、みんなダメだった。何をやっても失敗するよ!』とさんざんに言われ、少し考え込みました。最初はドラ焼き屋でもやろうかと考えたのですが、なかなか決まらない…。6ヵ月も空家賃を払い続けました。そんな中、いろいろ調べていたら1990年(平成11年)に商標登録を取った『東京餃子大学』と『タイガー餃子会舘』が出て来たのです。浅草店ではキャラの立つブランドでないと戦えないと思っていたので、タイガーが躍動する感じの『タイガー餃子会舘』のブランドは最適でした」(中島)
中島は「デートの出来る餃子専門店居酒屋」のようなイメージで店づくりを進めようとした。中島は拓大応援団で350人の団員を率いた硬派であるが、酒は一滴も受けつけない下戸(げこ)だ。これより先中島は餃子とビールを売りにした「ちょもらんま酒場」を開発・展開した。ところが「ちょもらんま酒場」は「ちょもらんま」(エベレストのチベット語読み)のネーミングそのものが分かりづらく、ブランドは浸透して行かなかった。
中島は「このまま『ちょもらんま酒場』の展開を続けるか……」と悩んだ。そんな時「タイガー餃子会舘」と出合ったのだ。
折しも中華料理業界では餃子を中心にした「餃子酒場」「餃子バル」「餃子居酒屋」の業態開発が行われ、餃子酒場ブームが起こっていた。これはハイデイ日高の「熱烈中華食堂 日高屋」が“チョイ飲み需要”の取り込みに成功、増収増益を記録していたことがきっかけだ。一般的に居酒屋以外のラーメン店などのアルコール比率は3%程度であるが、駅前一等地に出店し長時間営業する「日高屋」のアルコール比率は平均15%もあり、新宿、池袋などの繁華街の店舗ではじつに27%を記録する。餃子1~2皿、ポテトフライ、唐揚げ、冷奴などをつまみにビールやチューハイを飲み、最後にラーメンで締めても1500円~2000円の価格設定が、ビジネスパーソンに熱烈に支持されていた。
中島は新業態「タイガー餃子会舘」の開発に際し、「分かりやすいこと」「スタンダードでブランディングしやすいこと」「マイナーなひねくりはしないこと」などをポイントに店舗デザインを固めていった。また「楽しい餃子の店」「お酒も飲める店」「ローストビーフもある店」「ワインも飲める店」、「デートのできる店」をコンセプトにした。従業員の働きやすい環境づくりのために、深夜営業しなくても成り立つビジネスモデルを目指したのである。
「タイガー餃子会舘」は「鉄鍋棒餃子」で大ヒットした「紅虎餃子房」(74店舗)とは異なるブランド構築を求められていた。大黒柱の「紅虎餃子房」は東京・有楽町などの繁華街やショッピングセンター、モール、大型商業施設などに適した業態で、価格的に少し高く、街中の2流立地などでは難しいところがあった。「タイガー餃子会舘」は街中の2流立地の路面店でも戦えるブランドづくりが求められた。
中島は「タイガー餃子会舘」第1号店の浅草店は、「餃子のおいしいビアホール」をイメージした店づくりに努めた。鉄筋3階建てのビル一棟を大正・昭和のレトロ調に大改装した。そして1階中央の看板にタイガー(虎)が走る姿を掲げた。タイガーは黄色と黒のデザイン、真ん中に「タイガー餃子会舘」の文字が入っている。「タイガー餃子会舘」浅草店は銀座線浅草駅からアサヒビール本社ビルを背中にして、雷門通りを雷門1丁目に向かって4~5分進んだ左の角にある。筆者は試食してきた。
餃子は定番の6種類が基本。人気ランキング1位が「ぷっくり餃子」4個480円(1個43g)、同2位が「スタンダード餃子」6個480円(1個24g)、同3位が「黒の麻辣餃子」6個580円(1個24g)となっている。後の3種類が「青菜水餃子」「香菜餃子」「羊肉餃子」(店舗によって一部異なる)
である。浅草店ではこの6種類をベースに、12種類(店舗によって10種類~)の餃子をそろえている。餃子三昧というか、12種類もの個性的で専門的な餃子がそろっているのだ。しかも餃子は料理人が店舗で仕込んだ餡を一つひとつ包んで、手作りしている。一つひとつに味がついているので、タレを使わなくてもおいしく食べられる。水餃子は手打ちの皮を使っているので腰が強く、モチモチ感があって、箸でちょっときつくつまんでも皮は破れない。餃子以外でもレバニラ炒め、麻婆豆腐、チンジャオロースなどの定番メニューに、自家製ローストビーフ、豚足唐揚げなどがあり、中華好きを納得させる。ビールは「アサヒスーパードライ」(中生480円)だ。餃子との相性がいい。またサワー類、ハイボール、ワイン、紹興酒と一通りそろっていて居酒屋感覚で餃子と中華料理を楽しめるのだ。これが若い世代ばかりでなく50~60代の年配者や訪日外国人客に大人気となり、「何をやっても失敗する」と言われた2流立地で、月商800~1000万円売る繁盛店になった。
中島は「できてみれば簡単な話なんですが、考えている時は結構大変でした」と振り返る。
中島は「タイガー餃子会舘」が繁盛すると睨むと、立地条件の合う既存店を業態転換し、たった2ヵ月後の9月末には「タイガー餃子会舘」を8店舗まで増やした。新規出店も含め年内12店舗展開、将来的に100店舗展開を打ち出した。
宇崎竜童とのマンネリズム談義
中島は96年に名物餃子「鉄鍋棒餃子」の「紅虎餃子房」を開発・展開した時、「35坪の店で月商4000万円売る」という、けた外れの売上げを経験しビックリ仰天したことがある。顧客の餃子へのニーズ、欲求がどれだけ凄いかを目の当たりにした。中島が飲食ビジネスの難しさを痛感するのは、業界で確固たる地位を築いてからのことだった。
「どんなビジネスでも一度成功した後に、それを継続し進歩させ変えていくのが一番難しい。栄枯盛衰の激しい飲食業界においてはなおさらのことです。ほとんどが5年でピークを迎え、その後は売上げが落ちていきます。飽きられるとか、顧客の世代が変わるとか理由はいろいろあるでしょうが、一つのヒット商品がいつまでも売れ続けるはずはないのです。売上げが落ち込んだ時もう一度一から見直して的確な対策を打ち出せるかどうか、それが再び成長できるかどうかを決めるのです」(中島)
中島はロック歌手で作曲家、俳優、監督の宇崎竜童と親しく交流している。宇崎は「ダウン・タウン・ブギウギ・バンド」を結成後の75年に「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」を大ヒットさせた。中島は自分より1歳年上の宇崎とマンネリズム談義をしたことがある。宇崎はこんな風に話した。
「飲食店の新業態開発というようなアーティスティック(芸術的なさま)な仕事をしていると、過去の成功にしがみつくのは嫌だろう!オレもそうだったよ。今から39年前に発売されミリオンセラーになったヒット曲『港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ』を何万回も歌ってきた。もう同じ歌を歌うのは嫌だと思う時がある。けれどもお客さんは、オレが『港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ』を歌うのを聴きに来てくれるし、そこであのセリフ、『アンタ あの娘の何なのさ!』と言うと〝待ってました〟とばかりにドッと沸いて、みんなご機嫌になるんだ。お客さんが喜んでくれるのにやめるわけにはいかない…。餃子だって同じじゃないかなぁ。餃子を何百万個、何千万個売ろうとお客さんが喜んでくれる限り、飽きずに作り続けることが大切なんだ。
何も変わったこと、新しいことだけが全てではないと思うよ」
中島は自らデザイン集団を率い、100業態360店舗もの際グループを作って来た。中島が100ものブランドを開発したのは、「単に気が多かったからだ」という。宇崎のアドバイスは耳に痛かったが、中島は労働環境を改善する上からも、従業員が2~3人で運営している小さな店(10数店)は閉める方針だ。このような小さな店はたとえ黒字であっても、従業員のベースアップもできないのが実情で、際グループのような規模の大きなチェーンが取り組むべきではないという。
それよりも業態を整理し、その一方ではチェーン展開できそうな業態はノウハウを活かして、どんどんチェーン店化していこうと考えた。その第1弾となったのが餃子ビアホール「タイガー餃子会舘」であった。
中島語録
中島が90年42歳の時に際コーポレーションを設立して以来24年経つが、100業態を開発して来たノウハウの蓄積は大きく、際グループが国内・海外で本物の力を爆発させるのは、これからのことだろう。今回筆者のインタビューに応じ、中島はいつもの哲学的な表現で、コメントした。それらは一つの文章に組み込むのが難しいので、以下、「中島語録」としてまとめて置く。
「飲食業界はマック、すき家などビジネスモデルが崩れて大変だ。飲食業界は社会の評価も低くブラック企業とたたかれ、可哀そうだ。飲食業は楽しくて素晴らしい仕事なのに、その良さが伝わっていない。残念だ」
「今飲食業界で断トツ、突き抜けた人気と言えばコーヒーチェーンのスターバックスだ。個人投資家も多く両国国技館を使わないと株主総会を開けないというのだから、剛毅なものだ。スタバの株を持っていることがステイタスになる時代だ」
「料理は包丁で切って、火を使って鍋を振るという手作りが大切だ。当グループは新メニューを投入しても3日で全部メニューを変える力を持っている。コンビニが牛丼、唐揚げなどを進化させ外食市場から客を奪っているが、外食企業がセントラルキッチンを作って対応しても、コンビニの開発力、資本力には敵わない。料理で対抗するとすれば手作りしかないだろう」
「タイガー餃子会舘はスタンダードでブランディングしやすい店として作った。だが歴史はアンチスタンダードの店を求めたりしながら変化し、繰り返す。タイガー餃子会舘ブームがどこまで続き、どれくらい定着するのか。次のことを考えながら100店舗展開に挑戦したい。際でなければできない新しい食文化を創造し、食べる楽しみを創り続けたい」
(文中敬称略)
〈新・外食ウォーズ〉
外食ジャーナリスト 中村芳平