お客にストーリーを体験させる店づくり
具体的な事例を紹介したい。
今年5月、渋谷にオープンした「嚔(アチュー)」は、「どこかで誰かの噂まかせ」と謳っている。店名の難読漢字「嚔」は「クシャミ」と読む。「くしゃみをする=誰かが噂をする」と、同店は店側から詳しい住所を公開せず、「誰かから噂で聞いて来店してほしい」というスタンスを取っている。来店したお客が住所を誰かに教えたりネット上に書き込むことは歓迎しており、「噂で聞いたお店を訪れてみた」というお客のストーリー体験を促している。こうしたユニークな見せ方が同店の価値のひとつだ。
クラウドファンディングを活用した集客で話題の「一石三鳥」グループことHumanQreateが7月に西麻布にオープンした「江戸料理 一石三鳥」も、強烈なストーリーを打ち出している。同店では「もし江戸時代にタイムスリップしたら?」をコンセプトに掲げ、江戸時代に食べられていたという「江戸料理」を提供。そのコンセプトの世界観を表現するため、代表の米田拓史氏がちょんまげ姿でサムライに扮したイメージビデオまで制作する気合いの入れようだ。同店が提供しているのは言ってしまえば和食だが、それを「和食」と謳うのではなく、「タイムスリップして味わえる江戸料理」というストーリーを添えるだけで価値は何倍にも上がる。これが「ストーリー消費」だ。
外食がより特別なものになった今、お客が求めるのはストーリーの体験
モノ(料理)や機能で売るのではなく、ストーリーや世界観を打ち出し、情緒に訴えかける店づくり。店側の「これを食べてほしい」というプロダクトアウトや、「この立地ならこの業態が求められている」というマーケットインの考え方の他に、「このストーリーを体験してほしい」と、物語を紡ぐ“ストーリーテリング”の発想が加わってくるかもしれない。
その背景には、コロナ禍の外出制限により外食回数が減り、より外食が特別なものと見なされるようになったことがあるだろう。その店でどんな料理が食べられて、どんなサービスが受けられるか。それに加えて「どんなストーリーが体験できるのか」という観点も店選びの基準になり、飲食店のエンタメ化がより加速しそうだ。
余談だが最近の飲食店の宣材写真から赤みが消えている。食べ物の写真は食欲をそそるように赤みや黄色みを強くするのがセオリーと言われており、料理に加えて店内の写真も赤や黄色を強調したレタッチがされていた写真が多かった。ひと昔前にぐるなびやホットペッパーに掲載されていた居酒屋の宣材写真を思い出してもらうとわかりやすいかもしれない。ところが近年ではそのセオリーとは真逆、青みを強くした写真や、陰影を強く出した宣材写真が増えている。本来、青は食欲減退の色としタブーと言われている。
そうした写真がアピールしたいのは、料理そのものではなく、お店が持つ雰囲気、世界観ということになる。お客の興味が料理や空間といった即物的なものから、店が持つ世界観やストーリーといった概念的な移ってきている証なのかもしれない。