スペシャル企画

【大山 正Presents】クロスロード〜外食経営者のルーツと転機〜vol.19/株式会社LTV 代表取締役 酒巻 雄平氏

この企画「クロスロード」は聞き手の大山 正が、外食経営者が歩んできた人生の転機やルーツを、ライフチャートとともにひも解くインタビューシリーズです。経営者自らが描くライフチャートを起点に、これまでの軌跡を深掘りし、現在の意思決定や価値観の源泉に迫っていきます。

第19回は「挫折知らずの野球エリートが飲食業界の風雲児に」全員独立&100店舗構想で業界の地位向上を目指す、株式会社LTVの坂巻雄平さんです。裕福な経営者一家に生まれ、文武両道で挫折を知らずに育った少年時代。大学在学中にはビジネスを立ち上げ、年収1000万円を稼ぎ出す。順風満帆な道を歩んできたかに見えた彼が、次なるステージに選んだのは飲食業界でした。過酷な労働環境で知られる企業での下積み、2度の“逃亡”、そして独立。コロナ禍を追い風に事業を拡大させていきます。ジェットコースターのようなキャリアを歩みながら、彼が見据えるのは「飲食業界の地位向上」という大きな目標。今回は、そんな異色の経歴を持つ経営者、坂巻氏にその半生と未来への展望を伺いました。

(取材・執筆・文責:大山 正)


株式会社LTV 代表取締役

酒巻 雄平氏

出身地:東京都板橋区

生年月日:1994年5月5日生まれ

企業ホームページ:https://yakitoriyuu.com/

プレゼンテーター:大山 正

1982年東京都生まれ。成蹊大学卒業後、各種広告関係営業、外食企業のプロモーション・広報を経て、2014年1月、31歳で外食メディア「フードスタジアム」フードスタジアム株式会社 代表取締役就任。飲食店若手経営者の会「外食5G(現RX)」初代サポーター企業リーダー。2020年3月、株式会社ミライーツを設立。飲食業界における幅広い人脈、情報を持ち、飲食企業のサポートに従事する一方、本連載「クロスロード」では独自に記事の取材・執筆・文責を手掛ける。

ロード1

「おじいちゃんが、段ボールを世の中に広めたのは俺だって」

――本日は、よろしくお願いします。早速ですが、酒巻さんの幼少期からお話をお伺いできればと思います。どちらで生まれて、どんな幼少期を過ごされたのでしょうか。

酒巻さん:東京都板橋区で生まれました。割と裕福な家庭で生まれた関係もあって。なんか経営者一家で、おじいちゃんが、まあ自称なんですけど、「段ボールを世の中に広めたのは俺だ」って(笑)。

 

――それはすごい!しかもご自身で(笑)。でも、それは本当なんですか?

酒巻さん:なんか「段ボールを商業化したのは俺だ」って言ってて。確かに、その板橋区の志村坂上ってとこなんですけど、酒巻ビルっていうのが建ってるんですよ。幼少期はなんとも思わなかったんですけど、うち金持ちなんだって今になって気づくみたいな、なんかそんな感じでしたね。

 

――1994年5月5日生まれでいらっしゃると。ご兄弟は?

酒巻さん:3人兄弟で長男です。

 

――長男ですと、やはり可愛がられましたか。

酒巻さん:だいぶ、そうっすね、だいぶ可愛がられて。

 

「バスケも野球も全部1番。ほんと天狗でしたね」

――どんなお子さんだったんですか?

酒巻さん:なんだろう、でかかったんすよ、とにかく身長が。小学校に入るときにもう140cm超えてて。

 

――へー!かなりでかいですね。

酒巻さん:それで、まあほかの人とはもう頭1個も2個も高くてなんか運動神経も割といいほうだったので、足も速くて。なんか大会とかに出されたら優勝しちゃうみたいな。でかいから、バスケも野球も全部やらしたら1番になっちゃうみたいな。

――それはすごいですね。

酒巻さん:なんか、ほんと天狗でしたね(笑)。

 

――主にやっていたスポーツは、野球ですか?

酒巻さん:野球ですね。一応高校までですね。

 

――板橋は、スポーツが強いイメージがあります。河川敷で、みんな運動しているような。

酒巻さん:あー、そうですね。まさにそうで、毎週のようにずっと河川敷にいました。

 

――クラスの中では、どんなキャラクターでしたか?

酒巻さん:いじめっ子でしたね(笑)。レベルで言うと、やっぱ1番上でしたね。勉強もそれなりにできたし。今思い返すとめちゃくちゃ嫌な子だったっすね(笑)。

 

――(笑)。でも、陰湿ないじめというよりは、いじりキャラというか、リーダータイプだったんじゃないですか?

酒巻さん:あー、そう、そうかもしれないですね。どっちかっていうとそっちだったかもしれないです。話を回す人でした。

「レベル高くて、めっちゃおもろい」挫折知らずの野球人生

――少年野球から高校まで、ずっと野球漬けの毎日だったわけですね。高校も野球の強豪校に?

酒巻さん:あー、そうっすね。当時強いとこ入って。東京でベスト4とか準優勝とかしてた年で。入ろうと思ったんですけど、僕らの代でちょうど弱くなるっていう、なんか変な感じになっちゃって(笑)。

 

――それでもレギュラーで、出ていたんですか?

酒巻さん:あー、そうですね。当時は出てました。

 

――では、これまでまったく挫折がなかったんですね?

酒巻さん:挫折なかったですね、ほんとに。全然なかったです。楽しかったです、ほんとに。

 

――すごいですね。よく強豪校に入ると、プロになるようなレベルの選手を目の当たりにして、一度挫折を味わうという話を聞きますが。

酒巻さん:あー、なるほど。なんか、もちろんプロになった子とかとも一緒にやったことあるんですけど、なんか「楽しい」になっちゃうというか。「レベル高くて、めっちゃおもろい」「一緒に野球やってくれてありがとう」みたいな感じになっちゃうんですよね。

 

――悔しいとか、ひねくれるとかはなかったわけですね。

酒巻さん:なかったっすね、それは。

 

――そのポジティブな性格は、社会に出てからも繋がってきそうですね。

酒巻さん:そうかな、そうかもしれないですね。

 

「稼ぐほうが楽しくなっちゃった」大学で年収1000万を稼ぎ出す

――高校卒業後は、大学に進学されたんですね。大学でも、野球をやられたのですか?

酒巻さん:大学進学したんですが、野球はやらなかったです。なんか、つまんないってなっちゃったっていうか。お金稼ぎたいになっちゃったんですよね。

 

――なるほどお金を稼ぎたい、ですか。

酒巻さん:なんか野球やってて、将来プロになるわけでもないし、なんでやってんだろう、みたいなのが強くなっちゃって。。受験したくなかったから指定校推薦で入ったって感じで。

 

――そして、大学在学中に起業されたと。

酒巻さん:そうです。大学2年の後半ぐらいに起業して。まあ飲食ではないんですけど。友達という友達をだましながら…(苦笑)。

 

――(笑)。どんなビジネスだったんですか?

酒巻さん:投資のスクールみたいなのですね。

 

――なるほど、なかなか怪しいですね(笑)。

酒巻さん:はい(苦笑)。商材はシステム売りみたいなことをやってて。「そのシステムを使えば、儲かる確率が高くなるよ」みたいな感じのやつですね。セミナーやったりとか。

 

――人を増やせば増やすほど、という。

酒巻さん:みたいなことやってました(苦笑)。で、そんときにめちゃくちゃ儲かったんすよね。学生で、初年度で年収1000万ぐらい稼げて。

 

――マジすか、すごいですね。

酒巻さん:何にもわかんないレベルで、稼いでしまって。多分、大学で1番金持ってましたね。超楽しかったっす。

 

――その経験で、学んだことはありますか。

酒巻さん:そうっすね。そんときは、そういう組織マネジメントだったり、その、まあ売り方とかはここで学びましたね、多分。

 

――もともと株に、興味があったわけではなく?

酒巻さん:そうです。誘われたというか、一緒にやり始めたってところで。1から立ち上げたんです。ある證券にいた方にアポイント取って、「あなたをアドバイザーとしてこういうシステム作りたいんですけど、ちゃちゃっとやってくれませんか」みたいなのでフォーマットにして、じゃあそれを学生に売ってこう、みたいなやつでした。

 

――大学からは、何か言われましたか?

酒巻さん:大学からお叱りを受けて退学になるんじゃないかみたいな、そんな感じだったんで、あんまり大学名は言いたくなくて(苦笑)。「お前、大学の名前出すんじゃねえぞ」って言われながら生きてました(笑)。

 

ロード2

「労働時間超過は当たり前。でも、それが楽しかった」

――そのビジネスは、いつまで続いたんですか?

酒巻さん:そんなビジネス長続きするわけなくて、多分1年ぐらいでガーンと下がって、終わったって感じになったと思うんですけど。大学4年の前半ぐらいですかね。

 

――ちょうど就職活動の時期ですね。

酒巻さん:そうなんですよ。でも、そんときにはもう就活が始まってるわけで。卒業も、あとフルで単位を全部取んないといけないみたいな状態だったんで。学校に行ってなくて就活できなくて。当時やってたバイトがアントワークスっていう、あの、「すた丼」の。

 

――「伝説のすた丼屋」ですね。

酒巻さん:はい。そこでバイトしてたんで、まあちょっとそのまま社員やるかって感じで、新卒で社員になりました。

 

――そうだったんですね。そこで初めて飲食の仕事に本格的に携わることになった。

酒巻さん:あ、そうかもしれないです。飲食がっつりどっぷりはここですね。このときに今でも付き合う仲間が増えて。今でも遊ぶのはアントワークスの仲間たちですね。僕の周りはみんなアントワークスです。

 

――その頃のアントワークスは、どんな環境でしたか?

酒巻さん:当時はゴリゴリで(笑)。まあ、よく聞く話かもしんないですけど、労働時間超過で休みなく働いていましたね。

 

――泊まり込みとかも?

酒巻さん:もちろんやってます(笑)。1週間泊まり込みみたいなのやってたり。でも、なんか楽しかったっすね、逆に。仲間がいっぱいいて。ちょうど全国展開するぞ、みたいな時期で。

 

――その世代から独立した方も多いのでは?

酒巻さん:そうなんですよ。ここの世代がめちゃくちゃ独立した方が多くて。それこそそういう志で入った人がめちゃくちゃ多い世代っていうか。なんか今思い返すとレベル高かったなって、個人的には思ってて。

 

2度の“逃亡”と、全国最優秀店長賞

――アントワークスでは、どれくらい働かれたんですか?

酒巻さん:実は1回辞めてるんですよ。2年ぐらいで店長になってしばらくして、もう泊まり込みが嫌すぎて(笑)、ちょっと1回辞めようってなって、飛んだんですよね。何にも言わずやめて(苦笑)。

 

――ええっ。それはまた思い切った・・・(笑)。

酒巻さん:で、やっぱりその上司だったり他の仲間が連れ戻しに来てくれて。ほかの居酒屋で働いてたんですけど、仲間の引き留めがあってまた戻るっていう。

 

――戻ってからは、どうだったんですか?

酒巻さん:やるからには1番取りたいなって当時思ったんで、全国の最優秀店長賞みたいなやつを目標にしてて。で、一応もらうことができて。

 

――すごいですね!何店のときですか?

酒巻さん:溝の口店です。25歳ぐらいのときですね。

 

――素晴らしいですね。

酒巻さん:そのあとになんか新業態に抜擢されて。昭島の「モリタウン」っていう施設に、泊まり込みするっていう。

 

――結局また、泊まり込みですか(笑)。「モリタウン」わかります(笑)。

酒巻さん:はい(笑)。上からの圧もえぐくて。社長(当時の)もバリ怖いんで(笑)。ちょっともう1回辞めようってなって、もう1回何も言わずに辞めました。

 

――2回目(笑)。

酒巻さん:はい。しんどくなっちゃいましたんで、それで辞めました(苦笑)。

 

ダンプを運転しながら考えた「自分探し」の時間

――2度目に辞めた後は、何をされていたんですか?

酒巻さん:フラフラしてました。マジで覚えてないです(笑)。何もしてなかったですね。バイトもしてなかったっすね。なんか遊んでましたね、とにかく。

 

――生活費は、どうされていたんですか?

酒巻さん:あ、金あったんですよ。大学のときの貯えがあって。

 

――なるほど。そのお金があったからこそ、考える時間が持てたんですね。

酒巻さん:あ、そうですね。割と自分探しできたというか、自己分析できたっていうか。で、友達のラーメン屋を手伝ったりとか、そろそろ働くか、とか。やっぱりぼんやり独立したいってのがあったので。

 

――独立したいという思いは、アントワークス時代からあったんですか?

酒巻さん:そうですね。あったんですけど、飲食の知識があまりにもなさすぎちゃって、何やったらいいのか全く分かんなかったんで、とりあえずなんかいろんないろんな飲食店行きました。遊びに。

 

――その経験が、今に活きているということですね。

酒巻さん:そうですね。スポンジのように吸収していった感じです。で、いろんな居酒屋で軽く働き始めて。で、おじさんがダンプ屋やってまして。大型免許取ってダンプ1年ぐらい乗って、それで稼ぎながら独立しようって。

 

――ダンプの運転手ですか!それは意外。

酒巻さん:そうです。車乗りながら、「やべえ、独立しようかな」「(ダンプの仕事は)めっちゃつまんない」ってなって。で、30の手前で独立しました。

 

――その自分探しの期間があったからこそ、ご自身のやりたいことが言語化できるようになったんですね。

酒巻さん:はい。それでやっとなんか言語化できるようになって、その言語化で、昔の仲間たちを集めて独立できた、みたいなそういう流れでしたね。

 

ロード3

ランチェスター戦略で挑んだ、武蔵境での独立

――29歳で独立。1店舗目はどちらに?

酒巻さん:武蔵境の「焼き鳥ゆう」っていうところです。2019年の5月ですね。

 

――板橋ご出身で、中央線沿線には縁がなかったと思いますが、創業の地はなぜ武蔵境だったんでしょうか。

酒巻さん:独立前の期間に飲食について勉強する中で、不動産を見て商圏調査するのがおもろいなってなってきちゃって。マーケティングにはまっちゃったんです。趣味みたいになって。で、武蔵境が出てきたときに、調べたらとんでもなくいいぞ、ここ、みたいな。僕のロジックに、全部はまったんです。

 

――なるほど。どんなロジックだったんですか?

酒巻さん:当時、ランチェスター戦略みたいなのが流行り始めてて。本を読んで勉強してたら、やっぱり競合がいないところに出すっていうのが、スモールビジネスの第一歩目だ、みたいな。武蔵境は商圏が良かったから、負ける手はないな、と。

 

――でも、その物件は入れ替わりが激しかったそうですね。

酒巻さん:そうなんです。3か月に1回入れ替わるぐらいの勢いで。でも路面店で視認性も良くて、なんでここで儲からないんだろうって不思議で。でも、俺がやったら絶対儲かるわってなってやりました。

 

――実際にやってみて、いかがでしたか?

酒巻さん:とにかくその商圏にマーケットインしようと思って、地元の人に愛される店をとにかく作ろうと。あと、商圏分析するとお金持ちの方が多かったので、その方たちに気に入られるにはどうしたらいいんだろうって考えて、可愛がられるような感じでいこうと意識してました。そしたら、集客で困ったことはなくて。勝手にお客さんが来てくれました、マジで。

 

「コロナの時期、めっちゃ楽しいって思ってました」

――2019年5月オープンということは、翌年すぐにコロナ禍に突入していくわけですね。当時は何を思われていましたか?

酒巻さん:はい、すぐコロナです。、僕コロナの時期めっちゃ楽しいって思ってました(笑)。

 

――(笑)。それはなぜですか?

酒巻さん:アントワークスでの経験があったから、デリバリーとかのノウハウが割と僕の中であって。そんときに14業態ぐらいこうデリバリー業態作って売ってって、それが楽しくて。コロナ余裕じゃんってなってた感じでした。

 

――「焼き鳥ゆう」のキッチンで、14業態を?

酒巻さん:そうです、そうです。武蔵境の地域で言ったらナンバーワンのデリバリー業態になりました。月300万とかは全然売れてたと思います。

 

――それは、すごいですね。

酒巻さん:はい。それでそのときに2店舗目だったり3店舗目みたいなのを出して。

 

――2店舗目は、どちらに?

酒巻さん:成城学園前店です。そのあとにつけ麺屋を国分寺に出して。全部コロナ禍のときです。休業要請を守って補助金をもらいながら、それで出店してみたいな感じでした。

 

――成城学園前というのも、また独特なエリアですね。

酒巻さん:でも武蔵境と同じ理由で、富裕層がいる地域っていうのが狙い目だなと。ご紹介いただいた物件の家賃がちょうど安かったし、成城には富裕層に好まれるような業態がそもそもなかったんです。学生向けの業態しかなかったので、富裕層に合わせた業態を作ろうと思ってやったら、まあ、そうだよねっていうぐらいは売れました。

 

――つけ麺屋を始めたのは、何か理由が?

酒巻さん:某有名店のラーメン屋さんとつながりがあったんで、味を作ってもらってやったんです。

 

――なるほど。デリバリーで成功体験があったから、実店舗にも展開できたんですね。

酒巻さん:ああ、そうです、そうです。デリバリーで何が売れるか、マーケティングさえ知っときゃいいとこあるじゃないですか。まさにそれでした。

 

「僕の会社に入ってくれた人たちは、全員独立させてやろう」

――店舗を増やしていく中で、会社の方向性はどのように考えていたのですか?

酒巻さん:それは独立する前からある程度言語化できていて、今も継続してるんですけど、日本全国、世界に100店舗作ろうと。

 

――100店舗構想ですか!

酒巻さん:はい。そのやり方として、僕もなんとなく独立しましたけど、飲食店って独立しないとつまんないなって単純に思ったんで、僕の会社に入ってきてくれた人たちは、全員独立させてやろうっていう気持ちでいて。

 

――全員!これはまた、すごい。

酒巻さん:はい。独立のための体験の場、学習の場にうちを使ってもらって。で、その独立した人の店舗をうちのグループの1店舗、みたいな位置づけで、みんなで100店舗やりましょう、という感じですね。

 

――なぜ100店舗という数字なんでしょうか。

酒巻さん:飲食業界の社会的な地位向上をさせたいっていう想いがあって。それにはやっぱり100店舗ぐらいの規模がないと影響力ないな、と。だから100店舗はまずスタートラインだなっていうところから、そこを目指してやってるって感じです。

 

――その独立支援の仕組みは、もう始まっているんですか?

酒巻さん:はい、4店舗目からやってます。うちで一度立ち上げた店舗を、店長に譲渡するみたいな感じで。のれん分けですね。個人事業主として、ゼロからスタートしてもらいます。

 

新たな壁と、ウルトラポジティブの復活劇

――順調に店舗展開を進めてこられたわけですが、最近、少し落ち込む時期があったそうですね。

酒巻さん:はい、なんか店舗展開していく中で、安くこう譲渡したりとか、しっかりお金を取ってなかったりとかしてくと、投資とキャッシュのバランスがどんどんどんどん悪くなってきて・・・。

 

――物件取得などは会社で負担するけれど、譲渡するときは安くしてしまうから、ってことですか?

酒巻さん:そうなんですよ。そういう経営の知識がそもそもなくて、目標のために頑張ってたら、「あれ?なんか俺、苦しくない?」みたいな。こいつら(独立したスタッフ)は楽しい顔してるけど、俺、苦しくなってる、みたいな(苦笑)。

 

――10年前に感じたような「俺、何してんだっけ」という感覚がまた・・・。

酒巻さん:あ、そう、そう、そう、まさにそうです(苦笑)。目標のためにやってたんだけど、これじゃ全然目標達成できないじゃん、みたいな感じになってしまって。こんなんじゃいかんなーって、ほんとについ最近までめちゃくちゃ落ち込んでましたね。

 

――そこからどうやって、復活されたんですか?

酒巻さん:僕、ウルトラポジティブな人間だと思ってはいるんですけど、それでもなかなかこう復活できなくて。いろんな経営者の方に会ったりとか、いろんなアドバイスをいただきながら、とにかく前に進み続けたら、なんかちょっとずつ兆しが見えてきたなっていうのが今、みたいな感じですね。新しいことやってみようとか、従業員にここ任せて、自分のやりたい店やろう、みたいなことができ始めてきて、なんかまた新しい形ができたなみたいな気がします、会社としては。

 

飲食は教育産業。「自立自走できる人材」を育てる

――100店舗という長期目標に向けて、短期、中期の目標はありますか?

酒巻さん:あと3年で20店舗はいこうと思ってます。ただ、去年4店舗開けて、だいぶバランスシートが悪くなってしまったんで、今は地盤固めをしてるところです。強い体制作りですね。社員たちの知識量だったり経験だったりを積ませてあげる期間にしようと。

 

――LTV社が求める人材像は、どのようなものでしょうか。

酒巻さん:ほんとに素直な方というか、染まってない方。あと自立自走ができる人材みたいなところを求めてて。ただ、最初から自立自走できてる人材なんて、うちに入ってこないんで。そうじゃなくて、悩んでる人だったりとか、「自分、何したらいいんだっけ」っていう人材をうちに引き入れて育てたいんです。

 

――そのための仕組みがあるんですね。

酒巻さん:はい。実は求人や人材研修の会社もやってまして。大手企業さんの研修内容とかをうちの会社におろしてもらえるんで、その研修をうちの社員にやるんです。

 

――飲食業界の課題の一つに、教育があります。その点はどうお考えですか?

酒巻さん:そうなんです。飲食の課題って、多分そこの教養だったり、自立自走できる人がいないこと。中小企業レベルだと、入社後の研修ってなかなかないじゃないですか。そこをうちでしっかり研修して、1年間でプログラムして、自立自走できる人材を作った上で独立してもらう。

 

――なるほど。人を育てることで、より良い組織を作っていくということですね。

酒巻さん:「自立自走できる人材を、うちの会社で育てますよ」というのが、僕の中の軸としてあります。飲食業は教育産業だという価値観でやっています。

 

――素晴らしいですね。本日は貴重なお話をありがとうございました。

 

編集後記

穏やかな性格で、淡々とした語り口の酒巻さん。ズバリ「いい人」代表、そんな感じ青年です(笑)。恵まれた家庭環境で育ち、野球を通じて精神を鍛え、学生時代にお金で失敗し(笑)、仕事では毎日帰れず泊まり込み(笑)。それでもめげずに自分と向き合い、独立を果たし、これからの事業成長を目指す。とても充実したインタビューとなりました。とても応援したくなる、そんな人柄の持ち主でした。これからの活躍を期待しています。(聞き手:大山 正)

 

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