インタビュー

新生ゼットン、社長交代で“次の時代”を切り拓く企業へー。新会長 稲本健一氏、新社長 鈴木伸典.氏にインタビュー


ゼットン、“上場”への道のり

鈴木 2004年は、僕たちが上場準備を始めた年でした。
ちょうど2005年に、名古屋で愛知万博を迎えるということで、名古屋の街っていうのはものすごく盛り上がっていたわけです。
僕は東京エリアのジェネラルマネージャーとして仕事に集中していたんですが、上場準備があるということで、稲本からいったん名古屋に戻ってこいと言われました。
それから、組織を再編成しようということで、副社長に大抜擢されました。

GMからいきなり副社長

稲本 創業からナンバー2としてやってきた梶田とかいたんですけど、デザイナー志向なので、計数管理や営業の責任となると鈴木かなと思っていました。鈴木を副社長にするということを彼に話して、周りの役員からも承認をとって、彼が副社長になりました。

鈴木 2004年5月31日ですね。

稲本 彼がすごいのは、お店のオープン日や会社の記念日などめちゃめちゃ覚えているんです。(笑)僕はいつも「あれいつだっけ?」って忘れちゃうんですが。

大抜擢だったんですね。上場含みだし、役員となると意識が違ってきますよね。

鈴木 そうですね。副社長になったといっても、まだ十数店舗の会社でした。副社長になった年は、「神南軒」や「ガーデンレストラン徳川園」の立ち上げ、翌年には、初めての商業施設出店で「アロハテーブル」の1号店など、プロジェクトが目白押しでした。立ち上げも運営も、副社長としての管理もしなきゃいけないっていうので、もう就任した年からむちゃくちゃ大変でした。現場の統轄店長をやりながら、副社長をやる。そんな感じでしたが、何を最優先させるかということでは、とにかく現場を徹底的に磨きました。それが自分の仕事だろうと思っていました。徳川園

そのころの売上は20億ぐらいですか。

鈴木 とんでもないです。その年の決算は確か17億です。その翌年2006年2月期に29億です。

一気に12億円も増えてたんですね。

稲本 「ガーデンレストラン徳川園」が大きかったですね。レストラン・ブライダル・バーを合わせ、8億円ぐらいでした。

その翌年2006年にセントレックス上場と。

鈴木 2006年10月19日に上場です。
今振り返ってみると2004年から上場まで、ものすごく必死でした。あの時に必死にやったから、その後の10年いろいろなチャレンジをさせて頂けたのだと思います。

 

大病乗り越え、上場。ゼットンを支えてきた鈴木氏

上場後の10年はトントン拍子ですか。鈴木さんは病気にもなったと聞きましたが。

鈴木 ちょうど上場申請期に、「軟骨芽細胞腫」という骨にできる腫瘍の病気になりました。それが発覚したのは2005年の夏、手術が2006年1月。2006年は上場の申請期ですので、ものすごく忙しいのに、3週間ほど入院しなければなりませんでした。自分が負っている責任を全うしようとする思いからすごく自分を苦しめた時期もありました。

大変な時期に大きな病気をしましたね。

鈴木 全部骨を削り取って、腰骨から移植して、しばらく車椅子。退院するときに松葉杖で歩いていいって医師からいわれたんですが、歩けないんですよね。でも会社に行ったら、やること盛りだくさんで、身体が辛いなんて言っている場合じゃないなと思いました。逆に忙しさが、自分の身体を治してくれたというのもあると思います。

すごいですね。普通だったら心が折れて、重責は耐えられないですよね。

稲本 実際、鈴木から「迷惑をかけるので、僕は副社長を辞めたほうがいいと思う」という話もあったんです。それで、「お前が辞めるなら、上場もやめよう」と言いました。「ただ、忘れないでほしいのは、会社のことよりも自分の身体と命のことが圧倒的に大事で、このことについて悩むことは一つもない。治るまでしっかり休めと。ちなみに言うと、俺たちの力をなめんなよ。お前いなくても別に大丈夫だよ」と、そういう話をしたのを覚えてます。

そう言われたらやるしかないですね。

鈴木 それで、もう必死に身体を治そうと決めました。うれしいことにスタッフも病院に仕事を持ってきてくれるんですよ。会社のことが気になっていましたし。それに、自分の仲間や後輩たちが本当に大丈夫かなって、ちょくちょく来てくれるのに本当に勇気づけられました。愛知県国立ガンセンターって、結構不便なところにあるんですけどね。思い返すといい3週間でしたね。

壮絶ですね。回復してよかったですね。そういうことを経てるから、それからの10年っていうのは、震災も乗り越えてこれたんですね。

 

新生ゼットン、新たな時代切り拓く企業へ

稲本 ただ、それがピークでそこから我々が変わらないと、チームが変わらないと思ったし、そこをどう変えていくかということを非常に悩みました。僕らは5つの事業部があり、それぞれ20億前後の売上を持っています。言わばゼットンは中小企業の集まり、という感じです。ただこの規模になり、各事業の責任や戦略がなんとなくぼけてきて、ただ流している感じになっちゃっていました。それでもここ数年は調子がよかったんですが、奇しくも今、時代の大きな転換期を迎えている。次の10年は、今までの延長線ではないのは間違いないと思っています。トップが変わることで、組織の意識も大きく変えていこうと考えます。鈴木が社長に就任してからの2ヶ月(取材当時)で、部下の意識は一気に変わってきています。目も違えば、出てくる言葉も違いはじめました。そういう面では非常にいいタイミングで変わることができたと思います。本当によかったと言えるのは、結果を出してからですけどね。現時点では、未來を見据える必要な人事だったと思っています。

ここ10年は5つの事業を緩やかに成長させてきたんですね。外から見ているとハワイ部門(「アロハテーブル」など)が大きく見えるんですが、必ずしもそうじゃない。踊り場的に次の戦略が見えにくいというか、仕組みを作りにくいというか、そういうモヤッとした感覚ですか。もう一度その5つの事業というのをお聞かせいただけますか。

アロハテーブル代官山
鈴木 1つ目がダイニング事業部。イタリアンや和食、フレンチなどマルチブランド戦略のゼットンのルーツとなる事業部です。これがだいたい30億。それと2つ目がアロハテーブル事業部。これは27億ほど。3つ目がレストランブライダル事業部。これは20億。4つ目がビアガーデン事業部。これも14億ほどです。そして、5つ目がインターナショナル事業部。ここが10億ほどです。今後アロハテーブル事業部とインターナショナル事業部が会社の成長を牽引していく役割となってくると考えています。

稲本 今期は100億を超えましたが、赤字でした。
昨年の夏は雨が多くて、しかも冷夏だったので、ビアガーデン事業部が不振だったんです。この部門は天候によって売上がバタつくんですよね。今は収益性の高いものだけを残しています。

 

これからの二人の役割

これからのお二人の役割分担は。

DSCF4221稲本 僕は新規業態開発や既存業態のブラッシュアップ。また海外事業を担当し、鈴木は主に国内の事業を仕組み化していきながら事業の拡大を担っていきます。

鈴木 ここ3年ぐらいは売上100億が見えてきて、そこに向かってひた走ってきました。その反面、チームのケアがおざなりになっていると感じていました。今年も4月1日に入社式をを終えて、32名の新卒を迎え入れました。今、社員は359人になりました。そこで、チームを再構築するために全社員と面談することにしました。簡単なことではありませんが、359人くらいであればやれないことはありません。一人ひとりと面談をすることによって、なぜその人たちがゼットンを選んでくれたのか。その人たちがゼットンに入って、実際どうだったのかっていうのを、良い面も悪い面もすべて受け止めたいと思うんです。そうすることで本当に自分たちがやらなきゃいけないことっていうのが、明確になってくると思っています。
もう一度チームゼットンの固まりを強固なものとし、業態ごとの仕組み化や、業務の効率化をした上で、走れない人を走れるようにする、走れる人はもっと走れるようにしていきたいですね。稲本と鈴木のやり方の違いっていうのは根本的にはその部分とみなさんに分かっていただけたらすごくうれしいですね。

ヴィジョンや数値目標など具体的な計画はあるんですか。

鈴木 まだ数値の目標は立てていません。359人の面談を終えた上で中期計画に取りかかる予定です。

稲本 もちろん今期の予算は立ててますよ。(笑)
社内で言っているのは、うちの企業理念は「店づくりは、街づくり」で、セカンドに「店づくりは人づくり」だったんですけど、鈴木の時代から「店づくりは、人づくり」「店づくりは、街づくり」に入れ替えています。
鈴木のマネージメントからは「店づくりは、人づくり」だと。その人が街をつくるんだということに変えている点が、大きな転換だと思います。

なるほど。具体的なヴィジョンはこれからですね。とりあえず今はバトンタッチして、二つの車輪でこいでいくと。

稲本 そうですね。僕が離れたわけじゃないので。おそらく2020年までオリンピックというテーマがあるだけに、そこまでどんどん人手不足が、もっと深刻な問題になっていくと思います。業態の在り方もどんどん変わっていくでしょう。その中でうちはどう変わるかですね。

そういう位置づけであれば、大きなカリスマがいる故のリスク、というか恐ろしさはないようですね。カリスマ稲本会長と、マネジメントのプロフェッショナル鈴木社長と。

 

カリスマ稲本会長のライフスタイルと今後の海外戦略とは

稲本 やはり海外のリスクは常にあります。海外で事業をする時に、スピード感をもって経営判断することが求められます。それは電話やメールではなく、フェイストゥフェイスで判断していかなくちゃいけないことが多々あります。僕が日本にいて海外事業をコントロールしようとしても、できるもんじゃない。未來を見たときにどうしても海外は放っておけない。海外事業のボリュームを増やすことが必要です。このボリュームゾーンを大きくしていくのが僕の仕事です。そんな中で、僕の海外の仕事が増えていくにつれ、国内の経営のスピードが遅延化していました。それで判断をもっとスピーディーにできるように鈴木に託した。そういうところが非常に大きいですね。

鈴木新社長、楽しみですね。すっかり社長らしい感じですね。

鈴木 社長一年生ですので、ご指導よろしくおねがいします。

今後のヴィジョンをもう少しお聞きしたいですね。次の売上300億にするためにはどうするか、とか。

稲本 一年ぐらい経ったらもう一回お願いします。(笑)

宿題ですね。

稲本 まず、人と向き合って、人から受けたエネルギーを売上、利益に変えていくっていうのが、彼流なので。まだ向き合い切れてないんです。まだ2ヶ月なんで、これからです。

この一年はそのトレーニングですね。トライアスロンのようにね。

鈴木 トライアスロンと同じで、この1、2年は強化トレーニングの時だと思っています。トライアスロン(鈴木伸典.)

稲本 結果を出さなきゃいけないトレーニングですね。

稲本さんはこれからもライフスタイルを変えていかないんですね。

稲本 さらに特化していきたいですね。もっと極めていきたいです。

業界や若手に対しても、どんどんそういう考え方を発信していかれるんですか。

稲本 ご存知だと思いますが、僕は、人に変わらされるのが嫌いなんですよ。世の中に変えられるのも嫌い。自分で変わっていきたいし、できれば変えていく先頭を走っていたい、といつも思っています。例えば、今回の社長交代についても、みなさん僕が隠居すると思っているんでしょうが、とんでもない!僕は常に戦っていくための布陣をひいたと思っているんです。これまで以上に、最前線で戦うためにこの人事があると思っていただいた方が分かりやすいと思います。僕の場合、特に業態に責任を持ちたいと思っています。今ハワイで新しくつくっているのは、相当いけてると思うんですよ。一つは新和食ともう一つはフレンチビストロです。これは日本にもハワイにもアメリカにもない業態です。
今回の人事は社内的にはすごくウエルカムです。鈴木はじめ周りがいたから、20年間やってこれました。ここにきて次の役割が見えてきたと思ってます。
(聞き手・佐藤こうぞう/文・望月みかこ)

 

プロフィール
DSCF4218■ 稲本健一氏
1967年愛知県生まれ、石川県金沢市育ち。大学卒業後、東京の商社に就職するが、半年後に退職。名古屋のデザイン事務所に転職し、プロダクトデザインをてがける。名古屋市内で期間限定ビアガーデンのプロデュースを請負い、ブレイクさせたのをきっかけに飲食事業へ乗り出す。1995年株式会社ゼットンを設立し、代表取締役社長に就任。1号店「ZETTON」を名古屋市中区にオープンさせる。2001年、「ZETTON恵比寿」で東京に進出。その後、「アロハテーブル」など様々な業態の飲食店を出店。ビアガーデンやブライダル事業のほか、「徳川園」「中部国際空港」「三井記念美術館」など公共施設でのレストラン事業も手がける。現在、国内外で83店舗を運営(2016年5月時点)。同社設立から20年となる2015年、売上100億円を達成する。2016年、代表取締役社長の座を鈴木伸典.氏に譲り、自身は代表取締役会長に就任。グループ会社である株式会社アロハテーブルおよびZETTON, INC.の代表は続ける。
■ 鈴木伸典.氏
1971年岐阜県生まれ。大学時代は法学部に在籍し、司法書士を目指していたが稲本氏との出会いによって、飲食業界に入る。1996年ゼットン入社。次々と新店の立ち上げをてがけ、手腕を発揮。2004年副社長に就任。続いて2006年稲本氏とともに同社を名証セントレックスに上場させた。2016年代表取締役社長に就任し、同社の今後を担う。

 

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