“20年100億円”達成と社長交代の内幕
急なバトンタッチの印象があったんですが、一体どういう経緯で今回交代に至ったのか稲本さんからお聞かせください。
稲本健一会長(以下、稲本) まったくシークレットでもなかったんですよ。飲食って、NO.1もさることながら、ある程度の規模、3店舗5店舗超えたときにNO.2っていうのはすごく大事になってきます。鈴木ももちろん独立志願だとか、自分でやりたい事業っていうのは多々あり、そういった話を一緒にしていました。ですが、彼はどこからか自分で「僕はゼットンやめません宣言」っていうのを社内外に対してやりだしたんですね。うちも小さいながらもIPO企業ではあるので、、おぼろげに“20年100億”っていうのはあったんです。
20年30年経っても僕がいつまでもトップを走っているようでは、なかなか次の時代に受け入れられていかない、部下も育っていかない。20年たったら何らかの形で鈴木に社長になってもらおうと決めていました。実は一年遅れたので我々としては時期尚早というより遅れちゃった感がありますけどね。
本当は前期で。
稲本 はい。本当は一つ前の期でやる予定でしたが。わりと社内で人事的にもバタついたところもあって。そこに至る事が出来ませんでした。そこから今回に至っているので、社内的には急なことではありませんでした。役員にも一人一人話していきましたし、僕が退任してどこかにいってしまうわけではないので。ということで、役割分担として、鈴木に代表取締役社長におさまってもらうことについては、問題なくことを進めることができました。
社長交代という形で、20年と売上100億円の節目を表向きに提示したということですね。
稲本 そうですね。奇しくもそこで、すごく大きく世の中が変わってきているなと。震災以降、価値観とか、企業の在り方、飲食店の役割みたいなものがものすごい勢いで変わってきてその中で、どういうスタンスをとっていくべきか。今までのうちの経営っていうのは僕が「これやるぞ!」って、勢いでやったものを、鈴木が先頭に立ってみんなが形を整えていく、というやり方でした。しかし、今のうちに圧倒的に足りないのは「仕組み」なんです。1〜2軒目の時と、売上100億円の今とあまりやり方を変えてないんです。だから、利益も上がったり下がったりしてバタついてしまうんです。こういったところを改善するためにも仕組みを導入する必要があります。仕組みづくりや、マネージメントは、僕よりも圧倒的に鈴木の方が得意。僕は先頭を突っ走って俺についてこいというタイプ。一方、鈴木はチームの集団の中に身を置きスタッフを伴走、時には後方から押していくタイプ。そういう意味でも次のゼットンを創るためにも、ちょうどタイミングがよかったという感覚です。
鈴木新社長に託された「仕組みづくり」
成長のための仕組みですね。交代してこれから全面的に作っていくということですね。
稲本 そういう思いで動かしています。仕組みがない中でやってきたことが多々あるんですね。何ヶ月に一回ちゃんと面談ができるだとか。一週間に一回こういうメッセージが降りてくるだとか。何を引き上げてあげるだとか。そういうことを作り上げていくということを、僕は鈴木に託していきたいです。うちに今一番必要なのは、100億を超えた会社のやり方です。
仕組みと資金調達力があれば何でもできますからね。それも社長の役割ですよね。
鈴木伸典.氏(以下、鈴木) おっしゃる通りです。今のゼットンには足りないことっていうのが多すぎます。そこを一つひとつ丁寧に洗い出し、整理し、どうやっていくのか。例えば、細かな点でいえば、社内の席替えや朝礼のやり方、各事業の計数管理方法や会議体のあり方なども変えていく必要があります。
そこをさせてもらうことができるというのは、僕にとっても訓練になるし、そこを乗り越えたら、ゼットンにはすごく明るい未来があると思っています。
今は、あれもこれもやらなきゃと、必死に一日一日を生きるっていうことをやっています。社長業を徹底的に極めて、ゼットンだからこその社長業を楽しみたいです。
「ゼットン辞めません」宣言に隠された鈴木氏の思いとは
鈴木社長はいつごろから内示的なものをうけていたんですか。
鈴木 ちょうど上場した10年ぐらい前からそういう話が出るようになりましたが、社長交代の具体的な話で僕が正確に覚えているのは、ちょうど震災を乗り越えた2011年。上場した5年後です。「これから時代はさらに変わっていく。まずは自分たちを変えていかなければ」という話を会食でしている時に、稲本から「ゼットンの代表になることについて、お前の覚悟はどうなんだ?」とあらためて問われました。「僕はそこについてのブレはまったくありません」という会話をしたのを覚えています。
もともと独立願望がなかったわけではないんですが、ゼットンで店を創っていく過程においてその考えがいつしか薄れていきました。ゼットンは、一つ一つの店を丁寧に手作りしてきました。業態、オペレーション、もちろん商品もです。その店づくりを通して同時にチームの和、すなわち人間関係も作っていったんです。
店長としていくつもの成功体験をしたときに、いつのまにか自分が独立して一から事業を立ち上げるっていうイメージがまったくつかなくなっていました。「この仲間とずっと一緒にいたい。こいつらともっといいものを作りたい。こいつらともっと会社を大きくしたい」。そう強く思うようになりました。一番分かりやすくこの思いを表現するにはどうしたらいいのか考えて、社内外に「僕は絶対ゼットンやめないんだ」っていうことを言い続けることが一番自分をぶらさない、周りも分かってくれる方法だろうと思いました。それが「僕はゼットンやめません」宣言をはじめたと理由です。
「辞めません宣言」はいつごろからですか。
鈴木 東京に出てくる直前の2001年29歳。ちょうど30歳になる手前でした。一番覚えている「ゼットン辞めません」宣言は、地元の小さなラジオ局に「オデオンの店長・鈴木さんです」と紹介されて出演させていただいた時です。小さな電波でも発信しようと思い、「僕の将来の夢は、ゼットンの社長になることです」と宣言しました。
今、実際に社長としてバトンを渡されてどういう心境ですか。
鈴木 思った以上にプレッシャーはあります。稲本の後なので、良い意味でも悪い意味でもやはりいろいろな部分で大変なことがたくさんあります。整理してもしきれないくらいの仕事量とミッションが、目の前にすごい勢いであらわれてきています。それをしっかりと一つひとつやるその重圧。もちろん相当の覚悟でこの人事を受けているんですけども、ここまで大変なものなのか、とあらためて実感しています。ただ、ありがたいことに挨拶回りなどで会う諸先輩はじめみなさんが「社長業を楽しめよ!」って言ってくださるんですよね。そういう言葉に支えられながら、大変なことを楽しむ。そんな生き方が、すごく僕らしいと思っています。