インタビュー

パリのミシュラン店「Sola」吉武広樹シェフを起用した「MIFUNE New york」を2016年春オープン! 「ジャパンクオリティ」を世界に発信へ…

「鳥幸」「ぬる燗 佐藤」など高級和食店を中心に、六本木・銀座・品川・恵比寿・鎌倉・軽井沢などに展開する東京レストランツファクトリー株式会社(代表取締役 渡邉 仁氏)が、グローバル・プロジェクトを本格始動させた。
2016年春(予定)には、NYマンハッタンのミッドタウンイースト地区に、和食のグローバルレストラン「MIFUNE New York」をオープンさせる。
活躍の場を世界に求める若き日本人を積極的に起用し、世界で戦える人材育成を行う渡邉仁氏の「JAPAN QUALITYを世界に発信し日本のファンをつくる」というミッション経営の真意に迫る!


—飲食事業をはじめた経緯をお聞かせください。

4_35013年前に商社から独立し、400万円の資金で六本木のスナックの居抜き物件に、ビジネスマッチングをコンセプトにした会員制バー「HOME’S BAR 48(ホームズ バー ヨンパチ)」をオープンしました。当時は、年収1000万円~3000万円くらいのアーリーステージのIT系ベンチャー企業をはじめとした新興富裕層である“ニューリッチ層”の勢いもあり、これが大ヒットしました。2年間休みなく働いた結果、入会金10万円で1000人の会員を獲ることができ、1億円のキャッシュが貯まりました。飲食店では考えがたいことですが、実は在庫を抱えない経営「ノー在庫主義」をモットーに運営していました。周囲の飲食店に協力をお願いして、お客様からオーダーが入ったら走って調達しに行く、デリバリースタイルで慎重に営業していました。その後オープンした和食の職人を使ったオーセンティックな和食業態「御曹司 きよやす邸」は、その会員制バーのお客様の要望から誕生しました。

—お客の要望から誕生したとは、具体的にどんな要望だったのでしょうか。

6_350会員様からの「接待に使える和食店をつくって欲しい」という要望でした。老舗料亭のような高級店ではなく、使い勝手のいい店。客単価8000円~12000円の個室中心のオーセンティックな高級和食店。300人近い会員様の意見をリサーチしたなかで、具現化したのが「御曹司 きよやす邸」です。「きよやす」という名前も、九州の御曹司であった会員様の名前からいただきました。まだ六本木にミッドタウンができる前で、途中まで借金経営でしたが、当初2500万円投資した店が2年後に立ち退きで2億5千万円に化けました。会員さんが地上げの情報を教えてくれたり、ビルオーナーを紹介してくれたりと、人脈を駆使してさまざまな情報を得てカタチになりました。そのときのお客様とは未だに人脈も続いていますし、経営者として自分自身も育てられ、勉強させてもらいました。当時は、FCや洋食的なカッコイイ店が多いなかで、他に類を見ない業態となったこともお客様の意見をダイレクトに聞けたからこそだと思います。

—どうして職人を使おうと思ったのですか。

もともと「職人不在の飲食店をつくる」という発想はなかったです。もちろん最初から順調だったわけではありません。職人さんを使うことへの難しさはたくさんありました。ある日、お客様のフィードバックに対して言うことを聞かない職人さんが出てきて、全員辞めさせたこともありました。それでも、またいい職人さんに出会えるだろうと、とにかく一所懸命探し続け、職人さんを使うことに対して逃げるということはしませんでした。人事関係のお客様が多かったので、「どうやったら職人さんをうまく使えますか?」とお客様に質問したこともあるくらい、職人さんをどう使うかということを真剣に考えました。いまでは、有名・老舗の和食店から転職してくる職人さんも多いですが、人をどうやって使っていくかということは、やはり「HOME’S BAR 48」から含めて自分自身が教わりました。

—職人を使う上でのポイントを教えてください。

TRF_350まず、採用面接には、しっかりと時間をかけています。職人の世界にある徒弟制度の風習や価値観は、当社では通用しないことを最初にあえてはっきり伝え、納得できるまで話をしています。厳しい修行に耐えたどんなに腕の立つ料理人でも、いまは時代が違います。指示待ち族であったり、コミュニケーション能力が低かったりすると、これからの飲食店で活躍していくのは難しいです。あるとき、職人さんのなかには、自分でどんどん表現をしたいアーティスト(表現者)志向の職人さんがいることに気がつきました。彼らは、アーティストとして扱うことで能力高く取り組んでくれます。自分がこれまで育ってきた環境と同じものを望むタイプなのか、アーティストとして扱ってもらいたいタイプなのかを見極めて指導しています。そして、絶対に夢を叶えてあげるということを言い切ってあげることが大切だと考えています。そうすることで、お互いのベクトルの方向を合わせることができます。

—御社は「リッチ・ミドル・カジュアル」の3つの業態を軸としていますが、カジュアルにあたる居酒屋「神屋流 博多道場」は、どのような背景で開発されたのでしょうか。

職人さんを使うだけではなく、職人さんたちがつくったものを面でやるための分野が欲しいと思い、居酒屋をはじめました。「神屋流 博多道場」ができたのは、当時、九州出身のスタッフが多かったこともあり、彼らが中心になって妥協しないレベルの手作り感のある業態をつくりました。メニューにも実存するおばちゃんがつくった「なめみそ」を使ったり、生まれ故郷のものを拾い集めたりして、食材よりも九州の作り手にフューチャーしました。おばあちゃんなのか、お母さんなのか、お父さんなのか……。そこにストーリーがあるもので、全てにおいて九州にとことんこだわりました。ひょっとして、当時の中心メンバーが九州出身者でなかったら違う業態だったかもしれません……。

—若者の夢を応援する「実業団バスケ部」や「劇団東京」を手掛けた理由を教えてください。

派手さのない和食に、人を集めるための価値をどう作り出すかということから生まれました。バスケに関しては、一流選手になるために一生懸命スポーツに専念してきた人たちが練習を続けながら就業できる受け皿として、昼間は練習して夜は居酒屋で勤務する。雇用を確保しつつ、夢を追いかけられるという、お互いがwin-winの関係になって成り立っています。劇団に関しても同様です。地方から演劇をやりたいと目指して上京してきた人に対して、当社の飲食店で勤務することを条件に普段授業を受けられない有名な先生を誘致して無料で本格的な演技指導を行ってもらっています。飲食店では、接客も含めて演じることが大切なので、日常の中での訓練所として、自己アピールする場としても機能しています。お客さんがファンになって、応援してくれるのも彼らにとってのモチベーションにもなっているようです。ゆくゆくは、バスケ選手だけの小さな店を出店して、彼らが地域とひとつになって、地域の実業団として応援してもらえるような環境をつくってあげたいとも考えています。

—商品開発はどのように行われるのですか。

まず、業態づくりから始めます。どんな客層をターゲットにするかを決め、その客層のライフスタイルをイメージして商品開発をします。たとえば、「HOMES’ BAR 48」はカップルのお客様では儲かりません。男性3〜4人のグループが、食事の後にもう少し仕事の話をしたいと思ったときに選んでもらえるのがベストです。「鳥幸」に関していえば、男子の世界感で、男性のお客様に集まって欲しいと開発しました。最初は、まるで男子校かのように男性のお客様ばかりでしたが、いまでは女性のお客様の比率が高くなっています。これによって、焼き鳥とワインが女性に支持されるということもわかりました。

—海外進出に関して、いつごろから本格的に海外進出を考えられたのですか。

8_350本格的に考え出したのは、台湾をオープンした直後です。さらに、「鳥幸」をつくったことから海外のお客様が増えてきたこともあり、社内からも海外で展開したいという声が上がってきたことが、いちばんの追い風になりました。また、商業施設からの引っぱりが強くなって行くなかで、東京オリンピック開催が決まったことも要因にはなっています。海外では、いまロンドン発の和食レストラン「ZUMA」が大爆発しています。1店舗で年間10億円を売り上げ、10店舗以上を海外展開しています。日本食が海外でこれだけ受け入れられている状況にありながら、100ドル前後の客単価でのグローバルチェーン的な日本発信のレストラン企業がないことから、本格的にグローバル展開を考えました。

—この度、ニューヨークに「MIFUNE New York」を出店するのはどういった経緯からですか。

7_350海外に「三船敏郎」をコンテンツとして持っていくのであれば、ブランドとしての価値が最大限に活かされるのがニューヨークだと判断しました。三船さんは、ニューヨークのフィルムフェスティバルでも何度も登場していますし、晩年にはニューヨークのジャパン・ソサエティーで1ヶ月間ずっと三船作品が放映されたときも世界中から大反響があり、高い評価を獲得しています。台湾と同様に「JAPAN QUALITYを世界に発信し日本のファンをつくる」ということをミッションに掲げているので、いずれ世界展開を考えたときにも、世界の中心であるニューヨークから発信することは価値になると考えています。オーセンティックな和食はニューヨークでは続かないので、「HOMES’ BAR 48」と同じようなアーリーステージの“ニューリッチ層”に対して、慣れ親しんだフレンチジャパニーズのように現代流のアレンジを加えた料理で入っていて、もっと日本に興味をもってもらい、新しい日本食の入り口として世界中の人に広げていきたいと考えています。

—スタートメンバーに、ミシュランの星を獲得したパリ五区のレストラン「Sola」の吉武広樹シェフをスターティングメンバ―に起用したのはなぜですか。

「RED U‐35」の2014年優勝者であるだけでなく、本田直之氏の著書「なぜ、 日本人シェフが世界で勝負できたのか」を読んで感銘を受けました。そのなかで、「同じ土俵で戦わず、自分の強みで勝負する」というレストランSolaの吉武広樹シェフに、日本人であることが武器であるということを強く感じ、彼の店に食べに行きました。そこで、世界が「MADE IN JAPAN(優れた製品)」の時代から、「JAPAN QUALITY(日本人の心から生み出されるコンテンツ)」の時代にシフトしていることを確信し、JAPAN QUALITYを世界に発信したいと強く思うようになりました。日本の技術をもって、フレンチベースの料理に和食の出汁文化を入れるとか、和食ベースの料理にフレンチの技法を入れるとかいうのが、いま世界中で受け入れられています。若くて才能のある日本人をもっと海外に送りだし、日本人の心から生み出されるコンテンツで世界中の人に感銘してもらう先駆けになりたいと思っています。

—グローバル・プロジェクト「MIFUNE New York」について教えてください。

同店のメニューは、オーセンティックな日本料理ではなく、グローバルに活躍する吉武シェフによる現代流のアレンジを加えた料理にデザインしてもらっています。今後も、世界に活躍の場を求める才能豊かな若き日本人シェフをメニューデザイナーとして起用し、ラインナップメニューとして入れていきます。起用したシェフには、ニューヨークのジャパン・ソサエティーでも講演をしてもらうなどして、毎年新しいシェフのお披露目の場としても機能させたいと考えています。三船さんが31 歳という若さで海を渡り、日本人の価値を世界に知らしめ、世界で評価されるパイオニアとなったように、現代の才能豊かな若き侍たちが、刀を包丁に持ち替えて世界へ羽ばたいて行って、世界で評価される。レストランでありながら、「三船敏郎」という人物をプロジェクトの象徴として、日本人が世界で自らの可能性を表現する場所として、日本人の評価のバロメーターとなるレストランを目指します。

—なぜ、いままでニューヨークで日本人の店が根付かなかったと考えますか。

2_350ビジネスは情報量が少ないと失敗する確立が高まります。さらに、ニューヨークのレストランビジネスは甘くないです。理由の1つには。異常な家賃の高さがあると思います。もう1つは、ニューヨークの人たちがストーリー好きだということにあると思います。ニューヨークで流行っている寿司店も、フランス料理のコースのようにお皿に乗せてお寿司を提供しています。銀座の「すきやばし次郎」のドキュメンタリー映画 「Jiro Dreams of Sushi」 のヒットが牽引していることもありますが、次郎さんのもとで10年以上研鑽を積んだ弟子が握る。日本からニューヨークに出てきて、伝統的な日本の寿司屋ではなく、世界的なグローバルレストランとして新しい革新的な要素を取り入れた点が評価されていると思います。ニューヨークタイムズに「次郎さん譲りのお寿司」と紹介され、240ドル1本の高級店ですが、3ヶ月以上予約が取れません。

—ニューヨーク出店に関して、ご自身がなされたことやポイントを教えてください。

オープンさせるために、合計1年間はマンハッタンで過ごしました。アップタウンとダウンタウン、イーストとウェストの違い、ミートパッキング地区など、1週間ずっとマンハッタンの街中をランニングして、自分の目で見て、この地域の特性は何なのかということを全部わかるようにしました。いまの情報化社会において、人脈を駆使してさまざまな情報を得ることは、飲食人にとってもとても大切なことだと思っています。正直なところ、旅行気分で海外に行って、いい物件に出会ったからやろうという安直な考えでは無理だと思います。2億ぐらいの投資ができる資本力は最低でも必要ですし、立地の確保だけでなく、やりきった感のある投資、メディアも含めた応援者を周到に用意することの全てが必要だと思います。

—最後に、今後の展開や課題、上場計画について教えてください。

5_350海外に関しては、ベンチマークしている「ZUMA」のあるところには出店したいと思っています。「ZUMA」の強さも、いいところもわかっているので、「ZUMA」にないところと「ZUMA」よりもウチにある本物感で、どう勝負するかだと考えています。チャンスがあれば、ニューヨーク・マンハッタンに「鳥幸」を持っていきたいとも思っていますし、マンハッタンにあるいいものを日本に持ってくるということも考えているので、コンテンツとしての双方向はあると思います。ロンドンはたくさん声がかかってきていることもあり、「ZUMA」の発信地でもあるので、出店する可能性は高いと思います。国内は、商業施設やホテルを中心に14店舗の出店を計画しています。新たな業態開発においては、「鳥幸」の職人スタイルで食べさせる、牛たん業態を開発している最中です。「鳥幸」や「ぬる燗 佐藤」の業態ができてから、食のトレンドや情報感度が高い人たちや和食のかっこいい世界感に対してライフスタイル感を感じる職人さんが集まってくれるようになりました。また、グローバル・プロジェクトを立ち上げたことによって、外食業界以外からもグローバルな人材が集まってきていますので、彼らの成長と活躍の場を見出して広げてあげる場を提供していくことは今後の課題です。上場に関しては、次なるビジョンを考えたときに、IPO(新規公開株) による資金調達が必要となったときに考えるかもしれませんが、いまのところはそれに伴う成約を考えることはありません。ただ、会社を筋肉質にしていきたいこともあり、上場ができるぐらいの透明性など、準備をしていく環境は整えています。

(聞き手:大山 正/文:下前 ユミ)

■渡邉 仁氏プロフィール
東京レストランツファクトリー株式会社 代表取締役社長。1971年生まれ、福島県出身。美術品の貿易会社を経て、2003年7月に会員制バー「Home’s Bar 48」で外食業界に参入。現在は「鳥幸」「ぬる燗 佐藤」など高級和食業態を中心に、国内外31店舗の飲食店を運営。「JAPAN QUALITYを世界に発信し日本のファンをつくる」というミッション経営のもと、国内では大使館関係者中心とした在京外国人を無料招待して日本のファンをつくるイベント(※1)を定期的に開催。2016年春(予定)ニューヨーク出店を皮切りに日本発信の和食のグローバルレストランを目指すとともに、活躍の場を世界に求める人材を採用・育成する「グローバル・プロジェクト」を発足させた。
また、飲食の枠組みを越えた取り組みにも積極的で、日本のファンをつくる国内最大級の日本文化発信サイト「SAKURAvillage」(※2)を運営し、約42万人のファンのアンケート結果を海外出店のマーケティングに活用するなど、他社とは一線を画したレストラン展開を行っている。東京レストランツファクトリー株式会社
http://tokyo-rf.com/(※1)在京外国人イベント
JAPAN QUALITYを世界に伝える試み

「日本のファンをつくる」国内最大級のコミュニティーサイト
http://sakuravillage.jp/
https://www.facebook.com/SAKURAvillage

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