【第1回】甲子園球場より人口の少ない町で繁盛店を作った伝説の店長
(Kaya Group代表取締役:小山 裕氏)
音楽、主に弾き語りを中学の頃から続けていて。最初はエンジニアとして働いていたのですが、レコード会社に声をかけてもらいバンドを結成し、24歳のときにメジャーデビューしました。2年ほど活動しましたが、やはり芸能界で売れるというのは厳しい世界でバンドは解散、レコード会社を辞めてイチからやり直そう、と思っていました。そんな折、レコード会社の社長から「飲食店を始めるので手伝ってくれ」と言われました。お世話になったし、また音楽を始めるまでのつなぎとして……そんな気持ちで「1年だけなら」と引き受け、ある居酒屋のFC店の店長を務めることになりました。
出店したのは兵庫県西脇市。人口は4万人ほど、甲子園球場の収容人数より少ない人口でした。本部からも「そんな場所で大丈夫か」と心配されましたが、社長が愛着のある土地だったのでオープンしました。当然、オープン後の集客状況は散々でしたね。
お客様が来ないので、私は日々チラシを持って店の前をウロウロ。日中はずっとビラ配りをしていたら、やがてアルバイトが「私もやります」と手伝ってくれるようになりました。だんだんアルバイト達とも打ち解けてきて、私は彼らにこの店の良さ、店を通じて実現したいことを、実現もしていないうちから夢を語りました。店の良さを伝える、すなわち自分が扱っているものの良さを伝えることは、将来、アルバイト達が社会に出て仕事をするときに役に立つことだと思うんです。次第にアルバイト達が共感してくれたのか、私がそうしたように後輩アルバイトに店の良さを語るようになり、その思いが店全体に広がってゆきました。最終的には、チラシ配りで声をかけた人へ店の良さを伝えるようになっていった。毎日、スタッフ総出で店の前でチラシ配りをしていると顔なじみの人も増え、声をかけた人がようやく来店したときはすでに仲良しで、初来店なのに常連のような雰囲気で迎えるという不思議な現象が起こっていました(笑)。
町で店がだんだんと認知され、当時28歳だったのですが、ある時、地域の消防団の団長が「若者がこんな小さい町で頑張っている」と、「今度、大きな訓練会があるから来い」と呼んでくれました。一緒に訓練に参加し、最後は拡声器を持って檀上に上げてもらい、店の宣伝をしましたね。こうして地域の人たちの懐に入り込んで、会社や地域コミュニティで店の宣伝をさせてもらいました。そうして来店してくれたお客様のリクエストに応えれば、かわいがってもらえる。小さい町だったので、だんだんと声をかけてもらえるようになった。
西脇という甲子園球場の収容人数よりも人口の少ない町で売上を上げたことが評価され、社内表彰にて、40店舗ほどある中で2度、最優秀店長に選ばれました。そうこうするうちに1年が経ちました。店は順調でしたが、私は約束通り音楽に戻るつもりでした。
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