チェーン店に興味がない私が、「はなまるうどん」と聞く と反応してまうのは、香川出身でさぬきうどんには目がないからだが、それにしても「はなまるうどんがなぜいま“立ち飲み”か」という点はチェックしておか ねばならない、と思った。しかし、その「うまげな酒場」という立ち飲み店、はなまるうどんのホームページにも一切出ておらず、ネットで検索してもほとんど 出てこない。“謎”めいた話である。“うまげな”は讃岐弁で“うまそうな”という意味。本当にそんな店はあるのだろうか…? しかも、場所は茅場町である。私が20代をどっぷりと過ごした“株の街”だ。『小説兜町(しま)』でデビューした小説家・清水一行に憧れ、雑誌も出 していたいかがわしい投資顧問会社にアルバイトで入り、学生編集者として相場師や株式評論家の取材をしていた。卒業すると証券記者として東京証券取引所や 証券会社のディーリングルームが職場となった。そんなことはどうでもいい、「うまげな酒場」に行かなければならない。実はこの話を知ったのは、西川りゅうじんさんからはなまるうどんの河村泰貴社長を紹介されたときである。すぐに河村さんにメールを入れて面会を申し込んだ。さっそく返信が来て、「それでは、うまげな酒場で会いましょう」。 それで、昨日「うまげな酒場」を訪ねることになった。その店のあるビルを見て驚いた。私がアルバイトをしていた投資顧問会社のあったビルではない か!懐かしい。店はベタでコテのよくある立ち飲みだ。しかし、売りの「串天」は珍しい。薄い衣で揚げた天ぷらをなんと関西串揚げの二度漬け禁止のソースに 浸して食べる。これがなぜか、イケるのだ。なかでも、ごぼう(100円)、トマト(100円)などの野菜がよく合う。で、うどんは〆で食べる。「はなまる の麺とちょっと違うんです」と河村さん。ランチも営業し、4種類だけのうどんで200人の客が押し寄せるという。夜も盛況で、18時半から21時半までい たが、ほぼ“満員御礼”状態だった。 店の概要については、後日、ヘッドラインで書くつもりだが、「いまなぜはなまるが“立ち飲み”か」のエッセンスだけを言うと、要はうどんチェーンだ けでは都内にもう採算のあう物件がなく、出店のためには新業態をつくっていくしかない。どうせやるなら一つ一つ違う顔の“個店主義”を貫こう。ヒット業態 を開発し、地域ドミナントで広げていく。2010年には30店舗までいきたい。セルフ式ではないので、サービスの勉強もできるし、業態が増えれば人材も獲 得しやすいし、はなまるの人材活性化にもつながる、というわけである。 河村さんはアルバイトから叩き上げた現場エリートで、吉野家の安部修仁社長の秘蔵っ子。自ら志願して資本参加したはなまるうどんに入り、今年4月社長に就任したばかり。まだ38歳、経営の参考にしたいと最近交流を始めたダイヤモンドダイニングの松村厚久社長と同じ世代とか。現場を任されているのは、ナンバー2で新業態開発部の前田良博さん。高知県出身ではなまるうどん創業メンバーの一人。金髪のイケメンである。金髪には意味があり「業務命令なんです。内面を改造するためです」。 この話を聞いて、昔フレッシュネスバーガーの 栗原幹雄社長から「ウチはマックやモスと違います。スタッフは私服にバンダナです」と聞いたことを思い出した。河村さん以下、4人の新業態開発チームが密 かに動き出したわけだが、今後の新業態開発が愉しみ。本体のはなまるうどんも安定成長をキープ、「2009年には再度上場にチャレンジする」との発言も聞 かれた。 うまげな酒場で酒が進むうちに、私は20代の青春時代にタイムスリップ、昔この街でよく一緒に飲んだ兜町の古株ジャーナリスト・篠田達さんを呼び出して痛飲。彼は“立ち飲み初体験”だという。「この辺でよく通ったカラオケスナックが潰れてねぇ」と淋しそうにつぶやく。ついつい、バブル時代を思い出して二人で銀座のカラオケスナックに繰り出してしまった…。
コラム
2007.06.28
はなまるうどん「うまげな酒場」の謎
あの「はなまるうどん」が茅場町に立ち飲みうどん酒場"をオープンしたというので、興味津々、さっそく訪ねてみた。 "
佐藤こうぞう
香川県生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業後、日本工業新聞記者、雑誌『プレジデント』10年の編集者生活を経て独立。2000年6月、飲食スタイルマガジン『ARIgATT』を創刊、vol.11まで編集長。
その後、『東京カレンダー』編集顧問を経て、2004年1月より業界系WEBニュースサイト「フードスタジアム」を自社で立ち上げ、編集長をつとめる。
現在、フードスタジアム 編集主幹。商業施設リーシング、飲食店出店サポートの株式会社カシェット代表取締役。著者に『イートグッド〜価値を売って儲けなさい〜』がある。