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フースタ繁盛ゼミ11月度「美味しい」は国境を越える~加古川の1軒の焼鳥屋から世界へ~講演レポート

飲食経営者に向けて、よりハイレベルな店・会社・人材づくりを目指し、フードスタジアムが毎月開催する「フースタ繁盛ゼミ」。2018年11月度は、基調講演とパネルディスカッションの二部構成で行われた。今回レポートする第一部のテーマは「『美味しい』は国境を越える~加古川の1軒の焼鳥屋から世界へ~」。「丸亀製麺」でおなじみ、トリドールホールディングス代表・粟田貴也氏が登壇し、自身の創業時の話や繁盛の秘訣、今後の展望などを語った。


【概要】
2018年11月26日開催
フースタ繁盛ゼミ 11月度

《第一部:基調講演》
「美味しい」は国境を越える~加古川の1軒の焼鳥屋から世界へ~
講師:株式会社トリドールホールディングス 代表取締役 粟田貴也氏
コーディネーター:フードスタジアム関西編集長 今富信至

《第二部:パネルディスカッション》
和食を世界に! 世界に通じるジャパンクオリティとは
今富氏が引き続きコーディネーターとして進行。粟田氏に加えて以下2名がパネル講師として参加。
・東京レストランツファクトリー株式会社 代表取締役 渡邉仁氏
・株式会社ファンファンクション 代表取締役 合掌智宏氏

【講師】

株式会社トリドールホールディングス 代表取締役 粟田貴也氏(以下、粟田)

【コーディネーター】

フードスタジアム関西編集長 今富信至(以下、今富)

始まりは、兵庫県加古川の8坪の焼き鳥居酒屋からだった

今富:今回のフースタ繁盛ゼミは、フースタ関西と合同の開催ということで、私、今富が司会進行を務めさせていただきます。もう、この会場でも「丸亀製麺」を知らない人……いませんよね? 第一部では、講師の粟田貴也さんからご自身の経験から見出した、繁盛店の秘訣などを聞かせていただこうと思います。今や「丸亀製麺」は国内外で1000店舗を越える大手チェーンになっていますが、粟田さん自身、最初は一軒の居酒屋さんから始まったんですよね?

粟田:はい。もともと、僕が商売を始めたのは23歳のころ、今から33年前になりますね。故郷でもある兵庫の加古川の、赤ちょうちんが並ぶ飲み屋街で焼鳥屋を出したのが最初です。たった8坪の小さな店で、いわゆる「ザ・焼鳥屋さん」という普通の店でした。でも、古風な店が多い通りだったんで、カタカナ表記にして、若さと洒落っ気のあるお店だと印象づけようと「トリドール三番館」って店名にしたんです。

今富:おや? 初めてのお店なのに三番館?

粟田:ええ、もともと1店舗で終わらせるつもりはなかったんで。「まあ、3店舗くらいは出さんとな」と、当時はそのくらいを目標に設定していました。会社にしたり、全国や海外展開をしたりなんて思ってもみなかったですね。

今富:今となっては想像もつかない話ですね。とはいえ、その後目標を越えて店舗数を増やしたとありますが、ここでの繁盛ポイントは何かあったんですか?

粟田:まず一つは時代的な背景があったかと思います。当時はバブル前夜で、加古川に居酒屋らしい居酒屋が少なかったので競争が緩かった。この辺は運が良かったと思いますね。
もう一つは、東京で流行っているものをしっかりチェックしていたことです。当時の関西は東京の流行りがワンテンポ遅れてやってきていたんです。

今富:なるほど。つまり、東京で売れている店がやっていることをいち早く関西に持ってきていたということですね?

粟田:そうですね。あの頃は、若い女性が居酒屋に行くことは珍しかったので、看板に「洋風」といれて、女性受けを狙ったんです。食べ物はサラダやオムレツ、飲み物にもスクリュードライバーやモスコミュールみたいな簡単でお洒落なものを加えてみました。

今富:売れたんですか?

粟田:売れたんですよ。勢いに乗って「洋風焼鳥居酒屋」として加古川に5~6店舗展開できました。

今富:そこからは、トントン拍子に?

粟田:それが、いかないんですよ。すぐに東京の洋風居酒屋が関西にもやって来たんです。すると、物珍しさがなくなるのでだんだん客足が減って来る。売り上げはだいぶ落ちてきて、「さて、どうしたものか」と考え始めるわけです。

今富:今度はどんな新しいものを始めようかと思ったんですか?

粟田:ちょうどそこで、ファミレスの居抜き物件で何かやらないかというお話をいただいたんです。当時は、ファミレスが一般化した頃で、郊外立地の飲食店はさほど珍しくなかった。でも、「居酒屋の業態で」というのはありませんでした。そこで、せっかくのチャンスだからやってみようと、郊外のファミリー向け焼鳥屋を開いたんです。

今富:売れたんですか?

粟田:売れたんですよ。

今富:またしても。すごいですね(笑)

粟田:この時も時代にないものをやったのが良かったんだと思います。「これや!」と思って郊外に店を出しまくりました。ですが、なにせ広いから1店舗の経費がやたらかかる。これは続かんなと思いました。

上場への準備と、香川の製麺所との出会い。そこで流行った鳥インフルエンザ

今富:そしてまた、次の手を?

粟田:はい。その頃は1995年あたりで、ITバブルの影響で上場をする会社が多かったんです。それまでは上場なんて言葉すら知らなかったんで「上場するとお金が入って来る」って勝手に解釈して、上場するにはどうすればいいのか考え始めました。

今富:当時は飲食業態での上場は一般的ではなかったですよね。図らずも、また新しいところに目を向けたと。

粟田:株式会社にして、上場支援コンサルタントを入れ、2000年ころには上場に向けての資金の目途はついてきたんです。ところが、ここで僕にとっていくつかの転機がやってきたんです。

今富:と、いうのは?

粟田:父親の実家が香川の丸亀市あたりにあったのですが、そこの街で讃岐うどんブームが来ているという話を耳にしたんです。行ってみると、名もない小さな製麺所に行列ができているんですよ。これは衝撃でした。当時、自分たちは上場を目指して忙しくしていたのですが、自店舗のことを思い返してみると行列なんかできたことがない。対して、目の前の製麺所には絶えずお客様が並んでいる。もしかして、自分たちはお客さまの需要をはき違えていたのでは、と思い始めたんです。「きっと繁盛の極意はこの製麺所にある!」と考えた瞬間、体得して自分でやりたいという気持ちが止まらなくなりました。

今富:場所が丸亀市で、讃岐うどんの製麺所。そうきたら、いよいよあの店が?

粟田:当時の資金はほとんど上場にかけていたので、低予算で加古川に1号店の「丸亀製麺加古川店」を出しました。手作りの出来立てを、お客さまに食べていただくことで、味しさの旬をその場で味わえる。今につながる理念はこの段階で出来上がっていました。

今富:うどんは客層の幅も広いし、低価格で提供できるところも強みですよね。すると、そこから丸亀製麺の展開が始まるわけですか。

粟田:ところが、そうもいかないんですよ。その間も上場の準備は着々と進んでいたので。

今富:もともとはトリドールのための上場でしたもんね。

粟田:だいぶ資金を費やしているし、色々な人が関わってくださっていたので、「丸亀製麺をやりたい」とは言えなかったです。そんなわけで、「上場はしよう」と予定通り進めていたのですが、ここで鳥インフルエンザが流行したんです。

今富:あれは焼き鳥業態の店には大打撃だったと聞きます。

粟田:忘れもしない2003年。上場の前々年にも関わらず、売上は半減しました。それより前のBSEの時に、焼肉業態の人たちから色々なお話を伺っていたので、そのことを思い出したことで精神的なダメージも大きかったです。本当に、どんよりと落ち込んでしまった。そういう状態だったので、上場計画は止めることにしました。

フードコートへの出店で事業再編。そこから全国展開へ

粟田:上場計画が止まり、会社の売り上げも落ちて踏んだり蹴ったりだったのですが、そこで腐ってもいられないわけです。どうしようか思案していた時に、今度は「神戸市のフードコートに出店しないか」というお話をいただきました。

今富:また、引き寄せてますねえ。これが初のフードコート店舗「丸亀製麺プロメナ店」ですね。

粟田:当時のフードコートは、出来合いの商品で、「安かろう悪かろう」な店舗が多かったので、そこに「出来立てをその場で味わう」丸亀製麺のうどんを持って行けば、差別化ができるかと考えたんです。また、一般的な店舗と違って、フードコートなら投資を抑えられるので、出してみようと決意しました。

今富:売れたんですか?

粟田:売れたんですよ。

今富:やっぱり(笑)

粟田:1号店が売れたら、デベロッパーさんは次の話を持ってきてくれるんです。ところが、2店舗目は北海道に出しませんか?って言うんですよ。「兵庫からいきなり北海道じゃ遠すぎやろ!」と驚いたものですが、ここで断ったらもう仕事は来なくなるのではないかと考えてしまうと、受けないという道は選べなくてですね。

今富:北海道でも、売れてしまったと。

粟田:そうです、ようわかりましたね(笑)そうして、次にデベロッパーさんが持ってきてくれたのは熊本で。

今富:遠いところばかり。

粟田:これも、せっかくいただいたお話だからお受けしたら、そこでもまた売り上げを上げることができた。土地が違えば、お客さんの舌も違う。それでも全国のあちこちの人から美味しいと言ってもらえるのだから、このままのスタイルと味で行けるという自信もつきました。鳥インフルエンザと上場計画の打ち止めで弱気になっていた僕に、全国展開のプランを作ってくれて勇気を与えてくれたデベロッパーさんには今でも感謝していますね。

今富:うどんの他にラーメンや焼きそばの業態も展開していますが、こちらも丸亀製麺のノウハウを活かしているんですよね?

粟田:はい。店舗に製麺機さえ入れれば、「出来立てをその場で食べていただく」という理念を守ることはできるんで。こうした試しをできたのもありがたかったですね。

繁盛の秘訣と今後の展望

今富:そうして現在は国内で800強、海外200強の店舗を展開。2008年には無事に東証一部上場もしているわけですが、ズバリ繁盛の秘訣とは何なんですか?

粟田:僕が思うに、敵がいないブルーオーシャンを見つけて、勝ち筋を見出すことだと思います。これは、創業期の焼鳥屋の時からそうですが、周りにないものを提供しなければ、見向きもしてもらえない。これは日本でも海外でも同じです。僕の場合は、たまたまプライベートでハワイに行ったとき、うどん屋をやるのにちょうど良さそうなテナントを見つけた。周りにはうどん屋はない、じゃあやってみようと。そこでうまく行ったものだから、2つ目、3つ目もどんどん出してみる。この展開は、日本でやっていたこととそんなに変わらないんですよね。

今富:やってみて、行けると思ったらどんどん進めていくと。

粟田:そうです。強い思いとやる気があるなら、徹底的にやった方がいい。ただ、その中で自分たちの信念を曲げたらダメだと思うんです。ウチで言ったら、「手作り出来立て」は絶対に崩さない。実際、色んな人から「味の画一性や効率化を図るなら、工場生産にするべき」という意見もいただいたんです。でも、今となったら手作りにしていて良かったと思っています。結果的には、手間暇かけていることでライバルの参入障壁になりました。手作りこそ、ウチのオリジナルになったわけですね。

今富:正直、社員やスタッフの方は大変そうですね。

粟田:そうですね。大変だと思います。けれど、その中でも頑張ってくれている社員の方は宝だと思っています。手作りである以上、勤めの長さによっても技術に差が出てくるので、永年勤続表彰なども設けているんですよ。

今富:手厚いですね。では、そろそろまとめに入ろうと思うんですが、今後の展望をいただけますか?

粟田:実は、先日「2025年度までに6000店舗出す」と宣言してしまったばかりなんです。今が1600店舗なので、4倍にせないかん。

今富:おお、すごいですね。自分でハードルを上げてしまった。

粟田:どうしようかは、社員と相談しています。ウチは外食畑以外だったり、若くてたたき上げだったりと、色々な人間が集まっています。きっといい意見が出てくるでしょう。また、M&Aを行っているのも、自分たちの裾野を広げるためです。過去の成功体験がある会社なら、その分の力と知識がある。自分でできないことをやってもらったり、教えてもらったりできる。そういったことを繰り返していって、また新しいものを始めていけると思っているんです。

今富:挑戦する気持ちは常に持っていると。

粟田:もちろん! 現在の外食産業は、僕が創業した頃と全然状況が違います。デフレは長く続いていて国民の消費も鈍い。でも、賃金は上がっていて経営は苦しくなっている。そういう時代だからこそ、外食産業に携わっている人は、自分たちが、お客さまに与えているものが何なのか、自分たちの仕事の価値を推して知るべきだと思うんです。そういう人たちに外食産業に夢を持ってもらえるようにチャレンジを続けていって、常に周りから「何かやってくれる!」と、期待されるような会社でありたいと思っています。

今富:ありがとうございます! 粟田さんが「ブルーオーシャン」と例えたように、常に新しいものを探して、自分だけのオリジナルを見出すことが繁盛店を生み出す秘訣なのかもしれませんね。外食産業は、決して楽な業界ではありませんが、聴講者の皆さんも、粟田さんのように常に挑戦する心を忘れずに、突き進んでいってくれたらと思います。粟田さん。本日はありがとうございました。

※フースタ繁盛ゼミ11月度 後編 パネルディスカッション レポートも近日公開予定です。ご期待ください。

(取材=髙橋 健太)

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