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ビール業界に精通する経済ジャーナリスト・永井隆の書き下ろしシリーズ企画第二弾!”ビール営業物語”
【第2回】チームで勝つ!アサヒビール精鋭部隊、示村隼の奮闘と日常と


「マイド」、「オオキニ」で京都を営業

 初めての営業フィールドは、示村隼にとって新鮮であり、刺激に溢れていた。2008年4月に入社すると、工場研修などをしながら京都支店に仮配属される。
帰国子女ではあるものの、基本が東京出身であり大学も青山学院を卒業していた示村。たまたま飛び込みで訪問した酒販店の社長夫人と、1時間近く話し込む。子息が東京の大学に入学したばかりで、夫人は東京について、そして東京の大学生の生活スタイルについて、3月まで大学生だった示村から情報を得たのだった。
「うちの子は大丈夫かしら。甘やかして育てたから」
「心配ないですよ」
支店に帰ると示村は、先輩を捕まえて誇らしい気持ちで話した。

「僕、1時間もしゃべっちゃいましたよ。すごくないですか」
「バカヤロウ! 京都では長居は禁物なんだ。ぶぶ漬け(お茶漬け)や逆さ箒を知らんのか?」
京都ではお茶漬けを勧められたり、箒が逆さに立てられたりしていたら、客に対して「帰ってくれ」との意思表示だった。京都独特の風習であり文化だから、東京をはじめ他の地域の人々にはわからない。長居を嫌い、時間を有効活用しようとする生活習慣が、古いこの街には根付いているようだ。
若い示村は、「マイド!」で飛び込み、「オオキニ」で立ち去るスタイルに切り替える。 外国語を使うようだったが、元気よく発して飛び込み営業を繰り返した。

江戸下町文化の色濃い江東区を担当

 京都スタイルと京都独自のリズムとがようやく板についた8月末、東京の中央支店に正式配属となる。
一週間だけ、支店は京橋駅前にあった旧本社ビルだった。が、再開発に伴い解体に入るため、すぐに晴海のビルに移転した。
示村の担当は江東区。京都とはまるで違う、東京の下町文化圏だった。ぶぶ茶や箒のような複雑な風習はない。また、京都の人のように、他の地域の人に対して気位が高いわけでもない。
ただし、コミュニケーションをとるのは、それなりに難しかった。
「僕、これ言いましたよね」、「言ったじゃないですか、何度も…」
と、若い示村が戸惑うやり取りは茶飯事となる。
そして最後は、唾が飛んでくるチャキチャキの江戸弁で、次のように言われて押し切られてしまう。
「営業マンなら、何とかしろよ!」
特に酒販店からは、最初の頃は頻繁に叱られた。言った言わないをはじめ、細かなことでもだ。それでも、一日に15件は酒販店を回る。
ただし、午後の2時半から4時半の間は、飲食店に飛び込みを行う。この時間帯は、ランチタイムが終わり、たいていの店は仕込みをしているからだが、ライバル社のビールを供している店も攻撃する。
「帰れ!」と、怒鳴られることは多い。だが、京都の仮配属から数えて半年間も飛び込み営業に従事していると、叱責を含めてどんな応対をされても気持ちはブレなくなっていた。慣れていたのだろう。
罵声を浴びせられた店には、頃合いをみて後日必ず再訪する。再訪を怠ると、どこか気持ちが萎えてしまうから。売り上げ数字を上げられないことよりも、気持ちで負けることの方が、本当は恐いことだった。

難しい樽の切り替え

 その一方で、現実の壁にもぶつかる。何度も訪問を重ねた焼き鳥店の店主は、示村を気に入ってくれた。
「スーパードライは、何と言っても日本で一番売れているビールだ。替えてあげるよ、生ビールを。それに、あんたは熱心だしね」
「ホントですか! ありがとうございます」
ところがだ、この店にビールを納めている酒販店は、もともとがライバルのビール会社系列の特約店(問屋)との関係性がめっぽう強かった。酒販店から圧力がかかり、切り替えは失敗に終わる。
瓶ビールなら替えてもらえても、メインである樽(生ビール)を替えるのは至難だった。
「堪えろ…」。先輩は言ってくれた。
チェーンなどの大手ならば、飲食店の立場は強い。しかし、小さな個店の場合、流通が実質的な決定権を持つケースはある。
気持ちを切り替えて、再び頑張るしかなかった。
江東区の他にも、大島などの伊豆諸島も担当。3カ月に一度は島に渡っていた。
そして転機は、2010年秋に訪れる。江東区を2年間担当した後、支店長から超大手酒販店を、メインで担当するよう命じられるのだ。

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