スペシャル企画

【フースタ関西 連動企画 vol.2】「浪花の妖怪」の後を継ぐ!元気ファクトリー新社長、石塚祐二氏インタビュー


「歌舞伎町のゴリ」が大阪で社長になるまで

―石塚社長と言えば「ゴリ」という愛称で有名ですが、当時からの呼び名なんですね。

石塚氏:はい、それでボスに顔を覚えてもらいました。歌舞伎町時代にはリーマンショックや東日本大震災もあり、大変だった時期もありました。当初は東京から離れる気はなく、元気ファクトリーの東京事業を分社化しようと思っていました。その布石として東京でラーメン店の立ち上げも行いましたが、うまくいかず。そこでボスに「東京と大阪、半々で会社全体を見ないか」と誘われ、東京と大阪、2拠点の統括マネージャーになりました。しかし、大阪では私が関東人だというのが引っかかるのか部下が言うことを聞かない。四苦八苦する中、当時の会社のナンバー2が独立で辞めることになり、私にそのポジションに声がかかりました。それを受けることにすれば、拠点を大阪に完全に移すことになる。東京にいたい思いもありましたが、ボスが自分を見出してくれたと思うと自然と覚悟が決まりました。大阪に移ると、私の覚悟が伝わったのか自然と部下もついてくるようになり、営業本部長から取締役に昇格。ついに2023年11月、ボスに変わって社長を務めることになりました。

―社長交代の経緯は?

石塚氏:途中まで東京の事業を分社化で譲ってもらうことを目指していたので、まさか自分が元気ファクトリーの社長になるとは思っていませんでした。社長交代の話は去年以前からしていました。でも「3年後」と聞いていたのに、ボスが突然「3年後は遅いから今年な!」と(笑)。「浪速の妖怪」の後はプレッシャーもありますが、断ろうとは思えなかった。選んでもらったからには「もっと真剣にならないと!」とより一層の気合いが入りました。元気ファクトリーがなければ今の自分はありませんから。すぐに話が決まり、盛大に社長就任式も開いてくれました。そういうのもボスらしいなと。

―なぜ自分だったのだと思いますか?

石塚氏:う~ん、なんでしょう。ボスと自分の「店への向き合い方が似ているから」かもしれません。ボスは商品、内装、戦略、すべて自分で手掛けてきた。自分も日々アンテナを張って、よりよい店にできるよう一つ一つ、細かいところまで向き合っている。今まで商品開発はボスが行っていたのですが、私がボス以外で初めて任された。そういう店への向き合い方をボスに評価してもらったのかなと思っています。

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