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【フースタ関西 連動企画 vol.2】「浪花の妖怪」の後を継ぐ!元気ファクトリー新社長、石塚祐二氏インタビュー

【フースタ関西 連動企画 vol.2】1982年、大阪島之内の喫茶店からスタートし、いまでは大阪を中心に国内外で焼肉店を中心に展開する元気ファクトリー。創業者の今吉純一氏は、その豪快な経営手腕から「浪速の妖怪」と呼ばれ、大阪の飲食シーンではよく知られた存在だ。2023年11月、そんな今吉氏が会長職に就任し、石塚祐二氏が二代目社長に就任した。今回は、「浪速の妖怪」の後を引き継いだ石塚氏の知られざる肖像を始め、新体制になり新たに取り組んでいること、今後の元気ファクトリーについてインタビューした。


元気ファクトリー
2025年で創業30年。「焼肉どんどん」「ホルモン肉五郎」「博多串焼きバッテンよかとぉ」「煮干しラーメン玉五郎」など、大阪を中心に東京、神戸、博多、シンガポール、マレーシアなどで直営、のれん分け、FC合計で40店舗を展開。
https://www.genki-factory.com/

石塚祐二氏
1982年、埼玉県生まれ。元気ファクトリーの「焼肉どんどん 新宿歌舞伎町店」のスタッフとなり、飲食の道へ。入社20年目となる2023年11月、代表取締役に就任。「ゴリ」の愛称で親しまれている。

母に勧められるままに飲食業へ。“ボス”こと今吉氏との出会い

―二代目社長に抜擢された石塚さん。まずは石塚さんのこれまでについて教えてください。飲食の仕事はいつから?

石塚氏:飲食業に進んだのは、高校を卒業して特に就職もせず、どうしようか思い悩んでいた時に母から「あなたはしゃべるのが好きなんだから飲食店がいいんじゃない」と言われたのがきっかけでした。そこで求人誌を開いたらたまたま新宿歌舞伎町の「焼肉どんどん」が目に入りました。「バーカウンターで楽しむ焼肉」という文言に惹かれ、また当時は実家の埼玉に住んでいて、東京で挑戦したい気持ちもあり応募しました。

―そこで元気ファクトリーに出合ったのですね。大阪を中心に展開していましたが、「焼肉どんどん」は東京の新宿歌舞伎町にもありました。

石塚氏:求人誌には「髪型自由」とありましたが面接には髪を黒く染め直し、スーツを着て行きました。そうしたら「そんなのしなくていい」と言われ、早速働くことに。個人店のように自由にやらせてもらっていたので、あんまり大阪本社の企業で働いているという認識はなかったです。でも、たまにボス(今吉氏)がお店を訪れるんです。だいたい東京で何かのイベントがあった際、過密スケジュールの中を縫って臨店していました。ボスの店を見る目付きは常に鋭く、ごまかしはすぐに見抜かれる。すごい人だ、と思ってボスが店に来るたびに「俺、ゴリといいます!」とアピールしていました。

2001年にオープンした新宿歌舞伎町の「焼肉どんどん」。歌舞伎町の様々な人が訪れる。写真左のスタッフが、当時の石塚氏

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