インタビュー

【九州版】「飲食が世界で一番いい職業」 O・B・U Company代表取締役・寺川欣吾氏をインタビュー!店舗はシャッター街から麻布十番まで。本場パリではミシュラン一つ星を獲得、卸業やワイナリーなど事業多角化で業界の地位向上に情熱

福岡県を中心に「松介」「博多ほたる」「焼肉龍王館」「ともすけ」など9ブランドを展開するO・B・U Company。東京、京都でも意欲的に出店を進め、屋号別に構えた店舗は2019年5月現在、直営35店舗、FC6店舗だ。飲食ビジネスに関わる関連会社も多数持ち、ミシュラン一つ星を獲得したパリのフランス料理店の活躍や北海道・小樽でのワイナリー運営も注目される。一方で、創業15年が経ち、今では世界を舞台に展開し、福岡県郊外への出店も続けている。「Be Happy」の企業理念のもと、飲食業の持つ力を最大限に生かし、人や地域に喜びを届けるべく成長し続けている同社。「飲食が世界で一番いい職業」と語る同社代表取締役・寺川欣吾氏をインタビューした。


ー昨年11月に東京・中目黒、6月7日には福岡・春吉、今秋には東京・恵比寿を予定するなど意欲的に出店を続けています。

毎年8、9月ごろに次の年の出店計画を決めていますが、事業部制にしているので「松介」「博多ほたる」など、ブランドごとのトップが出店の有無を判断します。各ブランドが個別の会社のようなイメージです。ホールディングス化を目指し、年内にも業績や運営内容が安定しているブランドを法人として独立させていく作業に着手するつもりです。権限を委譲することで、責任を持ってもらいたいと思っています。

一つの会社で30、40もの店の行き届いた管理をすることはできない。料理、BGM、トイレのチェックやアルバイトの管理など、出来て5〜10店舗じゃないでしょうか。お客さんが快適で良いサービスを受けられるというシンプルなことを追求するなら、細かなところまで目が行き届かないといけないはずです。

出店についてですが、僕はまず街が好きにならないと店は出しません。物件がある街の駅に降り立った時に晴れて見える街とグレーに見える街があります。ボケーっとコーヒーを飲みながら人の動きを見たり、街中にあるお店を眺めたりしてますね。どんなに人口が多くて都会でも、1軒も店を出してないエリアもありますよ。

福岡県外1店舗目は2011年オープンの「博多ほたる 麻布十番店」です。80席あるし、家賃高いし、90%反対されましたよ。「県外初出店をこんな難しい場所で勝負しなくてもいいじゃないか」と。だけど、少しずつみんなの気持ちを出店へと向けていったんです。反対されても出すというのは僕には珍しいことなんですが、麻布十番をものすごい好きになったんです。6ヶ月やって失敗したら戻ってこようと思っていたんですが、現在まで続いています。ちょうどその年に居酒屋甲子園で「居心地屋螢上人橋店」(現在は移転)が優勝して、同じブランドである麻布十番店のいい宣伝になったのもタイミングは良かったですよね。

ー福岡県内では西鉄沿線に多く出店していますが、必ずしも賑わっているエリアとは限らないようですね。

県内では天神、二日市、久留米、柳川、大牟田など西鉄沿線での出店が多いですね。O・B・Uが正式に創業する前ではありますが、当初の主力メンバーの多くが筑紫野市あたりに住んでいたこともあり、飲食店としての1軒目は二日市の「木鶏(現・MOKKEI)」でした。当時、大橋や久留米にも店を出していたので、その間に当たる二日市には本社も構えました。二日市では2012年に「ハイボール酒場 ともすけ」も出店しています。地元に戻らないといけないスタッフの地元に出店することもあれば、「街がガラガラだから来て欲しい」「周辺に良い店がない」という声がきっかけで出すこともあります。シャッターが閉まって、賑わいがないところでも、人が温かかったりして、「面白い街やな」となるんです。だから「やめとけ」と言われるような場所にも率先して出しています。

外食をする理由は、家族団欒、送別会、入院する両親との最後の晩餐、20年ぶりに友達と会うためかもしれませんよね。そのための場所が街にないというのは、飲食人としてさみしいでしょ。だから、「この街をなんとかしたい」という気持ちが湧き上がってくるんですよね。だけど会社のみんながやりたいと思わないといけないので、またみんなでその街に行くんです。すると社員のDNAは基本一緒なので「面白いかもしれませんね」となって出店へと動き始めることになります。

例えば、昨年8月に大牟田に出した「ともすけ 大牟田店」。周りに何もない真っ暗な通りに、店の明かりがポツンと灯るんです。すると、平日の雨の中なのにどんどん人が入ってくるんですよ。わーっと人の笑い声で盛り上がっていて、オープンして半年くらいだけど常連さんもいる。感激しました。

二日市の「ハイボール酒場 ともすけ」は駅近だけどシャッター街の裏通り商店街でした。だけど、ともすけが繁盛しだしたら、周りにバババっと居酒屋やバーができて、人通りが増えました。あんなのを見たら、飲食の持つ力は大きいなと改めて思いますよね。うちは社員とアルバイトで700人位いますが、長崎とか鹿児島、宮崎、佐賀など九州各地から福岡に働きに来ているので、九州の地方街、彼らの街に良いお店を創っていきたいと思いますよね。人口が減っているけれど、良い店を創って町の人が集まる場を創りたい。地方でオープンに至るとアルバイトを採用するので、結果的に雇用を創出することになり大事だなと思っています。飲食で働くのが初めての若い子なんかは、最初はビールと焼酎の違いもわからないくらいですが、半年くらいするとたくましく働いてくれている。そういうのを見ると嬉しいし、地方は地方でこれからも店を出していきます。

僕はたまたま関西から福岡に来て飲食をやってきたけど、福岡は気づいたらすごくレベルが高くなっていました。今僕が県外にいて、福岡に出せと言われても絶対できませんよ。特に僕らの主力の居酒屋は同じ4000円代でレベルの高い店がこの数年でどんどん増えている。良いサービスで美味しくて、1万円でお釣りがくる。だから福岡の地で大手チェーン店はかなわないんです。

京都市中京区にFCで「中るラーメン 京都木屋町店」が4月25日にオープンしました。僕は関西生まれ関西育ちですが、京都は40歳を超えていい街だなと思うようになりました。いい街であるのと同時に、京都という街のブランド力も大きいですよね。ラーメン以外の業態も出してみたいと思っています。名刺に「福岡、東京、京都」とあって、北海道でワインも造っているとなれば海外への良いアピールになるのではと思っています(笑)

僕らの店は10坪の小さい店もあれば100坪の店もある。場所は福岡・八女からフランス・パリまであるし、洋食から和食、高級店から安いのまでやっています。こんなに振り幅が広いとこもないと思いますよ(笑)

ーパリのグループ会社が経営するフランス料理店は今年、ミシュラン一つ星も獲得し、予約の取れない店となりました。国内はもちろん、海外への展開にもますます力を入れていくのでしょうか。

パリにあるO・B・U グループのフランス料理店「ACCENTS(アクソン)」が今年のミシュラン一つ星を獲得しました。ACCENTSはグループ会社としてO・B・Uが完全出資した現地法人が2016年6月から経営しています。その3年ほど前にパリで初めてミシュランの店で食事をした時、フランスにおける星の力を肌で感じました。その時、店のシェフと日本人のパティシエの女性に出会い、「パリに店を出したい」という話になったんです。その後も行き来して交流を深め、店をオープンすることになりましたが、やはりパリという街も初めて訪れた時から好きでしたね。

シェフのRomain Mahi君とパティシエでもある杉山あゆみさんたち現地の料理人が「ミシュランを獲ろう」と目標を立てて頑張ってくれました。日本にいる僕らができるのは資金繰りをしたり、鼓舞したりなぐさめたりして後押しすることでした。パリに行って、焼肉食べてボーリングなんかもしましたよ(笑)

海外はスペインやイギリス・ロンドン、ドイツ、アメリカなんかもいいですね。フランス・ニースに居酒屋出店の話があるので、まずは視察に行って来ました。オーストラリア、香港、バンコク、UAEなどでも話はあるので、まずは好きになる街かどうか見に行かないといけないですね。

ー飲食店で自ら撮った料理写真をアップする寺川さんのフェイスブックの投稿からは、料理人への大きなリスペクトを感じます。

福岡の飲食店経営者が集うICOO会という会があります。会ができた当初、僕は飲食やってまだ3年位の頃でした。集まる人は料理人が多く、食材とか調理方法とか、「あそこの店が…」という話になる。だけど大阪から来た僕は福岡生活も短いし、飲食業界も短いし、料理もできない。全然話がわからなくてすごくコンプレックスを感じていました。それなのにICCO会や、みんなの飲み会に呼ばれて、正直なところ「なんで呼ぶんだよ」位に思っていました。魚の見分け方も産地もわからないし、料理学校に行こうかなとさえ思ったこともあります。だけどある時、ある人に言われたんです。「寺川さんは年間1、2店舗オープンするじゃないですか。すごいとみんな言ってるんですよ。どうやって人が辞めずに店舗が創れるかみんな聞きたいと思ってるんです」と。「あ、そうなんか」と思いましたね。その人は「僕らはみんな料理人だから、チームや組織の創り方とかわからないんですよ」と言うんです。

言われてみると、僕は22歳から35歳位まで会社勤めのサラリーマンだったんです。飲食の人にはその経験がないことに気付きました。今から料理を勉強したところで料理人たちには及ばないし、この人たちがそういうことで悩んでいるなら僕は徹底的に飲食の会社創りを勉強して伸ばそうと思いました。例えば、人事制度や労務改善、組織創りについてです。そう思うと割り切れて、コンプレックスがなくなったんです。12年ほど前の話です。

それ以来、料理が作れないのは仕方がないから、自分は作れなくても作れる人が近くに居てくれて、僕の代わりに人を喜ばせてくれたらいいじゃないかと思うようになりました。でも、料理はできないけどせめて料理人のメンタリティーは理解したいから、自社の料理人たちとは飲みに行っています。試食会にも行くように努めているし、 お客さんが感激してくれるものを作ろうという目標は一緒なので美味しくないと思えばそう伝える。酒飲んで料理人とお互いの意見を主張します(笑)。「料理できんくせに!」と言われてこちらが引いてしまってはダメだと思います。間違っていればお互い謝るし、納得することもある。すると、最終的には良くなるんですよ。飲食業は売り上げの70%が料理で、残りがお酒なので“料理”は大きいんです。新業態も新商品も開発するのは人間。心が通じ合っていなければいいものはできないと思います。

ー会社の理念である「Be Happy」をとても大切にしています。

限りある人生の中で
自分がその時々に出会った人を
どれだけ幸せな気持ちにしてあげることが出来るか
常に考えよう。
(中略)
Be Happy with O・B・U
O・B・Uと幸せになろう
O・B・Uで幸せになろう

Be Happyという一言で、僕と働く人たち、そして僕と間接的に繋がるお客さんも幸せにしようという想いを込めています。創業当初からある理念ですが、それを徐々に浸透させていく必要がありました。研修、ミーティングもあれば、昔はブログもしていたし、社内メールも使いました。10年以上前からは、毎月欠かさず給与明細と一緒にA4の便箋に手書きした僕からのメッセージをコピーしてアルバイトさんを含む700人の従業員さんに配っています。アルバイトさんも若者から年配の方までいますし、その家族も読むと思うので専門用語は使わずに書くようにしています。テーマはその時の僕の心情だったり、店で見聞きしたお客さんの満足についてだったり、「飲食を好きになってほしい」という新入社員への想いだったり、理念をベースに様々あります。「社長はこんなこと想ってるんだ」と伝えられたらなと思っています。

理念が特に大切になるのは、何か会社でトラブル・事故・事件が起きた場合や業績の悪い店をどうするのかと考えるときなどの困った時です。そんな時に会社が、つまり僕がどんな決断をするのかという判断基準が理念です。言ってるくせにやってることが違ってはいけないですよね。問題が起きた時に、理念に乗っ取った誠実な判断ができているかを従業員さん皆は見ていると思います。だから僕はずっとこの理念を読み返しています。店舗が増えても、人が増えても、例え業績が悪くなっても「変わらずいいな」と思ってもらえる会社でありたいと思います。

ー野菜や魚の卸業「623」やFCを支える「CKカンパニー」、1次産業と提携して6次産業化を目指す「BE HAPPY」、北海道・小樽の「OSA WINERY」など飲食に関わる業務も多角化しています。創業当初からその構想があったのですか?

O・B・Uのルーツは佐賀県鳥栖市の小さなたこ焼き屋でした。だから、そんな構想はもちろんないし、毎日、毎週、毎月が必死でしたよ。だけど飲食業界に入り、素晴らしい点も、よくないと思う点もあった。だからこそ、将来に向けて善くしていきたいと思うんです。

公務員だった僕の両親も飲食に入ることには反対したし、反対の理由も良くわかる。外食したことがない人はいないはずなのに、息子や娘が就職するとなると95%は反対しますよね。だけど飲食って僕は世界で一番いい職業だと思っています。だからこそこうして情熱を燃やせるんです。それなのに、なぜ周りの大人たちはみんな反対するのか。どうして若い人が飲食を目指さないのか。答えはわかります。だから10年、50年、100年かけてこの業界を善くしていかないといけないんです。

「こういう業態をやろう」となれば「食材からこだわろう」「それなら食材を生産するところから関わろう」となります。さらに、飲食を知れば知るほど、生産者が減って困っている農家さんの現状などそれに付随する大変さもわかってきます。Be Happyの理念は利他の精神なので、「困っている業界の人たちのために何かできないか」ということになっていくんです。そうすると、必然的に事業が増えていきます。周りからは「ようやるね」と言われますが、自然な流れなのであまり大変さは感じないんですよ。

僕からは「将来100店舗やろう」とか言ったことは一度もありません。出店というのは、社内の誰も求めなければ出店しなくていいと思っています。1年の目標は作りますが、○○年までに「上場しよう」とか、「何億売り上げよう」とかもない。基本的には自然な成り行きが一番いいと思っています。今後、色々なスピリッツ(酒)を造るかもしれないし、牛を育てるかもしれないし、僕らが使っている日本の器を海外に流通させる事業をするかもしれない。飲食という業界をもっと善くしたいとなると、いずれ飲食の総合会社になっていくんだろうなと思います。

将来は飲食の学校もしたいなと思います(笑)。現状では、料理を学んで就職しても、3年、5年で辞める人がすごく多いんですよ。だけど、反対しながらも料理の専門学校に進ませてくれた親に「ほら言ったやろ」なんて言わせたくない。それだと辞めた本人も、その両親も飲食という職業が一生嫌いなままだと思います。飲食のイメージがいつまでも善くならないんです。「若い人は続かない」ではなくて、「飲食は辛くて厳しい仕事だけど、楽しく素晴らしい仕事なんだ」と思ってもらうために学校での教育やその職場環境を僕らが提供しないといけない。

例えば、就職活動でトヨタ自動車、福岡銀行、グーグルジャパン、日本テレビ、それとO・B・Uの内定を出したとします。家族会議で投票しても、飲食なんてゼロ票じゃないですか。家族会議でも票が割れるぐらい、対等に評価してもらえるように頑張りたいですよね。それはもう僕らが頑張るしかないと思います。飲食業界の中だけじゃなくて、他の産業や業界と比べても「やっぱりO・B・Uは休みが多いね、年収も高いな」となりたい。

また、日本で一番「ポテンシャル」を持っている産業は飲食だと思っています。器用さ、誠実さ、真面目さなどトータル的なアベレージの高さは日本人はとても高い。だから、人材はフランスなど海外でも求められているんだと思います。うちのフランスの店も、日本人の料理人を送って欲しいと言っています。フランスの主要なフレンチの店を守っているのは日本人です。日本人が持っている、人を喜ばせようとするおもてなしの心は飲食が一番発揮できるはずです。
海外に行っている日本人の料理人はすごいんです。これから30年後のことを考えると、人口が減る中、日本だけでやっていくのは難しいでしょう。だけど世界の人口は増えているのだから、国外に出ていくのが自然な流れです。
チーム・組織を代々と継続していくならば、商いをするフィールドが世界中となっていきます。

あと3年、5年経てば、海外に行って今のギャラより何倍ももらえるようになっているのではないでしょうか。だから、今飲食をやっている人に辞めないで欲しいです。海外で店を出す僕らのような企業もあります。「行きたい」という人がどんどん増えれば、給料の面でも豊かになると思います。美味しいものを食べたいというのは万国共通。これからの飲食業は国内だけじゃなく、海外の何億人もの人々を相手にできるんです。飲食店にとどまらず、飲食業という広いキーワードで考えれば、困っている日本の飲食に関わる様々な業界と世界のニーズを繋げることができるはずです。

よく僕はフットワークが軽いと言われますが、飲食業界を善くするために1%でも可能性があるのなら自分から機会を広げたいと思っています。僕は初代だから飲食総合会社の土台を作っていますが、2代目3代目とその想いを継承していってくれると想います(笑)。本社はずっと筑紫野から引っ越さないですよ。

【寺川欣吾(てらかわ・きんご)氏】1967年、大阪府生まれ。大学卒業後に旅行代理店JTBに入社し、営業職として勤務する。縁があって退社後に久留米市で起業し、その後に佐賀県鳥栖市で飲食店を開業。2004年に(有)O・B・U Company(現在は(株)O・B・U Company)を創業し、7年で年商12億円に急成長させた。2019年5月現在、「まつすけ」「博多ほたる」「焼肉龍王館」など9ブランド、直営35店舗、FC6店舗を展開。年商は29億円(2018年9月期)。

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