インタビュー

株式会社ラ・ブレア ダイニング 代表取締役 高橋知憲氏


【Interview】アメリカのロサンジェルスで“ベスト・レストランアワード”に輝いた「Robata JINYA」など、全米で人気の7店舗を経営する高橋知憲氏が語る「海外進出成功の鍵」とは?!

恵比寿のワインバル「砂漠楼」、恵比寿の炉端焼き「炉ばた陣や」など、日本国内で7店舗、アメリカで5店舗を経営する「株式会社La Brea Dining」。大学生時代、旅行で渡米し、「LA(ロサンジェルス)に魅せられた」という株式会社ラ・ブレア ダイニング 代表取締役 高橋知憲氏。社名の「La Brea」はLAの南北を走る道路「La Brea Ave」に由来する。会社設立当時から「アメリカ進出」を考えていたという高橋氏に「海外出店の苦労」や「成功の秘訣」を聞いた。

―まずは高橋さんが飲食業界に入ったきっかけをお聞かせください。


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僕は愛媛県の出身で、実家は40年以上続く「割烹むさし」を経営していました。でも、「店を継ごう」という気はまったくありませんでしたね。実家にいた頃、料理をしたことはなかった。その後、大学に入るために上京し、店でバイトするようになったのが飲食業界に携わるようになったきっかけです。

バイトをしていたお店ではまかないが出たんですが、「実家の(料理の)方が美味しいなあ」と思いましたね。実家にいる時は気づきませんでしたが、瀬戸内海のゆたかな素材や割烹ならではのもてなしのすばらしさに気づきました。今はそれが自分のベースになっています。

 

―大学卒業後の進路は?

もともと「将来的には独立して自分で何かやりたい」という想いがありましたが「会社というものを見てみたい」と思っていたので、某化粧品会社に入社しました。その後、退社して独立するまでは「いろいろなことを勉強して資金をためるために」と都内の割烹やさまざまな店で料理人として働きました。

 

―有限会社(現在は株式会社)「LA Brea Dining」を設立されたのが2000年ですね。会社設立当初から「アメリカに進出したい」という想いがあったのでしょうか。

そうですね。会社を設立したのも「いつかアメリカに進出したい」と思っていたからです。大学生の時、初めてLAに行って以来、明るい日差しと乾いた空気がすっかり気に入ってしまって。1年に2~3回、2000年に会社を設立するまで合計10数回は行っていました。アメリカ進出の夢を夢で終わらせないように、社名を「La Brea Dining」と付け、自分の中でアメリカ出店への夢を忘れないようにしてました。

一号店の恵比寿「砂漠楼」のオープンの時の朝礼で「まずは恵比寿で成功させて、ハリウッドに行く」と話したんですよ。ただ、スタッフは「えっ?冗談でしょ」みたいな顔してましたが(笑)一号店の砂漠楼はやはりアメリカ出店を意識してのオープンだったので、砂漠楼 Natural Japanese Cuisineとして本格和食にカリフォルニア料理のテイストを入れた店にしたんです。

和食なのにTシャツにベスト、返事は「 Yes!!」メニューは日本語の下にすべて英語を入れました。オリジナルカクテルは、「マリブビーチ」や「ニューポートビーチ」など、すべてLAのビーチ名にするなど、LAにあるJapanese Restaurant を意識して店作りをしました。その結果、場所柄もあって外国人のお客様もよく来てくれてましたね。

 

―アメリカに進出する際、事前に情報収集などをされたんですか?


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「アメリカに進出したい」と思っていた2000年当初は現在ほどネットが発達していなかったので、ほとんど情報はなかった。逆に何も情報がなかったのがよかったのかもしれません。(アメリカに店を出すのが大変だと)わかっていたらやらなかったでしょうね(笑)

アメリカに知り合いは1人もいませんでしたが、たまたま東京で働いていたアルバイトのスタッフがビバリーヒルズにある「マコレストラン」のオーナー、マコさんを紹介してくれたんです。マコさんに「アメリカで店を出したい」というと、親身になってアドバイスをしてくださいました。結局、アメリカで店を出すため にいろいろと動き、実際に完成したのは3~4年後でした。

 

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