――ジャックポットプランニングを創業したのは、いつ頃のことですか。
22年前のことです。下北沢の「ジャックポット」を始め、その後5つに店舗数が増えていきました。そこで法人化したんです。現場が好きなので、当時コックコートを着て、毎日駆けずり回っていました。
――その後、多くのヒット業態を生みましたね。和洋オリジナル料理の「都夏」は、どのようにして生まれたんですか。
9店舗目となる「都夏」は、惣菜を中心とした、オリジナル和食の店で、20年前に開業しました。決めた物件の建物が、和風だったので、和食しか出来ませんでした。ただ、30歳を過ぎてからは、和の料理にも興味を持つようになっていました。展開している業態に洋食が多い中で、豆腐が食べたい日もある。そこで、作ったのがこの「都夏」の業態。居酒屋だけど、オムライスやルーを使わないスパイシーカレーのような洋食も置いた。ご飯が食べられて、酒も飲める。かたやコーヒーも置いた。その時代にはなかった業態だったので、大ヒットしました。でも今は、時代が変わり、他もいっぱい出来たので、再検討しているところなんです。
――ピッツェリアの「ラ・ベファーナ」は、どのように生まれたんですか。今では、下北沢と吉祥寺、汐留の3店舗を展開されていますね。
「ラ・ベファーナ」は、私の大のイタリア好きが功を奏して生まれた業態です。薪釜で焼いた、香ばしくて美味しいナポリピッツァを提供したいと思っていました。友人のイタリア人シェフと、ピッツァの勉強でナポリへ。そこで、街で一番美味しいと言われるピッツェリアに連れて行ってもらいました。その調理場に入って、勉強させてもらいました。そして、それを再現したのが、「ラ・ベファーナ」だったんです。ピッツァを、小麦粉からこだわって作りました。
-今の飲食業界について、どのようにご覧になっていますか。
今は、情報の時代。新しいものや店ができ、世の中がめまぐるしく変わる時代になりました。女性も外食に進出し、変容してきている。そのことを理解して取り組んでいかなくてはいきません。
-今年に入って6店舗オープンと、オープンが相次ぎましたが、今後控えている新店のオープンはありますか。
来年度、何店舗か出店の予定があります。
-出店については、どのように考えていらっしゃるんですか。
管理の問題で、会社からの動線を考えて、南東京で展開してきました。また、お客さんに、「ここに出してほしい」と言われることもあるんです。路面やビルイン、それぞれ立地に合わせて、和洋の業態を検討します。でも、同じ業態を多店舗展開する考えはありません。
-海外進出も視野に入れた、今後の展開を聞かせてください。
今後も、株式公開する気はありません。利益が出れば、中で一生懸命働く従業員に配当していきたいと思っています。業績が良ければ、賞与を年3回支給することもあります。ここ7~8年は、ずっとそうしてきました。また業態に関しては、和の業態も、洋の業態も勉強して行きたい。それは、従業員にとって、近くで見られることのニーズを感じるから。従業員が、独立するもよし、会社にいて柱になるもよし。最近は、飲食業界に興味を持って入ってくる人が多くなってきたが、たとえ好きでなくても、入るからには興味を持ってほしい。そして、楽しい一生であってほしいと願っているんです。
中川洋氏 プロフィール
1950年静岡県沼津市生まれ。6歳の時に、家族と大田区大森に上京。26歳で、下北沢の「ジャックポット」をオープン。1988年11月に、有限会社ジャックポットプランニングを設立。現在26店舗にも及ぶ飲食店を経営。
(聞き手/中條美咲)