渋谷駅から井の頭通りをのぼっていくと、店や人々で溢れる大都会の喧噪とはかけ離れた広々としたテラス席が2階に見える。店内に入ると、シェフが忙しく腕をふるうオープンキッチンが目に飛び込んでくる。ここは3月26日に新たにオープンしたイタリアンレストラン「a(アー)」だ。経営は、アイティーケー(東京都渋谷区、代表取締役 伊藤善継氏)。表参道の高級イタリアン「リストランテケン ヴェンティクワトロ(以下、リストランテケン)」が渋谷に移転オープンした形だ。シェフは変わらず、当代きっての実力派・宮川健一氏だ。代表の伊藤氏は「リストランテケンよりも、もっとカジュアルに楽しめるよう単価を下げています。宮川シェフがつくる食事を、渋谷という立地でより多くの人に楽しんでもらいたいですね」と意気込む。
代表の伊藤氏とシェフの宮川氏とは、前店からの付き合い。不動産会社に勤務していた伊藤氏が、飲食の世界に入るのにそれほど時間はかからなかった。担当したことがきっかけでリストランテケンへ入社。2012年から、代表取締役として同社が運営するレストランケンを取り仕切ってきた。
シェフの宮川氏は、輝かしい経歴をもつ生粋の料理人だ。服部栄養専門学校を卒業後「KIHACHI」に入社。名匠・熊谷喜八氏のもとで修行を重ね、「KIHACHI 銀座本店」の料理長にまでのぼりつめた。2011年、「リストランテケン」の総料理長に就任。そんな2人が織りなす渋谷の“リッチでカジュアル”なイタリアンとは、どのようなものだろうか。
料理界において随一の実力派としてその名が知られるシェフの宮川氏。同氏が創り上げるイタリアンの特徴は、二十四節気にもとづくメニュー考案にある。旬の食材をふんだんに取り入れ、さらにそれらの味わいを同氏の手で増幅させて引き出していく。同店でも、そのスタイルを徹底し、メニューは毎月入れ替える。ディナーは、5000円(6品)と10000円(9品)、2つのプリフィクスコース用意。
「リストランテケン」との大きな違いは、アラカルトメニューにあるだろう。単価が10000円前後だった、リストランテケンに比べ、同店は8000円ほど。有名シェフが手がける高級店の味を、カジュアルな価格で、多種類楽しめる。これが同店の大きな魅力のひとつとなっている。「本日鮮魚のクルード サルサ・ディ・リモーネ 白ワインビネガーのジュレと共に」(1500円)、「じゃがいものパンナコッタ 生ウニを添えて」(1200円)、「砂肝コンフィと空豆 オリーブを練りこんだ自家製生パスタ“フズィッリ”ジェノバ風」(1300円)、「香味野菜と赤ワインでマリネした豚スペアリブのロースト」(500円)など、多彩なメニューが並ぶ。
ランチ、カフェタイムも営業しており、若者からお年寄り、ビジネスパーソン、観光客など雑多な人々が集まる渋谷の様々なニーズに対応する。伊藤氏によると「デザートまでしっかりおいしいレストランであるように、パティシエにも入ってもらっている」そうだ。「限定!ふわふわ生地・パティシエール・生クリーム・マスクメロンが入った”ロールケーキ“」(900円)、「ふんわり焼きたて”パンケーキ“ベリーソース、生クリーム、ジェラートと共に」(1200円)など、パティシエがつくる手のこんだデザートが充実する。
「a(アー)」という店名の由来は、“a”という文字の意味を「すべてのはじまり」と捉え、「源流」をテーマにしている。宮川氏によって引き出された食材の味わい、美味しさが溢れるように人々に広がっていってほしい、との願いが込められている。空間デザインにも、このコンセプトが表現されている。設計はグリッドフレームデザインファクトリー。1998年創業以来、レストランやバーをはじめ400件以上の店舗デザインを手がけている。店奥に設置されたオープンキッチンから、入り口に向かって緩やかな段差をつくり、キッチンから入り口に向かう水の流れを表現している。優しい白を基調にした内装、柔らかなダウンライトが照らすシックな内装は、特別な日のディナーとしても利用できる高級感がありながらもリラックスできる雰囲気だ。
伊藤氏、宮川氏ともに、同店で新たな挑戦を行っていきたい考えだ。「特別なレストランであるためには、お客様一人ひとりの、その時の状態にあわせた料理を提供するのが理想だと思います。〝料理〟はキッチンで、味付けなど最後の仕上げである〝調理〟はテーブルでホールスタッフが行う。そのようなことにも挑戦していきたいです」と語る。同店が、若者の街、渋谷の飲食シーンを成長させていくことだろう。