洋風ワインバルや特定のアルコールに特化したタイプの店など、ここ最近の立ち飲み酒場業態の“進化”には大いに目を見張るものがある。とは言え、多くの人が「立ち飲み酒場」と聞いてまず連想するのは、ビジネス街、あるいは乗降客の多い駅前などにある小さな造りの店で、仕事帰りの人たちが肩を寄せ合い、顔を赤らめながら軽く一杯ひっかけているといった光景ではないだろうか。実際、気軽な利用が大前提の立ち飲み酒場の場合、店の個性を強く打ち出せば打ち出すほど客層を絞り込むことになり、客の絶対数のある立地でなければそうした商売を成立させるのは相当に難しい。低客単価ゆえ回転率が何よりも重要となる立ち飲み酒場のセオリーからすると、客層を絞る売り方はやはりある種の冒険でしかない。仮に客層を絞った売り方で商売を成立させるなら、絞っても十分に客数が確保できる、客層に厚みのある都心立地に出店するか、あるいはそれほど多くない客数でも利益を確保できる高客単価を実現するかのいずれかしかない。そうした中、埼玉・大宮 という都心に比べ客層に厚みのない立地ながらも、日本酒に特化した専門性の強い売り方で商売をきちんと確立しているのが「たちのみいしまる」だ。 同店はJR大宮駅から徒歩5分の場所に立地。駅から離れれば離れるほどふらりと立ち寄る需要が掴みにくくなることから、立ち飲み酒場にとっての5分とは商売的にかなり離れた距離となる。しかも同店があるのは、通りから一歩入った裏通りで、まさに目的客しか足を運ばない辺鄙な場所だ。店舗は古ぼけたビルの2階にあり、客はまるで事務所の入口のような無機質な銀色のドアを開け、ひっそり静まりかえった階段を上って2階へ上がる。店の存在を示す看板らしい看板もなく、ドアのそばに貼られた「たちのみいしまる 2F 右側入口」と書かれたB4サイズの貼り紙だけが唯一の目印のため、初めて訪れた客はその怪しい雰囲気に何とも言えない心細い気分にさせられてしまう。そうした、飲食店とかけ離れた生気のない雰囲気に気おくれし、ドアを開けて2階に上がるのを躊躇してしまう客も少なくない。それほどまでに、立ち飲み酒場としての商売のセオリーを無視した、常識外れのシチュエーションなのである。 店舗は小料理屋の居抜き物件で、その名残りから座敷席が1部屋あるものの基本はオールスタンディングの造り。カウンターの頭上には、銘柄とともに“特別純米無濾過”“特別純米生原酒”“吟造り本醸造”などと書かれたメニュー札がぎっしりと並ぶ。日本酒は20種以上揃え、種類をいろいろ楽しめるよう1合売りではなく80mlのグラス売りを採用する。1杯300~450円を中心とした価格帯で50円刻みに金額を設定。また、飲み切りの4合瓶も15~20種揃え、価格は2500~4000円。料理にもバラエティーがあり、内容は季節で異なる。例えばまだ寒さの残る時期だと「ハムカツ」(350円)、「ポテトサラダ」(300円)などの立ち飲み酒場定番のメニューとともに、「銀杏がに」(一杯2000円)、「ズワイガニ」(一杯2500円)といった豪華なメニューも提供。他には「殻うに(エゾバフン)」(500円)、三島オコゼ、ヘ鯛、金目鯛、かつお、ぶり、ヒラメなどの各種刺身(各600円、ハーフ各300円)、「刺身三点盛り合わせ」(800円)、「刺身五点盛り合わせ」(1000円)などの日本酒に欠かせない刺身類。あるいは「勘八の粕漬け」(400円)、「たかべの塩焼き」(700円)、「氷頭」(300円)等々。メニューは実に40種以上にも及ぶ。客はこうした日本酒と肴を思い思いに楽しみ、客単価は3500~4000円を確保。 同店経営者の沼里裕幸氏は、もともと近くで酒屋隣接のスペースを借りて現在と同じように日本酒を売り物にした“角打ち”を6年間営業してきたが、店舗が契約切れになったため現在地へと移転。以前も人通りのまばらな寂しい場所だったが、それでもまだ路面店であった。もっとも、こうした不利な物件を好んで選択したのも事実で、沼里氏は「近場で2階か地下の店舗」という条件で店舗を物色。それと言うのも、以前は店舗が外から丸見えだったため、物珍しさもあって道行く人たちがやたらと店内を覗いていく。そうしたこともあり、「もっと気がねなく落ち着いて楽しんでもらいたい」との考えで現在の店舗を選択したのだった。移転の際も常連客から「新しい店も立ち飲みだよね?」と要望されるなど、それほどまでに“立ち飲み”スタイルを定着させていたのである。 アルコールは日本酒に特化するものの、生ビール、柚子酒や梅酒などのリキュール、焼酎も一部取り扱う。とは言え、ほとんどの客が日本酒を目的に来店。日本酒の品揃えの内7割が純米酒で、最近では新たに本醸造酒にも力を入れ出している。同店の開業は2011年10月6日で、以前の店から通算すると今秋で7周年を迎える。以前は「日本酒と言えば純米酒!」との考えで純米酒のみの品揃えで商売を行なってきたが、長年営業する中で沼里氏の考えも徐々に変化を。そのきっかけとなったのが、日本酒の勉強をしに酒蔵へ幾度となく出向いた時の体験である。本醸造酒の話になると蔵元の人が皆、生き生きと饒舌に語り出し、勧められるがままにおすすめの本醸造酒を試飲すると、これが実に旨いのだ。「いままで見落としていたこうした旨い酒をもっと広く紹介しなければ!」。そうした心境の変化が現在のメニュー構成へとつながっている。 日本酒好きの人の中では、純米酒と比べ、本醸造酒を一段低く見る風潮もないとは言えない。だが、造り手が丹精込めて作った日本酒はどちらが上で、どちらが下かなどといったものはなく、それぞれすべてに存在意義がある。例えるなら、和牛のA5ランクの肉だけが“本物の肉”でないのと同じで、日本酒も決して純米酒だけが “本物の酒”ではない。本醸造酒があるからこそ地酒を手軽な価格で楽しめるのであり、それはあたかも立ち飲みスタイルを取ることで日本酒を身近に感じさせている同店の経営姿勢ともどこか似ている。純米酒オンリーの商品構成を止めたことで客層も変化し、蘊蓄を語る人が減って、もっと素直に日本酒を楽しむ日本酒初心者の客が増加。結果的に客の裾野が大きく広がったのである。 メニュー構成だけを見れば、同店は旨い日本酒と旨い肴を食べさせる和食居酒屋にも映る。だが、椅子がないという事実だけで店内は日本酒好きのコミュニティの場へと早変わりし、客は飲み語らいながら自由に店内を行き来し、そこに居合わせた人たちとの心地よいひと時に酔いしれる。客層は30代を核に20代~40代が中心で、女性客が5割を占める。当然のことながらフリ客などいるはずもなく、客のほぼ全員が目的客だ。損益分岐点は120~130万円で、月商160万円と手堅い売上を獲得。信じられない場所にある、超二等立地の立ち飲み酒場。こうした商売が成立するのもまた飲食業の面白く奥深いところであり、同店の存在は飲食業の新たな商売の可能性をヒシヒシと感じさせてくれる。
店舗データ
店名 | たちのみいしまる |
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住所 | 埼玉県さいたま市大宮区桜木町2-305 日の出ビル2階 |
アクセス | JR大宮駅から徒歩5分 |
電話 | 048-871-7244 |
営業時間 | 17:00〜22:00(L.O.21:30) |
定休日 | 日曜・祝日 |
坪数客数 | 18.99坪・立ち飲みスペース30〜40人収容、座敷10席 |
客単価 | 3500〜4000円 |
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