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「東京ミート酒場」「トスカーナ」などイタリアンを展開するイタリアンイノベーションクッチーナが、創業者の四家公明氏から青木秀一氏に社長を交代。「料理を通して多くの人を幸せにする」を実現すべく、新体制をスタート~前編~

イタリアンを展開するイタリアンイノベーションクッチーナ(東京都渋谷区)は、2021年5月より新体制をスタートした。創業社長の四家公明氏から生え抜きで現在38歳の青木秀一氏に社長をバトンタッチし、飲食店展開を進める。同時に、グループ会社としてイマジンジャパンを設立し、こちらは四家氏を代表に、イタリアンイノベーションクッチーナの強みである商品開発力を武器に、飲食店への業務用食品卸などの事業を行う。創業29年目、コロナ禍の中での新体制スタートとなったが、変わらず社是「料理を通して多くの人を幸せにする」の実現を目指して邁進する。フードスタジアムでは、社長交代の経緯や新体制にかける思い、今後の同社の展望について、四家氏と青木氏にインタビューを行った。



(写真左から、四家公明氏、青木秀一氏。インタビューは、三軒茶屋にある同社の最新店舗「Re.TOSCANA(リ トスカーナ)」にて行われた)

イタリアンイノベーションクッチーナ
1992年、和風スパゲッティの名店「ハシヤ」などで修業した四家公明氏が26歳で武蔵小山にスパゲッティ専門店「とすかーな」を開業して創業。現在は関東近郊でイタリアンを14店舗展開する。イタリアンの料理人集団として本格派イタリアンを提供し、全店舗で無添加・無化調にこだわり、「料理を通して多くの人を幸せ(健康)にする」を社是とする。単価2500円でカジュアルに楽しめるイタリアン「トスカーナ」や、イタリアンと大衆酒場を融合した「東京ミート酒場」などヒット業態を持つ。麺の下にミートソースを忍ばせたパスタ「日本一おいしいミートソース」は、同社の名刺代わりの看板商品として知られている。

※前編では、青木氏がイタリアンイノベーションクッチーナに入社してからこれまでのキャリアについて、独立を目指していたものの会社に留まる決断をした経緯までについて紹介する。

勤務初日に丸坊主に⁉ 新社長・青木氏の新人時代を振り返る

―青木さん、社長就任おめでとうございます。まずは青木さんがイタリアンイノベーションクッチーナに入社してからこれまでのキャリアについて、教えてください。

青木氏:ありがとうございます。僕は小学6年生から料理人になることが夢で、中学3年生の時に無理矢理頼み込んでラーメン店でアルバイトを始めました。地元である栃木の調理師学校を卒業後、「日本一の飲食店をやりたい」と思いを抱いて上京。色々なお店を回るなかで、代々木のイタリアン「トスカーナ」の臨場感のあるオープンキッチンに惹かれて、「ここだ!」と入社することになりました。当時、イタリアンイノベーションクッチーナは創業7年目、「トスカーナ」と武蔵小山のスパゲッティ専門店「とすかーな」の2店舗体制の頃でした。

―四家さんから見て、その時の青木さんはどんな印象でしたか?

四家氏:「料理人になりたくて上京してきた」と言う割りには、髪型がツイストパーマでチャラチャラしていて、全然料理人らしくないんですよ(笑)。なので、初日、ランチタイムまでは普通に働いてもらったら、休憩時間に「ちょっと来い」と青木の首根っこをつかんで近くの理髪店に向かいました。馴染みの理容師に「料理人にふさわしい髪型にしてください」とお願いしました。

青木氏:そこで、問答無用でほぼ丸坊主にされるという、初日から強烈な体験でした(笑)。でも、髪を切ってくれた理容師のおじさんが「これからは四家さんが東京のお父さんだからね、頑張るんだよ」と励ましてくれて、覚悟が決まりましたね。当時、「28歳で独立する」という目標を持っていたので、そこから毎日がむしゃらに働きました。

四家氏:新人の頃の青木はやる気だけは人一倍あふれていて、いつも私や先輩の周りを「何かやることはないか」とちょろちょろしてました。でも、狭い厨房の中ではそれが邪魔で(笑)、一度、邪険にしたら泣きそうな顔して。当時はまだ若くて素直に謝れない子だったから、部下にフォローを頼んだりしていました。懐かしい思い出ですね。


(「泣きそうな顔じゃなくて、実際に泣いてましたよ!」と当時を振り返る青木氏)

料理だけでなく接客の重要性を実感。「トスカーナ」を予約困難店へと育てあげる

―今では社長となった青木さんにも、新人時代にはそんなエピソードがあったんですね。

青木氏:今思うと恥ずかしいです(笑)。その後、「とすかーな 武蔵小山店」勤務を経て23歳で「トスカーナ 代々木店」の料理の責任者になりました。それまではひたすら料理のことばかり勉強していたのですが、少しずつ、接客にも興味を持つようになりました。そのきっかけが、当時の店長。とても接客に長けていて、お客様の心をつかむのがうまい人だったんです。お客様はみんな店長に向かって「美味しかったよ」と言って帰っていく。「料理を作っているのは僕ら料理人なのに!」と思いました(笑)。そんな姿を見て、料理ができるだけじゃダメなんだと実感。僕には独立の目標があったので、そこからは接客やマネジメントの勉強にも力を入れました。「料理も接客も会社で1番になってやる!」そう決心しました。

四家氏:その後、青木に「トスカーナ 代々木店」の店長を任せました。そこで売上を大きく伸ばしてくれたんですよね。接客の重要性も感じ始めていた青木は、最初「元気いっぱいならお客様が来てくれるに違いない」と思っていたようでした。私は「それだけじゃダメだぞ……」と内心思っていましたが、本人がやる気満々なので見守っていましたね。案の定、少し躓いたようで。

青木氏:はい(苦笑)。元気がいいだけではダメで、集客の本質はリピーター作り。「お客様にリピートしてもらうには?」を徹底的に考えました。来てくれたお客様全員に自己紹介をして料理の感想を聞いて、コミュニケーションをとるよう店舗全体で心掛けました。そうした積み重ねがあり、気づいたら売上は上がっていき、予約の取りにくい店と認知してもらえるようになりました。

青木氏のスタイルは「みんなで一緒に店づくり」。不振だった神谷町店を軌道に乗せる

―ここまでは順調に経験を積んできた青木さんですが、挫折体験はありましたか?

青木氏:2013年にオープンした「トスカーナ 神谷町店」ですね。店長として立ち上げからかかわった店舗ですが、集客に苦戦しました。リピーター以前に、まず、お客様が来ない。神谷町はわざわざ来る街ではなかったんですね。代々木店で売上をアップさせた実績から、自信過剰になっていただけにショックを受けました。スタッフの士気がどんどん下がっていくし、僕も焦る中で皆につらく当たってしまい、結果スタッフが逃げ出してしまうとか、すごくキツかったです。

そこで、代々木店でやっていたことをもう一度紙に書き出して確認しました。朝礼、ランチ後のミーティング、終礼、スタッフで情報共有を徹底。「みんなで一緒に店を作る」意識を大切にしました。結果、売上は伸びてゆき、最終的には60坪40席ほどの店内で月商800万円を達成することができました。


(「トスカーナ 神谷町店」。難しい立地ながら、青木氏が店長として軌道に乗せた)

四家氏:へえ~、青木を信頼して任せていたので、どんなふうにやっているのか知りませんでした(笑)。青木と私はタイプがまるで違う。私はああして、こうして、と指示して任せるタイプ。青木は皆の意見を聞きながら、チームで一丸となって進めていくタイプですね。

目標の「28歳で独立」を見送り、会社の中枢として残ることを決断

―青木さんの「28歳で独立」の目標はどうなったのでしょうか?

青木氏:そうなんです。そうこうしているうちに、いよいよ28歳が近づき、独立したいと四家さんに相談しました。「青木なら独立しても成功すると思う。でも、もっと面白いことやろうよ!」と言われて、「そうか」となって(笑)。その言葉で、なぜか納得してしまいました。いろいろな経験を積ませてもらったこの会社で、まだまだできることはありそうだ、と独立は見送ることにしました。その頃から、全店舗を見る統轄店長になり、加えて人事の仕事も任せてもらいました。人材の採用や育成を担当し、その後は取締役営業本部長として会社の中枢を担う役割となりました。

―イタリアンイノベーションクッチーナでは、実際に独立した卒業生もいますよね。彼らと青木さんの違いとは何なのでしょうか?

四家氏:確かに当社から独立した人は何人かいて、それぞれ店を出して成功する器量を身に着けて卒業していますが、会社の中核として活躍できる器を持っているのは青木と、取締役の佐藤智章だけですね。私の経営者人生の幸運は、この2人に出会えたことだと思っています。

独立を見送り、会社への残留を決断した青木氏。その後、にわかに会社に変化が起こる。青木氏が社長交代するまでの四家氏の思惑とは? 後編はこちら

(取材=大関 まなみ)

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