ゴルフ場運営からワイナリー経営への転身
鮪や帆立、平目をはじめ、冬の寒さが厳しい青森県は海産の宝庫。旨い日本酒も数多く、演歌さながらの景色と文化が今も日常として残っている。そんな青森県の最北エリア、下北地方のむつ市内にワイナリーがあるのはまだあまり知られていない。1km先には海が広がるこの地区に、ヨーロッパさながらの広大なぶどう畑が広がっている。ここは今から20年前、1998年にたった12本の苗木から、醸造用ぶどうの栽培を始めた「サンマモルワイナリー」の畑だ。同社はもともと大阪を拠点とし、ゴルフ場の運営などを行っている会社であった。青森からの企業誘致話を受け、同地にゴルフ場建設を予定していたのだが、突如、ワイナリー経営に乗り出した。
歴代社長がみな、かなりのワイン好きであったことも後押しになったというが、まったくの未経験者が一からワイン造りに挑戦することは、そう容易いことではない。国内でも山梨や長野といった比較的、醸造用ぶどうの栽培が盛んな地であれば、土壌の特性なども明らかになっているだろうが、前例のない地で誰もやっていないことにチャレンジしたとあり、苦労も絶えなかったという。
青森の中で奇跡的に恵まれたテロワール
ワイン用語で「テロワール」という言葉が頻繁に用いられるように、ワインの良し悪しや個性には土壌や気候条件が大きく影響する。その点において、青森県はどうなのだろうか。まず一つ目に、ここは「やませ」という冷害の強力な風が吹きつける場所。梅雨時に発生する霧も太陽を遮り、果樹不毛地帯と呼ばれるほどだ。りんごですら本州の北限は津軽である。しかし、試しに11品種を植えたところ、多くが病気にやられ腐ってしまったが「ピノ・ノワール、メルロー、ライヒェンシュタイナー、シュロンブルガー」の4品種だけ生き残ったそうだ。
これは、下北連山がやませや霧からぶどうを守り、陸奥湾の風が畑の温度や湿度を調整する役割を果たしたためで、まさに厳しい自然環境の“守り神”そのものだった。こうして3年かけて最初のワインが出来上がった。少しずつぶどう畑を拡大し2007年には7ヘルタールを超え、ついにワイナリーも建設。ぶどう栽培からワイン醸造までを一貫して行える生産体制が築けた。その翌年には自社ワインを初めて国産ワインコンクールに出品し、なんと銅賞を受賞したそうだ。
こうした人並みはずれた努力の上にワイナリー事業が軌道に乗り出し、現在では年間約4万本を生産している。化学肥料・除草剤を一切使用せず、減農薬でぶどうを栽培し、青森県特別栽培農産物に指定され、同社のワイナリーは「青森県知事指定 有機の郷づくり地域」にも認められている。
醸造における徹底したこだわり
さらに、素晴らしいのは栽培だけでない。醸造における管理体制と機械設備の導入も一流であるということだ。「日本でおそらく唯一」と言っていたワイン成分分析装置。これを用いてワインの状態を正確にチェックし、どのように手を加えるかなど戦略的な醸造を可能にしている。そのほか、一連の工程においてほとんどが機械化され、人員確保が難しい地域や時代においても、ビジネスとしての成長曲線を描くために設備投資が重視されている。中でも驚いたのは、スパークリングの澱抜きに使用するルミアージュの機械だ。同社ワイナリー内にはヨーロッパ製の高精度なルミアージュマシンが常設され、発泡ワインの品質向上に一役買い、理想のワイン作りに近づけているという。
これらサンマモルワイナリーのワインは、現在、ワイナリーでの直販のほか、問屋、飲食店などに卸しているが、自社グループのホテル・レストランでも提供している。同社は畜産業も営んでおり、繁殖・肥育の一貫体制に取り組んでいる。広大なぶどう畑の中に、草原が点在していたのだが、それは牛の餌となる牧草栽培のスペースだということを教わった。肉牛の生産は年々減少しているようだが、同社では飲食店で出せるくらいの生産量を守って今も大切に育て続けている。
初めて苗木を植えてから、今年で20年。現在、ぶどう畑は「下北ワイン専用農場エムケイ・ヴィンヤード」と呼ばれ、植栽面積12ヘクタールまで広がっている。2008年の初受賞以降、様々なコンクールで賞を取り、ラインナップも格段に広がった。誰もが反対し、多くの人に笑われた下北でのぶどう栽培とワイン醸造は、今では同地が誇る一つの産業に発展し、経済と雇用を生み出している。
有限会社サンマモルワイナリー
有限会社エムケイ・ヴィンヤード
〒039-5201
青森県むつ市川内町川代1番地6
0175-42-3870
http://sunmamoru.com