「わさび焼酎つんと」は残った
「何と言うことだろう…」
サッポロビール東京中央支店の営業マン、竹内利英は驚くしかなかった。
赴任してから、半年以上も通い続けていたガード下の繁盛店が、ある日を境にメニューを一新させたのだ。これは、樽ビールを供しているライバルビール会社の仕業なのは間違いなかった。
従来から入れていた瓶ビールやワインなどサッポロ製品は、メニューから消えていた。しかも調子の悪いことに、人間関係を構築しつつあったスタッフまでもが異動でいなくなっていた。何ら、前触れもなく。
「いままで地道に積み上げてきた営業活動は、無駄になってしまった。ゼロから、いやマイナスからの再スタートだ」
竹内は落胆する。だが、絶望はしなかった。というのも、甲類乙類混和焼酎「わさび焼酎つんと」という商品がなぜか、メニューに残っていたのだ。
独自性が強い上、あまりに無名だったため、ライバル社の営業マンがサッポロの商品とは気づかなかったためだろうと、竹内は推測した。
相撲に例えるなら“徳俵(とくだわら)”に助けられた状況だったが、竹内は「つんと」を飲みに以前よりも足繁くこの店に通うようになる。
新しい店長と新しいスタッフたちとの関係を、通いながらつくっていく。
単純に営業効率だけを考えるなら、この行動は無謀なのかもしれない。なぜなら、大半の商品が引き揚げられてしまったから。リプレイスできる可能性はかなり低くなったといえよう。
だが、ガード下繁盛店の攻略は、上司から与えられたミッションだった。そして、何より営業マンとしての意地もあった。
銀座のビールと言えば、サッポロであるのは間違いない。これは、戦後の1949年に大日本ビールがサッポロ(当時は日本麦酒)とアサヒに分割してから、変わらないことだった。
オーナーから評価された地道な活動
衝撃のメニュー改訂から1年が過ぎた頃、奇跡は起こる。
偶然だったが、繁盛店でオーナーに会えたのだ。
「ウチの社員から聞いています。ビール会社の中で、竹内さんだけがいつも訪問を続けてくれていることを」
オーナーは新店を出す計画があることを打ち明けてくれた。さらに、樽ビールをサッポロから他社にかつて切り替えたことを、「ずっと後悔してました」とまで話した。
「というのも、サッポロの営業マンは何かにつけ、ウチによくしてくれていたから」
オーナーに初めて会ってから、ほぼ1年が経過した2012年11月、ガード下繁盛店の樽生ビールは再びサッポロに替わった。
竹内の前任者は異動の際に、「いつかまた、サッポロを使ってください」とオーナーに手紙を認めていた。「あの手紙には、心が動かされた」とオーナーは懐かしそうに話した。
一方、供されているサッポロ製品が「つんと」だけになったときも、実は支店の仲間たちもこの店を訪れていた。「つんとを飲んで、名刺を置いてきたから」と竹内を後方支援してくれていたのだ。
「いくつもの力が合わさって、切り替えに成功しました。駅伝と同じで多くのサッポロ関係者が“襷”をつないで、ゴールしたのだと思います」と竹内は話す。
攻略に成功してから、竹内は“心の壁”をつくってしまった店を訪れる。
「サッポロビールでございます!」
行動することで、壁は壊れた。その店は、営業マンが訪問していなかったにもかかわらず、サッポロを使い続けていた。