新人でもベテランでも、フィールドに出れば同じ営業マン
「あんたも新入社員で来た早々に、左遷されたくはないだろう。俺にはそのくらいの力がある。ビビッていたなら、何の商売もできなくなる。俺の言う通りにするのが、利口というものだろ」
サッポロビールの新人営業マン、竹内利英は強烈なパンチを浴びたサンドバッグのような状態に陥ってしまう。どうすることもできずに、竹内はこの場を引き取った。
今年も4月になると、街は新入社員で溢れていく。爽やかな風が、彼ら彼女らを際立たせてくれる。
だが、新人であろうとベテランであろうと、フィールドに出れば一人の営業マンであることに変わりはない。試練や理不尽は、容赦なく待ち受ける。
青山学院大学法学部を卒業した竹内が、サッポロビールに入社したのは2007年4月。研修を経て連休前には仙台支店に配属される。
張り切って営業に廻った竹内は、一番搾りを扱う繁盛店の店主から、「半分はヱビスを入れてもいい。君を気に入った」と言われる。この店は宮城野区のキリンビール仙台工場の近くに立地。一番搾り一色の敵地に高級ビールのヱビスが入ることになる。無心の新人が“脚で稼いだ”成果だった。
ところが、話はそう単純ではなかった。この繁盛店には従来は取引のなかった酒販店も売り込みに来ていたのだ。そして、繁盛店店主は「ヱビスは売り込みに来ている酒販店から入れてもらう」と言い出したのだ。「そうですか…」。
新入社員であり三月までは大学生だった竹内は事情がよくわからず、何とも曖昧な回答をしてしまったのである。従前から一番搾りを入れている酒販店も、サッポロ製品を扱ってくれている。さらに、卸と酒販店、メーカーと卸など従来からの関係性も複雑に絡む。
営業現場では、厳しい言葉は容赦なく飛んでくる。こんなとき、ポイントとなるのはやはり上司だろう。
竹内は上司に細かく報告を続けていた。呼び出しがあった後、上司は竹内に言った。
「ウチのスタンスはこうだ、ということをちゃんと説明してこい。筋を通すことが、営業では何より大切なんだ。お前が言い切ってきたなら、その後は俺がすべてやる。それが、上司の仕事というものだ」
社会人一年生の竹内はこの言葉に従う。「すべて言ってきました」。「よしわかった。後は任せろ」。
途中で上司や先輩が交替してしまうのではなく、支店の上司は新人であっても竹内にやるべきことをやらせたのは大きい。野球に例えるなら、責任のイニングを投げさせた格好だろう。
あまりに過保護すぎると、伸びる人材でさえ伸びなくなってしまう。新人の育成において、上司はバランスを大切にすべきだろう。
台湾・鴻海(ホンハイ)精密工業によるシャープの買収交渉をみるまでもなく、予期せぬことが普通に起こってしまうのは現実だ。グローバルなビジネスだけでなく、国内の営業でも一緒である。何が起こるかわからない事態に対し、ビジネスマンは正面から向かわなければならない。だから、タフさは求められる。
小学校の先生になりたい、と思った学生時代
竹内は1985年生まれ、横浜市出身。中学で野球部、高校では柔道部、そして大学では体育会軟式野球部に所属したスポーツマンである。
青学3年生の時、練習の合間に中学校の野球部でコーチを務めた。
「このとき教えた子供たちが、かなり荒れていたのです。思春期を迎えていたせいもあるのでしょうが、彼らと接していて自分は小学校の先生になりたいと無性に思うようになった。小学校での教育がしっかりしていれば、中学で荒れたりはしないはずですから」
教職はとっていなかったものの、教員になって子供を教えたいという願望は膨らんでしまう。「教育学部に入り直すか。いや、働きながら通信教育で教員資格を取る方法はある」。
こう考えて、就活を始める。就職してしまうと、通信教育などは忙しくてできなかった。だが、教員も営業マンも、人と関わるという点では共通する。子供と大人の違いはあっても。人好きで「仲間が増えるのが好き」(竹内)というタイプの人柄だ。
さらに、社内の営業研修で講師を務める営業マンへと竹内は成長していくのだが、仙台時代にはそんな自分の将来はまだ見えてはいなかった。
いきなりの試練ではあったが、実はこの社長とはその後良好な関係を築く。竹内が東京に転勤後に子供が生まれたとき、子供の顔を見せに訪問するほどだった。
一度のトラブルで、人間関係を決してしまうのもいけない。