コックを目指す原点となった ベジャメルソースとの出合い
――初めにコックになるきっかけから教えてください。
高校3年の時日本体育大学へ進学、将来体育の先生になろうと思いましたが、推薦入学枠から外れ、コックになる決心をしました。83年に高校を卒業、父の紹介で水道橋の洋食レストランに入店しました。当時、しゃぶしゃぶをメインに、洋食全般を提供する店でした。料理の専門学校を出ていないので見習い採用でした。接客サービス、ウエイター、レジ周りのことなどを一通り教わり、それから厨房へ。朝出勤するとゴミ箱の掃除から始め、次にしゃぶしゃぶ用の銅鍋40~50台を毎日磨かされました。半年くらいしてからサラダバー用のキャベツの千切り、肉のバラシなどをやらされました。1年近くそんな修行時代が続き、「このままでいいのか」と疑問に思い、先輩コックに相談したら、洋菓子製造販売の泉屋東京店(麹町)を紹介してくれました。そこで同店に転職、洋菓子作りを2年ほどやりました。
――泉屋東京店を経て21歳の時にアルバイトでホテルニューオータニに入りますね。
――ホテルニューオータニで鉄板焼を始めるきっかけは、何だったのですか。
この時期上司から、「今度、東京本社でも鉄板焼を開店するから、力を貸してくれ!」と言ってきました。私もその頃は33歳から34歳になろうとする時で、正社員になってから10年経っていました。当時、ホテルニューオータニ全体で料理人(コック)は260~270名。その中からシェフに昇格するのには、鉄板焼なら鉄板焼のジャンルで頭角を現す必要がありました。鉄板焼は寿司と同じで「食材ありき」の料理。焼き寿司などという料理もあるほどです。鉄板焼でできない料理はないというほど幅は広い。一般的には「ただ、焼くだけ」で調理技術は大して必要ないと誤解されています。鉄板焼で一番難しいのは、お客様の目の前で調理するので味見が一切できないこと、すべて“勘”で作らねばならないことです。基本はガーリックライスづくり。ライスとタマネギを塩、コショウだけで味付けしてゆくのですが、本物の味を出すためには100回以上も作り勘と経験を磨かないとダメです。最も難しいのは車エビを焼くこと。これも何十回も練習してコツを掴まないと納得ゆくものはできません。
鉄板焼は和食なのですが、ジャンルとしてはまだ確立していないのが現状でした。また当時ホテルニューオータニには鉄板焼の専門家はひとりもいなかったのです。そこで私は鉄板焼に挑戦することで活路を拓こうと思ったのです。
――2000年にホテルニューオータニ(東京)鉄板焼「石心亭」の料理長(シェフ)に就きますが、これが一つの転機ですね。以来、鉄板焼一筋。04年に同「ガーデンレストラン」(石心亭、清泉亭、もみじ亭)統括料理長、10年ホテルニューオータニ幕張「24レストラン」料理長などを歴任、11年には日本鉄板焼協会の師範に認定され、同協会副会長に就くなど鉄板焼のトップランナーとして走り続けます。それが14年にLEOCに入社、鉄板焼「銀座 すみかわ」総料理長に就くのはなぜですか。
LEOCは長期的に給食事業を海外に進出させる方針だといいます。その先陣として「鮨 銀座おのでら」と鉄板焼「銀座すみかわ」の和食2本柱を世界の主要都市に展開、その国の超一流の店に育てたいという。ブランドを確立した超一流の飲食店には大統領やVIPが来店し、人脈が構築できる。そうすれば将来LEOCが給食事業を展開する時、スムーズに運ぶというのです。私は長期的な視点から構想するLEOCのスケールの大きな考え方に共感しました。その時私は49歳になるところでした。ホテルニューオータニでアルバイトから始めて足掛け29年勤務。鉄板焼の料理人としてそれなりに実績を積み、人脈も作ってきました。新しい職場で働くには年齢的にも最後のタイミングだと思いました。
そこでLEOCへの転職を決断、鉄板焼「銀座すみかわ」の立上げに奔走しました。
――14年にLEOCに入社して直ぐ香港の上環(シャンワン)にある「ホテルグランド・フロア」内に鉄板焼「銀座すみかわ」の1号店を開店させました。
15年1月にはハワイ・ホノルルの「鮨 銀座おのでら」の近くに「銀座すみかわ」を出しました。年内にはフランス・パリの「鮨 銀座おのでら」の近くに「銀座すみかわ」を出します。また、上海にも出店します。
――来年にかけては米ニューヨーク、ロサンゼルス、ロンドンにも出店し欧米に足場を確立するようですね。ちなみにニューヨークは五番街に出店、投資額は5億円を超すそうですね。ところで超一流店の鉄板焼「銀座すみかわ」を作るのに一番大切にしていることは、どんなことですか。
例えば牛肉。当店は「神戸肉流通推進協議会指定登録店」の看板を掲げています。最高級黒毛和牛の但馬牛の中からさらに厳しい基準を満たした牛だけが「神戸ビーフ」と名付けられますが、当店はその「神戸ビーフ」を提供しています。また、仲買人を通して全国から山形の米沢牛、宮崎牛などの特選銘柄ブランド牛を仕入れています。和牛の仕入れで最もこだわっているのは、「生体熟成」です。30ヵ月以上42ヵ月、長期肥育された和牛は不飽和脂肪酸が増加し、融点の低い柔らかで芳醇な香りの美味しい肉になります。とろけるようなおいしさで、たくさん食べても全く胃にもたれません。
今、米国産などの輸入牛肉(月齢30ヵか月未満)で、赤身肉のエージング(熟成)がブームになっていますが、高級ブランド和牛は長期肥育による「生体熟成」が本流で、輸入牛肉のようなエージングとは一線を画しています。高級ブランド和牛は安全・安心な牛を提供するために、生産から流通までのすべての情報を管理する個体識別管理システムができていて、証明書を発行しています。
長期肥育による「生体熟成」で有名なのが“幻の牛”といわれる沖縄・石垣島の牛です。
きたうち牧場のプレミアムビーフは42ヵ月も長期肥育されます。42ヵ月も牛を健康に育てること自体が非常に難しく、日本の酪農家が保有する知識、技術力は世界のトップレベルにあります。世界の最高峰をいくブランド和牛は生体熟成によって十分に美味しいので、エージングは必要ないのです。
――生体熟成の牛肉に始まり野菜や魚介類にも徹底的にこだわっているそうですね。
――日本の「本物の味を銀座から世界へ」広めようとしています。今後の抱負を聞かせてください。
当店は日本の食文化、本物の味を世界に広げることを大きな目的にしています。基本的に神戸ビーフなどの食材は日本から航空便で現地に送っています。輸入規制があって野菜など、シェフが現地で調達するケースもありますが、原則的に日本の食材を使うようにしています。
鉄板焼「銀座すみかわ」と姉妹店の「鮨 銀座おのでら」を海外の都市でブランド化してゆくのには5年、10年という長い時間がかかると思います。LEOCが給食事業を展開するのには20年、30年というもっと長い時間がかかるのではないでしょうか。
鉄板焼「銀座すみかわ」も姉妹店の「鮨 銀座おのでら」もまだスタートしたばかり。それでも海外展開ができているのは、お客さまや取引先、業界の皆さんなどに応援してもらっているからです。まだ職人も十分にいるわけではないですが、日本の「本物の味を銀座から世界へ」広げるという目標に向かって、全力を傾ける覚悟です。
――本日はどうもありがとうございました。
「鉄板焼 銀座すみかわ」(9月1日から「鉄板焼 銀座おのでら」に改称)
総料理長 神辺 孝則(かんべ たかのり)
11965年東京都生まれ。50歳。中学時代バトミントン部で活躍、都大会で3位に入賞。スポーツ推薦で駿台学園高校に入学。83年に卒業し水道橋の洋食店勤務、その後洋菓子の泉屋東京店(麹町)勤務を経て、21歳の時アルバイトでホテルニューオータニへ。契約社員を経て89年24歳の時正社員に採用。ホテルニューオータニ幕張「鉄板焼レストラン『けやき』」スーシェフなどを経て2000年にホテルニューオータニ東京「石心亭」料理長に就任。09年全日本司厨士協会、フランス料理アカデミー賞銅賞受賞、10年ホテルニューオータニ幕張「24レストラン」料理長に就任。11年日本鉄板焼協会“師範”に認定。14年給食会社「LEOC」に入社。鉄板事業本部本部長、鉄板焼「銀座すみかわ」総料理長に就任。香港、銀座、ハワイの「銀座すみかわ」を立ち上げた。年内上海、パリに開店予定、ニューヨークへの出店も近い。「その国の大統領が来店するような超一流の店作りを進める」という。日本鉄板焼協会副会長。
(文中敬称略)
外食ジャーナリスト 中村芳平