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コラム

今年最後のサードG

12月17日、今年最後のサードG交流会を開催した。130名を超える参加者で会場は熱気ムンムン。1月に旗揚げしてから6回目。交流会の様子報告とサードGの存在意義について書いてみたい。

PROFILE

佐藤こうぞう

佐藤こうぞう
香川県生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業後、日本工業新聞記者、雑誌『プレジデント』10年の編集者生活を経て独立。2000年6月、飲食スタイルマガジン『ARIgATT』を創刊、vol.11まで編集長。
その後、『東京カレンダー』編集顧問を経て、2004年1月より業界系WEBニュースサイト「フードスタジアム」を自社で立ち上げ、編集長をつとめる。


第一部はサードG代表幹事、幹事長による「2008年の成果報告」と第5回サードGで“2008年注目の経営者ベスト1”に選ばれたAPカンパ ニー・米山久社長によるミニ講演。トップバッターは代表幹事のダイヤモンドダイニング・松村厚久社長。この成果報告のために作ったDVDとPPTで同社の 今年の躍進劇をコンパクトにまとめていただいた。今年18店舗出店予定が〆てみれば新規25店舗、リjニューアル5店舗に、M&Aもサンプールと フードスコープの2件。まさに破竹の勢いの2008年だった。イラストでは、第3世代の経営者たちは第2世代の松村さん目標に登山しているけど、まだまだ 及ばない。でも、自分も頂上が見えないとのオチ。会場の笑いを誘っていました。 私が第2世代の松村さんをサードG代表幹事にお願いしたのは、まさにそこに意図があった。2000年あたりから既存のチェーンオペレーションとはマ ネジメントを異に登場してきた第2世代のゼットンの稲本さん、カフェカンパニーの楠本さん。彼らは感性重視型で、ビジネスモデルとしては目標にしづらい。 “遅れて来た第2世代”である松村さんは目標にしやすい身近かさがあり、第3世代への思いやりも深い。リーダーとしてはうってつけだと私は思った(本人は 稲本さんがリーダーだと言っているが)。松村さんは“第3世代へのラポール(架け橋)”なのだ。 二番手は、サードG幹事長のエムグラントフードサービス・井戸実社長。まだ30歳の彼は、10代から寿司職人として飲食業界に入り、個性の強い小林 事務所で外食を勉強し、店舗流通ネットで物件やリースのことを学ぶ。そして、独立した彼が目をつけたのはロードサイドの退店物件を居抜きで借りて、CPの 高いステーキ&ハンバーグで勝負するというビジネスモデル。ちょうど外食業界は大きな転換期にあり、郊外型ファミレスや居酒屋チェーン、焼肉チェーンは時 代の役割を終え、退店ラッシュ。そこにリーマンショックが起き、さらに退店に拍車がかかった。「夕刊フジ」で“不況に強い企業”として取り上げらたことを きっかけに、民放のTV報道バラエティやニュース番組などに登場、自称だった“ロードサイドのハイエナ”が一気にオーソライズされ、メジャーデビューを果 たしてしまったのだ。彼をサードG幹事長に選んだとき、「有名になりたいから、やらせてもらいます」と私に言った。その彼の夢はとりあえず達成されたので ある。おそらく彼は来年、“井戸塾”を起こし、次のステージに進むに違いない。サードGから巣立っていくのだろうか。 第一部セミナーのトリは、「ありきたりじゃつまらない」を標榜して2008年サードG注目の経営者に選ばれた米山久カンパニー社長によるミニ講演。 宮崎地鶏「じとっこ」を核に展開して成長を遂げた。単に産地から地鶏を仕入れるという発想から、産地に出向き、行政を巻き込み、生産者と一緒に「どうすれ ば外食向けにビジネスチャンスを一緒につくれるか」を考え抜いた。結論は自ら養鶏場をつくり生産者と同じ立場になること。それを本気でやったおかげで新業 態の宮崎郷土料理の「塚田農場」はブランドになった。そして、彼は来年、魚業態で同じような展開をする計画。「第一次産業を活性化することが私のビジネス のミッション」と言い切っていた。彼は時代の空気が読める。この不況で第二次、第三次産業からはじき出された雇用は第一次産業に向かうに違いない。来年は 「第一次産業への回帰ブーム」が起きるだろう。そのとき、彼は外食業界の寵児の一人になるに違いない。「オレも松村さんや井戸さんのようにTVに出たい な」と米山さんは言っているようだが、来年彼は間違いなくTVに出ると予言しておく。サードGの幹部になってほしい。 第二部では、もつやき処い志井の石井宏治代表に冒頭の挨拶をしてもらった。いい話をしていただいた。サードGの第一部出演者に対して賛辞をいただい た後、日本再生酒場1号店のお話。い志井創業者の石井さんの父親が当時、肺気腫を患っていた。石井さんは改めて「もつやき」という素晴らしい商品を残して くれた父親の大きな存在に気づき、戦後の闇市時代から生きるために、子供を育てるためにひたすら「もつやき」に打ち込んでくれたその父親の時代を再現した い。そんな思いを託して長谷川勉さんに再生酒場を託したという。父親がいたから、今の自分がある。また長谷川さんという後輩がいたから店は成功した。「自 分一人の力だけで成功はできない」ということを石井さんは第3世代へのメッセージとして贈ってくれたのだ。第3世代の塊である30歳前後は「自分が、自分 が」という世代でもある。それに対する優しい石井さんらしい戒めだったのかも知れない。

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