
Provision代表の品治 典明さん
「小学1年生で、玉子焼きを焼けた」。サッカー少年だった品治さんの、もう一つの顔。
――本日はお時間をいただき、ありがとうございます。まずは品治さんがどちらで生まれ、どのような幼少期を過ごされたのかをお伺いしたいです。
品治さん:生まれ育ったのは東急田園都市線の鷺沼です。中学のときにセンター北に引っ越しましたが、近所ですね。ごく普通のサラリーマン家庭でした。私立の学校に行かせてもらえましたし、姉は中高大と全部私立だったので、中流というか、悪くない生活はさせてもらっていたのかな、という感じです。特に英才教育をされたわけでもないですけどね。
――幼少期は何か運動などをされていましたか?
品治さん:サッカーをやっていました。今では日本代表の三笘薫さんとか田中碧さんとかを輩出した、鷺沼のサッカークラブです。
――そうなんですか!
品治さん:ええ、彼らは鷺沼サッカークラブの出身なんですよ。小中学校が一緒らしいです。もちろん年齢が違いすぎるので会ったことはないですけど。
――サッカー少年だったんですね。
品治さん:そうですね、小学校のときは。ただ、結果的には「下手の横好き」でしたけど。中学ではハンドボール部、高校ではテニス部だったので、運動は好きでしたけど、今思えば運動神経がいいタイプではなかった。全国大会に行くとか、そういうレベルではまったくなかったですね。
――飲食の世界との出会いは、いつ頃、どのようなきっかけだったのでしょうか。
品治さん:料理ということで言うと、本当に幼稚園に入る前とかだと思います。母親が台所で料理をしているじゃないですか。普通なら娘が手伝うイメージがあるかもしれませんが、我が家では僕が2、3歳の頃から、蓋付きのゴミ箱の上に立って、ずっと母の横で料理をしているのを見ていたんです。それで、小学校1年生のときにはもう玉子焼きが焼けました。しかも、親が寝ている間に自分で台を持ってきて、冷蔵庫から卵を取り出して、砂糖と塩もひとつまみ入れて。
――それはすごい。目玉焼きではなく、玉子焼きをですか。
品治さん:玉子焼きです。一人で全部、ぐるぐるやって。小学1年生が、親が寝ている中でガスコンロに火をつけて。そんなふうに、昔から料理をするのが好きだったんですよ。
「サービス業って、面白い。原体験は、中田英寿のカフェ」
品治さん:子どもの頃からなんとなく家で料理をしたり、手伝ったりするのが好きで、「料理は楽しいな」と思っていました。ただ、高校が進学校だったので、なんとなく大学に行くのが当たり前という雰囲気でした。
――周りの環境もあってってことですね。
品治さん:そうですね。親もそうですし、周りも大学受験をしないという選択肢が1ミリもないような学校だったので。必然的に自分も大学受験をしました。大学受験が終わると、アルバイトができるじゃないですか。高校が厳しくてアルバイト禁止だったので。推薦で大学が決まったので、年内には受験が終わっていたんです。だから1月くらいからアルバイトができるぞ、と。何にしようか探したときに、センター北のモザイクモールの中にあった天ぷら屋の「銀座ハゲ天」が高校生を募集していたんです。

――そこで飲食店を選んだのですね。
品治さん:「ご飯屋さんだ。まかないって書いてあるから、ご飯が食べられるっぽい」と思って(笑)。もともと料理も好きでしたし、食べるのも好きだったので。それが飲食業界に入った最初のきっかけですね。18歳のときです。
――どんな仕事をされていたんですか?
品治さん:洗い場です。デパートの天ぷら屋の洗浄機がない洗い場。地獄のような洗い場でした(笑)。土日は、めちゃくちゃ忙しいですし。でも、楽しかったですよ。店長さんや社員さんがいい人たちばかりで。まあ、まだ高校3年生のやつが入ってきたら、そりゃ可愛いですよね。まかないも山盛りで食べさせてもらったりして。
――大学はどちらに?
品治さん:横浜市立大学です。
――それはそれは優秀ですね!
品治さん:いえいえ、たまたま入れただけです。大学に入って、他のバイトもしていたんですが、ちょうど2002年の日韓ワールドカップのときに、中田英寿さんが有楽町の国際フォーラムで「nakata.net cafe」というのをやったんです。大学生のインターンのような形でスタッフを募集していて。
――大学2年生のときですね。
品治さん:そうです。それまでは洗い場とかキッチンとか、裏方しかやったことがなかったんですけど、フットサルをやっていた友達に「やってみない?」と誘われて。行ってみたらホールの業務に就くことになって、それがすごく楽しかったんです。
――中田英寿さんには会えましたか?
品治さん:会いました。お店に来ましたよ。大会が終わった後とかに。パフォーマンスの一環だったとは思いますけど。
――そこでサービスの楽しさに目覚めた、と?
品治さん:まさにそこがスタートですね、サービス業の。カジュアルなカフェで、カウンターでオーダーするマクドナルドみたいなスタイルなので、本来そんなにホール業務はないんです。お客様が立った後の席を片付けて拭く、くらいのもので。でも、おしぼりを落としたおばあちゃんに新しいものを持っていったらすごく感謝されたり、忙しくなってレジ周りがごちゃごちゃしているのを見て「お席はどちらですか? お持ちしますよ」と、勝手に席まで運んだりしていたんです。その方がお客様も楽だし、レジ周りもすっきりすると思って。
――それはすごい自主的に。しかも学生アルバイトさんが。
品治さん:ええ。そうしたら、すごく感謝されるじゃないですか。それがめちゃくちゃ面白いな、と。それが僕の原体験ですね。そこから始まった感じです。
「ホールだけでいいです」。バーテンダーを目指す同僚の中で、異例の宣言。
品治さん:そうやって働いているうちに、当時の上の人に気に入られて、「ちゃんと飲食店でバイトしてみたら?」と紹介してもらったんです。入ってみたら面白くて、今度は「お酒を勉強したいな」と思うようになって。たまたま紹介されたのが、青山の骨董通りにあったバーラウンジでした。もうなくなってしまいましたが。
――バーテンダーとしてですか?
品治さん:はい。カクテルを作ったりしていたんですが、お酒を作るのは楽しかったんですけど、それよりも接客している方が楽しかったんですよね、僕は。そこはバーラウンジなので、スタッフは全員バーテンダーになりたくて入ってくるんです。技術が上の人が休みの日に、ランキング順にバーカウンターに立つチャンスが回ってくる。僕はまだ20歳か21歳のアルバイトで下っ端なので、なかなかチャンスは来ない。練習してカクテルも作れるようにはなりましたけど、作ること自体は、あまり楽しくなかったんです。
――接客の方が、性に合っていたというわけですか?
品治さん:ええ。だから、当時その店ではすごく珍しかったと思うんですけど、あるとき店長に「僕、ホールだけでいいです」って言ったんです。
――面白いですね(笑)。バーで、そんなことを言う人はいないでしょうね。
品治さん:いないですよ(笑)。みんな人気のバーテンダーになりたいはずなのに、「え、いいの?」って。僕は「はい、接客している方が楽しいんで。オーダー取るのが楽しいんで」って。
「多分俺、これで食ってくわ」。全盛期のファインダイニングへの憧れ。
――まだ大学生ですよね。
品治さん:はい、大学3年生くらいのときですね。そうしたら、店長や社長が「そんなにサービスがやりたいんだったら、系列のレストランがあるからそっちに行けば?」と。そっちの方が本格的な接客を学べるし、感じられると思うよ、と。
――その頃の飲食業界はどんな時代でしたか?
品治さん:ちょうど「ファインダイニング」が全盛期の頃です。グローバルダイニング社の『タブローズ』や『サイタブリア』、『カシータ』とか、あのへんが盛り上がっていた時代。大箱のレストランが流行っていました。それで、六本木一丁目の泉ガーデンにあった『マコ レストラン』という、カリフォルニア料理の逆輸入レストランで大学4年生のときに働き始めました。
――それくらいの時にはもう、飲食業界で生きていこうと決めていたのですか?
品治さん:完全に決めていましたね。なので就職活動も一切していません。
――すごいですね。一般企業に就職しようという考えは、全くなかった?
品治さん:全くなかったです。周りが就活を始めても、「いや、多分俺、これで食ってくわ」って。
――かっこいいですね。何がそこまで惹きつけたのでしょうか。
品治さん:当時、グローバルダイニングなどを中心に、ウェイターという職業にすごく脚光が当たった時代だったんです。その第一線で活躍していたのが、僕より6歳くらい上の世代。僕が22歳のときに30歳前後だった人たちです。
――憧れの対象だったわけですね。
品治さん:そうです。2、3歳上だったら「負けたくない」となりますけど、もう完成されている世代なので。知識も人間性も。彼らを見て「ああなりたいな」という憧れの気持ちが強かった。それに楽しいし、言い方は悪いですけど、稼げていたというか、食べていけていたので。大企業に入ってスーツを着るよりは、やりたいことをやった方がいいかな、と。
――いい世代を経験されているのですね。まさに天職に出会えた、という感じですね。
品治さん:本当にそう思いますね。あの頃は、夜の世界がキラキラしていました。青山のバーラウンジでは、バーなのにバレーパーキングサービスをやっていたんですよ。今じゃ考えられないですけど。そういう華やかな時代を20代前半で見ていたので、飲食業、特にバーやレストランの世界にすごく憧れを抱いていましたね。
――ちなみに大学では、何を学んでいたんですか?
品治さん:経営学です。
――では、いずれは社長になりたいという気持ちも?
品治さん:ざっくりとはありましたけど、経営学がやりたくて選んだというよりは、文系ほど国語が得意じゃないし、理系ほど数学や物理ができるわけでもない。そのちょうど真ん中が商学部とか経営学部だった、という感じです(笑)。でも、入ってみたら面白かったですよ。ゼミは一番厳しいところにあえて入って、めちゃくちゃ頑張りました。
――大学4年生の頃は、アルバイトでかなり稼いでいたとか。
品治さん:稼ぎすぎて、親の扶養から外されていました(笑)。後から気づいたんですけど。卒業間近の3月頃に親から「そういえばお前、保険外れてるけど大丈夫?」って言われて。「何のこと?」って聞いたら「稼ぎすぎだよ」と。月々30何万円とか稼いでいたので、103万円の壁はとっくに超えていましたね。
「30歳でハワイへ。日本にはないドライな文化が肌に合った」
――大学を卒業されてからは、どうされたんですか?
品治さん:『マコ レストラン』でそのまま社員になるかという話もあったんですが、社員になると給料が劇的に減るという、よくある話で(笑)。それなら一度外に出ようと。たまたま同じ系列の別の店が渋谷にあって、そこのサービスが手薄だから店長業務をやってくれと言われました。まだ23歳で、店長なんてやったこともないのに。まあ、責任者という立場ですね。
――いきなりの大役ですね。
品治さん:そこがまた激務で。ランチはやっていなかったんですが、横浜に住んでいて渋谷の店まで通っていたので終電には乗れない。毎日店で寝るか、先輩と飲みに行って朝帰り。そして昼過ぎには出勤、という生活でした。1年くらいで円形脱毛症ができてしまって、「これはダメだ」と辞めました。
――その後はどうされたのですか?
品治さん:辞めた後、今度は『マコ レストラン』時代の先輩が働いていた、WDIが運営する品川の『グランド・セントラル・オイスター・バー』に「人がいないから手伝え」と呼ばれて。そこで1年間アルバイトをしていました。ずっとフリーターですね。そうこうしているうちに、今度はHUGE(ヒュージ)から声をかけていただいて。25歳のときですね。新丸ビルにオープンする『RIGOLETTO(リゴレット)』の立ち上げから参加しました。
――それが2007年頃ですね?
品治さん:はい。HUGEには30歳になる年までいました。ウェイターをやって、最後は社員にもなりました。そして30歳の年に、今度はまたWDIから声がかかったんです。WDIがハワイに『53 By The Sea』というレストランを、タカミブライダルと共同でオープンするという話で。『オイスター・バー』時代の先輩もハワイに行っていた縁で、僕に白羽の矢が立ったんです。「品治、来ないか?」と。
――それで、ハワイに行かれるんですね。
品治さん:はい。「行きたいです!」と即答しました。もう30歳でしたし、結婚もしていたので、今更学生ビザで留学するわけにもいかない。これはいいチャンスだな、と。3年半ほどハワイにいて、33歳で帰国しました。
――当時のハワイの飲食シーンは、どんな感じでしたか?
品治さん:景気は良かったですね。日本人もたくさん来ていましたし、欧米からのお客さんも。お店はすごく大きかったです。ウェディング施設も併設されていて。
――パーティーなどもやるような。
品治さん:いえ、2階がバンケットで、1階がダイニングでした。僕はダイニングのマネージャーだったので、レストラン業務に専念していました。夏休みなどのウェディングシーズンには、1日に7組も結婚式があるような日もありましたね。お客様も、オフシーズンはローカルの方々が中心ですが、観光シーズンになると、ある日はローカルのお客様が一組だけであと全員日本人、またある日は日本人のお客様が一人もいない、というくらい、観光客の動向に左右される店でした。でも、当時はまだ1ドル110円前後で、皆さん旅行で来ているので気前よくお金を使ってくれましたね。
「天狗だった。自分の力でお客さんを呼べると勘違いしていた」
――3年半のハワイ生活を経て、なぜ帰国して独立しようと?
品治さん:ハワイは良かったですし、アメリカの文化はすごく僕の肌に合いました。ドライで、白黒はっきりしていて、実力主義。やることさえやっていれば何も言われない。すごく働きやすかった。ただ、ハワイは島なので、住んでいると飽きてくるんです。それに、当時の世界のレストランシーンは、デンマークの『noma』やスペインの『エル・ブジ』のようなスタイリッシュな料理が注目を集めていました。常夏のハワイにいると、そういう季節感が感じられないのが、サービスマンとしてすごくストレスになってきて。
――それで、アメリカ本土への転職も考えたのですか?
品治さん:考えました。でも、僕は就労ビザで行っているので、移籍するには次の会社にビザをスポンサードしてもらわないといけない。電話面接で受かったところもあったんですが、結局ビザが下りずに断られたりして、本土に行くのは簡単じゃないな、と。このままハワイに何年もいるくらいなら、東京に帰って自分の店を作った方が、やりたいことができるな、と。もともと独立したいという気持ちはありましたから。それで帰国を決意しました。

――帰国してすぐに、物件探しを?
品治さん:はい。2015年の秋に帰国して、すぐに物件探しを始めて、2016年にこの『Provision』をオープンしました。半年くらいで、一気に進めましたね。
――独立資金は、どうされたんですか?
品治さん:自己資金と親に借りたのと、あとは銀行から融資を受けて。
――最初から、この空中階の店舗で。
品治さん:そうですね。今考えればバカだったなと思いますけど(笑)、路面店は家賃が高いから、というくらいの考えでした。あと、言い方は悪いですけど、いわゆる“一見さん”に来られたくないな、という気持ちも少しあって。

お店は六本木駅からは程近いながら、路地裏の飲食ビルの3Fという決して好立地とは呼べない場所。
――オープン当初から、順調でしたか?
品治さん:いえ、しっかりコケました(笑)。天狗だったんですね。『オイスター・バー』も『リゴレット』もハワイの『53 By The Sea』も、どこも大箱で、店そのものにお客様がついていた。その中で僕が少し輝いて見えただけで、僕個人の力でお客様を呼べていたわけではなかった。そのことに気づいていなかったんです。大学を卒業してからずっと、自分のお客様に囲まれて仕事をしてきたので、「独立すればみんな来てくれるだろう」と。でも現実は甘くなかった。1年も経たないうちに、潰れそうになりました(苦笑)。
「『あの店、高ぇーな』が生まれる瞬間をなくしたかった」
――絶体絶命のピンチですね。そこからどうやって立て直したのですか?
品治さん:まさに潰れそうだというときに、今のビジネスパートナーが救いの手を差し伸べてくれたんです。彼と一緒に、どうすればこの店を流行らせられるか、という話をしました。何かどでかい肉を看板メニューにするとか、いろいろ考えたんですが、簡単には思い浮かばない。そこで、逆の発想で考えてみたんです。「なぜお客様はリピートしないのか? 行かなくなる理由があるんじゃないか?」と。
――行かなくなる理由、ですか。
品治さん:そうです。その理由を潰せば、お客様はまた来てくれるんじゃないか、と。当時も、来てくれたお客様からの評判はすごく良かったんです。料理も好評でした。リピートしてくれる人もいる。でも、何かが足りない。いろいろ考えていく中で、「お会計」という要素にたどり着きました。「思ったより高かった」という体験が、リピートを妨げているのではないか、と。
――お会計の瞬間に、我に返ってしまうような。なるほど。
品治さん:まさにそれです。例えば、接待で予算1人1万円と会社から渡されて4人で行ったのに、盛り上がって少し余計に飲んだら会計が4万6000円になった。その6000円は接待した側が自腹で払うわけです。女子会で予算7000円だったのに、楽しくてつい2杯多く飲んだら9000円になってしまった。お店は何も悪いことはしていないし、お客様もすごくいい時間を過ごしたはずなのに、お会計の瞬間に目が覚めて、「うわっ」と思ってしまう。その結果、「あの店、高かったな」という印象だけが残ってしまうんです。誰も悪くないのに、「あの店、高ぇーな」が生まれる。
――確かに、経験があるかもしれません。
品治さん:これをなくすには、どうすればいいか。お会計がなければいいんじゃないか、と。例えば、ペアリング付きのコースで1人2万5000円と決まっていれば、それ以上かかることはない。でも、僕はグローバルダイニングやHUGEのような、アラカルトで好きなものを好きなだけ食べる、というスタイルで育ってきたので、おまかせコースにはしたくなかった。
――ご自身のイズムに反すると。
品治さん:そうです。お客様に合わせたサービスをして、思う存分楽しんでもらいたい。赤ワインが飲みたい人は赤ワインを、ハイボールが好きな人はハイボールを飲んでほしい。お店側が料理や飲み物を押し付けるのは違う、と。
――アラカルトの自由さと、会計の安心感を両立させる。その矛盾をどう解決したのですか?
品治さん:それでそのとき、パートナーから「サブスクリプションがあるじゃないか」という言葉が出てきたんです。
――そこでサブスクリプションの登場ってわけですね。
品治: 当時はまだNetflixなどもなく、その言葉自体に馴染みがありませんでした。「なんですか、それ?」って聞いたら、「スポーツジムとか新聞だよ」と。月額料金を前払いで払って、使い放題にする仕組み。
――確かにサブスクが流行始めたのって、コロナちょい前くらいですもんね。
品治さん:それなら、アラカルトでもできるんじゃないか、と。そうして、この店のサブスクリプションモデルが生まれたんです。
「これでダメなら諦めがつく。チャレンジ以外の選択肢はなかった」
――それが2017年のことですね。早いですね。
品治さん:はい。2016年にオープンして、2017年の秋にサブスクリプション制に切り替えました。当時はもう手探り状態です。システムはエンジニアの方にお願いして組んでもらい、サイトを作ってネット決済できるようにして。さあ、オープンだ、と。
――原価計算など、不安はありませんでしたか?
品治さん:もう、一度沈んだ船ですから。考える余地はなかったです(笑)。僕の実力ではこの店を埋めることができなかった。そこで提案された新しいアイデアに、チャレンジしない理由がありません。これでダメなら、諦めもつく。パートナーからも「黒字化するまで3年くらいはかかると思うから、そこまでは支える」と言ってもらえていたので、じゃあ3年かけて黒字にすればいいんだ、と。どうやったら黒字になるかよく分からないけど、やってみよう、という感じでした。
――どのように告知やPRをしていったのですか?
品治さん:ネットでも告知しましたが、大きかったのは、当時僕が入っていた「BNI」という経営者の会での口コミです。集客に困っていたので、人と出会える場所を探してなけなしのお金を払って通っていたんですが、そこでサブスクに切り替えるという話をしたら、みんな面白がってくれて。
――そんな下積み時代があったのですね(笑)。確かに経営者の方々には響きそうですね。
品治さん:会食が多い個人事業主の方が多かったので、すごく刺さったみたいです。特に、保険のセールスマンの方々から一気に火がつきましたね。彼らは個人事業主で、経費がお財布に直結します。接待はしたいけど、毎回はできない。でも、うちなら定額なので、月に4件契約が取れたら4回接待に来られるわけです。何を食べても飲んでもいいので。
――リニューアルしてから、手応えを感じ始めたのはいつ頃ですか?
品治さん:リニューアル前はノーゲストの日もあったんですが、切り替えてからはお客様が増えていって。記憶では、2017年の12月の頭に最後のノーゲストの日があって、それ以降は一度もありません。大雪だろうが地震だろうが、必ずお客様が来てくださるようになりました。
――すごいですね。1年経たずに軌道に乗ったわけですね。
品治さん:ええ。ただ、最初は無法地帯で、時間制限もなかったので、18時に来たお客様が23時までいる、なんてこともありました。だんだん予約が取れない人が出てきてしまったので、2018年に入ってから予約サイトを導入し、お席を2時間半制にしました。
――黒字化したのはいつくらいですか?
品治さん:リニューアルしてから、1年ちょっとだったと思います。ちょうどその頃から、メディアにも取り上げていただけるようになって。
――世の中的にも「サブスク」という言葉が、注目され始めた時期ですね。
品治さん:そうです。ワイドショーなどでサブスクリプションの特集が組まれると、飲食店の例として、コーヒーのサブスクをやっていたfavyさんと、うちがセットで紹介されることが多かったですね。
「営業中は原価を気にしない。会員様が自慢できる店にする」
――サブスクリプションモデルのビジネスとしては、どのように利益を計算されているのでしょうか。
品治さん:基本的には、月初に「会員数 × 会費」でその月の売上が確定します。そこから、使える原価はいくら、人件費はいくら、と逆算していく形です。
ただ、始めた当初は、そんな計算はほとんどしていませんでした。とにかくお客様を楽しませて、「え、これ本当に会費だけでいいの?」と思わせる。そして、連れてこられたゲストの方に「俺も会員になりたい」と言わせることだけを考えていました。
――販促費をかけない代わりに、原価を広告宣伝費として使っていた、と。
品治さん:まさにそうです。ウェブ広告も打ったことはないですし、テレビや雑誌の取材も、こちらからお金を払ったことは一度もありません。
――サブスクリプションという形式ならではの、接客の難しさはありますか?
品治さん:普通の飲食店なら、一品、一杯出すごとに売上が立ちます。でもうちは定額なので、極論を言えば、料理や飲み物は出なければ出ない方が利益は上がる。言われるまでおかわりは出さない、という方が経営的には正しい。
――でも、それではお客様は満足しないということですね。
品治さん:そうなんです。そんなつまらないサブスク、ないですよね。Spotifyで音楽を聴くのに、毎回10秒待たされたら「聞き放題じゃないじゃないか」ってなるのと同じです。だから、営業中はもう原価のことはとことん気にしないようにしています。「いいんじゃない?」って。むしろシェフの方が厳しいくらいです。僕は「トリュフなんて死ぬほどかけてやれよ」って言うんですけど(笑)。
――せめぎ合いなんすね(笑)。
品治さん:うちのカルボナーラにはトリュフをかけるんですが、それが4、5枚ぱらっとかかっているだけでは、何の感動も生まない。それよりも、お皿が黒くなるくらい、15枚くらいわさっとかかっていたら、「この店すげーな」って思うはずなんです。そうしたらお客様は写真を撮るし、翌日会社で「こんな店があったんだ」と自慢してくれる。「〇〇さん(会員)のあの店、また行きたいです」と言われれば、会員様も嬉しいじゃないですか。僕らは、その環境を作るためだけに努力すればいい。
――会員様が、誇れる店であり続けることが重要なんですね。
品治さん:はい。だから、先に原価を計算してもどうにもならない。日によっては原価率10%の料理ばかり出る日もあれば、50%の料理ばかり出る日もある。それはもう仕方がない。あるものを「ない」とは言えないし、忖度もできない。そういう日もあるよね、という感じです。

メンバー(会員)価格とゲスト価格があり、メンバーは+表記のメニューを除けば会費のみで全て食べ放題、飲み放題という画期的ないシステム。
――ということは、経営的にはノーゲストの日が一番嬉しい、ということですよね。
品治さん:その通りです(笑)。売上は確定しているので、お客様が来なければ原価はゼロ。大雪でも降って電車が止まらないかな、なんて思いますよ。でも、実際にお客様が少ないと、働いている方は全然楽しくない。そしてお客様も、暇な店より忙しい店に行きたいものですよね。満席の店にスッと入ってきて、「いつもの」で通じる。そういう常連としての優越感が、会員制の楽しさでもあると思うんです。だから、心の中ではノーゲストを願いつつも、やっぱり満席の方が楽しいし、やりがいがありますね。
「損益分岐点を超えるまで、満席なのに毎日大赤字。だから安易に勧められない」
――最近は会員制の店も増えましたが、サブスクリプションの店はほとんど聞きません。他の飲食店に、このモデルはおすすめできますか?
品治さん:ぶっちゃけた話、おすすめはできないですね。
――その理由は?
品治さん:損益分岐点を超えるまで、死ぬほどお金が出ていくからです。
――詳しくお聞かせいただけますか。
品治さん:普通の飲食店なら、ノーゲストの日の原価はゼロです。お客様が一組来たら、一組分の売上が立ち、一組分の原価がかかる。でもうちは、例えば会員数がまだ10人だった頃、月額会費が3万円だったので、月の売上は30万円です。でも、お客様は面白がって毎日満席になる。
――売上は30万円しかないのに、毎日満席分の原価が出ていく、と。
品治さん:そうです。普通の飲食店なら、毎日満席ならその分の売上があるので、アルバイトも雇えるし、仕入れも増やせる。でもうちは、損益分岐点に達するまで、ずっと赤字なのに毎日満席、という状態が続くんです。だから、あまりおすすめはしないですね。
――もしやるとしたら、どんな店なら可能性があるでしょうか。
品治さん:小さいお店で、すでにある程度お客様がついている方なら、面白いかもしれません。でも、そういう方は普通に営業した方が売上は上がると思いますけどね。僕らは、売上を上げられなかったから、サブスクという手段を選んだだけなので。
――過去に、牛角が食べ放題のサブスクをやって、失敗した例がありました。
品治さん:あれは、既存の一般客とサブスク会員を同じ店で混ぜてしまったのが失敗の原因だと思います。会員は先にお金を払っているのに、一般客がいるせいで予約が取れない、席に入れない。それは怒りますよね。「俺たちはもう金を払ってるんだぞ」って。
――どうすれば、よかったのでしょうか。
品治さん:サブスク専門の店を作るべきだったんです。『牛角サブスク』という店を作って、そこは会員しか入れないようにすれば、成功した可能性はあると思います。「焼肉ライク」のような一人席や二人席を多く作って、とか。
――既存の店の中でやるなら?
品治さん:エリアを完全に分けるとかですかね。喫煙ブースと禁煙ブースのように、「あちらは会員様専用エリアです」と明確に区切れば、ありかもしれません。リピーターになってたくさんお金を使ってくれるお客様への上位サービスとして、会員制エリアを用意する、という形はヒントになるかもしれないですね。
これからの「Provision」
――品治さんの人柄があってこそのお店だと感じますが、今後の展望についてお聞かせください。
品治さん:事業展開はしたいな、と思っています。ただ、またサブスクをやるかというと、うーん、という感じですね。どうしてもこの店だけだと、今のスタッフのステップアップの場を作ってあげられないですし、僕自身の成長にも繋がらない。だから、店舗展開はしたいと考えています。
――どんなお店を考えていますか?
品治さん:一番やりたいのは、この近所で小さいバーですね。
――『Provision』の会員様が使えるような?
品治さん:そうですね。例えば、一般の方も入れるバーだけど、『Provision』の会員は半額です、とか。そうすれば会員様のベネフィットはすごく上がりますよね。会員様へのベネフィットを高めつつ、一方で通常の店舗展開もして、スタッフのキャリアパスを作ってあげたい。それが今の目標です。ただ、この『Provision』という店にはすごく愛着と愛情があるので、ここはできる限り続けていきたいですね。
――サブスクモデルは、原価や人件費が上がる中で、価格を柔軟に変えられない難しさもありますよね。
品治さん:それも、安易におすすめしない理由の一つです。うちは「来月から会費を5万5000円にします」とは簡単には言えない。だから、ある食材が値上がりしたら、ワインの仕入れをコントロールしよう、とか、全体で帳尻を合わせるしかない。そのバランスが崩れると、非常に危険ですね。
――常に挑戦ですね。本日は、貴重なお話をありがとうございました。
編集後記
Provisionを訪れたきっかけは、ご紹介でした。会員の方に連れて行っていただくと、同伴者も会費内で飲食できるという驚きの仕組みに思わず惹かれ、その場で取材をお願いしたほどです(笑)。しかし、このサブスクモデルは最初から狙って設計されたものではなく、品治さんの飲食に対する理想やお客様への想い、さらにパートナーの一言が重なって生まれた、いわば“偶然の産物”ともいえる業態でした。ご興味のある方は、ぜひ一度足を運んでみてください。(聞き手:大山 正)
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