
株式会社MS Group 代表取締役
白戸 武蔵氏
出身地:福岡県城南区
生年月日:1998年4月30日生まれ。
企業ホームページ:https://2022msgroup.com/

1982年東京都生まれ。成蹊大学卒業後、各種広告関係営業、外食企業のプロモーション・広報を経て、2014年1月、31歳で外食メディア「フードスタジアム」フードスタジアム株式会社 代表取締役就任。飲食店若手経営者の会「外食5G(現RX)」初代サポーター企業リーダー。2020年3月、株式会社ミライーツを設立。飲食業界における幅広い人脈、情報を持ち、飲食企業のサポートに従事する一方、本連載「クロスロード」では独自に記事の取材・執筆を手掛ける。
ロード1

プロ野球選手を夢見た少年時代。「ダサいことすんな」という親の教えが原点に。
――本日はお時間をいただきありがとうございます。まずは白戸さんのルーツについてお伺いできればと思います。ご出身はどちらで、どのような幼少期を過ごされたのでしょうか。
白戸さん:生まれたのは福岡県の城南区というところです。母方の実家が福岡だったので、出産に合わせて里帰りしていた形ですね。なので、生まれてすぐに東京に戻り、ずっと東京で育ちました。江戸川区で高校まで過ごしました。
――どのようなご家庭で、どんなお子さんでしたか?
白戸さん:一言で言うと「自由」でしたね。やりたいことは本当にずっとやらせてもらえましたし、自分自身の性格もあって、周りをあまり気にせずにやりたいことをやっていたと思います。良くも悪くも、ですが(笑)。
もちろん学校には規則があるので、窮屈さを感じることもありましたが、人生の大きな道を踏み外さなかったのは、小学校3年生から始めた野球のおかげです。
――野球が大きな存在だったのですね。
白戸さん:はい。ずっとプロ野球選手を目指して打ち込んできました。それが一番やりたいことだったので、そのためなら我慢もできました。人間として道を踏み外さず、多少のやんちゃくらいで済んだのは野球があったからだと思います。
――子どもの頃は、どのようなキャラクターだったのですか?
白戸さん:昔からずっと人の中心にいるようなタイプでしたね。遊びの企画をしたり、どこで遊ぶかを決めたり、みんなをまとめたりするのは全部僕がやっていました。
特徴的だったのは、分け隔てなく輪を広げようとしていたことかもしれません。特定のグループの中心というよりは、仲の良いメンバーはいつつも、「その子と仲良いならぜひおいでよ」という感じで、どんどん輪を広げていく癖が小学校の頃からありました。

――それはまさに人気者ですね!
白戸さん:そうですね。毎週金曜日に僕の家でみんなで夜ご飯を食べる、なんてこともありました。それも、自分の小学校だけでなく、他の小学校の子が来たりもしていましたね。
――めっちゃいいですね!他の小学校の子とは、どうやって知り合うのですか?
白戸さん: 野球です。少年野球は学校をまたいでチームが作られることが多いので。あとは、選抜チームのようなもので色々な学校の子と仲良くなって、「うちに来なよ」と誘っていました。
――ご両親は、白戸さんのそうした活動を温かく見守ってくれていたのですね。
白戸さん:はい、家族仲にはすごく恵まれていたと思います。経済的に特別裕福というわけではなく、ごく一般的だったと思いますが、両親の仲はすごく良かったですね。
教育方針で一貫していたのは、「正義を重んじる」というか…。昔、『池袋ウエストゲートパーク』というドラマで「悪いことすんな、ダサいことすんな」というセリフがありましたが、まさにそんな感じでした。校則を破ったことではあまり怒られないんですけど、「人としてどうなのか」ということにはすごく厳しかったです。ただ上から押さえつけられるわけではなかったので、言われたこともスッと自分の中に入ってきましたし、自分もそういう考え方で育っていきました。
打率5割でも試合に出られない。理不尽な高校野球で芽生えた「結果がすべて」という哲学。
――中学時代も、もちろん野球一筋だったのですよね!?
白戸さん:はい、ずっと野球です。中学校からはシニアリーグという硬式野球のチームに入りました。練習は土日だけだったので、平日は友達と遊ぶ時間もたくさんありましたね。野球と遊びに本気でした。勉強は…最初のうちは小学校の延長でできたのですが、途中からは真面目にやらなくなってしまいました(笑)。
――学校で先生に怒られたりすることもあったり(笑)?
白戸さん:ちょいちょい呼び出されたりはしましたけど、人道から外れるようなことはしていません。ただ、自分のやりたいことが、たまたま学校のルールからはみ出してしまう、という感じでしたね。
――その頃から、野球で高校に進学しようと考えていたのですか?
白戸さん:もちろんです。プロを目指していましたから。チームの中でも結果を残せていましたし、推薦で甲子園常連校に行って、プロ野球選手になりたいとずっと思っていました。実際にその通りの高校に進学もできました。
――ポジションは外野手だったそうですね。ご自身の強みはどこでしたか?
白戸さん:身体能力が高く、足も速かったです。一番の得意は打撃でしたね。
――推薦で甲子園常連の名門校に進学されたのですよね。しかし、そこで大きな壁にぶつかったと伺いました。
白戸さん:正直、レベルの差はあまり感じませんでした。むしろ、自分はうまい方だと思っていましたし、周りもそう見てくれていたと思います。体力テストでは校内で1位でしたから。問題はそこではなく、僕自身の自我が強すぎたことと、高校野球特有の体質でした。
――体質ですか。具体的にはどんなことですか?
白戸さん:日本の高校スポーツ、特に野球やサッカーは、純粋な実力だけで評価される学校って少ないじゃないですか。僕のいた高校は、特にその「癖」が強かった。思想が強いというか…。
例えば、夏の合宿期間中に僕の打率が5割を超えて、チームで一番高かったことがあったんです。でも、評価されなかったんです。「そういうのじゃない」と。
――え、結果を出しているのに、ですか?
白戸さん: はい。その時は意味が分かりませんでした。一時期は試合にも出ていたのですが、そういう態度が問題視されたのか、メンバーから外されるようになりました。僕は野球をするためにここに来ているのに、結果を出しても試合に出られない。その理不尽さに反発して、首脳陣と何度もぶつかりました。
――高校野球の世界では、指導者は絶対的な存在ですよね。
白戸さん:ええ、神様みたいなものです。だから、指導者に「もう出ていっていいよ」と言われても、普通は「すいませんでした」と言って残るのが暗黙の了解なんです。それは本心ではなく、一種の儀式のようなもので。でも、僕は頭にきすぎて「分かりました」と言って、本当に練習から出て行ったりしていました。周りも「そんな奴いない」と焦るくらい、当時は異常な行動でした。
――その結果、野球を続けるのが難しくなってしまった。
白戸さん:はい。2年生の春には3年生の試合に出ていたのですが、夏前からそうした衝突が続いて…。もうプロには直接行けないし、大学でまた同じような学生野球をやるのかと思うと、気持ちが萎えてしまいました。それで、野球は高校でやめよう、と。
もちろん、チームメイトは「頑張ろうよ」と声をかけてくれましたし、遊びの中心は僕だったので、最後まで部活は続けました。でも、生涯をかけて成し遂げたかった目標が目の前で消えて、これからどうしようかと、途方に暮れたのを覚えています。
――この経験は、その後の人生にどのような影響を与えましたか?
白戸さん:社会の構造を突きつけられた、という感じですね。いくら自分が「野球がうまい奴が正義だ」と思っていても、そのコミュニティの中では力を持つ指導者の言うことがすべて。力がなければ、自分の正しさはかき消されてしまう。
でも、その時から自責で考える癖がつきました。もし僕が打率10割、一度も凡退しないくらいの圧倒的な結果を出していたら、それでも使ってもらえたかもしれない。結局、彼らを黙らせるほどの結果を出せなかった自分が悪いんだ、と。この経験で、「結果がすべて」という考え方が自分の中に深く刻まれました。
ロード2

夢破れ、初めてのアルバイト。「正当に評価されない」悔しさが起業の原動力に。
――野球を辞め、3年間やりきった後、大学に進学されるわけですね。
白戸さん: はい。野球という目標がなくなって、次に何をしようかと考えましたが、すぐには見つかりませんでした。なので、とりあえず大学に行こうと。僕は地頭が良い方で、やれば勉強はできたので、そこから猛勉強して成績はずっとオール5。テストもほぼ100点でした。そのおかげで、指定校推薦で大学の進学が決まりました。
――素晴らしい!指定校推薦ということは野球を引退されてから大学入学までの間は、どのように過ごされたのですか?
白戸さん: 社会経験が全くなかったので、とにかくアルバイトをしまくりました。高校はアルバイト禁止だったのですが、引退して進学も決まっていたので。学校では寝て、夜は働く、という生活でしたね(笑)。
――どのようなアルバイトを?
白戸さん: 最初にやったのは居酒屋です。それ以外にも、引っ越し、派遣作業、バーベキュー場のスタッフ、ホテルの従業員など、本当に色々なことをやりました。やりたいことを見つけるためには、まず色々な仕事を経験してみないと分からないと思ったんです。
――初めて働いてみて、いかがでしたか?
白戸さん:自分がやったことに対して「お金」という対価が生まれる、ということが素直に嬉しかったですね。野球では、5割打っても評価されないことがあったので、働いた分がお金になって返ってくるというのは、すごく良いなと思いました。
――その中でも、居酒屋での経験が大きかったそうですね。
白戸さん: はい。仕事の要領が良かったので、高校生ながらに重要なポジションを任されるようになりました。でも、後から入ってきた大学生のアルバイトの方が、僕より時給が高い。それがどうしても納得できなかったんです。
――仕事の中身と評価が一致していない、ということですね?
白戸さん:そうです。店長に「僕の方が仕事ができるのに、時給が低いのはおかしい。上げてください」と何度も交渉したのですが、会社の決まりだからと断られました。その時に、「結局、自分は時間を切り売りして、人に評価されて働いているだけなんだな」と痛感しました。
――その年でそう思うのすごいですね(笑)。
白戸さん:この経験と、高校野球での理不尽な経験が重なって、「やったことや実力が正当に評価されないのは絶対におかしい」と強く思いました。そして、自分が評価される側ではなく、評価する側、つまり会社を作る側に回りたい、と。もし自分が会社を作るなら、頑張った人が正当に報われる仕組みにしようと、この時すでに心に決めていました。
――大学に入学されてからは、どのような生活を送っていたのですか?
白戸さん:野球はもうやりませんでした。大学の入学式で、高校の2つ上の先輩に偶然会って、その人がやっていた野球サークルに半ば強制的に入れられたりはしましたが(笑)。
――そのサークルの先輩との出会いが、また一つの転機になったとか。
白戸さん:そうなんです。その先輩が働いていた居酒屋の職場が、結果に応じてインセンティブがあったりと実力で評価してもらえる環境でした。ちょうど時給が上がらない事に疑問を感じていた後だったので、「めっちゃいいじゃん!」と。頑張れば頑張っただけ自分に形として跳ね返ってくるわけですから。
――まさに、白戸さんが求めていた働き方だったわけですね。
白戸さん:はい、案の定どっぷりのめり込みました。負けず嫌いなので、新人の僕が、元々やっている先輩たちよりも結果を出さないと気が済まない。とにかく結果にコミットして、売上もかなり上がっていました。
――天職ですね(笑)。すごいですね。
白戸:始めて半年くらいで、そのチームのリーダーが辞めることになって、僕がリーダーになりました。でも、その会社自体が他店舗での経営不振で給料の支払いが遅れるような状態で…。マネジメントも感情的で、僕の部下がどんどん辞めていってしまう。これは無理だなと思い、始めて1年でその会社を辞めました。
そして、20歳の時に、その時裁量も持たせてもらって学ばせてもらっていたマーケティングの領域にもっと磨きをかけようと、マーケティングが秀でている知り合いの飲食店の会社に関わらせてもらってコンサルティング的な事をしながら飲食店の経営を学ばせてもらいました。
ロード3

コロナ禍の逆張り戦略。全国の商圏リサーチを武器に、地方から出店攻勢をかける。
――経営を学びながら資金を作り、飲食店を出店しようと計画されていた矢先に、コロナ禍に見舞われたというふうにお聞きしました。
白戸さん:はい。まさにこれからお店を出そうというタイミングでコロナが来ました。まだ店舗を持っていなかったので致命傷は避けられましたが、一緒にやろうと言っていたメンバーもほとんど去っていきました。いつになったらこの状況が終わるんだろうと、先が見えない不安はありましたね。
――その苦しい状況を、どう乗り越えたのですか?
白戸さん:まだ一緒にやりたいと言ってくれていたメンバーもいましたし、もともと飲食店を広げていこうという目標があったので、まだ何も始まっていないんだからと、悲観的にはなりませんでした。
コロナ禍でやることがなかったので、その時間を使って全国を旅して回ったんです。街を歩いて構造を見て、人づてに人の流れや売れている店の情報を集めて、グルメ媒体のデータと照らし合わせる。そうやって、「この街のこの辺りに出せば、これくらい売れるだろう」という予測を、全国規模で立てていました。
――それが後の出店戦略に繋がるわけですね。
白戸さん:そうです。そんな中、たまたま群馬の高崎で撤退する居酒屋があるという話が舞い込んできました。都内は家賃も高いし、休業要請などの影響も大きかったのですが、高崎はそこまで自粛ムードも強くなく、何より固定費がめちゃくちゃ安かった。これならいけると思い、2021年の2月に1店舗目を出店しました。
――なるほど高崎が1店舗目なのですね。1店舗目はいかがでしたか?
白戸さん:ぼちぼち、という感じでしたね。固定費が低いし、僕自身も現場に入っていたので人件費も抑えられ、利益はちゃんと残りました。高崎では、メンバーみんなで3LDKのアパートを借りて共同生活をしていました。
――そこから一気に拡大していきますね。
白戸さん:高崎で利益を出し、もともと貯めていた資金もあったので、その年の8月には札幌に2店舗目を出店しました。この頃には世間も少し落ち着いてきて、札幌の店は売上がすごく良かったんです。
――なぜ地方から攻めていったのですか?
白戸さん:最初から全国に広げるつもりでしたし、事業部制を敷いて、高崎と札幌で別々のチームを作っていました。なので、その後も札幌チームが宇都宮に、高崎チームが田町に、というように、1ヶ月連続で出店しても問題なく対応できたんです。
創業5年で70店舗、売上100億へ。驚異的成長を支える組織論とエリアマーケティング。
――そこからさらに成長が加速していくわけですね?
白戸さん:はい。2022年の5月に法人にし、大宮にも出店しました。その夏、大学時代の後輩が経営していた飲食店グループが資金難に陥り、「助けてほしい」と相談に来ました。彼の会社を引き受けるのに2,000万円ほど必要で、当時の我々にとっては大きな金額でしたが、彼となら上手くやれるという確信があったので、事業譲渡の形でグループに迎え入れました。そのチームで名古屋に出店した店舗は、その年の12月にホットペッパーのPV数で全国1位を獲得しました。
――それはすごい!コロナ禍が落ち着き始めると、多くの飲食店が苦戦しました。なぜ御社は成長を続けられたのでしょうか。
白戸さん:コロナ禍で耐えてきた飲食店が、客足が戻らずに撤退するケースが非常に増えたんです。その結果、好立地の居抜き物件が安く手に入るようになりました。我々はコロナ禍のダメージが少なかった分、キャッシュもあったので、そのチャンスを逃さず、一気に攻勢に出ることができました。2023年、2024年は、それぞれ年間20店舗くらいのペースで出店しましたね。
――まさに逆張り戦略ですね。
白戸さん:はい。結果として、創業2年目で10店舗、3年目で25店舗、4年目で50店舗、そして5年目を迎えた今、オープン済みで72店舗、計画中のものを含めると80店舗になります。
――出店する際に怖さはなかったですか?
白戸さん:もちろんゼロではありませんが、僕は堅い勝負しかしないタイプです。勢いに任せているように見えるかもしれませんが、リスクヘッジは徹底しています。コロナ禍に全国をリサーチしたデータがあるので、どのエリアに、どんな業態で出せば、どれくらいの投資で、どれくらいの売上が見込めるか、というシミュレーションの精度が非常に高いんです。
――業態も、エリアに合わせて変えているのですね。
白戸さん:そうです。グルメ媒体の検索上位ワードなどからニーズを逆算し、マーケットインで業態を開発しています。なので、路面の1階だけでなく、空中階でも集客できるのが強みです。
――急成長する中で、資金繰りが厳しくなった時期もあったとか。
白戸さん:一度だけあります。コンサルタントに「通る」と言われていた銀行融資が通らなかったんです。それをあてにして出店契約を進めていたので、一気に資金繰りが厳しくなりました。最終的には自己資金で回し、別の金融機関から融資を受けることができましたが、その時は少しきつかったですね。融資の「ほぼ確定」という言葉の怖さを学びました(笑)。
「合わさったら強い」。最強のパートナーは、監査法人から転身した幼馴染。
――組織が大きくなる中で、経営体制も変化があったと思います。特に、CFOとして参画された横山さんの存在が大きいと伺いました。
白戸さん:彼とは幼稚園と中学校が一緒の幼馴染です。仲良くなったのは中学校からですね。僕の友人が、クラスで一人でいた彼を「一緒に遊ぼう」と連れてきたのがきっかけです。

左が同社のCFO 冷静でクレバーな語り口の横山さん。
――横山さんは白戸さんが思うにどのような方なのですか?
白戸さん:僕とは正反対のタイプです(笑)。表面的には人付き合いが得意な方ではなく、尖っているように見える。でも、一度懐に入るとすごく深い。勉強は全くしていない僕らと遊び回りながらも、テスト前日にちょっと勉強するだけで、めちゃくちゃ良い点を取るような、頭の切れる奴ですかね。
――学生時代からずっと親交があったのですね。
白戸さん:はい。彼はサッカーの推薦で強豪校に進学し、僕は野球。高校は別々でしたが、休みが合えばいつも遊んでいました。大学も、僕は指定校推薦でしたが、彼はちゃんと受験して慶應大学に進学しました。理系で、人への共感性があまりないから国語が苦手で、東大は受けなかったらしいです(笑)。
――そうなんですね(笑)。横山さんは大学卒業後、公認会計士になられた。
白戸さん:はい。在学中に公認会計士の試験に合格し、監査法人のデロイトトーマツに入社しました。僕は僕で20歳で起業して自分の道を歩んでいましたが、お互いの仕事の話や人生観についてはよく語り合っていました。
――その頃から、いずれ一緒にやろうと話していたのですか?
白戸さん:言葉にしたことはありませんでした。でも、得意領域が全く違う僕らが組んだら、めちゃくちゃ強くなるだろうな、というのはお互いに感じていたと思います。なので、いずれどこかのタイミングで一緒にやるんだろうな、という暗黙の了解のようなものがありました。
――エモすぎますね、その話(笑)。実際にジョインされたのは、どのような経緯だったのですか?
白戸さん:本当に自然な流れで、どっちから誘ったという記憶もないんです。彼がデロイトで2、3年働いて、社会の仕組みもある程度見えたタイミングで、ごく自然にうちに入ってくれました。彼にとっては、監査法人はあくまで経営を学ぶための場所という感覚だったようで、辞めることに全く抵抗はなかったと言っていましたね。
――最強のパートナーを得た、というわけですね。
白戸さん:本当にそうですね。ただ、僕も数字が苦手なわけではなくて。彼が入社してくれたのは25店舗くらいの時だったのですが、それまでは僕一人で全店舗の経理を見ていました。だから、今もしっかりとした数字の基盤がある上で、彼と会話ができていると感じます。
理想は『ONE PIECE』。会社の成長が、社員の“自己実現”につながる組織を。
――改めて、今後の目標についてお聞かせください。まずは数値的な目標からお願いします。
白戸さん:僕の目標はすべて、後でお話しするパッションから逆算して立てています。なので、何店舗やりたい、という目標は実はありません。ただ、そのパッションを実現するためには、いつまでに、どのくらいの規模になっていないといけない、というマイルストーンは置いています。
創業時に「5年で50店舗」という目標を掲げ、それは達成できました。次の目標として「6期目で売上100億円」を掲げています。今4期目の着地が70億円くらいなので、おそらく前倒しで達成できる見込みです。その次の目標としては、中期的に「300億円」を目指しています。
――その先にある、白戸さんが目指す「パッション的な目標」とは何でしょうか。
白戸さん: 僕が作りたい組織の理想像は、漫画『ONE PIECE』の麦わらの一味なんです。
――なるほど。麦わらの一味、ですか。
白戸さん:はい。「海賊王になる」という船長ルフィの大きな目標がある。そして、その大きな目標を達成する過程で、船員一人ひとりの夢も叶っていく。この構造が、僕の理想とする組織なんです。
会社の理念は「MS」、つまり「Make Story」です。会社の目標が達成されていく中で、社員一人ひとりの物語が紡がれていく。僕らはそれを「自己実現」という言葉で呼んでいますが、社員の自己実現が、さらにその部下の自己実現に繋がっていく。そんな「自己実現の連鎖」が起こる会社を作りたいんです。
「一番」の定義は自分たちで決める。飲食業を武器に、世界を目指す。
――その理想の組織を作るために、白戸さんご自身が目指すものは何ですか?
白戸さん:漠然とですが、昔からずっと「一番になりたい」という思いがあります。ただ、世の中における「一番」を定義するのは不可能です。だから、僕にとっての「一番」とは、「自他ともに一番だと胸を張って言える状態を、追い求め続けること」だと考えています。終わりはないかもしれません。でも、好きな仲間たちと好きなことをやって、その状態を達成するのが、僕が会社をやる意義であり、ビジョンです。
――なるほど。まさに自分の幸福論は自分の中にあるというわけですね。
白戸さん:そして、社員の自己実現を叶えるためには、絶対条件が一つあると思っています。それは、「世界で一番、天井がない会社であること」です。もし会社が10店舗規模で満足してしまったら、「将来20店舗やりたいです」という部下の夢は、その瞬間に絶対に叶えられなくなってしまう。会社が、社員の夢の天井になってはいけない。だからこそ、僕らは常に一番を目指し、成長し続ける責務があるんです。
――そのビジョンは、海外にも向いているのでしょうか?
白戸さん:もちろんです。めちゃくちゃあります。国内で一番になっても、世界では一番ではないですから。それに、もともと僕は世界一のプロ野球選手になりたかった。子どもの頃からメジャーリーグを見ていて、日本は狭いと感じていました。どこかの地域で絶対的な王国を築くというよりは、世界中どこに行っても自分の仲間がいる、という状態を作りたいんです。
――海外で、飲食業で挑戦する意義をどうお考えですか?
白戸さん:人生に無駄なことは一つもないと思っていて、どんな経験も意味があるかないかは自分次第だと考えています。僕らが今、飲食店をやっていること。そして僕が海外を目指していること。この二つが交わった時、日本の食文化は世界に誇れる最強の武器になると思っています。僕らが飲食店をやっている意味は、そこにあると思っています。
――最後に、今後の海外展開の具体的な構想があれば教えてください。
白戸さん:飲食業に固執しているわけではありませんが、まずはこの武器を携えて世界に挑戦したいです。多くの先輩方がアジア圏で成功されているので、我々もまずはアジアから出店しようと考えています。
――素晴らしいです。本日は貴重なお話をありがとうございました。
編集後記
白戸さんと一言で表すと「裏表のないナイスガイ」まさにそんな感じの爽やかな青年です。年齢も創業もまだ若いにも関わらず、浮かれた様子は一切なく、仲間たちのため、自分のために真っ直ぐ前を見つめ、ただ豪快に一歩ずつ歩みを進めていくそれがMS groupの本質、強みなのだと感じました。インタビューに滲み出ていたと思いますが、とにかく彼らは最高な「いいやつら」なので皆さんぜひ同社の成長を期待してもらいつつ、応援してください。私も応援していきます。(聞き手:大山 正)
◾️こちらの企業・店舗に興味・関心、セミナー依頼等、連絡を取りたい方は下記フォームよりお問い合わせください。弊社が中継し、ご連絡させていただきます。(メディア取材、各種コラボレーション等)

















