
株式会社asoviva・株式会社F.lab 代表取締役
藤田 貴道氏
出身地:長野県松本市
生年月日:1984年8月24日生まれ。
企業ホームページ:https://asovivainc.jp/

1982年東京都生まれ。成蹊大学卒業後、各種広告関係営業、外食企業のプロモーション・広報を経て、2014年1月、31歳で外食メディア「フードスタジアム」フードスタジアム株式会社 代表取締役就任。飲食店若手経営者の会「外食5G(現RX)」初代サポーター企業リーダー。2020年3月、株式会社ミライーツを設立。飲食業界における幅広い人脈、情報を持ち、飲食企業のサポートに従事する一方、本連載「クロスロード」では独自に記事の取材・執筆を手掛ける。
ロード1

- ・お寺の息子として生を受ける
- ・サッカーに明け暮れた少年時代
- ・大学時代のバイトで運命の飲食店との出会い
- ・兄のおかげで自由な人生をゲット
大山:それではまず藤田さんの子供の時の話を聞きたいんですけど、どこでお生まれになって、どんな子供時代を過ごしていましたか?
藤田さん:長野県の松本市なんですけど、実家がお寺なんですよ。小さい頃はとにかく厳しい家庭というか、毎朝お経唱えて、学校行ってみたいな。お盆・正月とかは毎日朝昼晩お経唱えて、でもそれがあんまり特別だと思っていなかったんですね。
大山:そうなんですね。かなりレアな生い立ちですね!
藤田さん:それで10歳でちょっと(グラフが)下がっていっているのが、それがコンプレックスに変わっていった時。ちょっと物心ついてきて、周りはサラリーマンとか、普通に職業があるわけじゃないですか、世の中に色々な職業が。だけどうち、職業=寺じゃないですか。それで周りからは『なんなんそれ』みたいな(笑)。自分自身もクリスマスとか一切なかったので、12月25日のクリスマスより当時住職の親父の誕生日が12月29日なので、そっちの方が重要で。そこからお正月に行くので。周りはクリスマスとかで結構華やかにプレゼントとかもらうじゃないですか、僕ら一切なかったのわけです。それがコンプレックスになって「ちょっとなんか嫌だな」って思っていたのが小学校高学年ぐらいですかね。中学生になって、それが逆にネタにもなるし、肯定したというか。寺生まれってやっぱりちょっとずつ変なんですよ。その時は周りにお寺の子とかいなかったので「うち、お金持っているな」と思ったんですけど、後々仏教の大学に行って思うのは「うちなんて下の下だったな」って思うんですよ(笑)。
大山:何か運動とかは、やっていましたか?
藤田さん:小学校からずっとサッカーやっていて、小・中・高キャプテンでしたね。県選抜とかにもなったりして。僕が行く(仏教の)大学って、もう決まっていたんですよ。兄も入っているし。万が一、兄が早く亡くなった場合に跡取りがいなくなるので、僕も一応資格は全部取っておかないといけないということで。高校は受験勉強が嫌だったので、そのときの自分の学力で入れる最低限でいいと。親も別に『いいよ』と言ってくれて。大学は推薦なんですけど、お坊さん推薦っていうのがあって、親が名前を書くと入れるんですよ(笑)。その代わり2年以内にお坊さんの資格を取らなきゃいけないっていう縛りがあるんですけど。っていうのを親も分かっていたので、別に高校でそんなに頑張らなくてもどうせ大学は決まっているしという感じでしたね。僕はサッカーやっていたので、サッカーの監督が有名な高校に入ったんです。推薦とかではないんですけど、一般で。学力も自分が勉強しなくてもちょうど入れるようなところだったので、そこに入って、そのコーチの元で2、3年間ひたすらサッカーをしてましたね。
大山:僕もサッカー部だったので、長野といえば菅平に地獄の合宿をしに行っていましたね(笑)。
藤田さん:僕らも菅平行っていました。昔は本当、平成は平成ですけど『水飲むな』とか、そういう名残がありましたね。
大山:それで高校を卒業して、大学にいかれれるわけですね。
藤田さん:はい、京都の龍谷大学の仏教学科です。そこに入って、初めて一人暮らしをするんですけど、そこでバイトをするじゃないですか。その時に飲食を始めました。大学一年生で。京都府内で5~6店舗やっているような、ちょっとしたチェーンじゃないですけど、居酒屋でした。当時アルバイトの女の子がめっちゃ可愛かったんですよ(笑)。最初はお客さんで行っていてアルバイト募集とか特にしていなかったんですけど、店長に「アルバイトさせてもらえない?」みたいな。それで『いいよ』ってことになって、アルバイトをし出すんですけど、めっちゃ楽しくて飲食が。
大山:京都って、学生街ですもんね。
藤田さん:そうですね。しかも僕、大学の目の前だったので。最初は当然ホールとかドリンクとかなんですけど、キッチンやり始めるじゃないですか。それで、仕込みとかもあんまり機械使わないお店だったのでほとんど手切りなんですよね。焼鳥作ったりしたんですけど、女の子がカウンター席に来ると、わざとそこから仕込み、キャベツの千切りとか玉ねぎのスライスとか、めちゃくちゃ早くやるっていう(笑)。大学では知っているけど、そんな料理ができると思わないから『別にこのぐらい普通じゃん?』みたいな感じだったのでめっちゃモテたんですよ(笑)。それで、調子に乗って名札に携帯番号書いてたりしてて、めっちゃ楽しかったですね。
大山:(飲食業に)完全にむいてますね(笑)!(グラフが)完全に上がっていますもんね(笑)。
藤田さん:大好きな飲食にそこで出会って、そこの店長が学生ばっかりバイトにいるのに信頼してくれて、キッチンもそうだし、店周りやら色々なところを任せてくれて、それを今思えばちゃんと後ろでコントロールしてくれて、店舗運営してくれていたんですよね。それで売上もちゃんとあったので「めっちゃかっこいい職業だな」って思って「あ、自分の仕事…将来、飲食がしたいな」っていう風に思ったんですけど、実家お寺じゃないですか。「さあ、これ親父に何て言おう」という狭間があったんですけど、兄貴が3個上なので、先に卒業して、先に寺に入ってくれたんですよ。僕は大学1年で、兄貴が大学4年で、僕が3年の就活かな、くらいの時期に兄貴が『お寺やる』って言ってくれて。
ロード2

- ・とにかく渋谷!ベンチャー企業に入社
- ・社内ベンチャーで飲食店を開店も閉店
- ・お弁当事業で社内MV Pを獲得
- ・勉強のためぐるなびに入社
大山:それはラッキーでしたね。
藤田さん:それで親父に言いましたね。『まあ、兄貴が入るから、とりあえず自由にしていいよ』と言ってくれて、京都だったんですけど、長野から京都行って「次は東京でしょ!」と思って、渋谷のベンチャー企業に22歳の新卒で入社しました。
大山:何系の会社ですか?
藤田さん:ホットヨガのLAVAとか、漫画喫茶のゲラゲラとかの会社ですね。べンチャーバンクっていう会社ですね。今は青山ビルディングですけど、当時渋谷のクロスタワーにあって。長野と京都しか知らない人間からしたら、東京って渋谷、新宿、原宿ぐらいしか都市を知らなくて「まあでも、渋谷って有名だよな」と思って渋谷で絞って就職活動をして。ベンチャー企業だから『あなたの好きなこと仕事にできますよ』みたいな謳い文句にまんまとはまって、そこに応募して30人の新卒枠だったんですけど、31人目で入りました(笑)。
大山:え、それどうやって・・・(笑)?
藤田さん:僕も兄が行った、お経の専門学校行こうと思っていたんですよ。だけど、自由にしていいって言われたし。なので、就活始めたのが遅くなって。最後の最後で滑り込んだのもそうですし、ちょっと世の中をなめていたというか、社長が本を出していて、それの読書感想文をまず一次選考で出さないといけなくて。会社のホームページに原稿用紙がPDFであってダウンロードして書くというのだったんですけど、その本の題名が『僕の会社に来なさい』っていうタイトルだったんですよ。なのでマジックで「行きます」ってだけ書いて出したんです。そしたらそれが良かったらしくって(笑)。それで、1次面接は僕が京都だったので大阪でやってくれて、2次面接から東京にっていうところで、東京に新幹線乗って行って人事担当者と面接したら、その紙出されて『どういうつもりでこれ書いたの?』みたいに言われて。「行きたいからです」『面白いね。じゃあこのまま役員面接行っちゃおうよ』って言って、役員面接行って、そのまま内定でしたね。
大山:舐めてますね(笑)。それで本当に、行きたかったんですか?
藤田さん:1社目だったので、どっちでもみたいな。肩慣らし程度な感じだったんですけど、会社としてはすごくいいなと思ったので。あと渋谷だし(笑)。そこに就職して、飲食やりたかったんですけど当然その会社に飲食がないんですよ。でも好きなことを提案したらやらせてくれるっていうので「飲食やりたいです」って言って。でも『そんな新卒の人間が何言ってるの』っていうことで、漫画喫茶ゲラゲラの店長に配属されました。西葛西店ですね。30席ぐらいしかないボロボロのお店だったんですけど。そこに22歳で配属されて、でも店舗運営は一緒なので、ここで結果出したら何かやらせてくれそうな空気で。それで一年半ぐらいやって売り上げが1.5倍ぐらいになって。そしたら社長が『飲食やりたいって言ってたよね。2000万円あげるから社内でやっていいよ』みたいな。それで、渋谷と神田に立ち飲み屋を2店舗やりました。
大山:すごい!なんてお店ですか?
藤田さん:「ファイト酒場」っていう、今はもうないんですけど。23歳の時で、その時のテナントが1階、2階だったんですよ。なので1階が立ち飲み屋で、2階をガールズバーにしてたんですよ。僕ランチから居酒屋やって、夜8時9時ぐらいからスーツに着替えて、上でボーイやって、朝5時までみたいなことをやっていて、それでちょっと体調崩してしまったんですよ。「あ、これはまずい」ってことで『藤田からガールズバーは切り離そう』ってなって、立ち飲み2店舗だけになったんですけど、結局1年ぐらいで両方潰れちゃうんですよ。
大山:そうなんですか。敗因はなんだったんですか?
藤田さん:その時グルメサイトが全盛期だった時代で、営業に来るじゃないですか。だけど月5万~10万で、そんなお金を今の状況で出せないし、話もよくわからないから聞かなかったです。そうしている間にやっぱり潰れちゃって(汗)。そうすると社内で仕事がなくなっちゃうので、それは困るから渋谷店でランチの時に外で弁当を売っていたんです。だけど、弁当って最後の1~ 2個になると絶対売れないんですよ。なので最後10個ぐらい在庫残した状態で15時を迎えた方が、数は売れる。でもロスは出る。だから残った10個とかもったいないので、近くの企業にピンポンして「お弁当とかいりません?」みたいに売りに行っていたら、めちゃくちゃ売れたんですよ。一応物件の引き渡しが潰れてから3ヶ月くらい残っていたので、社長に「この3ヶ月間で弁当専門の事業をやらせてくれ」って言って、当時の居酒屋のスタッフたちで朝、弁当を100個、200個作って。それで、近隣の会社にみんなでピンポンして売りに行くのをやったら爆発的に売れたので、社長に「弁当屋をやらせてくれ」と。それでまたお金をいただいて、東中野に1500食作れる工場を建てて、そこから24~25歳の時に「弁当将軍」っていう弁当屋を社内で始めたんです。
大山:それはすごい。ガッツがすごいですね。
藤田さん:一軒一軒、自分で営業行って「こういう弁当屋で、何時何分に来るので必要だったら買ってください。いらなかったら断ってください」ってヤクルトレディーみたいな感じですね。そうすると意外と売れる。最終的に渋谷中心に原宿方面、赤坂方面、六本木方面とかで30ルートぐらいあって1日1500食ぐらい売れるようになって。でもまあワンコインだったので、日販としては大体60万ぐらいなんですよ。だけど、2年ぐらいで黒字になったんですよ。久々にベンチャーバンク内でも新規事業で黒字になって。事業っていうか、泥臭い弁当屋なんですけど。それで25~26歳の時に社内のMVPを取ることが出来たので、居酒屋自体は結構マイナス出したんですけど、ちょっとは会社に返せたかなってことで、その会社は辞めるんです。
大山:辞めるのは、やっぱり自分で飲食店をやりたいという気持ちがあったからですか?
藤田さん:そうですね。その辺で結構(グラフが)登ってきて、自分が「居酒屋潰れてどうしよう」って時から登ってきて。ここでも「将来飲食やりたい」っていうのが変わっていないので。当時のぐるなび・食べログ・ホットペッパー3社で転職活動をして、ぐるなびに入りました。そこが27歳ですね。インターネットもそうだし、広告っていうものをちゃんと学びたかったので。
大山:入社したのは、何年ですか?
藤田さん:2012年とかですね。震災直後ですね。そこで鬼のようなノルマの営業をしました(汗)。アポ件数取れなかったら帰ってこられない、みたいな。
大山:営業は、どこを周っていたのですか?
藤田さん:僕は横浜営業所だったんですけど、青葉区なので青葉台、あざみ野、たまプラーザ、後に麻生区が入って新百合ヶ丘とかあの辺ですね。エリア制なので、エリア出ちゃいけないので同じ飲食店に何十回も行かなきゃいけない。何度怒鳴られても、もうちょっと神経が飛んでというか、怒られても「別に」ってバグっていました(笑)。どっちが怖いかっていう話ですよね。会社帰って詰められるのが怖いか、ここで怒鳴られるか(笑)。
大山:ドブ板営業ですね。懐かしい時代です(笑)。
藤田さん:基本的に営業マンって褒めるじゃないですか「これぐるなびにこう載せるとめっちゃいいですね」とかって言って。だけどもう10回も言ってると褒めるポイントがなくなって「この柱めっちゃいいですね」っていうふうにもなっていましたね(笑)。こういうキャラもあってか、精神がバグってくれたおかげか、ある程度営業成績が良くって、かつお得意先の社長たちと喋れる。「将来自分は飲食やりたいです」ってずっと言って、色々な話を聞いて。それで、1年で辞めるんですけど、入った時は3年でって言っていたんですけど、1年で一応成果も出て、プラス今の「赤坂元気」の前進である「青山元気」っていうお店があったんですけど、そこの会社に誘われていたんですよね。
大山:そうなんですね!「赤坂元気」は、元々誰かやっていたんですか?
藤田さん:まず「青山元気」が法人であって。元々ベンチャーバンクにいた人がそっちに行っていて。その人から『飲食やりたいって言ってたじゃん?』みたいな。それでそこに入ったんです。それこそ週7、朝から夜中まで働いて給料は25万。「あれ?すごい年収下がってない?」ってなって(笑)。でも、自分の将来につながっている感覚がすごくあったので「修行だ」みたいな感じですね。ぐるなびは給料は多少良かったけど、そういう精神的な部分がすごく辛かったので、今は精神的にはやりたいことに向かってるのはあるけど「金銭的に辛いな」と。僕その時子供が2人いたので。
大山:えー!それはしんどい!結婚したのはいつなんですか?
藤田さん:25歳の時です。最後、ファイト酒場が潰れるか潰れないかぐらいの時です。
大山:大変なときですね。ぐるなびはインセンティブ制でしたか?
藤田さん:ないです。正確に言うとあるんですけど、今はもうほとんどないですけど、ぐるなびお食事券っていうのがあったんですね。ぐるなび加盟店で使えるお食事券で配られると。僕は110%達成でMVP扱いを受けて、そうすると5万円分ぐらい貰えるんですよ。一枚500円なのですごい束なんですけど、この束を自分の加盟店に使うのは違うなってなるので人にあげちゃっていたのがほとんどなので、そういう意味ではないですよね。
大山:タイミングも良かったのかもしれませんね。2012年頃から、グルメサイトもゲームチェンジが起きるんですよね。
藤田さん:僕が辞める時に、ぐるなびのユニークユーザー数が食べログに抜かれたんですよね。1位だったのが。食べログがグイグイ来たんですよね。だから営業していても最後の方は『いや、食べログでいいよ』みたいな。みんな食べログから予約入っていると思っているんですよ。やっぱり口コミが強かったので、ぐるなびで見つけてもお客さんは1回食べログを経由して口コミ見て予約するから、店としては食べログの効果だと思っていますね。
大山:広告費も違うから費用対効果も出しづらくなっていきましたよね。宴会需要が減ったというのもありましたね。大規模宴会が震災によってなくなったとか、そういった社会背景ありますよね。
藤田さん:そうですね。別に嫌で辞めたとかはないので、次のお誘いがあったので27~28歳の時にその会社に行って30歳で赤坂に移転するんです。ビルのテナントが確か立ち退きだったと思うんですけど、移転しました。ただ、常連さんがすごくいっぱいいたので、一応青山で探していたんですけど、なかなか物件がなくてひとつ隣の赤坂で。「一駅隣ならギリ大丈夫でしょう」みたいな感じですね。それで、スタートから店長で入って、32歳で「自分でそろそろやりたいな」と思っていたんですけど、そこは社員が僕一人で朝から晩までだったので「これ僕が辞めるって言ったら、お店が終わるんじゃないか」って思って。その会社はフットサルの日本代表の選手がやっている会社で、ホームビジネスはそっちのアスリートの方なんですよね。フットサル教室やったり。
大山:あ、そうなんですね?赤坂元気は、ベンチャーバンクにいた人が独立してやっていたのではなく?
藤田さん:そうです、ベンチャーバンクにいた先輩がコンサルみたいな感じで呼ばれて入って、サッカー選手なのでビジネスはわからないわけじゃないですか。青山元気をやっていたオーナーがその会社の先輩なんですよ。そrで『もう辞めたいから誰かやらない?』って言って、ベンチャーバンクの先輩『だったら、僕同時に見ますよ』みたいな『でも現場やる人間がいないな。あ、藤田いたわ』みたいな形で呼ばれて、青山元気を引き継いで、その現場に僕がジョインするんです。
ロード3

- ・とにかく渋谷!ベンチャー企業に入社
- ・社内ベンチャーで飲食店を開店も閉店
- ・お弁当事業で社内MV Pを獲得
- ・勉強のためぐるなびに入社
大山:なるほど。それでそのあとどうなるんですか?
藤田さん:そこの社長はほとんど仙台に行っていて、誰もいない。それで自分、個人事業主だったんですけど、個人って1月からスタートじゃないですか。株式会社と違って。だから1月からやった方がお得じゃないですか。だから11月ぐらいに「辞めます、自分でやります」って言ったら『じゃあこの店は誰がやるんだよ』みたいな「それはわかんないですね。その後のことは知らないし」って言ったら『お前やれよ』って言われて。「来た来たー」みたいな(笑)。
大山:策士だ(笑)。
藤田さん:それで、保証金とか多少の初期費用は払ったんですけど、もうほぼお金かからず。当時月間で300万円ぐらいの売り上げだったんですね、昼から夜までやっていて。でも「こういうことやりたい」が意外と通らないんですよ。そんなにちっちゃい会社のくせに、現場僕しかいないのに「なんで僕の意見を聞かないんだろう」と思うけど、当時まあダメで。もう1年ぐらいで自分のやりたいこと提案するの辞めようって思うんですよ。いつか自分がやる時のために色々考えて、バレない程度に実験して温めておこうと思ったら、自分でできることになっちゃったのでそこからすべてを解放して。
大山:当事者意識しかないですからね、自分でやるとなったら。
藤田さん:はい。例えば今までインターネット販促も一応費用がかかるので、やらせてくれないわけですよ。当時はまだぐるなびに力があったんですが店としては、ぐるなびに加盟していないんですよ。ただ僕は加盟していないお店を、加盟させるために使える商品がいっぱいあるの知っているわけなんですよね(笑)、内側にいた人間ですから。それで無料で使えるものを全部使って。販促とか広告もやって、2月の段階で600万円超えたんですよ。そうすると一人でやっていて600万円ですよ。たまらない金額残るんですよ。
大山:すごい。わずか2ヶ月で売上倍にした訳ですね。
藤田さん:はい、それでそこから一気に跳ねて調子に乗り始めるんですよ(笑)。「余裕じゃん。やっぱり今まで自分のやってきた事は間違っていなかったわ」って。そこから多店舗展開するかどうかという時に、赤坂元気は僕の意思で出したわけではないので、一から自分で設計してお店作ろうかっていうのが2019年だから、引き継いでから2年後の個人事業主がそろそろ終わるか終わらないかぐらいの時に、同じ赤坂のホテルヒラリーズの1階の物件が空いていて。ただ法人化しないと貸せないって言われちゃったので9月に法人化したんです。
大山:2019年ということは・・・そのあとコロナですね。。
藤田さん:はい。12月にオープンして、その後3月からコロナに突入ですね。店の規模にかかわらず協力金が出るので、コロナの間に僕、ここ(この日の取材場所:和牛と牡蠣の奴隷)ともう一店舗開けているので。
大山:めちゃ覚えていますよ。突如派手なお店ができたなという印象でした(笑)。

藤田さん:この物件をずっと狙っていて、結構入れ替わってたんですよ。最後の最後、変なバーになってから看板も出なくなって扉も開いていなかったので、すぐ知り合いの不動産に連絡して「あの物件どうなってますか?」『空くっぽいです』それですぐ「押さえてくれ」って言いました。
大山さ:そうなんですね。ここはいつオープンですか?
藤田さん:2021年ですね。
大山:コロナに突入した時の焦りみたいなのは、あんまりなかったんですか?
藤田さん:なかったです。社員少なかったし、協力金が何より強力だったので。ただ、確かに600万円とかあった店が4月に90万円になっちゃったんですよ。でもこんな状況も半年ぐらいかなと思っていたんですよ。協力金もすごい入るしと思っていたら、そのまま100万円、200万円の売上がずっと続いちゃって、たまに緩和されたりマンボウになったりってあったじゃないですか。あそこの間を縫って営業をどうやって売上最大化できるかっていうのだけでやって、周りのみんなが協力してくれてうち昼営業は基本的にやらなかったんですけど、当時は20時で閉めなきゃいけなかったので昼から営業していましたね。
大山:そうだったんですね。得意のお弁当はやらなかったんですか?
藤田さん:最初の赤坂元気でやりました。弁当将軍の当時のルート全部まだいる社員から貰って、全く同じルートの企業に弁当将軍より安い金額で突撃していったんです。めっちゃ売れました(笑)。ただ6時ぐらいからお弁当を作らなきゃいけないんので、ちょっとしんどくって。で、当時製造のアルバイト雇っていたんですけど、やっぱり本人たちが朝早くてちょっときついって言って、赤坂も人が離れちゃったので、まあもういいかみたいな。でも毎日200食近くは売っていたので、すごかったです。
大山:素晴らしいですねよかったですね。どうしてもリモートできない一定数の会社ってありますしね。
藤田さん:あとは僕は結婚していて、子供が2人いたので横浜なんですけど、奥さんのママ友の方々も結構食に困っているというか、外食とかもできないしということで、週に3回自分たちの子供の友達の家庭に40~ 50個ぐらい弁当を作って。店の味みたいな感じで。Uber eatsみたいな感じですね、それを週3回やったりもしていたので特段焦りもなくって。
大山:アイディアマンですね。動いていたことで精神的なダメージもなかったという訳ですね。
藤田さん:それでコロナが開ける直前ぐらいから、僕らも今度はSNSを手に入れて。まあまあ早かったと思うんですよね。牡蠣るのオープン時ぐらいから本格的にTikTokとInstagramを運用し始めたので、もう4~5年前ぐらい。それが結構バズって。うち全店舗100万回再生を出しているんですよ。そのぐらいの時期に「あ、これ手に入れたら結構無敵じゃん」って当時は思ったんですけど、当然そう長くは続かないので、その時僕の実力不足もあるんですけど赤坂でスタッフが10人ぐらいしかいなかったんですけど人がまとまらなくて。すごく文句言う人間が出たり、それが周りに伝染していったりしていて。それで、売却を考えたのがこの年なんですよね。
大山:そんな時期があったんですね。それは意外です。
藤田さん:借り入れはコロナの時とかも結構ガンガンしていて、7~8千万円ぐらいあってそれすら全てなくなるわけじゃないですか、株式譲渡なので。それで買うっていう会社が出たんですよ。3倍ぐらいの価値で。でも税金引かれたりいろいろで手残りを考えると・・・って冷静になってしまって。
大山:それはそうですよね。これまでやってきたという過程もありますものね。
藤田さん:そうです。「ここまで頑張ってきてこんなもんか」と思いましたね。例えば家買って、子供はその時3人だったので、全員の教育資金を考えたら足りないし。そうしたら、その時に社内で結構前向きになる人がちょっとずつ増えてきて。
大山:そうなんですね。それはまたすごいタイミングで。
藤田さん:前向きじゃない人は基本的に独立させますね。お金出すからって言って焚きつける。みんな自分でやりたいわけですよ。僕がこういうふうにしたい、こういう店にしたいっていうのを平気で破っていくわけなので(笑)、「そんなにやりたいんだったらいいよ、支援するから自分のお店やってみなよ」って言って。
大山:結構ベンチャーバンクの感じですね。喧嘩しない作戦でもあるというか。
藤田さん:みんなには馬鹿だって言われるんですけど、一切利子なし、無担保、何にもなく1000万円とか2000万円出していたんですよ。だいたい1000万円から1500万円ぐらいのお店が多かったんですけど。3人いますね。
大山:業務委託的な取り方はしているんですよね?
藤田さん:物件契約はうちで、契約は1年半、業務委託で初期費用にかかったお金を36ヶ月返済、月20万円から30万円ぐらいを返してもらって。
大山:手数料ちょっと乗っけてないんですか?
藤田さん:乗っけていないです。だから馬鹿なんですよ(笑)。
大山:やば!意味わからないですね(笑)。それが3人ぐらいいるんですね。
藤田さん:優秀な人間ではあったんですけど、なかなかうちには合わなかったり、ちょっと暴走しちゃったりするので。それで、独立させてとかってなっていって癌が抜けると、そこに抑え込まれていた社員が結構解放されていって『本当はこういう風にやっています。あの人怖くて』とか言われる流れで。
大山:それはありますよね。特定のスタッフの属人性が高まると、確かにリスクありますよね。
藤田さん:それとM&Aが重なっていたんですけど、もう1回自分で今4店舗しかないけどもっと拡大して、本当に社員の幸せを追求していきたいって思って。うちの企業理念が「下剋上」なので飲食業界で僕も飲食始めた時って結婚はしていたんですけど、周りは普通はサラリーマンじゃないですか。『藤田さん、仕事何しているんですか?』って聞かれて「飲食です」って言うと『仕事毎日大変ですね(笑)』みたいな。確かにすごく給料が低い。手取りで20何万円で。僕が若い頃に結婚しているので、ママ友のお父さんはみんな年上だったんですよ。35歳~40歳ぐらいの方々だったので、そんな顔で僕のこと見てきて当時、腹が立って。まあでも5年後に、個人事業主だと売上がイコール給料じゃないですけど、年収が3000万円ぐらいになったので「ほら、見たか」と。それで、こういうことってはうちの従業員も絶対抱えるなと。『ああ、飲食でしょ』って言われちゃう、と。なので、まず長時間労働の低賃金という飲食業界のイメージを変えたい。うちはランチを一切やらないのは、営業時間が短ければ単純に労働時間短くなるので、うちは15時から23時の8時間営業しかしない中で絶対に結果を出す。そうすると、長くても9時間勤務なんですよね。それが実現できると普通のサラリーマンと同じぐらいの労働時間で、次に低賃金のところを変えようと思ったら、さっき言ったように利益率をどれだけ上げれるかっていうところになるので、今うちは店長で40万〜45万円ぐらい貰っているんですよ。20代中盤ぐらいで、結構いいですよね。一般社員は30万〜35万円です。今となっては飲食を取り巻く給与平均もかなり上がってきているので、ちょっと埋もれてきちゃったと思うんですけど。昨年から週休3日に取り組み始めていて、6月に開いた下北沢は完全週休3日です。「カキノバル」ですね。赤坂でもあと2人、人材採用出来たらやろうと思っています。
大山:なるほど。「下剋上」と言うと元ヤンキーっぽいかなと思うけれど、実のところはお寺のお坊っちゃんですからね(笑)。しかしながら思い返すと藤田さんの20代での経験値ってのはでかかったですね。
藤田さん:いや、でかかったです。文句言い出したらきりがないんですけど、これ僕は仏教で良かったと思うのは『そういうものだから』っていう仏教の教えなんですね。諸行無常とか言うじゃないですか。『世の中常なものはないし、自分が思い描いているように進むものなんて一つもないよ』っていうことを大学まで合わせたら22年間刷り込まれていて「じゃあ会社に対して文句とか言ってる意味ってあるんでしょうか」っていう、そういう脳みそなわけですよ。これは仏教のいいところですね。もう縁起なんだと。これも縁なんだと。でも縁には絶対原因がある。縁起って「縁が起こる」って書くんだと社員にもずっと言っているんですけど、まあそれは普通の人は理解できないですよね(笑)。
大山:素晴らしいです。週休3日制の思惑はなんですか?
藤田さん:まず採用に強くなることと、あとは単純に週休2日で30万円ぐらいだったら、僕らの社員が同級生としゃべっても多分一緒ぐらいなんですよね。これが週休3日になった瞬間に、イニシアチブじゃないですけど『飲食ってそういう世界だから。うちの会社は』っていうのがすごいなというか、自分の会社を誇れるようになる。これで僕の下剋上がある意味、第一歩完成するなっていう。週休3にすることで休みがちょっと多いだけで年収は一緒なので、さらに年収を上げて超えさせる。うちの社員たちを。うちの社員は8割が20代、僕が40歳で30代が1人~2人でみんな若いから、周りの社会人になった人間とまだそんなに差がついていないんですよね。多分世間の社会人も月収25万から30万円ぐらいで、うちも一緒。でも40歳ぐらいになると差がついてくるじゃないですか。この時に本人がいくら稼げるかっていう場所をうちで作れるかというのがまず一つと、僕は独立が一番稼げると思っているので、独立しても失敗しないようにサポートできればという2軸で社員と接しています。
大山:飲食業界の地位向上のためということですね!
藤田さん:はい、どっちになっても独立してお金を持っても、うちの会社にいて休みも多い、給料が多いとなっても、どっちも僕の中では下剋上が完成したと思うんです。その時受けた自分の屈辱を返せるかなって。なので、今は手っ取り早くできるのは給与金額増やすのは結構大変なので、まずは週休3日にしようと取り組んでいるところです。
大山:実際採用につながっていますか?
藤田さん:採用に強くなるんだろうなと思ったら、やっぱり言い方悪いですけど、ろくでもないやつの採用も多い。これは応募が唸るほど来るんですよ、すごく来ます。だけどやっぱり『休み多いんですよね?』みたいな。休みが多いって言っても3日あったら、例えば1日は休んで、1日は趣味とかに使って、1日は勉強してほしいという意味合いでそうしているのですが。食べ歩くでもいいし、何かの資格勉強に使ったりしてほしいんですけど、『御社を志望した理由はとにかく休みが多いからです』っていうのも確かに多いは多いです、正直。なかなか難しいです、ね。
大山:数字的な会社としての店舗の目標とか、年商の目標はあったりするのですか?
藤田さん:企業理念が出来たの一昨年なんですよ。「自分が今、この会社で何の為にやっているんだろうな」というところを見つめ直したんです。それで今全社員に言っているのは、3年以内に年少10億。今4店舗で4億弱なんですね、なのでそれを3年以内に10憶にする。店舗数がうちの規模だと、大体年商で8000万円ぐらいのお店が多いんですよね。あと6億ぐらいとなるとあと7~8店舗ぐらいを3年以内に出店していくのが目標です。2025年内に本当は店を開く予定だったんですけど、オープンが年明け予定になってしまって。下北沢と渋谷で決まっているんですけど、あと5店舗を2年で。年商10億超えて15店舗ぐらい超えてきてから、ようやくもっと組織として加速して来る。商業施設の誘致とかめっちゃ来るし、また一段階上の組織になるから、それはそれで超面白いよっていうのも周りの飲食店仲間の方に言われているので。そう言われると「その景色ちょっと見たいな」というふうに思っています。
大山:ぜひ仲間たちと共に目標達成してほしいと思います!ありがとうございました!
編集後記
「あ、確かにこの人(営業マンだったら)売れるわ」ってそんなオーラのある、人たらしな藤田さん。思った以上にぶっ飛んだ人生観でとても楽しい取材となりました。ただ根底には自分の好きなことにブレずに向き合うピュアな心があるのもまた彼の魅力だと思いました。これからも必ず街の人々がワクワクするような飲食店を作り続けてくれると確信しています。応援しています!(聞き手:大山 正)
◾️こちらの企業・店舗に興味・関心、セミナー依頼等、連絡を取りたい方は下記フォームよりお問い合わせください。弊社が中継し、ご連絡させていただきます。(メディア取材、各種コラボレーション等)

















