ロード1
- ・教師家庭に育つ
- ・やんちゃな湘南時代
- ・美容師を目指し地元を出る
- ・飲食でのバイト
大山:幼少期の杉本少年はどこで生まれて、どんな感じでしたか?
杉本さん:出身は神奈川で、平塚市出身でやんちゃな方でした。そんなに人のいう事が聞けなかったです。楽しいことは一生懸命なんですけど、自分が興味ないことは一切やらないとか、結構極端な子供でした。親は教師ですね。
これまでメディアには積極的に露出をしてこなかったという同社、代表取締役の杉本さん。今後の会社の成長のため、取材に応じてくださいました。
大山:そうなんですね!真面目なご家庭で育ったんですね。
杉本さん:そうですね。固かったですかね。
大山:運動は何かしていましたか?
杉本さん:中学生の時にバスケ部に入りました。ちょうどスラムダンク世代なので。神奈川の平塚って当時結構治安が悪いというか、僕の性格もあってそこにちょっと入っちゃったというか、非行ではないんですけど、やんちゃではありましたね(笑)。若い時から色んなカルチャーから影響は受けていましたかね。音楽だったり、ファッションだったりとか。
大山:平塚から東京に出てこられるわけですが、そのきっかけはどういったことだったのですか?
杉本さん:高校を半年で中退していて、そこから美容師の見習いを地元でやっていたんですよ。その時に周りがやんちゃで暴走族とかもいたので、断ち切りたくて(苦笑)。環境を変えたくて神奈川の美容専門学校に行って、そこはちゃんと卒業して国家資格取って、19歳ぐらいの時に地元を出たんですよね。
大山:なるほど。美容の道に行ってから、その後はすぐ飲食業界ですか?
杉本さん:学校卒業してから2~3年くらい美容師として働きました。スタイリストになる手前ぐらいでお店を移ったんですけど、そこは個人店でそんなに繁盛していなくて、給料未払いなんかもあって(汗)、生活できなくなるので、アルバイトで始めたのが飲食だったんですよね。
ロード2
- ・給料未払いで美容師を諦める
- ・メガネ屋を2年でクビに
- ・レインズに正社員入社
- ・TBI社では頭角を表せず
大山:いきなり最初に働いたお店で未払いはトラウマになりますね(苦笑)。そこから飲食での生活が始まるんですね。
杉本さん:はい、僕の飲食の根幹は正社員で入社したレインズで学びました。かまどかの業態で働き始めたんですよね。
大山:最初からしっかりした企業さんで働いたんですね。当時のレインズさんは勢い凄かったですよね。
杉本さん:そうですね。最初はフリーターのアルバイトでやっていたんですけど、やるうちに飲食の方が楽しくなっちゃって。美容を離れた後、そこからフリーターで何年か飲食をやっていて、別にメガネ屋でも2年ぐらい就職していました。
大山:そうなんですね、ダブルワークされていたんですね。
杉本さん:そうですね、ちょっとやってみようと。僕学歴も何もなかったから、どこも採用してくれなくて。そこのメガネ屋を2年半ぐらいやって、やっぱり飲食に戻りたいっていうのと、社長と喧嘩してクビになってしまって(苦笑)。その時はもう25ぐらいだったのかな。いい加減手に職つけないとなってことで、レインズに正社員で入社するという経緯です。
大山:レインズではどういう仕事をするんですか?
杉本さん:最初は副店長で、今はないんですけど、神南のかまどかに配属になりました。
大山:それが2007年~2008年ぐらいで、まさに居酒屋が盛り上がってた時ですね。その時はレインズは上場されていましたよね。
杉本さん:はい、上場してましたね。ただ、かまどかは当時ブランド力があまりなかったので、渋谷だと負けちゃうのでキャッチなんかもやっていたんですよね。
大山:なるほど、居酒屋も多かったですもんね、特に駅前やセンター街に。お客さん取られちゃいますもんね。
杉本さん:マネージャーが当時ゴリゴリの体育会系だったんですね。売上を満たさないとだいぶつめられるというか『どうするんだ』みたいな(笑)。そんな感じのまさに勢いのある社風でした。
大山:それで杉本さんの判断で、キャッチをやっていたんですね。
杉本さん:当時はキャッチの時代でしたね。渋谷などの繁華街は特に。それから震災の頃には、新百合ヶ丘で店長をやっていました。レインズでは売上に対する意識であったり、店長、マネジメント業務を学ばせていただきました。
大山:その辺りで、マーケティングの仕方やマーケットも変わってくると思うんですけど、そういうのを感じた部分ってありましたか?
杉本さん:レインズに居た頃はまだなかったですね。その時期に食べログの影響力が徐々に上がってきて。その後、TBI(旧TBIホールディングス)に移って、本格的にマーケティングを意識するようになる感じですね。
大山:そうなんですね!TBIでは、どこのお店で働いていたんですか?
杉本:最初は五反田に配属になって、そこから店長をやっていました。
大山:TBIでは何年ぐらいいて、どんな仕事をしていたんですか?
杉本さん: 3年ぐらい在籍していました。最初の店舗配属で店長になって、マネジメントをすることになって、その時に前職から何名か当時のマネージャーなどにTBIに来てもらって。ちょうどレインズも買収されたりといった時期でもあったので。
大山:なるほど前職の会社がいろいろと変わってしまうというタイミングで、人材の部分で話が噛み合った感じですね。
杉本さん:そうですね、それで元上司がTBIの本部配属で入って、その方に呼ばれて僕も本部に配属になりました。新店鋪の研修とか、店長の会議とかそういうのをやっていましたね。正直、あんまり向いてなかったんですけどね(笑)。
大山:確かに向いてなさそうですね(笑)。多分そういった業務は今専務がやっているんでしょうね(笑)。
インタビューに同席してくださった杉本さんの右腕として現場を仕切る同社専務の東さん。
大山:TBIに入って、その時は独立は考えていなかったんですか?
杉本さん:そうですね。まだ全然そこで独立とかは考えていなかったですね。想像もできていなかったです。
大山:当時も、今でもTBI出身の方はすごい優秀な人が多い印象で、独立して会社をやっている人が多いイメージがあるんですけど。
杉本さん:そうは言っても、僕はここ(TBI)の会社に居ても上に上がれなかったと思います。結構埋もれていました。それでTBIから独立する人について行って、それでそこから色々ありました(苦笑)。
ロード3
- ・会社に闇⚪︎が来る
- ・個人名義を貸して借金1000万円
- ・店舗を引き取り願わず独立
- ・インスタ集客で大バズり
- ・コロナ禍逆張りで店舗展開
- ・会社をブランドに、そして世界へ
大山:なるほど。独立した方についていったんですね。どの辺のエリアで、お店はやられていたのですか?
杉本さん:赤坂・五反田・新宿とか他にも色々やっていましたね、あと田町とか。そこの会社はだいぶどんぶり勘定というか、社長がキャッシュフローを全然わかっていなくて、誰もやる人間がいなかったのでそれを僕が全部やっていて。
大山:危ないですよね、完全にイケイケの時期というわけでしょうからね(笑)。
杉本さん:僕が口座とかも見ていたので「社長、金ないです(汗)」みたいな。
大山:そのお金がない理由は、やはり出店を沢山していたからですか?
杉本さん:過去の経緯はわからないですけど、色々なところから(お金を)つまんでいて。闇⚪︎とか(苦笑)。お金の借り方が結構ブラックというか・・もう書けませんので、話せませんが(苦笑)。日銭をかき集めるような感じでしたよね。
大山:やばいですね(汗)。それでその後会社はどうなっていくのですか?
杉本さん:僕は店舗の中をみていたので、社長に「この日に闇⚪︎の回収が来るからお金払っておいて」みたいな。営業終わる23時ぐらいに、ちょっといかつい感じの人が来て現金で30万を渡したりとかですね(汗)。それでも元金が減ってないっていう。利息だけ。
大山:まさにウシジマくんだ(笑)。それはまた挟まれて、辛かったですね・・。
杉本さん:そういう状況の会社で、卸業者さんや広告媒体も物件の更新もできません、みたいな時期があったので僕個人の名義を貸しちゃった時期があって。まあ当然そんなの払えないじゃないですか(汗)。僕、物件の名義も貸していたので。
今思えばバカなんですけど。それが今もある1号店なんですよ。UMIバルです。
物件の更新が本来はできなかったんですけど、管理会社の人とは仲良かったので『杉本さんだったら更新していよ』ってことになったんですよね。
大山:それで、どうやって顛末を付けるんですか?
杉本さん:個人の負債が1000万円を超えたぐらいに物件の名義は持っていたので、ここでの選択肢はもう2つしかなくて、自己破産するか、その物件の売上をロックしてある程度負債を返すか。それで社長に「こう(後者の選択)して良いですか。そうしないと僕、自己破産します」と伝えて、取り上げたというか(汗)。給料も貰えていなかったので。それで独立する方向性になったので、当時の従業員たちも何人か引き取ってスタートしました。
大山:つまり店は無料だけど、1000万円借金をした感じですよね。それをラッキーと取るのかどうかですよね(汗)。願っていない独立みたいな形というわけですね。やらざるを得ないというか。
杉本さん:はい、いつかは独立したいと思っていたんですけど「こういう形か…」みたいな感じでした(笑)。
大山:独立したのが何年ですか?
杉本さん:2019年です。
大山:めちゃくちゃ最近じゃないですか(笑)。
杉本さん:そうですね。当時の知り合いとかにも『杉本終わったな』って言われていましたね(苦笑)。
大山:東さんとは、どういうタイミングで知り合うんですか?
東さん:うちがちょうど法人化して、当時「杉本フーズ」って会社だったんですけど、そこで3店舗ぐらいやっている時でしたね。2021年です。
杉本さん:東はもう入った時から、ずっと脇を固めてくれているんですよね。運営というか、当時僕がナンバー2でやってきたことを、そのままやってくれている感じです。だから入って1週間くらいで口座情報を教えました(笑)。
大山:また杉本さんの良いところなのか悪いところなのか(笑)。信用したわけですね。
東さん:僕もびっくりして、社長に「普通教えないですよ、俺が裏切ったらどうするんですか?」って言いました(笑)。
大山:3店舗目の時だから2021年頃ですね。どういう気持ちでジョインしたのですか?
東さん:前職がセクションエイト(相席屋等、運営)って会社なんですけど、ファンドに売った時期があって、それからうまくいかなくなって、社長をやっていた方に紹介をしてもらってという経緯ですね。ベンチャーで伸びしろがあるのはすごく良いなと思うんですよね。その時、僕も結婚して子供も生まれて、その時にコロナが来て『このままいてもいいのかな』と思っていて。それなりのポジションにはいたので、残ることは出来たんですけど。
大山:なるほど、いい出会いでしたね。
杉本さん:はい、作業が細かそうだなと思ってNo.2にぴったりだと思って。
大山:それでUMIバルを引き取って、何か経営でのやり方は変えたんですか?
杉本さん:最初はそのまんまやって、そこから当時どこもやっていなかったインフルエンサーマーケティングでインスタを使った集客に目を付けて、それが跳ねて、売上がいきなり倍になって。家賃50万ぐらいのところで当時売上が600万円ぐらいしかなかったんですけど、1200万円ぐらいまで一気に跳ねて、「これだ!」 と思って。
大山:その反応は、引き継いでからどのくらいだったんですか?
杉本:2~3ヶ月ですね。
大山:早いですね。それは前にいる時に、やろうとは思わなかったのですか?
杉本さん:そこまで余裕がなかったんですよね。毎日借金に追われていたので(笑)。
大山:そうだった(笑)。引き取って、ほっとした部分もありましたか?
杉本さん:当時はほっとしたというより必死でしたね。「何とかしないといけない」みたいな。自分というよりかは、従業員やアルバイトさんとかもいたので、みんなに給料払えていなかったので、そこから「建て替えていこう!」という感じだったので、従業員の給料を優先しましたね。なのであんまり自分のことは考えていなかったかもしれませんね。子供たちからご飯を与えていこうって感じで必死でした。
大山:素晴らしいですね。責任感ですね。3ヶ月後ヒットして、その後どうなっていくんですか?
杉本さん:キャッシュを蓄えていって、法人化した後に多少融資も受けられたのでそれで千葉に出店したんですよね。それが独立して半年後、2019年11月です。
大山:まだ借金は残っていますよね?ただ、この感じでやればいけるかなっていう勝機もあったんですか?
杉本さん:そうですね。インスタマーケティングの集客が「これ、絶対いける」と思ったのと、前の会社が千葉にも店舗があったので市場はわかっていて。そこが家賃30万ぐらいで40坪の物件があってそこを居抜きで取って。案の定跳ねたんですよね。ただその後、3店舗目を千葉に出したあたりでコロナが来ましたね。
大山:また試練だ(汗)。コロナに入ったときはどんな感じだったんですか?
杉本さん:立ち上げて、目の前のことにずっと必死だったので、環境が目まぐるしく変わっていたので、コロナが来てもあんまりそういう感覚がなかったですね。
大山:だって元々やばいから、必死だったんですもんね(笑)。
杉本さん:やばかったんですけど、なんとかしなきゃいけないっていうので、当時お店開けられないから飲食店さんも通販に移行したじゃないですか。その時に千葉の稲毛に工場を借りて、そこでチーズケーキのオンライン販売をやりましたね。今はもう撤退しているんですけど、一時期はルミネの催事に入ったりしていましたね。
大山:すごいですね。相当売れていたんですね。
杉本さん:月商500万ぐらいでした。工場も15万ぐらいの家賃だったので。
大山:コロナ禍では金銭的な悲壮感、従業員間での悲壮感といったものはありましたか?
杉本さん:それは最初ありましたね。やっぱり現金がどんどんなくなっていくので。
大山:コロナ禍ではお店は営業していましたか?また辞めた従業員はいましたか?
杉本さん:オフィシャルの範囲でやってました。従業員についてはそもそも人数は少なかったのもありますが、いないですね。前の会社からの繋がりなので、あんまりブレないというか。
大山:それは強いですね。コロナ禍だったから借りられた物件とかはありましたか?
杉本さん:そうですね。その辺りは潮目が変わってきたところですね。無担保融資3000万って感じだったのでそれで新店舗の交渉して、それで昼間に利益が出る業態としてカフェを出したんです。千葉のプリンセスチアーズカフェというお店なのですがそこが当時バカ当たりして。
大山:すごいですね、カフェもやられているんですね。コロナ禍は3年ぐらいありましたけど、何店舗ぐらい出店するんですか?
杉本さん:コロナの時にずっと出店をしていて、それを昼間で利益が出る、もしくはトントンになる業態づくりをしていて、当時休業協力金があったので、店を赤字にさえしなかったら十分利益を残せるということで、そういう戦略で10店舗ぐらいまで増やして、キャッシュを貯めていって…という感じで、他社さんと全然違うんですよね。
大山:そうなのですね、今想うと2019年まで我慢してよかったですね(笑)。たくさん苦労もしたけれど。
杉本さん:そうですね、運が良かったですね。
大山:2023年の春ぐらいからコロナが明けてきて、その後はどうなりますか?
杉本さん:明けても、そんなに変わらなかったですね。変わらず良かったです。
大山さん:戦略があたった感じですね。その時はどう思っていましたか?
杉本さん:そうですね、社名変更するときが一番心境の変化があったと思います。元々「杉本フーズ」は借金を返す為に作った会社だったので、そんなに展開するつもりもなくて。たまたまインスタ集客で当たって、従業員がいたので「じゃあ(次のお店)やる?」といった感じで広げていく中で、もう少し業界に対する挑戦だったりとかいい店を作ったりとか、世の中に貢献したいとか、社名変更するときにそんな心境の変化がありましたね。僕は会社の利益で高級車を買うとかはかっこ悪いと思うんですよね。もちろんそういう願望はあるんですけど、そこを先に置いちゃなんかダサいなと。
大山:素晴らしいですね。会社名を変えたのはいつなんですか?
東さん:2022年の9月だったと思います。
大山:会社名に宿し想いといったものはどういったものなのですか?
杉本さん:東と一緒に決めたんですけど、最初はお金のためにやって、従業員の為にやって、そこで余裕が出てきて「もっと楽しいお店、会社にしたいよね」そういう心境の変化があって「ここからもっと心踊りたいんだよね」みたいな「じゃあ社名これにするか」みたいな感じでした。
大山:いい話ですね。自分たちの中で『この業態はいける』という業態はありますか?
杉本さん:当時はインスタ×業態みたいな感じでやっていたので、それも時代の流れで徐々に変わってきていて『ブランディングが重要だ』みたいな時代もあって、それで作ったのはItalianbar ATTACHMENTですね。
Italianbar ATTACHMENTのInstagram
それまでマルチに店舗展開を行っていたんですけど、ワンネームで展開していなかったので作った業態ですね。そこから横展開できるモデルとしてErmitageを作ろうということになって、本来であれば全国に行きたかったんですけど、そこまでのリソースはないので都内でカニバらないようにするには…ってことで、業態がちょっと増えちゃったんですよね。
大山:全部お店作りが、美容やファッションが好きな杉本さんらしいおしゃれなお店ですね。このお店(この日の取材場所:「大衆酒場また会いにゆきます。」)は大衆系ですが、初めて作った業態ですか?
杉本さん:はい、ここが初めてですね。
大山:この業態を作った経緯はどんな感じでしたか?
杉本さん:今もそうなんですけど『脱SNSだ』みたいなことは社内で言っていて、徐々にSNSの効果は頭打ちになるっていうのはもうわかっているので、脱SNS、脱媒体でもしっかり黒字化ができる業態を作ろうということでここを作りました。ちょっとずつ会社の信用力が上がってきたので「(路)面を取って行こう」ということで、この場所にしました。
大山:今とこれからで、どんなふうに会社を仕上げていきたいですか?
杉本さん:会社をブランドにしたいんですよね。スターバックスじゃないですけど『ココロオドルにいたんだ』ってなるような、信用とか安心が生まれるような会社にしたいと思っています。会社をブランディングして、飲食業界で働く価値を上げたいと思っています。
そして、今施設案件が増えていてそこに打って出ていこうと。パブリックな大型施設でしっかりと集客ができて、媒体集客の割合を徐々に下げて、しっかりQSCを上げて、あるべき飲食店の収支をしっかり取れるようにしていなかないと、と思っていて、そこから全国に展開していきたいっていうのがありますね。日本の市場はなかなか今後伸びていかないと思っていて、来年か再来年ぐらいに世界、具体的には東南アジアに出していきたいなと思っています。
大山:素晴らしいです。本日はありがとうございました!
編集後記
「飲食オーナー」と言った時に、想像する人物像とはまた違った雰囲気を醸し出す杉本さん。自身の半生を淡々と語り始めるのですが、ここまで壮絶な独立前を歩んだ人も珍しいのではないでしょうか(笑)。私は会ったことがありません(笑)。お店づくりや世界観が独特で、新たな価値観を持った次世代の飲食オーナーさんです。お酒がお好きなようでこの日はたいそう盛り上がってしまい、夜更けまで盛り上がったことは言うまでもありません(笑)。今後も同社、そして杉本さんを応援していきたいと思います。(聞き手:大山 正)
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