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【Next Chapter 経営者たちの未来図】「鶏とビールがうまい店」朝まで営業、たちまち各地で大繁盛店を創出。「とりビアー」副社長 木村 国治氏の今

三軒茶屋や麻布十番など都内の人気エリアを中心に夕方オープンから朝まで夜通し営業しリピーターで連日満席の「鶏とビールがうまい店」、それが「とりビアー」。今回は三軒茶屋本店をV字回復させ、現在運営会社の副社長で同社を牽引する木村 国治さんにインタビューを行いました。プロボクサーだった自身が飲食業界の入ったきっかけ、「とりビアー」との出会い、コロナ禍での苦悩、今後の展望について語ってもらいました。


「久々に会いましょう」とお声かけいただき会食前、インタビューに応じてもらった「とりビアー」副社長の木村 国治さん。

 

大山:木村さんはどのようにして飲食に出会い、そして「とりビアー」に出会うのかというところを伺っていきます。元はプロボクサーだったんですよね?

木村さん:はい!プロボクサー時代のトレーナーが、たまたま大嶋さん(居酒屋甲子園 創業者)と居酒屋甲子園の創業時代のお付き合いがあって『飲食って面白いよ』っていうお話を聞いていて、当時「絆会」っていうのがあって。異業種交流会に近かったんですけど、その時に深見さん(株式会社プランズ 代表取締役/「居酒屋 炎丸」を経営)とかと知り合いました。僕がまだボクシングやっている時ですね。

 

大山:そうなんですね、それが何歳くらいの時ですか?

木村さん:27歳とかですね。もう18年ぐらい前です。

 

大山:プロボクサーは何歳までやっていたんですか?

木村さん:27歳で怪我して、引退しました。それで2年間営業職をやっていたんですよ。でもやっぱり飲食って面白いよっていうお話が残っていて「じゃあ、30歳を機に飲食業界に入ろう」ということで腹をくくって、30歳の境目で飲食に飛び込んだのが初めてです。

 

大山:飛び込んだのはどんな業種だったんですか?

木村さん:江東区のローカルチェーンで、当時4~5店舗をやっていてトレーナーの知り合いの客単価が3000円から4000円ぐらいの大衆居酒屋でした。僕が最初に働いたお店は20坪で500万円ぐらい売っていて、初めて店長になった時は豊洲で900万円とか売っているお店でした。そこにいた時に渋谷の肉横丁の出店依頼があって、そこで出店をするのが決定して、その時にスパイスワークスさんの下遠野さんにお願いしたんです。その時に渋谷肉横丁に「とりビアー」も加盟店で出店していたんです。

 

大山:そうだったのですね。割と飲食入りたての頃から飲食業界の人脈がつながっていたのですね。

木村さん:当時、横丁の副会長をやらせてもらったんですけど、その時に西田(「とりビアー」プロデューサー)と出会って、それで西田とは地元がすごく近くで、年も1個しか違わないので『木村さん、是非』みたいなオファーをいただいていたんですけど、その時はすぐに行ける状態でもないし…というのでその時はお断りをして。

そのあと当時伸びている企業さんに転職したんですが、僕もチェーン展開のお店に当時は興味があったのですが、合わずで辞めてそのあと、聖蹟桜ヶ丘のミートセンターですね、そこの立ち上げの店長をやらせていただいて。そこで浜倉さん(株式会社 浜倉的商店製作所/「渋谷横丁」「グランハマー」等運営)やダンダダンの井石さんたちと一緒にやらせていただきました。ただその頃ちょうど、うちの家庭の環境も子供が生まれたりとかで、いろいろ折り合いがつかなくて一回退社させていただいたんです。退社したことは、あまりオープンにはしなかったんですよね。

辞めた後一回家族で「このまま飲食業を続けていいのか?」と、そういう時期を設けているときに西田から『木村さん退職したって聞いたけど?』って言われて。「どこでその情報を?」と思ったんですが「一回会ってもらえます?」ということだったので会ったんです。

 

大山:西田さんのアンテナ、すごいですね(笑)。

木村さん:当時ここ(とりビアー 三軒茶屋本店)はまだ1店舗目だったんですね。「これから伸びる業態だと思うし、木村さんの力が欲しい」って営業トークかもしれないけど(笑)、誘われて「じゃあ、是非」ていうことで入社をさせていただいたのが2011年の9月です。これらが飲食に入ったきっかけと、「とりビアー」に入った流れですね。

 

大山:その後「とりビアー」は、どう展開していくことになるんですか?

木村さん:まずはこの本店が業績が良くなかったので、1年かけて倍くらいかな、売り上げを伸ばすことができました。

 

大山:それはすごいですね。やったことは、どんなことですか?

木村さん:モノとコンテンツは良かったので、まず接客とお客様との距離感の部分と、ローカルというところに特化して、近隣の挨拶回りといった基本的なことです。他は特別何もなくて。

大山:でもそういうことなんですよね。「とりビアー」さんって言ったら、深夜の溜まり場みたいになるじゃないですか。

木村さん:なっていったんですよね。ありがたいことに。

 

大山:麻布十番店や歌舞伎町店もそうですけど『なんかここでいいじゃん』というか。それって、めっちゃ褒め言葉じゃないですか

木村さん:僕もそれなんですよね。『とりビアーが』じゃなくて『とりビアーでいいよね』をすごく大事にしていました。

 

大山:それで2011年は1店舗ですけど、そこから何年でどのぐらいになったんですか?

木村さん:そこから約2年かかったんですけど、駒沢大学店を出して、そこから池尻大橋で、今はクローズしちゃったんですけど下高井戸、神田の駅前に大箱1棟借りして、そのあと麻布十番。その間に中目黒、八王子、浜松町はFCですね。ピークでFC含めて「とりビアー」業態だけで11店舗ぐらいありましたね。

 

大山:水炊き業態もやられていると思うのですが「水炊き とよみつ」を出店したのはいつでしたか?

木村さん:コロナ前ですね。浅草で一回やらせてもらって、そこも浅草の1等立地ではあったんですけど箱が狭いところで「ダクトが付けられないからとりビアーができない。じゃゃあどうしよう」ってことで「水炊きをやろう」そんな話になって『じゃあ、木村さん作って』みたいな(笑)。

 

◾️「水炊き 豊満」オープン当時の記事(2017.11.24)

大山:そういった流れだったんですね!とよみつは、木村さんが作ったんですね。

木村さん:そうですね。水炊きって白湯と清湯の両方があるのですが、鶏の旨みを最大限生かせるのは白湯の方だと思って。宮城の都城のおいしいお塩とも出会えたので、それがすごくマッチしたので「白湯でいこう」ということで始めたのが、とよみつっていう業態ですね。コロナで大打撃を食らって、浅草店はもうクローズしちゃったんですけど。

 

大山:浅草ですもんね。インバウンドが無くなってしまいましたもんね。

木村さん:その時に、銀座の話があったので銀座に移転したっていう形ですね。

◾️水炊き とよみつ 銀座店

大山:そんなこんなでコロナ前まで堅調に店舗数を伸ばしてFCも伸ばしていたわけなんですけど、そこでコロナが来るわけですね。当時はどんな感じだったんですか?

木村さん:正直僕はもう関係なしでフルオープンでやりたかったです。ただ、当時グループ会社で親会社の手前もあったので、どうしてもできない状態で。営業自体もしないでいいよという指示が来たんですけど、いや、そうなったら僕らは給料貰えるけど「飲食人として感覚が鈍ったりするから、なにかしら営業をさせてほしい」っていうことで、親子丼業態を作ったんですよ。もちろんあまりうまくいかなくて。ただ、それもゼロベースになったわけじゃなくて、今、宮崎のイオンと熊本のアミュっていうJRさんですね。 そこで、フードコートに入っています。

「本日、かしわ日和」っていう親子丼のファーストフードのお店です。そういうところに通じたので、結果やっぱりやってよかったって思いました。その時はやっぱり辛かったですけど。

◾️「本日、かしわ日和」のインスタグラム

 

大山:やはり親会社さんがコロナ禍で営業をやるなっていうのは、鶏の卸しもやられていてお取引先さんがいるからということですよね?

木村さん:そうですね。世間体の問題というのがあったので。普通にやりたかったですけどね、仕方ないですよね。

 

大山:そこからその復調の兆しというのは、だいたいどのぐらいの時期からですか?

木村さん:短縮営業がなくなってからは戻って来れるようになりましたけど、昔の僕が経験した勢いまで戻るのは時間がかかるなあというところではありましたね。

 

大山:なるほどですね。「とりビアー」さんといえば、場所にもよると思うんですけど、朝まで営業されていると思いますがこの戦略というのはどういう戦略ですか?

木村さん:これは僕も初めてここに入った時にびっくりしたんですけど、まずどこも6時オープンなんですけど、出勤が5時なんですよ。 1時間前です。

早い時間はそこまで集客パンパンにはならないので、営業しながら仕込みをやるっていうスタイルなんですね。なので早く来て仕込みしてっていうよりも、営業しながら仕込みをして調理・接客をするっていう。他のお店と違って時間軸が違うんですけど、夜中がメインなので。あとは同業の方たちにお店が終わったあと飲んでほしいなというのもあって。 やっぱり僕がここの店長だった時、パッと浮かぶだけで、多分独立された方がここ(三軒茶屋)のお客さんで30人ぐらいいます。皆さん名前を挙げたらきりがないんですけど、その人たちが今みんな独立して活躍されているので、そういうのもあって、僕も交友関係が広がったんだなぁと思います。本当、ありがたいですよね。皆さん来ていただいていたので。

 

大山:なかなか今のコンプライアンスといい、労働環境の問題で朝までやれるっていうお店が少ない中で、逆にそれはもうこだわってやっていたわけですもんね。

木村さん:そうですね。もうどうにかして、そこは(笑)。

 

大山:「とりビアー」に入って、最大に苦労したポイントはありますか?

木村さん:やっぱり自分たちの引き出しを開けるのが先になっちゃって、従業員たちも「もっとこうした方がいいよね」とかが先になっちゃうんですよね。業態のてこ入れをしようとしちゃうんですけど「そうじゃないでしょ」っていうキャッチボールはいまだにありますね。客単価上げたいと。でも、そうなると「とりビアー」じゃなくなっちゃうよねっていう。

吉野家が1杯千円になったら、吉野家じゃないじゃないですか。そういうのは、やっぱりあります。いろんな意見が出るのはいいんですけどね。 だったら違う業態を作ろうよ、そっちの方がいいよね、と思うんですよね。もう「とりビアー」は出来上がっているから。 どうしてもやっぱり向上心がありすぎる人は「なんだ・・・↓↓」って感じになっちゃうんですよね。なのでまずは「とりビアー」を理解しようよと。

 

大山:前は(親)会社がエビス商事でしたけど、新たに運営会社が株式会社オネストツリーズとなっていますけど、この経緯というのはどんな感じだったんでしょうか。

木村さん:もともと食肉加工販売のエビス商事グループで、僕らはその子会社の株式会社とりビアーっていうところで、飲食事業をやらせていただいていました。それこそコロナの真っただ中ですかね、埼玉県の焼き鳥ひびきっていう30店舗ぐらいやってた株式会社 彩玉家さんをM&Aしたこともあって、全部でグループ50店舗弱になった時があったんですよ。そういうのもあって、グループ内をちょっと整備しようというのが経営陣の中であった中で、現在のオネストツリーズという会社は親会社の資本が入っていなかったので、僕らは僕らでとりビアー業態を含めて自分が作った業態はこの会社でやろうということで、去年の9月に整備させていただいて。もともと親会社からは、引き継ぐように言われていたのもあったので。ただ、飲食事業の全部はやっぱり体力(資金)的に無理なので、現状の店舗をやらせていただいているっていうところですね。

 

大山:なるほどですね。今後このとりビアー業態、会社をどういうふうにしていきたいかみたいなところをお聞きしたいです。

木村さん:軸の業態は「とりビアー」というのはブレずにもちろん中心でいくんですけど、やっぱりグループの鶏の生産の会社から外れたので、今までは鶏しかできなかった、自社の鶏しか使っちゃダメっていう暗黙の了解ありましたが、そこから僕らは今離れたので、これからは鶏にとらわれずに、違う業態をやっていけるわけですね。代表ともそういう話で「もう好きなことをやりましょう」というところで、来月も新しいおでん屋を駒沢にオープンするんですけど、そういった新しい仕掛けや、これまで宮崎の産地のものしか使ってこなかったのですが、青森県の生産者さんとつながったりといった新しい出会いがあるので、そこでタッカンマリを今度仕掛けたりと。近々だとそういった業態ですね。

 

大山:すごいですね、仕掛けのタイミングに入っているんですね!

木村さん:7月にもう1店舗、福岡のキャナルシティにフレンチ串揚げを出店しました。

◾️フレンチ串揚げベニエ キャナルシティ博多店

業態かかわらず、なんでも可能性のあるものはどんどんやりたいですね。もう前しか向いてないっていうのはありますね。ただ軸足はとりビアーなので中心に考えていきたいんですが、やはりコックレス業態ではあるので社内のステップアップ、とりビアーじゃない技術のいるサービス、そういった専門業態などもやっていかないと会社としての活性化にはつながらないと持っていまして。新しいメンバーも入ってくる予定もあるので。頑張っていきます!

 

大山:素晴らしいですね。木村さんの今後の活躍も応援しています!

 

編集後記

キム兄の相性で親しまれているいつも笑顔の木村さん。知り合って10年以上たちますが、実はどういう経緯で飲食業に就いたのか知りませんでした。シンプルイズベスト。まさに飲食人の鏡のような人です。そして久しぶりにお会いしたキム兄は元気はつらつ、新たな自分たちの目標に向かってキラキラしていました。また是非飲みにいきましょう(笑)。これからも注目しています!(聞き手:大山 正)

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