ロード1
- ・お笑いキャラのいじられ役
- ・1軍に憧れる少年時代
- ・15歳でバーテンダーに
- ・300席のお店の店長に
大山:子供のときの柳瀬少年は、どのような少年でしたか?
柳瀬さん: 何も特徴がなく、おとなしい子でしたね。でも、陽キャに憧れて陽キャの周りにいたって感じですね。
大山:クラスの中では、どのような感じでしたか?
柳瀬さん:お調子者で狩野英孝みたいないじられ役でしたね。格好良くないし、中途半端だし運動神経も良くないし。
大山:運動など、やっていなかったんですか?
柳瀬さん:バスケをやっていたんですけど、運動も普通、別に格好良さも普通っていうずっと普通だったので、お笑いキャラでとりあえずいじられ役に徹してましたね。1番っていうのは今までずっとなかったんですよ。
でも、それは憧れてたんですよ。
大山:クラスの1軍に憧れていたんですね?
柳瀬さん:そうです。「1軍の横にいるやつ」って感じだったので、1軍になるために15歳の時にバーテンダーを始めたんです(笑)。
大山:15歳で、ですか??すごいですね。
柳瀬さん:中学卒業して、高校1年生のときですね。
大山:中学卒業で、すでに飲食の道に入っていくわけですね。
柳瀬さん:1軍に憧れていたので、知り合いの紹介でバーをお手伝いさせてもらったんですよね。その1軍たちはみんな学生になるわけですよね。僕も学校に行ってたんですけど、同じやり方をしてても1軍にはなれないんですよ。自分の能力が低いので、そもそもカリスマだったらいいんですけど、もっと努力しなきゃっていう感じで社会に早く入って、15歳からバーテンダーになりましたね。
大山:高校には、行っていたわけですね。
柳瀬さん:行ってます。内緒ですけど、高校終わったらバー行ってっていう感じですね。
大山:数ある職種の中から、そのバーテンダーを選んだのは何故ですか?
柳瀬さん:人と接するのが好きだったからですね。15歳なので調理とかできないじゃないですか。喋ることしかできないので、そういう水商売の道にいったっという形ですね。
大山:それで働いてみて、どんな感じでしたか?
柳瀬さん:いわゆる目上の方とか社長さんとか、いろんな人がいるんですけど、本来面接される側のはずなのに、カウンター越しだと対等に喋れるんですよ。こんな素敵なことってないですよね。だけどお酒を交えることで、こうやって対等に喋れて、いろいろ引き出せるとそれで見聞が広がっていって、同級生と一緒に接しているのが「子供じみてるな」みたいな感じで、ちょっと大人び始めました。
大山:なるほど。それでバーの仕事はずっとやっていくんですか?
柳瀬さん:高校卒業して、本格的にバーテンダーで就職しました。
大山:どんなお店でしたか?
柳瀬さん:最初は小さい坪数だったんですけど、次が200人から300人ぐらい入る、結婚式の2次会とかをやっているレストランのバーで働いていました。それが20歳の頃ですね。
1軍入りの兆しを見せ始める当時のイケイケ時代の柳瀬さん(上写真:中央、下写真:右上)
大山:すごい大箱!すごいですね。
柳瀬さん:20歳で300席ぐらいのお店の店長になったんですよね。
大山:何かきっかけがあって飲食の道を志したというわけじゃなく、1軍に憧れた結果飲食にたどり着いたんですね。
柳瀬さん:そうですね。なので「独立したい」とかよりも「1軍になりたい」っていう感じですね。
大山:すごいですね。野球選手みたいですね(笑)。面白い。
柳瀬さん:実際1軍がモテてたし、僕は頭も良くなかったので勉強も普通だし、運動も普通だったので環境変えるしかないっていう状況でした。
ロード2
- ・22歳で借金500万円
- ・柳瀬は終わった
- ・1,000人規模イベントに成功
- ・全国の1軍を目指して創業
大山:それで店長になるわけなんですけど、ぐーっと(グラフが)下がっているんですが、何があったんですか?
柳瀬さん:店長になり始めて、売り上げのことを意識しないといけなくて、お客さんを集めないといけなかったんですね。人脈がなかったので、バーテンダーって人が商品っていうところがあるので、別でイベントをやり始めたんですよ。
大山:なるほど、箱もでかいですしね。
柳瀬:休みの日に別の箱を借りて、そこでその時流行っていた、ねるとんパーティーみたいなのと、クラブミュージックを混ぜたようなイベントをやって、それが1個ポンと成功して、自分でもお小遣いが増えて、しかもそこのお客さんがバーに来てくれるようになって、ちょっと調子に乗って「もっとでかい箱でやる」って言って1,000人規模の箱にしたんですね。
大山:要するにオーガナイザーをやっているわけですね。
柳瀬さん:そうですね。プチ経営ですね。
大山:1,000人規模って相当ですよね。名古屋の中でも相当でかい箱ですよね。
柳瀬さん:名古屋で一番でかいクラブですね。そこで1,000人が入る箱を予約して、結果100人ぐらいしか来なくて。
大山:マジですか(苦笑)。何の戦略の失敗があったんですか?
柳瀬さん:1回目2回目の100人規模のパーティーが成功したのは、身内のパーティーだったんですよ。なので1,000人規模ってのは自分ができる規模感を誤った感じですね。「知り合いが知り合いを3人呼んだらこれでいけるじゃん」みたいな安易な考えだから、ブランドコンセプトも何もなく「ただみんなで飲もうぜ」だけの浅いパーティーだったので、結果100人くらいしか集まらなくて、それで借金が500万円ぐらいになってしまって。
大山:やばい。一気にですね。
柳瀬さん:それが22歳ぐらいの時ですね。
大山:500万円というのは箱代なんですか?
柳瀬さん:箱代は300万円ぐらいなんですけど、あまりにも人が来なくて。失敗するとオーガナイザーってめちゃくちゃ恥ずかしいんですよ(苦笑)。そこで悪酔いしちゃって、1,000人いると思ってるからシャンパンタワーを用意してて、シャンパンタワーに僕ベロベロで突っ込んじゃって、シャンパンのタワーのグラス代とかシャンパンが大量に余ったりとかで、それで大赤字、全部で500万円です。
大山:大ピンチですね。その借金500万円はコツコツ返していったのですか?
柳瀬さん:当たり前ですけど、怖い大人に『お前どうやって払うんだ』って詰められました(苦笑)。「とりあえずお金はないです」って言って。お金はないのでとりあえず働いて返すしかない。イベントの集客を手伝ってましたね。自分のイベントで儲かった分を全部返済に回すみたいな。
大山:その500万円は大体どのぐらいで返済するんですか?
柳瀬さん:1年半ですね。
大山:すごい。めちゃめちゃ頑張りましたね。
柳瀬さん:飛んだら負けだなっていうのがあったんですけど、みんな飛んで別の町行って、再起する感じですけど、僕が目指してるとこは「全国」だから再起しても結局ばれるんですよね。地元だけで1軍になれるのが欲だったら別に飛べば良いんですけどね。
大山:それは(グラフが下がる)こうなりますね。
柳瀬さん:経営してないですからね。ただの22歳の小僧ですよ。普通のサラリーマンで給料も20万円ちょいぐらいしか貰ってない。
でもその後、しっかりロゴとか、イベントのブランドコンセプトを作って、ターゲットを絞って、そこでちゃんとマーケティングっていうのを初めて勉強して、そこからSWOT分析などをして、また100人規模からやってどんどんどんどん成功して、この25歳のときにもう1回1,000人規模のパーティーをやって、成功させるんですよ。
大山:成功したんだ。それまたすごい。
柳瀬さん:それで独立したんです。
大山:でも普通22歳で500万円借金くらったら諦めますよね。
柳瀬さん:そうですね。お金っていうよりも『柳瀬は終わった』って周りに言われたのが、プライドもあったので悔しかったですね。
正直ここら辺(グラフの20歳くらいの頃)ってもう同級生の中だと1軍になれてたんですよね。環境変えて、みんな大学とか専門学校とか行ってる中で自分は社会人だし、社長の知り合いもいっぱいいたし、成人式の時はもう1軍になれていたんですよね。でもそれが鼻につく人たちもいるじゃないですか。だからもうこの時(22歳の頃)はみんなに笑われました。『あいつ終わった』って。
大山:それがもう悔しくて、諦めずに100人規模のイベントををまたコツコツやり始めるんですね。
柳瀬さん:はい、それで1,000人規模を成功させて、人脈も沢山あるし、もうこれ自分で箱を作った方が、効率が良いしだし、もっとかっこいい自分になれると思ったんです。
当時、subLimeの花光さんの記事を見て「こんなとんでもない1軍いたんだ」って思って、自分井の中の蛙だったなって思って、それで店舗展開・全国展開っていうことを目指して独立しました。最初はもう、料理の知識も何もないので、まずはダイニングバーをやりました。
大山:全国的な1軍になるという目標を持つわけですね。
柳瀬さん:そうですね、あとは名古屋だとゼットンさんとかめっちゃ憧れましたね「かっこいい」って。飲食って社会的地位が低いって思ってたんですよ。きつい、ブラック、低賃金みたいな。だけどこんなにかっこよく飲食を変えようってしてる先輩たちがいるっていうことに感銘を受けて。
大山:料理はちょっと出すけど、お酒を基本出すような感じですか?
柳瀬さん:そうですね。ソーセージとかローストビーフとかだけで。
大山:これが創業店なのですね。何というお店なんですか?
柳瀬さん:ペルージャっていうお店です。25坪くらいのお店です。
大山:開業の時はどうやって資金の工面をしたんですか?
柳瀬さん:イベントで出会った社長さんたちから100万円ずつ借りて。
大山:国の金融機関とかじゃないんですね。
柳瀬さん:国が通らなかったんですよね、25歳の個人なので。この2年で、最初失敗したイベントの500万円の赤字を返しただけで、別に貯金があるわけじゃないんですよ。
大山:この25歳から30歳の間に店舗展開をしたのですか?
柳瀬さん:はい。25歳から30歳まで期間で、18店舗出店しました。
大山:それはすごい!主に何の業態ですか?
柳瀬さん:焼肉と居酒屋ですね。今の業態に繋がる?馬肉の専門店をやり始めて。
現在も大繁盛している「個室 馬刺し肉寿司 たてがみ」オープン時の写真(右)
大山:現会社のアクトコミュニティを興したのはいつですか?
柳瀬さん:個人事業主を2年間やって、27歳でアクトコミュニティ創業です。そこで居酒屋をやり始めるんです。ダイニングバー時代、本当に人気のバーだったので、社員がめちゃくちゃ多くなったんですよ。この栄の街で一番売れていて25坪で1,000万円ぐらい売れていて。
大山:それは凄いですね。
柳瀬さん:しかも商品なんてソーセージしか出してないから、利益率は半端なくて。
ロード3
- ・出店加速、薄まる組織
- ・コロナでマイナス2億円
- ・FC 23店舗出店
- ・300店舗を目指す
大山:完全に成功ですね。だけど(グラフが)上がってないのはなんでですか?
柳瀬さん:もうここが結構僕の中では最高得点みたいな感じでしたね。
大山:なるほど。この1,000人規模のイベント失敗した10年後、30歳くらいからぐーっと(グラフが)下がるのはなんでですか?
柳瀬さん:これが、18店舗出店するってなると、もう店長が血の繋がってない感じで、理念がどんどんどんどん薄くなっていったんですね。
大山:血が薄まるというやつですね。
柳瀬さん:そこでコロナが来て。普通は転んだら乗り越えられるんですけど、(血が)薄い状態でやり始めて、コロナが来てマイナス2億円ですね。
大山:1年ぐらいでですか?
柳瀬さん:1年半ぐらいですね。18店舗やってたので口座に1億円ぐらい入ってたんですよ。けど、3ヶ月ぐらいでですね、経理から連絡あって『社長もうすぐ口座のお金なくなりますけど』って言われて「え?1億あるよ?」って。でも僕、口座を見てなかったので気付かなくて。
大山:そこで融資を受けたんですか?
柳瀬さん:また借りて、そこから減っていったんですけど2億ぐらいで止まったって感じです。
大山:なるほど。そこから(グラフが)比較的すぐ上がるわけなんすけど、これはどういう転機があったんですか?
柳瀬さん:コロナがあって、居酒屋が壊滅状態になって、そこから直営店をスリム化していくんですけど、スリム化と同時にここの物件は手放したくないっていう所は、鰻をやり始めたんです。
大山:あ、それが今、行列になっているという「昼だけうなぎ」ですね。
柳瀬さん:そうですね。そこで新しい客単価とそういうマーケットがはまったっていうのと、焼肉の方は配膳ロボットを導入しました。あとは米にこだわって「米焼肉」っていう新しいマーケットを作りました。元々は普通のコスパ良い焼肉をやっていたので、釜のご飯とかもなかったです。
大山:取材させてもらった「肉のよいち」ですね?あちらもいい業態ですよね。
フードスタジアムが取材した東京一号店のFCの御茶ノ水店。
東京初進出!「肉のよいち」が御茶ノ水に7月1日OPEN。直営5店舗、FC27店舗、海外進出も果たしたAct communityの今後に注目
柳瀬さん:コロナ中からランチもやって、ここで時間が作れたので、改めて既存業態の変更と鰻の新事業を始めたっていうこの2軸があったので乗り越えられましたね。攻めたんですよ。コロナの時みんな協力金貰って休憩してたじゃないですか。けど、僕らは攻めたことによっていろんな方から問い合わせをいただいて。『どうやってるの』って。
コロナ中ってみんな止まってるので、普通にやっているだけでスポットライトを浴びられたんですよ。みんなが止まっているので、逆行したことで、そこからフランチャイズが一気に20店舗ぐらいワーッと増えました。
SNSで大反響を呼び連日行列の「昼だげうなぎ屋」は土用の丑の日に日商100万円超、月商600万超のお店が連発している。
大山:昼だけというコンセプトがおもしろいですよね。
柳瀬さん:昼間だと気が楽じゃないですか、左右されないというか。夜は宴会シーズンが終わったらガクっと下がるし。それがランチだとずっと一定数なので。なので客単価が高い昼業態をやってみたかったんですよね、2,000円以下はなし。最低賃金はどんどん上がっていくので。しかも、フランチャイズ展開なので、参入障壁が高い方がそれを乗り越えたら「めっちゃ展開できるじゃん」と思いましたね。
誰でもできるやつをフランチャイズモデルでやっても別に自分でできるじゃないですか。鰻って串打ち何年焼き一生みたいに言われるので、めっちゃ参入障壁を昔からの人たちが高くしてくれてるんですよ。でも僕1ヶ月で覚えたんですね。串打ちも焼きも。
大山:それはどこか、修行に行ったんですか?
柳瀬さん:コロナ中にやることないので、田舎にある個人鰻店で修行しました。僕がそのお店を好きだったので「教えてください」って。「ただ働きでいいので働かせて下さい」て感じで。コロナ禍ででやることなかったので、そのタイミングで。
料理やったことない僕が覚えたら、フランチャイズにできそうだなと思いましたね。そこからマニュアルを作って、今は1ヶ月で本格鰻を作れるマニュアルを作りました。
大山:すごい。名だたる名店が名古屋には鰻の店であるわけですから、そこに対してのビビリ感とかはなかったんですか?
柳瀬さん:値段で、マーケットずらせているので、競合しないんですよ、2,000円なので。だから今までカジュアルな1,000円のラインと、3,000円、高級な5,000円以上のラインがあって、2,000円のマーケットが空いてたので。今「うなぎの成瀬」さんが流行っていますが、うちはまた違って、生からの関西焼きなんですよね。
大山:なるほどです。コロナ禍が2020年から2023年ぐらいで終わると思うんですけど、この3年でFCも含めて何店舗出したんですか?
柳瀬さん:23店舗ぐらいですね。
大山:FCが半分以上ですか?
柳瀬さん:全部FCですね。直営18店舗をスリム化しながらFCを伸ばしたので、利益体制がすごく良くなったんですよね。そしたらテレビに出始めて、地方とか全国に今出店を加速させているっていう形ですね。
大山:この(グラフが)V字の時のメンタルって、どんなメンタルで切り替えたんですか?
柳瀬さん:そもそもあまりメンタルが崩れないんタイプなんですが、コロナ中も崩れなかったですね。僕この時、海外渡航禁止になる前に海外旅行行ってました。ハワイに。現実逃避とかじゃなくて、追い詰められることで視野が狭くなっちゃうので、広く見ていれば俯瞰として見れるので。
大山:確かにそうですね。コロナ中のハワイなんか見る機会もないですよね。
柳瀬さん:誰もいなかったですね。ガラガラでゴーストタウンのハワイでした。
大山:なぜ「昼だけうなぎ」がうまくいったと思いますか?
柳瀬さん:僕がバーテンダー育ちなので、基本的に美味しいものっていうよりも今まで培ってきたのは売り方なんですよね。同じ鰻でもどういう丼ぶりで出して、どういうキャッチコピーで、あと値決めとか、お客さんのSNSの使い方、とかそういったところに特化していったって感じですね。
大山:なるほど、それが今にも生きている強みというわけですね。
柳瀬さん:相手の気持ちに立ってっていうことが生きてますね。
大山:今後どのような会社の展望を考えていますか?
柳瀬さん:今のところはフランチャイズ展開を中心にしてるんですけども、来年からはもっと直営店を出していこうと思っています。もう1回社員たちを集める組織体系作って、今フランチャイズが多いので年商7億円ぐらいしかないんですけど、直営店を増やして、まずは20億まで増やして、そこからは海外増やしていきたいんですよね。
大山:具体的にどこを考えていますか?
柳瀬さん:今マレーシアでやってるんですけど、マレーシアがすごく良いのでそこに鰻も持って行って、そこからマレーシアで噂になって他の東南アジア系に市場を広げようかなと思っています。
大山:店舗数の目標はありますか?
柳瀬さん:今が40店舗ぐらいなので店舗数は中期で100店舗ですね、3年後。長期で300店舗。そこで上場するかどうかみたいなことをいろいろ聞かれるんですけど、多分土俵に乗るので、そのときに決めようかなって思っています。
大山:それありきにはしていないわけですね。
柳瀬さん:はい、なんか決めちゃうと面白くなくなっちゃうと思うんです。ロマンがわかんなくなっちゃう。それよりも従業員の幸せとか「こいつらいい顔して働いてるな」みたいなそっちの方が僕は楽しいですね。
会社のメンバーのためにこれからも「おもしろい」を追求し続ける
大山:素晴らしいですね。ありがとうございました!
編集後記
初めてご紹介でお会いした時、コロナ禍で苦心の末に業態変更、食事業態を生み出し全国展開へと突き進む柳瀬さんは紛れもなく、キラキラした1軍でした(笑)。礼儀正しい人懐っこいキャラクターはバーテンダー、イベントオーガナイザーといったキャリアがルーツだったと伺い、妙に納得しました。今後も東京含めた関東でも大いに活躍してくれると思っています。応援しています。(聞き手:大山 正)
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