【八百坂 仁氏 来歴】
株式会社駒八 代表取締役社長。1948年7月25日、北海道・室蘭生まれ。大学進学を機に上京。商事会社の外商部で勤務したのち1975年に脱サラ、1975年、夫婦2人で高円寺に7坪の居酒屋「駒八」を創業する。その5年後、田町に「駒八 本店」として移転。現在は「駒八」をはじめ、立ち呑みやバーを田町に5店舗、豊洲・目黒・青物横丁・浜松町でも店舗を展開。加えて2018年11月には、商業施設のムスブ田町に「駒八 ムスブ田町店」が開業。これを機に八百坂氏の息子・圭祐氏が同社に復帰するなど新しい展開を見せている。
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創業43年、伝説の居酒屋「駒八」を築き上げた「駒八おやじ」こと八百坂 仁氏。その経営哲学&これまでの軌跡に迫る!~前編~
最近は大規模な社員総会などの行事を催して、社員とともに“楽しむ”という姿勢を強く打ち出している企業、経営者が多いのが印象的ですね。会社の規模が拡大しても、利益だけを追求するのではなく、社員の幸せまで考えているのが素晴らしいなと思います。以前、ダイヤモンドダイニングさんの社員総会を見て衝撃を受けましたし、「居酒屋甲子園」や「S-1サーバーグランプリ」でも、今の若い人の、“チャレンジを楽しむ姿勢”を感じる。また、今の30歳前後のオーナーの活躍もめざましいですね。彼らは非常に勉強熱心で、行政の制度をうまく利用して低投資で開業していたり……と感心することが多いです。
最近は年のせいで、店に立って集中力が持つのは1日3時間程度が限界になってしまいましたが……(苦笑)。2年前までは河岸にも出向いて、魚の仕入れをしていましたよ。当社の看板商品、刺身5切れを250円で提供する「本日の目玉刺身」があるのですが、これは全店舗で提供しているため、1日に200~300食分用意しなくてはならない。しかも、この価格で提供するには、価格交渉が必要。通常通り仕入れていては儲けが出ません。私が直接、築地に行って、その時々で安く仕入れられるものを自らの目で探して交渉していました。
売り上げがほしかったら、まずは自分からお客様に何かを与えにいかなくてはいけない、と思うからです。「売上がほしい!」という気持ちが先行しても、相手からは何もやってない。こちらから与えにいく姿勢が大切なんです。私は、よく来てくださるお客様の顔と名前、所属はすべて頭に入れていた。名前を覚えて、「〇〇さん、いつもありがとうございます」と言う。常連客の好みを覚えて、その人が好きそうな商品をおすすめする。そうすることで初めて売り上げが付いてくるのです。
たとえばFacebookと同じ。私も数年前にFacebookに登録し、時々投稿もしていますが、始めのころは「いいね」がほとんど付かず、なんだか悔しくて……(笑)。そこで、まずは自分が友達の投稿に対して積極的に「いいね」を付けるようにしました。そうすると自然と自分にも「いいね」が付くようになってくる。今では一つの投稿に200~300くらい、多いと800ほど「いいね」が付きます。それと同じですよね。まずは自分から与えることが大切。
2018年11月に新店舗、「駒八 ムスブ田町店」を開業し、これを機に、7年前に店を離れ起業していた息子の圭祐が復帰することになりました。これから徐々に息子にも店を任せ、いずれは3~5店舗程度を見てもらいたい。私は引退したら全国の居酒屋巡りがしたいですね(笑)。
※八百坂氏は他店視察にも熱心に取り組む。訪れた居酒屋についての情報は「駒八おやじのベンチマーク」で発信中!
http://inforoomstimes.com/category/駒八おやじのベンチマーク/
先に話したように、時流を読むことが大切。今、市場は降下路線。それを踏まえて地に足を付けた経営判断をしていく時代だと思います。
うーん、特効薬はない!でも、安易な値下げはダメ。エスカレートすると際限がなくなってしまう。でも、笑顔はタダ。季節の素材を使った料理など工夫を凝らしてお客様に喜んでもらうのもいい。きちんとした料理と真心のこもったサービスに立ち返るしかないんじゃないかな。
3~4年で飲食店の半分が潰れると言われる中、なんとか43年続けられたということは、「駒八」が世の中から必要とされているということなのかなと思う。この間、景気のいいときも悪いときもさまざまなことを経験してきたし、色々な人から相談を受けるが、すべて答えられるようになった。これからも、体調管理しつつ、元気に店に立ち続けていきたいですね。
読者の皆様、記事を読んでいただき、ありがとうございました。 駒八おやじ