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インタビュー

「自分が食べたいものを出すだけ」――「おにやんま」大下義弘社長インタビュー

東京・五反田に「おにやんま」1号店がオープンしてもうすぐ7年になる。うどん、とだけ書かれたあの白い暖簾に駅へと急ぐ足がつい店に向かってしまった人も少なくないはずだ。かけうどん300円、とり天うどん420円と低価格ながら、小麦粉は信頼する香川の製粉会社から取り寄せ、出汁には厳選した高品質の伊吹いりこを使用。たった5坪、客同士が詰めあって10人入れる程度の小さな店に毎日1000人が来店すると聞けば、未訪の人にもそのすごさが分かるだろう。すっかり五反田名物となった「おにやんま」のことだ、この7年をさぞかしエネルギッシュに走ってきたことだろうと思いきや、創業者兄弟の兄で社長の大下義弘さんに話を聞くと、その口からは意外にも「気楽」や「マイペース」という言葉が繰り返し登場した。今、「おにやんま」が考えることとは。


上京後、ショックを受けた「うどんロス」

――正直、インタビューを受けてくださると聞いてびっくりしました。

大下 義弘氏(以下、大下):自分たちはあまり前に出ないようにしてるんです。店舗の取材は常連さんの紹介などで受けていますが、経営的なことについては基本的に断っています。僕ら気楽にやっているんで苦手なんですよ、数字の話とか。

――この度は本当にありがとうございます。さっそくですが、大下さんが香川から上京した当時の話や、「おにやんま」誕生の経緯を聞かせてください。

17409473_1135108346615550_1554611498_n大下:上京したのは18歳のとき、中央大学へ進学するためです。当時は「はなまるうどん」さんや「丸亀製麺」さんもまだなくて、赤羽の「すみた」さんができたかどうかってくらいだったので、これまで当たり前に食べていたうどんが食べられずショックを受けました。そのころから漠然とうどん店をやりたいと思うようになりましたね。自分のようにうどんを恋しがっている人は多いはずだ、と。卒業後はお金を貯めるために金融系の会社で働いたのですが、帰省したときに地元の「宮武讃岐製麺所」で修業中だった弟の知映(ともあき)と話したら、お互いのやりたいことが近かったんです。それで、知映も上京して一緒にうどん屋をやることに。

――それが「おにやんま」の前身の「かがり火」ですね。

17410130_1135095663283485_1165141458_n大下: 「かがり火」は夜お酒も出す二毛作で、2011年に閉めるまでの5年間、香川出身の方を中心とした常連さんたちに応援していただいたのですが、苦労もありました。今振り返ると、御徒町の裏通り、しかも地下の店なのに「うちは手打ちでやってるんだ」と気負いすぎていて、お客さんがお客さんを呼んでくれるだろうという甘い考えだったのかもしれません。弟との話し合い、もっと多くのお客さんに来てもらえるよううどん一本で勝負しようと「おにやんま」をオープンしたのが2010年6月です。このときから製麺機を導入し、お客さんが券売機のボタンを押した瞬間に厨房にオーダーが通る“先行逃げ切り”スタイルに。現在、麺は見込み茹で、天ぷらもまとめて揚げていますが、時間帯ごとの混雑具合を把握して調整しているのでロスはほとんどありません。

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