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垣根を超えて繋がり、大きなスケールで未来を創る!20代~30代の若手飲食店オーナーによる勉強会「外食5G」第二期がスタート~キックオフイベントレポート

既成概念に捉われない自由な発想の店作りで注目を浴びる20代後半~30代前半の若手外食経営者達。「第五世代」と呼ばれる彼らが集結し、昨年3月、未来の食の新たな形を追求すべく、勉強会「外食5G(ファイブジー)」が発足した。そして2020年4月より、満を持して第二期がスタートする。1960年代以降、高度経済成長や時代の変遷と共に発展を続けてきた外食産業の未来は、今まぎれもなく彼らにかかっているといえよう。今回は、3月8日に行われた第二期キックオフイベントでのパネルディスカッションの様子をお伝えする。


■外食5G
https://gaisyoku5g.jimdosite.com/

【開催概要】
2020年3月8日(日)13時~18時
会場:セミナールームイベントスペースWM

第一部、人とホスピタリティ研究所代表、元ザ・リッツ・カールトン・ホテル日本支社長の高野 登氏の講演の後、第二部として「外食5G」の幹事5名でのパネルディスカッションを開催した。

【パネルディスカッション登壇者】

(写真左から)
・カオカオカオ 代表取締役:新井勇佑氏
・マーチダイニング 営業部長:本多太一氏
・イタリアンイノベーションクッチーナ 取締役営業本部長:青木秀一氏
・和音人 代表取締役:狩野高光氏(5G代表幹事)
・スマイルリンクル 代表取締役:須藤 剛氏
・フードスタジアム 代表取締役:大山 正

大山 正(以下、大山): 皆様こんにちは、フードスタジアムの大山と申します。私は昨年、和音人代表取締役の狩野さんのサポートという形で、「外食5G」の立ち上げに参加しました。この「5G」の第一期が好評をいただき、4月からはもう少し人数枠を広げて、第二期の活動をスタートさせます。そのキックオフとして、「外食5G」の幹事メンバー5人をお呼びし、パネルディスカッションを行います。

早速ですが、パネルディスカッションの第一問目は「いつからどういうきっかけで飲食業を志したか?」。ここにいる5人の皆さんが、どういう経緯で飲食の世界に飛び込んで、どういう想いで仕事をされてきたか伺いたいと思います。本多さんからお願いします。
飲食を志したきっかけ

本多太一氏(以下、本多):株式会社マーチダイニングの本多太一氏と申します。今、営業部長として、北関東と東京都内を担当しています。

私は、短大の経営学科を卒業して、最初は地元・長野県で建築関係の仕事に就きたいと考えていたんです。それで本久(もときゅう)という総合商社に入ったんですけど、たまたま社内ベンチャー部門に配属され、「村さ来」と「はなまるうどん」のFCの担当に。突然、飲食の現場で働くことになったのですが、それまで飲食店でアルバイトをした経験もなく、正直全くやりたくない(笑)というところからのスタートでした。

須藤 剛氏(以下、須藤)
:株式会社スマイルリンクルの須藤と申します。僕は、昨年10月から第二代目として社長を務めています。

僕は高校を卒業して今の会社に入社しまして、18年目です。こう見えて、高校時代は本気で野球をやっていて、甲子園にも行きました。野球しかしてこなかった高校三年の時に、たまたま知り合いが東京で飲食店をやっているので見に来ないかと誘われました。そこで、「飲食をやっている人達ってめちゃめちゃかっこいいな!」と衝撃を受けたんです。僕もそのステージに立ちたい!と感じたのがこの世界に入るきっかけです。

青木秀一氏(以下、青木):株式会社イタリアンイノベーションクッチーナで、営業本部長と人事を担当しています。

僕は、小学校6年の時に料理人になろうと決め、中三の冬にむりやり頼み込んでラーメン屋でアルバイトを始めたのが最初です。そこから、地元・栃木の宇都宮の専門学校に通いつつアルバイトを重ね、「どうせやるなら日本一の飲食店をやろう、そのためには東京に行こう」と決めました。学校を卒業してから、東京でいろいろと食べ歩きをしていくなかで今の会社に出会って、18歳で新入社員として入社し、今に至るという経緯です。

新井勇佑氏(以下、新井):株式会社カオカオカオの新井と申します。今、東京の二子玉川、新宿、新橋、中野、それから大阪の梅田で「タイ屋台999(カオカオカオ)」を運営しています。

僕はもともと心理学の研究をしていて、臨床心理学の業界で、主にカウンセリングなどをやっていました。ただこの業界は、3年おきくらいに契約更新があって、更新できるかどうかという不安を死ぬまでずっと持ち続けながら働かなくてはいけないんですね。それはやはり厳しいなということで、自分の得意分野でなく、逆に、全く違うアーティスト色のあるジャンルで自分の存在意義を見出そうと、26歳くらいの時に就職活動をして外食の世界に入りました。

最初は沖縄料理やタイ料理を会社に入ったんですが、そこで大きな挫折をしました。社長がすごくアーティスト色の強い方で、言っていることがお互いに全く理解できなかったんですね(笑)。そこで自分は真反対の方法でやっていこうと思い、独立して今の会社を立ち上げました。

狩野高光氏(5G代表幹事 以下、狩野):和音人の狩野と申します。僕は、中学校を半分ドロップアウトしているような状態だった15歳の時に、両親も飲食の仕事をしていたこともあって、この道を志しました。ところが両親に「実家は継がなくていいから、外で修業しなさい」と言われて、焼鳥屋に入ったのが、最初のきっかけですね。

大山:ありがとうございます。五者五様の経緯があったんですね。続いて第二問、「駆け出しの時、どのようなモチベーションで仕事をしていたか?」。皆さん誰もが最初は全く分からない状態で飲食の業界に入って、初めの頃はどういうノリで仕事をしていたんですか?

20代は毎日必死に耐えながら自問自答していた(青木)

本多:僕はまず、仕事に行くのが嫌で嫌でしょうがない(笑)、あと土日が休めない、深夜まで働かされるのがツラい、みたいな状態から、22歳で店長をやらせていただくまでの間に、だんだん飲食の世界が好きになっていきました。正直2年くらいかかりましたね。

須藤:僕はおそらく一ヶ月かからずに楽しいなと思えるようになったんですが、今でも覚えているのは、働いて3日めくらいで「辞めてぇな」って思いましたね(笑)。最初はなんでこんなに忙しいのかなとか思っていました。でも、結局この仕事が性に合っていたんだと思います。

青木:僕は、初出勤の休憩時間に社長の四家さん(イタリアンイノベーションクッチーナ代表の四家公明氏)に連れ出されて、床屋でほぼ丸坊主にされたんですね。そこで「あっ……」となって(笑)、モチベーションはずっと低い状態でしたね。当時は、先輩方もものすごく厳しかったんです。20代は、毎日必死に耐えながら、ここで「日本一になる」っていうのは、どんなことで実現できるだろう?と常に自問自答していましたね。

新井:僕は、大学時代にイベントサークルの部長をやっていたんですが、それが200人くらいの規模の大きいサークルで、お金の羽振りもめちゃくちゃよかったんです。その時の血が騒いで、転職後、まず仲間を店に呼んだら売り上げがすごく上がりました。ただ、自分の最初の目標だった”得意分野である心理学の研究を外食という分野に活かす”というテーマからは逸れてしまった。そんな時、会社から「人を呼ぶのが得意なら、販促を考えてみろ」と言われたのが、モチベーションアップに繋がる最初の仕事でした。当時は割引券が主流だったんですけど、全然魅力がなくて、誰も使ってくれなかった。それで、イベントサークルのやり方を応用し、お店だけで使える金券を配り始めたんです。それが成功したというのが、最初に成し遂げた仕事だったなと思います。

壁を乗り越えられるかどうかは自分次第(狩野)

大山:ありがとうございました。次は「ぶつかった壁。それをどう乗り越えたか」。皆さん、スランプはどんな想いで乗り越えていったんでしょうか。青木さんからお願いします。

青木:壁は、今も常にあると思っています。でも、10年前に「トスカーナ 神谷町店」の新店立ち上げを店長としてやらせてもらったとき、まず思うようにお客様が来ない状況になりまして…。

大山:3店舗同時オープンで、メディアからしてもインパクトが強かった頃ですね。神谷町というのは、外部から人が来る街じゃないですもんね。

青木:そうなんです、それでスタッフの意気がどんどん下がっていくし、僕も店長として焦る中で皆につらく当たってしまい、結果スタッフが逃げ出してしまうとか、すごくキツかった。でもその時、このままではよくないと、コツコツと努力を積み重ねて乗り切ったという経験があります。チーム作りもそうですし、ミーティングや、お客様と向き合うとか、ひとつひとつ積み重ねて店作りをしていきました。

本多:僕の場合は、最初の壁は25歳の時です。長野で「村さ来」の店長をやらせてもらったんですが、自分なりにもっと食材の知識を深めていかないとだめだと感じました。それで、ツテもないなかで最大限調べて、一番勉強ができそうだと思ったエー・ピーカンパニーに転職しました。

大山:青木さんや本多さんのように、30歳を目前にして、20代半ばで悩んで一度自分を振り返って考え直した経験をされた方は多いのかもしれませんね。新井さんはいかがですか?

新井:自分が最初にぶつかった壁は、さっきお話させていただいた通り、最初に勤めた会社の社長ですね。アーティストタイプで、仕事はピカイチ。一体なんでこんな発想ができるのかさえ自分にはわからない。天才で、本当にかなわなくて、ついていけなかったんですね。それで、このやり方は自分にはできないなということで、最初に日本中にあるタイ料理店のデータを集めることをしました。繁盛している店にはどういう理由があって、どんな共通因子があるのか。とにかくデータを集めることで会社に貢献できることはないかなと探ったのが、最初に壁を乗り越えた方法ですね。

狩野:僕は19歳の時に初めて飲食店の店長職に就いて、当時は自信満々だったんです。その頃、やっぱり最先端のところでやらないとダメだなと考えて、厳しい環境で有名なグローバルダイニングに入りました。そこでは13年前の時点で既にPOSレジがあって、メニューの全部が英語でした。中学校をドロップアウトした身からすると「英語?」みたいな感じで(笑)。「レジも打てない人間はホントに明日から来なくていい」と言われました。あまりにも活気がありすぎて、使えない奴を構っている余裕がない店だったんです。その日は、朝5時に営業が終わってから、翌日のランチ営業が始まるまでの間、ずっとPOSレジと格闘しましたね。

でも、次の日の営業で今度は「氷をステアすることができない人間は明日から来なくていい」と言われて(笑)、毎日そんな感じで、次々に勉強せざるを得ない状況に追い込まれていきました。24時間店にいるという状況をひたすらやり続けて、一か月後には時給が400円上がっていました。グローバルダイニングには、「壁の乗り越え方は自分次第」ということを教えていただきました。

大山:ありがとうございました。続けて、「独立する、会社に残って幹部になる…いつどのように決断し、行動したか?」をお聞きします。例えば狩野さんはもう独立されていますけど、どう決断されたんですか?

狩野:僕は独立前にナンバー2のポジションにいた会社が大好きだったんです。本当は、気質的にはナンバー2のほうが自分に合っているという思いが今もあります。ただ、飲食業を続けていくなかで、最終的に「自己資金を貯めてノーオーナーで独立する」という選択肢が残ったという感じですね。

働いているメンバーを守り、もっと幸せにするのが自分のミッション(須藤)

大山:なるほど。新井さんの「タイ屋台 999」は、中野の街に突如、彗星のごとく現れたという印象なんですが、どんな風に準備を進められたんですか。

新井:当時、タイ料理のレストランに勤めていたんですが、大衆酒場ブームがバーッときていた時代だったので、次は「タイ料理×居酒屋」という業態にマーケットがあるだろうという確信があったんです。それで、レストランに2年くらい勤めた後、30歳ですぐ独立しました。

青木:僕は28歳で独立しようと思っていたんですが、当時、3店舗の統括店長、人事、商品開発といろいろな仕事を任せてもらっていて、独立を希望した際に「残ってもっと面白いことをやらないか」と提案していただきました。そこから取締役をやらせてもらって、幹部として残って今に至るという感じです。

須藤:先ほどお話しましたように、去年10月に2代目の社長に就任しましたが、正直言うと、30歳の時に独立したいと思ったこともありました。社長になった今でも、自信はなくて、ただ創業者が築いたこの会社を潰すわけにはいかない、働いているメンバーを守り、もっと幸せにするというのが、自分のミッションだと思っています。

本多:僕はエー・ピーカンパニーで統括店長のポジションをやっていたんですが、その頃自分のなかでいろいろ悩むこともあり、3年で退社しました。その後は独立して長野で5年間くらい飲食店をやっていたんです。20席くらいの店だったんですが、だんだんお客の8割を友達で占めるというスナック状態になってしまって(笑)、全然、食べてはいけるんだけど、今後どういうモチベーションでやっていこうかなと。最終的に、自分の性格には優秀な人の元で分析するとか組織をまとめるという方が向いていると思い、今の立場に至っています。

“生産から消費まで全て完結するのが飲食”。創業者の言葉に「これだ!」と思った(須藤)

大山:そうだったんですね。次ですが、「師匠、影響を受けた人物は?」。須藤さんは、影響を受けた人や、言葉というのはありますか?

須藤:僕は、当社の創業者(株式会社スマイルリンクル会長の森口康志氏)の言葉に影響を受けました。18歳で素人から飲食業を始めて、「この仕事の魅力って何?」を考えると、もちろんお客様の笑顔とかスタッフの成長とかいろいろあるんですが、森口からは「飲食は、生産から消費までの過程を全て目の前で完結する仕事なんだよ、そんな職業っておそらく飲食しかない」と教えられました。これだ!と思った言葉です。

大山:森口さんはほかのジャンルのビジネスも手掛けられていて、だからこそ出てくる視点ですよね。たしかに、それは飲食の醍醐味といえるかもしれません。

須藤:はい。「例えば洋服屋さんだったら、仕入れをして販売までしか手掛けられない。製造過程も使用される過程も見られないけど、飲食なら答えがすぐわかる、これってすごく尊いことだし面白いよね」と教えてもらって、人として、僕の人生が豊かになるなと思いました。

新井:僕は特に影響を受けた師匠はいないんですが、前の会社からデータを集めを続けてきたなかで、絶対に成功する原理・原則というのを見つけたんです。その原理・原則は、元ペガサスクラブの創設者の方が作ったものなんですが、その渥美(俊一)さんの「飲食の人は経験とか勘でやみくもにやっている人が多い。飲食は、考えるのではなくて学びなさい」という言葉は大切にしています。

狩野:僕は、自分の人生を捧げてもいいと思ったのはたった一人で、前に勤めていたL&Sという会社の社長(山田朋行氏)です。その会社名の由来が「ラブ&スマイル」という非常にシンプルなもので、愛を持って、目の前にいる人を笑顔にしなさいと。この言葉が、一番影響を受けていて、今も大切にしている言葉ですね。

チームが成果を出し続けるには「向き合うことと能力」が大切(新井)

大山:続いて、「店長に求める能力とは?チームづくりの上で大切にしていることは?」青木さんいかがですか?

青木:もちろん、売り上げと利益をしっかり確保することはもちろんなんですが、「変化に対応できる」能力は重要だと感じています。店長会議では、変化をしないとこの先絶対に時代についていけないし、会社を守れなくなるから一緒に学んでいこうと常に伝えています。店長に対しては、しっかり時間を取って、全店は無理でも、月に6人くらいの店長には、まず何を大切にしているのか、どんなお店にしたいのかしっかり聞き出すこと、向き合う時間を作るというのが、僕にとってチームづくりで大切にしていることです。

須藤:僕が店長に求めるのは、まずシンプルに結果です。もう一つは誰よりも明るいこと、誰よりも元気であることが店長に求める素質・能力ですね。チームづくりで大切にしていることは、僕だけでなく、幹部に対してもそうであってほしいと思っていますが、部下に対して、彼らを上回る大きな愛を持つことですね。

新井:僕はこの質問を、チームづくりとして成果を出し続けるうえで大切にしていることは何か?という風に捉えてお話をしますね。うちの会社では、チームとして成果を出し続けるために3ステップを踏んでいます。そのなかでも1ステップ目を最も大切にしているんですが、それは「向き合うことと能力」です。これによって、まず個人が成果を出し続ける環境にすることを一番大事にしています。

どういうことかというと、例えば、練習に対して向き合う力は50だけど、能力は100あるサッカー選手がいるとします。逆に、もう一人は練習に対して向き合う力は100だけど、能力は50しかないとします。でも、どちらも掛け合わせると5000,5000になるので、試合で出せる能力は結局同じということになるんですよ。僕は、外食もこれと同じことだと思っていて、しかも、外食の場合は能力に50と100程の差はないと思うんですよ。一番開くところは「練習に対する向き合い方」であると。なので、とにかく店舗ごとに時間を作ってこちらに重点を置くと、びっくりするくらい結果が出てくるんですよ。つまり、個々の能力は全然大事じゃない、ということなんです。

大山:「タイ屋台999」では現場に外国の方も多く雇われていますよね。これから、会場の皆さんも外国の方を雇用する機会は増えてくると思うんですが、何か接し方、留意して注意しているポイントなどはありますか?

新井:そうですね、「向き合い方」で特に難しいことは全然なくて、向き合うために必要なことは「コミュニケーション」だと思っているんです。向き合うための「場」と「空間」と「時間」をちゃんと設置してあげて、話す内容をきちんと設定するだけで、向き合い方というのは全然変わってくる。新宿店では、先日、朝礼の「時間」と「場所」、「内容」を話し合って、設定し直しただけで、月の売り上げが30万上がり、チーム力も上がりましたね。

狩野:僕は社内でリーダー達に対して「リーダー研修」というのをやっています。店長に求める核は4つです。認める力、「承認力」。仲間たちの声を聞ける能力、「傾聴力」。その本音まで聞けているかどうかを考える能力、「洞察力」。最後は、とにかく、なにが起きたとしても自分に指を向ける、「自責力」。一人一人のスタッフに、この4点の核がしっかりとした総合的な「人間力」を求めます。それが、チーム作りに結果的に活かされると思います。

外的要因、AI化などの変化に対応できる力を育んでいく(本多)

大山:ありがとうございます。では最後の質問ですが、「これからの業界のこと、会社・個人として成し遂げたいこと」。本多さんからお願いします。

本多:当社はFCも多いので、そちらのサポートをしながらしっかりオリジナルの業態もやっていきたいなと思っています。それから、飲食業界の今後なんですが、この業界は外的要因にものすごく左右されてしまいますし、技術の向上によって、どこと戦わないといけないのかもはっきりしない状況がある。この「外食5G」でいろいろな方と出会って、まったく考え方を変えていかないといけないと、僕自身が答えを模索している状態です。今後は、アンテナを立てて勉強しながら、変化に対応できる力を育んでいき、スタッフ達と一緒に、飲食業界を明るくしたいと思っています。

須藤:成し遂げたいことは、神田に集中してドミナントをしていきたいです。神田って有名な街ではあるんですけど、いまだに下町感があって居酒屋しか残らないような街なので、当社が本気で神田を変えたいと思っています。

飲食業界の今後については、コラボレーションの時代だな、と思っています。これからは、飛躍的に早くなっている情報のスピードに対応していかなくてはいけない。また、飲食業界と業界従事者の地位向上ということも、一社では達成できなくても、狩野代表も含めた「外食5G」のメンバーと一緒にやっていけば変えられると思っています。今後もますます外食産業を豊かにしていきたいです。

青木
:これから成し遂げたいことについては、当社には「料理を通して多くの人を幸せにする」という社訓があるんですけども、今後もそれに倣った無理のない店舗展開をしていきたいと思っています。

個人としては、今後の飲食にも繋がっていくと思うんですが、一社でできることにはやはり限界が来るんじゃないか。僕らの世代だからこそ、繋がりながら、スケールメリットを出していって大きなシェアに繋げたいと考えています。理念が一緒の会社や仲間と、場所を創っていけたらと思っております。

新井:僕はですね、いま外食産業って周りから憧れられていないと思っていてですね、それをどうにか変えていきたいなと思っています。理由としては、3年で70%、5年で90%の店が潰れている業界だからこそ、地位や身分、名誉も低いと思われている。60年代、70年代、80年代は、チェーンストア理論を基に、「すかいらーく」や「サイゼリヤ」が出てきた。でもそれ以降は、ロジカルにやっているというよりは、なんとなく経験と勘でアーティストとして成功しているというところが多いと思う。僕は外食の原理原則をもう一度見直して、改めて普及していくべきだと思っています。

狩野:僕は「日本食文化100年研究会」という私塾を始めたのですが、その理由は、100年企業である「老舗」の理論を若手がしっかりと学べる場所を創るというのが目的です。大山さんと一緒に「外食5G」を立ち上げたのも、「最先端」の教育と、老舗の理論両方を学んだ若手の経営者をどんどん育成していきたいからです。

そしてもう一つ、これまで外食産業のなかにあったブラックボックス、例えばいろんな派閥を一つにまとめていく、これが僕達の第5世代の役割なんじゃないか。そうすることで、他産業の方にも求められる産業になっていくでしょうし、それによって地位と名誉の向上もおのずと達成できるという風に僕は考えています。上場などの方法でスケールを創るのではなく、もっと大きな意味でスケールを創る、それを夢にやっていくということですね。

大山:ありがとうございます。今日も新潟や名古屋など多方面からお客様にいらしていただいています。飲食業界のこれからを創っていくのは、私達の世代です。価値観を同じくした我々が「外食5G」で繋がって、真剣にこの業界を変えていこうと思っていますので、皆様にもご協力いただければと思います。4月から第二期がスタートしますので、ご興味ある方、ぜひご参加のほど宜しくお願い致します。

■外食5G
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(執筆=中村 結)

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