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特集

【NEXT イノベーターズ】FILE.1 新時代を担う注目の20代飲食オーナーが集結
座談会「“第5世代”が考えるこれからの飲食店の価値とは」

1960年代以降、高度経済成長とともに発展してきた外食産業。ファストフード店やファミリーレストラン、チェーン店の時代を経た今、次の世代を担う若き飲食経営者たちは、いま何を考え、どこに向かおうとしているのか。昨年の暮れ、フードスタジアム代表・大山正が注目の“第5世代”オーナーを緊急召集。自ら司会をつとめ、20代経営者5名による座談会を開催した。創業時の苦労話から、飲食店の価値、今後の戦略などを聞いた。その模様をレポートする。


パネラープロフィール(降順)

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■狩野高光氏(写真右から3人目)

1987年1月8日生まれ。株式会社和音人 代表取締役。

2015年「和音人 月山」(三軒茶屋)で創業。現在、「GYOZA SHACK」「華舞㐂屋 ろんど」の3店舗を経営する。

 

■菊池厚志氏(写真左から2人目)

1990年3月21日生まれ。株式会社sunrise代表取締役。 NPO法人居酒屋甲子園 理事。 <神奈川県川崎市内で串揚げ居酒屋「華金」、串蒸し「華火」の2店舗を経営。

 

■藤崎浩由氏(写真一番左)

1989年4月18日生まれ。株式会社平成ダイニング 代表取締役。

三軒茶屋にてフライドチキンをメインにしたダイニング「GOJAMARU」を経営。平成産まれ独立支援など三軒茶屋を中心に幅広く活躍。三軒茶屋「食の街」project理事。

 

■本田大輝氏(写真一番右)

1987年5月15日生まれ。有限会社大将軍 代表取締役。

富山、長野で焼肉店「大将軍」、富山、池袋で豚焼肉専門店「BUTAMAJIN」の飲食店7店舗と、精肉店を経営する。

 

■吉鶴拓也氏(写真左から3人目)

1989年1月23日生まれ。梅林株式会社 取締役。居酒屋甲子園理事 関東第1副支部長。

東京・蒲田にて大衆居酒屋「梅林」を経営。

 

 

—まずそれぞれの創業経緯から教えてください。

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狩野高光氏(以下、狩) 2015年6月に株式会社ワイミート設立、「和音人 月山」をオープンして創業しました。もともと東京の下町で、両親が飲食店をやっていたんです。それを見て育ったというのもあって中学卒業後、飲食の世界に入りました。大きな企業でいえば、グローバルダイニング、コメール、東京レストランファクトリーなどで経験を積ませてもらって、L&Lでナンバー2として勉強させてもらいました。うちの店のコンセプトは、醸造酒とのマリアージュをメインに、今まですでにあった伝統的なものを新しく、です。12月にオープンした新店舗は「瞬間燻製もつ焼き、出汁にこだわったおでん」がテーマの大衆酒場。飲食店経営のほかに、山形で農業事業もやっています。ワイン用ぶどうとラズベリーを栽培しています。ぶどうは、ピノタージュの栽培に挑戦中。来年は「ゲヴュルツトラミネール」「ピノグリ」「メルロー」の3種類もはじめようかなと。ラズベリーは、米農家を応援したいと思ったのをきっかけに、冠水している田んぼでもできるものをやろう、ってことでラズベリーにしました。国産ラズベリーは少ないですが、意外に需要は多いんですよ。

 

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吉鶴拓也(以下、吉) 僕は8年前に蒲田で焼鳥屋をはじめました。2つ上の先輩と一緒に創業しました。はじめは焼鳥の刺し方、刺身の切り方、経営の仕方も分からないという、本当に素人集団からでした。最初の1年間は誰もお客さんが来なくて、掃除ばかりしていましたね。(笑)今年で創業8年、株式会社化したのは4年前です。少しずつ店として形にして、基盤をつくってきました。これから新入社員を採用して、店舗を増やしていきたいと思っています。飲食店としては、新しいものを生み出すというよりは、これまで日本にあった下町の光景を大切にしたいですね。例えば、八百屋さん、肉屋さんが並ぶ商店街とかって、やっぱりその街に昔からあって、これからもなくちゃならない存在じゃないですか。街にとってそんな存在になりたいですね。サンダルでもパジャマでも来られるようなお店。地域にしっかり根付いたお店を点として作っていって、少しずつ面にしていくことが僕らの目標です。2月には2店舗目、2017年中に3店舗目をオープンさせる予定です。羽田空港に近いという地域特性をいかして、外からきた人が、横浜や新宿などではなく蒲田の店にくるように、店をとおして街づくりをやっていきたい。

 

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藤崎浩由氏(以下、藤) 僕は会社を起こして4年目になります。今27歳で、23歳の時に起業しました。中卒でやっていた音楽を辞めた時、何をしようかと考えて、漁師をやっている根室の友人を訪ねたんです。それで、サンマを網で釣って加工したり、ウニをとりにいったりして漁師を仕事にしていました。そのときに根室の居酒屋さんで食べた食事のおいしさに感動して、東京戻って飲食店やりたい、と思うようになったのがこの世界に入ったきっかけです。そこから飲食企業にはいって、経験を積んで。一番最初がアイグループという三軒茶屋を拠点にやっている会社なんですけど、そこでビシバシ鍛えられながら、調理師免許をとって、料理人から店長業務、経営と学んで、独立しました。根室で漁師をやっていた時のツテで仕入れたものを使って、根室の海鮮居酒屋を三軒茶屋に出しました。そこから紆余曲折があって、築地の「鳥藤」の社長さんと仲良くなったのがきっかけで、「うちの店でフライドチキンをやりましょう」となって、丸鶏のフライドチキンをメインにしたダイニング「GOJAMARU」にリニューアルしました。将来的には、まず三軒茶屋でドミナントというか、この地域に愛されるお店づくりをしていきたいですね。あとは、三軒茶屋の飲食、街自体を盛り上げたいです。三軒茶屋を食の街として作っていくか、というところを考えています。他のお店と組んで送迎をできないかとか、いろいろ考えています。もう一つは、これからの世代の自分たちで何ができるのか、というのを常々考えています。

 

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菊池厚志氏(以下、菊) 菊池厚志氏(以下、菊) 今、川崎で居酒屋を2店舗やっています。両方とも串揚げ業態。父が自宅の一階で蕎麦屋をやっていて、いつも朝早くから夜遅くまでずっと働き通しなのを見ると、「飲食はやりたくないな」って思っていたんです。で、高校中退して20歳までずっとふらふら遊んでいたんですが、まわりが就職していくのを見ていると、このままじゃヤバいと思いはじめて。それまでに経験した仕事を振り返ってみると、飲食店が一番楽しかった。接客が好きだな、って思ったんです。それで、自己資金0から一年で独立しようと決めて飲食の世界に入りました。リアルテイストの「串亭 横浜店」で一年経験させていただきき、退職。当時、自己資金100万円くらいしかなかったんですが、串亭で働いていた先輩と一緒にお店やろうと物件を探している時に、恩師である矢野さんが経営する型無株式会社に出会い飲食店で働く本当の楽しさを学び、委託店舗として会社を設立し、独立をさせていただきました。当時先輩が26歳で代表を、僕が22歳でナンバー2として取締役になりました。一年間経営面、人として大切な事を学ばさせてもらって、24歳の時に自己資金が50万円から独立しました。もちろん銀行がいきなり融資してくれるはずもなく。(笑)でも、どうしてもやりたかったんで銀行に50回くらい通ったら、奇跡的に800万円借りられたんです。そのときに現在取締役の後輩も一緒にやりたいといってくれて、彼と2人で創業しました。店は駅から10分ほどの8坪の物件。人通りもまったくなく知り合い以外来なかったんですが、3ヶ月目くらいから新規客もくるようになって軌道にのってきました。そのあたりから地元なので、後輩が働きたいと集まってくるようになって、何も考えずによし、「よし、働こう!」と人をいれていたら、8坪の店で社員があふれちゃって、2号店を出しました。(笑)川崎の飲食は流行りが遅くて、まだまだメガチェーンが多いんです。個店で流行っている店が少ない。そこで街の雰囲気を変えていきたい。人間力で勝負する店。街のシーンを変えられる店をつくりたい。川崎でドミナント展開していきたいと思っています。川崎の街を魅力溢れる街にしたい。僕は、川崎の街が好きなんですよね。

 

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本田大輝氏(以下、本) 富山、長野、東京で焼肉屋を7店舗経営しています。なぜはじめたかというと、創業30年でもともと両親がやっていたんです。歌舞伎町、中目黒、渋谷で展開している韓国料理屋を4年前に卒業して、富山に両親が創業した焼肉屋を引き継ぎました。戻ったときは3店舗だけだったんですけど、開けたらびっくり。売上がほとんどなかったんです。お肉の支払いが払えなくなるぐらいの厳しい状態にかなりドン引きして。(笑)だから、戻ってから半年間くらいは無給で働きました。しかも、年齢も若く、突然都内から戻ってきた僕は会社の雰囲気や仕事のやり方に慣れず、人がどんどん辞めていってしまいました。(笑)最終的には3店舗で、社員3人、自分と嫁だけ。100席の店でホールは自分一人だけ。(笑)でも、自分が思い描くお店を目指してただひたすら前に向かって進むことで、いまでは信頼し合える仲間(社員)も増え、売り上げも、以前では考えられないほどになってきました。

去年4月に新業態で豚焼肉専門店「BUTAMAJIN」をオープンしました。続いて「hanareという高級焼肉店を出しました。和牛をいろんな食べ方でスタッフが焼くというスタイルで、一日2組しか取らない店です。9月には「BUTAMAJIN池袋」もオープンして東京にも拠点を持つことが出来ました。3年目には精肉部門も立ち上げ、飲食店に和牛や豚の内臓を卸したり、カツサンドなど加工品をつくったりしています、そういった事業も今後はもっと伸ばしていきたいですね。30年続く味を大切にしながら、東京のいいものを吸収して進化させていきたいと思っています。僕は富山の飲食に対するアンテナの感度を上げ、富山の食文化のレベルを上げていきたいんですよね。

なので、富山でいろいろ新しい業態を考えていて、焼肉に限らずお店を増やしていきたいと思っています。

 

—創業前後、今だから言える苦労話とかってありますか。

吉 暇すぎて「激オチ君」の大きいのが、掃除しすぎて一日でなくなりました。(笑)そのくらい人が入らなかったですね。

狩 僕は一号店の「月山」を出すときに、いろいろあったんですが、過激すぎるのでカットでおねがいします 。(笑)

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藤 僕の場合は、起業するために、週6でガテンの仕事をやりながら、店長やりながら、っていうのを繰り返していた時はしんどかったですね。2年間で450万円貯めて、会社を起こしたんですけど、ぼろ負け。(笑)それで、銀行に融資を頼みにいったんです。僕の場合、何回も通うとかそこまで頑張れなくて、どうにかプレゼンしてお金をひっぱってくるしかない、と思いました。お店の工事とかはもう進めちゃってて、明後日くらいにお金振り込まなきゃいけないくらいの差し迫った状況だったんですよね。それで、いろんな知り合いの社長とかまわってプレゼンしまくってたんです。当時23歳で、誰も信用してくれなくて。でも、一人だけ興味を示してくれた先輩がいたんです。「料理を食べさせてくれ」って言ってくれて、時間もなかったんで、すぐに根室に連れて行って、食べてもらったら「これならいける」と。「どれくらいで返済できるんだ」という話になって、「2年で返します」と。最初の1〜2年は給料15万円とかで生活していました。それ以外は全部返済にあてて、という感じで。(笑)

 

—すごいですね。(笑)外食観というか、みなさんが飲食店として大切にしていることはありますか。

狩 僕の場合、食材にすごくこだわっています。東京ではうちでしか食べられないものもあったり、調理法もフレンチの手法を取り入れたり、燻製にしたりなどいろいろ取り入れてやっています。農業をやっているというのもあって、生産者とのつながりもとても大切にしています。社員旅行はいつも、農家、ブルワリー、ワイナリー、酒蔵をまわっています。そうやって、実地で知識と経験を積んで、今後も本物を提供していきたいと思っています。あとは、“三茶”という街に、外から人がくるようにしたいですね。2店舗目の「GYOZA SHACK」は、テレビで紹介されたおかげで、今では北海道や沖縄からもお客さんがいらっしゃいます。いいものをしっかり出して、街自体を広めていきたいですね。

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吉 僕が最も大切にしているのは“人”ですね。食べていて、心地いい雰囲気やおいしい料理もそうですけど、まずは人から見ます。そこでの雰囲気には、働いているスタッフや社風が出たりするじゃないですか。だから、お客さんもお店に行くなら、応援したい人がいるお店とか、会社とかに行きたいと思う人もいると思うんです。そこをしっかり固めた上で、新しい食材やオリジナリティのあるメニューをやっていければと。僕の飲食の原点って、「飲んで食べて、楽しかった」なんです。だから、「美味しいもの食べたね」よりは「楽しかった!」とお客さんにも思ってもらいたいんですよね。

藤 僕は、家庭では簡単に食べられないようなものを、どうやって楽しく食べてもらうか、というところを考えています。うちはフライドチキンがメインなんですが、食材にしても、調理方法にしても家庭で簡単にできるようなものではないですし、さらにもっとおいしくするには、というところを追求しています。意外と肉という食材一つとってみても、どの部位がどの場所にあるのかお客さんって意外と知らないんですよね。それをメニューでイラストを使って説明することはできるんですが、うちでは、丸鶏の状態で目の前で切り分けて、スタッフが説明して、楽しんでもらえるようにとか、そういう部分から忠実にやっています。

 

菊 僕は川崎にないものをつくりたいと思って、“初体験”をキーワードにしています。1店舗目が創作串揚げのお店なんですが、他のお店じゃ揚げないものをやろうって、フォアグラとか揚げてメニューに出していたんです。そしたら、この一年でそういった創作串揚げが川崎に増えだしたので、今度は串蒸しをメニューの柱に加えるなど工夫しています。業態づくりとかノウハウがあまりないので、なんごか僕らの強みを増やそうと、最近ではとろろ鍋も出しています。ちょっとずつ料理ができる人が集まっているので、新しい業態もつくっていきたいと考えています。

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本 僕らは専門店なので“味”を大切にしています。富山に戻った当時の瀕死状態から、経営を立て直すためにいろいろやりましたけどね。カルビを2円で提供したり、FacebookなどSNSに投稿したりして、集客しました。昔から顧客情報だけはしっかりとっていたので、DMを送ったりも。仕入れも変えて、食材の質を上げました。専門店なので、極端に美味しいものを出さないと、リピートにはつながらないんですよ。なので、ミシュラン星付きや食べログ上位のお店に行って、食べることで研究するようにしています。本当においしいものや一流のサービスを知っていないと、それができない。日本一おいしい焼肉屋とまずい焼肉屋にいかないと、自分たちが今どのポジションにいるのか分からない。そうやって研究することで、この料理にはどんな調味料が入っていてとかは分かりませんが、どっちの料理がお客さんにうけるかは分かるようになりました。うちの店でいうなら、例えば「白米とカルビ」とするなら、それを深掘りしていきトップになりたいですね。

 

—流行っている店と流行ってない店って、やっぱりどこも理由がありますよね。僕はメニュー見ただけで、分かるようになったんですけどね。「この値付けがもう30円安かったらいいのにな」とかありますよね。そういう細かいところが大事ですよね。あと、経営者にとって人材教育は重要だと思いますが、そのあたりはどうしていますか。

狩 とにかく勉強をすることを教えています。僕は中卒で何も勉強してこなかったんですが、大人になってからの勉強が楽しくて。グローバルダイニングにいた頃からワインが好きだったんでソムリエ資格をとったり、唎酒師の資格をとったりもしました。食材や料理に関しても、勉強すればするほど、本当に科学の世界なんだなと思うようになりました。スタッフみんなでマリアージュの勉強会をひらいたり、閉店後に残ってワイン40本の試飲会したり。そういったことを重ねるうちに、商品知識がついてきたので、そこをもっと深めていくことが大事なんだよ、ということを常に教えています。例えば、流行っている店も流行っていない店も、それがなぜなのか、を科学する。おいしい料理も、そうでない料理も、そこを科学する。社員旅行などで、ワイナリーを訪ねても、作り手の方と対等に話せるレベルじゃなきゃいけない。そうしたら、このワインにはこの牛肉が合うなど、話してくれて発展するんですよね。そういうふうにスペシャリストを育てられる会社をつくっていきたいですね。

吉 僕自身、上から命令されるのが嫌いなので、そういうことはしないようにしています。スタッフと時間を共有すること、それがうちの人材教育の形かな、と思っています。例えば、飲みにいく、麻雀する、カラオケ行く。ほんとうにそういったことの積み重ね。時間を共有することで、スタッフが今思っていることや情報を得て、どうするべきかを考えるようにしています。それが僕らの土台になっているんじゃないかな、と思っています。各々が良いと思ったことをしっかり発信して実現していけるような仕組みをつくっていくことが大切だと思います。今社員は3人ですが、アルバイトの子たちも社員と同じ扱い。僕らは梅屋敷という街でなくてはならない店を、なんとしても創り上げたいんですよね。2店舗目のお店は、客単価を2000円から3500円くらいまで上げていく予定ですが、大衆感はくずさずに、この街に合わせて、一緒に成長していきたいですね。

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—梅林という社名の由来は。

吉 梅屋敷でやっているので、「梅林」。江戸時代、宿場町で梅の花がたくさん咲いていたらしくて、「梅屋敷」という地名になったんです。もう一度梅の花が咲いて、繁盛する街になれば、これから梅の林を咲かせる、という意味を込めました。

 

—藤崎さんは「平成ダイニング」という社名で、全員平成生まれ。人材教育についてはいかがですか。

藤 挑戦させることを一番大切にしています。彼らと仕事をしていると、自分の立ち位置が分かっていないなぁ、と思うことがよくあったんです。なので、とにかく挑戦させて、自分の強みや足りないものを分からせる。挑戦させると、経営的に負担は大きいですが、長期的に考えると得るものが大きいと思っています。挑戦してみて、最終的に自分に何があって、何が足りなかったのかと聞いたら、例えば、料理人の一人は、「小手先の料理ではなく、本物をつくりたい。だから、イタリアに行く」とか。そういうふうに独立しても、みんなの居場所はここにある、というか。平成ダイニングという認識のもと、まだまだ若いんで、勉強すべきことを勉強して、時がきたら、また一緒にやろう、という感覚ですね。

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—ある飲食企業も出戻りが多い、と聞きました。能力が高い人ほど、独立しちゃう。それを引き止めようはないですよね。いつか戻って一緒にやる、お互いそう思い続けているのって素晴らしい、必要だと思います。

藤 そうですね。今は社員2人なんですが、彼らは、この会社にすべてを賭けたいというスタンス。一緒に学びながらやっていきたいですね。

菊 うちではオンオフをすごく大切にしています。出勤すれば、朝礼、終礼、挨拶は基本としてきちっとするように指導しています。社員5名、アルバイト8名で、全員平成生まれ、平均23歳くらいなので、そういうところをしっかりしないとふざけちゃうんですよね。他には、先輩のお店に3日間や1週間研修に行かせています。ほかの店を見させて、経験を積んで吸収する。年に1回は、どこか先輩のお店に研修にいかせていただきたいなと。あとは、スタッフとなるべく話すようにしています。想いを日々伝えていかないと、ブレが出てくるので、社員ミーティングは週1回やっています。まだ精神論でやっているところもあるので、もっと仕組み化していきたい。もっと川崎を働きたい街にしたいですね。

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本 うちは社員が16名。本部に役員2人にPRと僕という体制です。うちには40代のベテランスタッフが2人にいて、30年近く働いてくれている人がいるんです。そういうスタッフには特に家族を大切にしてほしいので、休日を増やすなど労働時間の改善している最中です。そうやって少しずつ待遇を改善していくと、若い子が集まってくるようになりましたね。昔の「飲食=ブラック」というイメージがなくなって、勢いのある会社として見てもらえるようになりました。もう一つ教育として取り組んでいるのは、研修ですね。焼肉屋は料理人というより、職人なんです。だから、だから、尊敬している先輩焼肉店オーナーさんにお願いをして、仕事に対する熱意などを聞かせていただき、大変刺激になっています。

 

 

—最後に今回の座談会テーマである次世代を担う経営者として、どういった業態やビジネスに興味をもたれているのか、お聞きしたいです。

吉 50年100年続く会社やお店をつくりたいんですよね。今の来てくれているお客さんが結婚して、お子さんが生まれて、お孫さんができて。「あのお店、昔からよくいってるんだよ」って言ってもらえるお店が目標なんです。加えて街にとって必要なものと考えると、やっぱり僕は教育面でも特化した会社だなと思っています。飲食店に限らず、例えば小学生のスポーツ教室や塾といった、街にとって必要なものもやっていきたい。教育面でも成果を上げられる会社にしたいと思っています。

藤 僕も街に特化したものをやりたいと思っています。一つは、この街を盛り上げるのに飲食店として何ができるかというのを追求していきたい。もう一つは、若い世代で何がやれるのか、ということを考えています。各自の能力をもって、利害ではなく生き様の部分でどんなことが一緒にやれるのか、そこに取り組んでいきたいですね。正直、今は待ちの時期。若さには待つことが重要だな、と思っています。

菊 自分がずっと住んでいて、遊びも仕事も全部教えてもらった川崎の街に何かできないかと、いろいろ事業を模索中です。最初は東京に憧れがあったんですけど、それもある先輩と出会ってなくなりました。その人がすごく自分の街と向き合っていて、それに比べれば自分はなんとなく川崎でお店やっていたな、と思わされたんです。スイーツとかお土産とか川崎名物をつくりたいですね。今ちょうど進めているのが、川崎飲料さんと組んだオリジナルサイダー。4月に生産がはじまります。そうやって川崎の街を広めていきたいです。

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本 僕は個店を強くしていくとこだわっていきたい。メニューは、店舗によって少しずつ違います。職人によって、肉の切り方も違うんですが、そこはあえて均質化していません。同業態でチェーン展開するつもりはないので、どこかの店舗が日本一になればいいな、と思っています。ただ、もうひとつ思ったのは、社員の給料を上げられなかったり、休みがとれなかったりするのは、まずいと。従業員の待遇改善は引き続き取り組んでいきたいです。焼肉屋としては、仮に「日本一うまい焼肉屋」と言われる有名店になった、と。それを展開できたら面白いなって、思っています。新しい業態にもチャレンジしていきたいですね。

 

—まだまだどこかに狙える穴があるんじゃないか、と思いますよね。焼肉屋って、「安安」や「安楽亭」などのリーズナブルブランドと、「叙々苑」「トラジ」などのハイブランドがあって、その間のスポットに「うしごろバンビーナ」とか「ふたご」「ぐう」などの中価格帯ゾーンが入っていって、上手にアルコールを提案しているんですよね。そういった意味でほかにも狙えるスポットは出てきそうですね。

本 そうですね。それを高級業態、激安チェーンの間などのスキマ焼肉層に展開できたら面白いなって、思っています。新しい業態にもチャレンジしていきたいですね。

 

—おもしろいですね。狩野さんはいかがですか。

狩 第3世代、第4世代と呼ばれている方々が創り上げてきたものがすごかった。チェーン展開の頂点までやりきった世代かな、と。今日聞いて僕たちの世代がすごくいいな、と思ったのは、それぞれの拠点をしっかり持っていること。みんなそれぞれの拠点となる街を盛り上げたい、と思っているんだなって。僕自身もまずはこの場所でしっかり力をつけていきたい。それから個店としてレベルを上げて、あくまで個店で展開していきたい。いいものを街につくりたい、残したいんですよね。それは、おいしいというだけじゃなく、人も含めていろんな武器で戦える。それぞれ自分の武器が分かっていて、それを伸ばしていける。そうやって「やっぱり外食って楽しい、おもしろい」って思ってもらえるように持っていきたいなと思っています。

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