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ビール業界に精通する経済ジャーナリスト・永井隆の書き下ろしシリーズ企画第三弾!”ビール営業物語”【第5回】サッポロビール東京中央支店・竹内利英の仙台、銀座攻防戦


サッポロがサッポロであるために、勝ち続けなければならない

「ガード下の繁盛店」を奪還できたもう一つの要因として、酒販店営業マンの存在があった。
「竹内君、それなら一緒に頑張ろう!」
繁盛店に酒を納めている酒販店の営業マンは、竹内利英に言ってくれた。偶然にも竹内がオーナーに会えてからサッポロ樽生ビールに切り替わるまでの1年間、具体的なシナリオの多くは酒販店営業マンが作成する。
繁盛店への提案するタイミングをはじめ、決着までのやり取り、さらにはライバルビール会社の営業マンが仕掛けてきたときの店側の対応手法まで、幾重もの策が練り込まれていた。酒販店営業マンは、サッポロ以外のビール会社とも取引があるのにだ。
「酒販店のセールスの方との人間関係を、きちんと構築できていたのは大きかった。信頼を得ることが人間関係をつくるのには何より大切です」
いまでも、この酒販店営業マンとともに竹内は年に一度、繁盛店のオーナーを表敬訪問している。羽田から飛行機に乗り、かなり飛んだ地方にオーナーは住んでいて、おそらく2人は一泊はしているだろう。

「小が大に勝つためには、どうするべきか」
竹内はずっと考えていた。その思いは、銀座を担当してからは一層強くなっていく。
2010年4月には、それまでの仙台支店から東京中央支店に転勤。銀座1丁目から4丁目をはじめ、築地や晴海、有楽町など中央区の広いエリアでの業務担当となる。さらに、15年4月からは銀座5丁目から8丁目のエリア担当、および業務用酒販店担当となった。
1994年に恵比寿ガーデンプレスが開業して、同年9月に本社を移転する以前は、サッポロの本社は30年間、銀座7丁目にあった。さらに申せば、旧本社に隣接し中央通りに面する「ライオン銀座7丁目店」は、大日本ビールの本社社屋として1934年に建設された(ちなみに大日本ビールとは、戦後の49年に過度経済力集中排除法により、サッポロとアサヒに分割された会社。連合国軍総司令部が東日本中心のサッポロ、西日本中心のアサヒに分割した)。
つまり、銀座とはサッポロにとっては“聖地”である。
銀座は高級飲食店が集中するだけに、“大企業”であるライバル3社も営業攻勢をかけてくる。あるライバル社は、銀座近くの小さなエリアに女性営業マンを投入。若い美女であり、飲食店のオーナーによっては、心が動いてしまう人もいるようだ。
「(飲食店経営者と)会話をしていて、『若い子が来てね』などと嬉しそうに話すようなら要注意。すぐにフォローします」と竹内は言う。
このほかにも、営業の精鋭部隊が切り込んできたり、プレミアムビールを商材にローラー作戦を展開したりと、ライバル各社は迫り銀座はいつも激戦地である。
それでも、「サッポロがサッポロであるために、銀座では勝ち続けなければならない」と竹内は考えている。

現場力に秀でた、たたき上げの営業マンたち

 竹内は支店長と、こんな会話を交わした。
「本社が銀座から恵比寿に移って、もう20年以上が過ぎました。なのになぜ、『銀座はサッポロだよね』と、地元の飲食店に言ってもらえるのでしょう」
「それは、銀座を代表する飲食店の多くが、いまでもサッポロを扱ってくれているからだろう。なぜ扱ってくれているかと言えば、94年まで本社があってウチの役員たちが足繁く通っていたからではないかな」
「いま、サッポロはそれをできていますか。やらなければ、銀座という街とウチとの関係は希薄になっていきますよ。『銀座ならサッポロ』と言われなくなってしまう」
そこで、支店から経営陣に提案し、昨年夏から役員たちが取引のある銀座地区の飲食店に顔を出すようになったのだ。接待で使用するというよりも、とにかく顔を出して「どうも、お世話になっています」と挨拶をするケースが多い。
「こうしたフェイス・ツー・フェイスが、実は一番大切なのです」
役員の中でも、「それはやるべきだ」と一番に推してくれたのは、上條努サッポロホールディングス社長だった。
「創意工夫があれば、規模は小さくとも、いくらでも対抗できます」と竹内は力を込める。

ビール営業マン・竹内の一日は、その日によりまるで違う。ただし、毎日がエキサイティングだ。
この日は5時に起床。6時半には、夫人と子供のいる川崎市の自宅を出る。8時半に銀座の支店に到着すると、ほとんどのメンバーは来ていた。
メールチェックなど内勤作業に追われると、午前中は外には出られない。この日は、内勤をやらずに9時半には酒販店を廻る。昼は一度支店に戻り、同僚と一緒にサッポロを供している老舗寿司店でランチ。
「昼なら、銀座の老舗でもリーズナブルに利用できます。店主に挨拶して、店を出ます」と言うが、“昼飯”もビール営業マンにとっては仕事の一環だ。
午後、銀座を廻る日はあるが、この日は酒販店の営業マンと営業に廻る。酒販店営業マンが抱える案件は23区全域に及ぶ。新規出店や、既存の取引先への相談、さらにはメニュー提案など、いくつも抱えている。
前述のガード下繁盛店も、業務用酒販店の営業マンがつくったシナリオに沿って、最終決着へとむかった。
竹内が担当する業務用酒販店の営業マンは、85年生まれの竹内よりも年上ばかり。トラックの配送業務から始まり、倉庫管理を経験して営業マンになった、たたき上げの人が多い。
「それだけに現場力が凄いのです。苦労されている分、人間が強い」。配送時代から取引先に可愛がられるなど、飲食店オーナーからの信頼が厚い。また、間接的な営業であるビールなど酒類メーカーの営業マンの人柄も、何気に見抜いていく。もちろん、営業的な嗅覚に秀でている人もいる。
ライバル3社も出入りする中で、いかに酒販店営業マンとの信頼関係を一番に築けるかは、メーカー営業にとっては大きなポイントだ。
「私は、素直、謙虚、感謝を基本としています。銀座をはじめ東京は市場が大きいため、取引金額も大きくなる。これはお客様が大きいからなのです。自分の営業力が凄いなどと、営業マンは勘違いをしたら終わってしまう」

別の日の午後は、不動産業者と会っていたり、低金利のリース会社を訪ねたり、築地市場を歩いたりする。新規出店を希望する飲食店に提案するには、いつも最新情報は求められる。
夕方、一度支店に戻り、7時には関係の深い飲食店オーナーと繁盛店を訪れて視察する。9時過ぎには、サッポロと業務提携するラム酒のバカルディジャパンの営業マンと合流して、情報交換をした。
「よく、(協賛金などの)金で負けました、と言う話を聞きます。私は金で負けるというのは嘘だと思う。金の土俵にいく前の、提案力で負けていたのです。もちろん、飲食店、さらに業務用酒販店との信頼関係が築けてなかったのも原因でしょう」
やはり、人と人の関係がベースにはある。

日本のビール会社は買収されてしまうのか

さて、今回が最後なので、近々予想される大きな波についても付け加えておく。

ビール世界最大手のアンハイザー・ブッシュ・インベブ(ABインベブ、本社はベルギー)が、同2位の英SABミラーを約13兆円で買収を決めたのは昨年秋。時価総額は30兆円を超えてトヨタ自動車よりも大きく、世界シェア3割のジャイアント企業の誕生である。「SABミラーでさえ、M&A(企業の合併・買収)圧力に屈した」(磯崎功典キリンHD社長)という側面をもつ。
この巨大ビール会社が、早晩日本のビール会社を買収する可能性が出てきたのだ。

ABインベブを率いているのは、効率的な経営手法で知られるブラジル人のカルロス・ブリトCEO(最高経営責任者)。無類のコストカッターとしても知られる。
買収した企業の人員削減や工場売却は日常茶飯事であり、短期間に利益を生み出して株主に貢献する企業体質を築き上げている。被買収企業をひたすら筋肉質にしていく。
事業会社というより、投資会社の特性に近い。常にM&Aの新しいターゲットを狙っていて、M&Aの継続が会社の評価につながる。だが、SABミラー買収により、ターゲットそのものは限定されてきてきた。そこで、日本のビール会社が、残ったターゲットの一つとして浮上してきたのである。

日本では、元祖コストカッターとして知られるカルロス・ゴーン日産自動車社長は、ブリトとの経営手法の違いについて次のように語った。「ブリトと私の経営は、まったく違う。ルノー日産アライアンスは、短期的な利益を追うのではなく、(資本提携した1999年から)長期にわたり成果を出し続けてきた。もう一つは、ルノーと日産はずっと対等の関係にある」
また、ブラジルのビール事情に詳しい日本人ビジネスマンは言う。「経済が破綻しそうなブラジルにおいて、成功者のブリトは人々から尊敬を受けている。ただし、彼はビール会社の経営者ではなく、銀行家である」
一方、米国人のM&Aコンサルタントは「サスティナビリティ(持続可能性)の本質は利益にある。企業は利益を上げて、株主に貢献し社会に還元する。だからブリトの手法は正しい」と話す。

世界のビール産業にM&A、再編の波が本格的に押し寄せたのは、2000年代に入ってから。背景には世界的な“金余り”があった。
リーマンショックと前後する08年、「バドワイザー」で知られる米アンハイザー・ブッシュを、ベルギーのインベブが約5兆円で買収。ABインベブが誕生した。

08年に買収されるまで、アメリカを代表するビールであるバドワイザーの品質管理は厳格だった。創業家であるブッシュ家が厳しく目を光らせ、世界の生産委託先からサンプルを本社に送らせ、厳しくチェックして品質維持を強く求めた。
ところが、ブッシュ家が経営から外れて、世界規模での品質管理体制は縮小され、製品チェックも緩くなったという。効率を優先しているためだ。

米国でクラフトビールが急伸しているのは、可処分所得の高い層が健康志向などで高価格でもより良いものを求めるトレンドがあるためだろうが、どうやらそれだけでもない。
ABインベブがつくるバドやコロナといった大量生産方式のビールが、落ち込んでいるからだ。落ち込みの理由は、かつてほど品質管理が厳格でなくなり、美味しくなくなったためだろう。
ABインベブは大型買収の一方で、米国のクラフトビールも買収している。「大量生産ビールが、消費者から敬遠されることへの危機感の表れでは」(日本のビール関係者)という。
ABインベブの営業利益率は33%(14年12月期)。高い利益を上げる反面、モノづくりへのこだわりは薄い。

「13兆円の買収金額と、アサヒグループホールディングス(HD)の時価総額(約1兆7916億円)とでは、桁が違う。なので、企業価値を向上させるだけでは、被買収リスクを回避できない。むしろ、攻撃は最大の防御。グローバルにメーカーや流通などとの提携を重ねて、連邦経営を構築してヘッジしていく」と小路明善アサヒグループHD社長は語った。
仮にブリトが日本のビール会社に狙いを定めたなら、豊富な資金力を背景に短期間に攻勢を仕掛けてくるだろう。狙いはビール類事業だけ。ビール類事業に相乗効果をほとんどもたない清涼飲料事業などは、買収後すぐに売りに出していくシナリオだろう。
営業においても、リベートや協賛金といったコストアップ要因は消されていくだろう。人と人を繋ぐ営業手法も影を潜めていく。飲食店への提案営業なども、否定されていくだろう。買収された会社にとって『ビール営業物語』は、“昔話”になるのかも知れない。

本当に“元寇”は来るのかどうか。13世紀のときには、2度にわたり“神風”が吹いた。米投資会社スティール・パートナーズが、サッポロに対し仕掛けた買収攻勢を表面化させたのは07年2月。最終的には、08年9月にリーマンショックという神風がやはり吹いて、スティールは撤退していった。サッポロは、「買収防衛を徹底して学び、実践できた」(サッポロ幹部)といまは言う。
ABインベブは、スティールのようなグリーンメーラー(いわゆる乗っ取り屋)ではない。規模も戦略もまったく違う。果たして。

(終わり)

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